第三十四話・「今更だが――」
「……キズナ、聞いたか!?」
「……聞きたくないけど、聞こえたわ」
青龍から振り落とされ、俺たちは炎上する民家に落下していく。熱い風に身体を叩かれながら、俺たちは自分が落ちているのも忘れて会話する。胸ポケットから飛び出してしまっているハムスター姿のキズナは、逆さまのまま腕を組んでそっぽを向いた。
「待っているのだ、イリス! 必ず俺が救い出してやるぞ!」
「……なんでそんなに必死なのよ……」
「ふん、嫉妬とは単純だな」
「し、嫉妬じゃないわよっ! 馬鹿じゃないの!?」
「キズナよ、おまえはどうも分かっていないようだな。……俺は、俺を愛する全ての女に危害を加える者を許さない」
握り拳で力説する。
「俺を愛する女が苦しんでいるのならば助ける! 泣いているのならば涙を拭ってやる!それが信念だ。揺るぎのない正義なのだっ!」
「愛されること前提って……一体どこまで自信過剰なのよ……」
「だから、イリスも助ける!」
「……力説中悪いけど」
落下しながら大声を張り上げる俺に、キズナが半眼で指さす。
「着地は心配することはないぞ。魔法でどうにでもできる」
キズナの顔が徐々に引きつっていく。お前は百面相か。
「第一、師匠を指さすな」
注意してやるが、キズナの顔は引きつっているだけでなく、みるみるうちに青くなっていく。よく見ればキズナの指さす方向は、微妙に俺の顔とは角度がずれていた。キズナは指差すのを止めて、空中で必死にクロールし始める。まさに溺れる者は藁をもつかむ。じたばたじたばた。
……空中遊泳とは実はこういうことを言うのではないだろうか。涙まで流して……。
そんなに空中を泳げまねをすることが楽しいのか、キズナ――……と、冗談はここまでにしておこう。
何となく状況が読めたぞ。
自由落下する中、俺はブリキの人形のように、ぎぎぎ、と首を回転させる。
「……口?」
青白い炎をまとった巨大な口がそこにあった。
背筋から駆け上がってくる寒気に脳の温度が一気に低下する。パニックになりかけた頭に折り合いを付け、俺はキズナをひっつかむと胸ポケットに押し込んだ。
コンマの時間で【鶺鴒】の刀身を一瞬のうちに復元し、青龍の口がかみ合わされないように、つっかえ棒にする。
口から俺を吐き出そうと、空中できりもみ回転する青龍。
脳みそが揺さぶられて頭骨に叩き付けられる痛み。加えて、青龍の口の中は青白い炎の渦だ。身体そのものが実体のある炎でできているのだろう。ブーツの底は溶け始めている。
ブーツに仕込んである鉄板が、炎の熱を吸い込んで最高に熱い。
焼き肉の鉄板の上に立っているような感覚に、俺は飛び上がりそうになる。
落ちた汗はじゅうと音を立て、肌はぐずぐずと焦げていく。
「く……これ以上は……【鶺鴒】が持たないか……!」
信じられないことに、つっかえ棒にしている【鶺鴒】の刀身にひびが入り始めていた。
青龍の魔力を秘めたあぎとと、青龍自身の力に【鶺鴒】の魔力で作られた刀身が悲鳴を上げてしまっている。
驚異的な膂力。
さらに最悪なことに、青龍ののどの奥から青白い光が激流のごとく押し寄せてくる。気がついたときにはすでに遅かった。
最高純度の魔力が直接吐き出されていたのだ。飲み込まれれば、骨も灰も残らない。存在そのものを消滅させる魔力の溶岩。それだけで町一つを一年間、光で輝かせておくことすら可能という魔力量。
俺は咄嗟に背を向けて胸ポケットからキズナを取り出す。
「今更だが――」
「え……?」
「――お前の胸、嫌いではなかったぞ」
キズナを青龍の口の外へ放り投げた。
「なんで!? 嫌よっ……私はっ! リニオおおおおおぉっ!」
キズナの叫びが口の外に消えていく。
許せ、キズナ。
俺は無駄とは分かっていても、急造の無詠唱魔法を展開する。
青龍が吐き出す魔力に比べたら、薄紙のような盾でしかない。
五秒もつかどうか。
津波にのみこまれるように、俺は真っ青な波の中に飲み込まれていった。