第三十二話・「お前は間違っているぞ!」
崩落するエントランスホールに、天井を支える力はない。
炎と煙に身を焼かれ、なすすべ無く崩壊していく末路が待っている。遠くから響いてくる爆音を、天井から崩れてくる瓦礫の轟音が上書きする。
俺とキズナの隣に落ちてきた壁の破片が、俺の髭をかすめていった。
「……時間がない。キズナ、手を貸すのだ」
「アンタの場合、手じゃなくて身体を貸して欲しいんでしょ?」
「ふむ、確かに」
顎に手をあてる。
なかなか上手いことを言うじゃないか。
「……ったく、師匠のくせに弟子の身体が目当てなんてね」
「そういう言い方は人聞きが悪いと思うのだが」
この切迫した状況で誰も聞いてはいないだろうが、一応釘を刺しておく。
「いいわ、身体は貸してあげる……でも、条件があるわ」
「全ての条件をのめるというわけではないが、一応言ってみろ」
腕を組んでキズナの言葉を待つ。キズナは溢れる血と、こみ上げる痛みを飲込んで、ゆっくりと言葉を吐いた。
「……アンタの戦い、胸ポケットで見させて」
「……」
精霊と言えば、世界で最強の存在だ。
精霊相手では、人間など束になっても及ばない。たとえそれが魔法使いだとしても。俺が偉大なるリニオで、【恩寵者】であるキズナの身体を借りようとも、勝てる見込みはないだろう。
もしもこの世に神というものが存在するのならば、きっと俺は神に挑もうとしている。
それぐらい無謀な戦いなのだ。
そんな死地にわざわざ自ら進んで赴くこともあるまい。
……だが、それもいいだろう。
この身体を失えば、キズナお前は人としての存在を捨てて、ハムスターとして生きることになってしまうのだから。
「……腰を抜かすなよ」
「馬鹿言わないで」
それがキズナの覚悟だった。
眠るように目をつぶるキズナ。
俺はそのキズナの覚悟を受け止めた上で、ハムスターの姿で出来る、唯一の魔法を思い描く。
「……【スワップ】」
つぶやくと、ついに天井が崩れてきた。
真っ黒な煙を纏いながら、炎で埋め尽くされたエントランスホールに最期の崩壊音が響き渡る。
俺の意識がハムスターから切り離され、全くの宙ぶらりんの状態となる。神経が根本から引き抜かれて、空気中に溶け出してしまったかのような感覚。
頭上に落下してくる巨大な瓦礫は、人を骨ごと軽々と踏みつぶすだろう。
キズナの身体に意識が入り込んでいく。視界がキズナと重なり、見ている風景が共有される。
俺の視界がキズナの視界へ。キズナの視界が、俺の視界へ。頭のてっぺんから、指先、つま先まで、隅々に俺の神経が張り巡らされていく。脊髄を通して、命令系統が確立されていく。
瓦礫が迫る。炎に巻かれた暴虐の固まりは、破壊音をともなって盛大に落下した。
柱は次々に倒れ、屋敷は崩れ去る。吐き出した噴煙は屋敷の吐血であり、断末魔だ。
「いくぞ、キズナ。落ちるなよ」
周囲に視線をくれる。
魔力は一瞬で変換された。
ただの一つとして詠唱を必要としない、最先端の次世代型魔法詠唱方式、無詠唱魔法。大蛇のような太い蔓が周囲から次々に生い茂り、俺を覆うようにして成長していく。俺はそのさなかに単詠唱魔法を唱えて、ヘイデンから負ってしまった身体を治癒していく。
傷口を応急処置し、出血だけはせき止める。
「ダメージは残るが、仕方ないだろうな」
足下から生えてきた太い蔓に飛び乗ると、痛みの残る身体で蔓の上を駆ける。落ちてくる瓦礫に目を馳せて、周囲から急激なスピードで伸び続ける蔓に自動的にはじかせる。
火の粉舞い散る蔓の上、俺達は崩れ落ちた屋敷を抜け、蔓の上を駆けながら町へと飛び出す。
「なによ、これ……!」
胸ポケットでキズナがうめいた。
「まるで戦争だな」
――夜空は紅に染まっていた。
町には何十カ所と火の手が上がり、人々の悲鳴と怒声が聞こえてくる。絶叫できればまだマシな方だ。魔力を根こそぎ吸い取られて骨と皮だけになってしまえば、声すらも発せない。絶望にも似た風景を瞳に移して絶命するだけだ。最悪、走馬燈すらも灯らないだろう。
「イリス、それがお前の望んだことなのか?」
問いかける先は精霊、青龍。
「……悪いが全力で行かせてもらうぞ」
【恩寵者】であるキズナの魔力をふんだんに注ぎ込んで、ヘイデンの屋敷跡から直径三十メートルはあろうかという巨木を出現させる。
ぐんぐんと天を突き抜けんばかりに巨木は幹を太らせ、生い茂り、枝葉を伸ばす。町を覆い尽くさんばかりに伸び広がる梢や葉は、生命の根源とされる伝説の木に例えても引けを取らないだろう。キズナの魔力を与えて肥大化させた魔法の木だ。
「リニオ! 後先考えてやりなさいよねっ!」
魔力の消費量に驚きを隠せないのだろう。
「後先考えないのは、お前の専売特許だと思ったがな」
高空五十メートル。
青龍の火にあぶられて温度の増した夜風に、栗色の髪を揺らす。揺れる木々のざわめきは、鎧と鎧の触れる音に聞こえた。
否応なしに、鼓動が高まる。
俺は【鶺鴒】に青白い刀身を出現させる。密度の濃い青い魔力の固まり。
「いつぞやお前は言ったな……」
――……魔法は、人を傷つけるだけ……なの。
少女の面影が離れない。
「確かに、そうかも知れないな」
青龍の周りには幾つもの魔法文字が浮かんでは消える。
人々から吸い上げ、破壊として再変換する。青白い魔法文字は命の文字そのもの。何人の命がその中に吸収されていったのだろう。魔力量から逆算すればすでに何百人単位。
青龍が尾を激しく地面に叩き付ければ、町の中央に立っていた時計台が盛大な鐘の音と共に崩れ去る。転がった鐘は地面に這いつくばっていた住民を押しつぶし、民家につっこむ。
逃げまどう人々。青龍の袂にさらされた瞬間、強制的に魔力を吸われていく。
圧倒的で、残酷な搾取。
町から立ち上るたくさんの命の灯火と、燃ゆる町の灯。
青と赤の幻想的な対比の中で、俺は青龍に宣戦布告する。
「リニオ・カーティス……魔法の限りを尽くさせてもらうぞ」
「カッコつけてないで、さっさとやりなさいよ」
お前は師匠の見せ場を潰すのか……なっていないぞ馬鹿弟子。
俺の与えた魔力に反応し、巨木は次々に枝と、枝にからみついた蔓を伸ばす。何十本という極太の枝が、ぎりぎりという音をあげて青龍に突撃した。俺はその一つに飛び乗って、【鶺鴒】を構える。
青龍が俺達と、枝の襲撃に気がつく。
深い青で燃え上がる眼光が、無詠唱魔法を発動させた。魔法文字が激しく回り出し、俺達の乗っていた枝を盛大に燃やしだす。周囲に踊り出す炎で、枝があっと言う間に灰になっていく。
俺は崩れ去る数秒の間に次の枝に飛び乗ることができた。
バランスを整え、今度は青龍に向かって駆けだす。その間に五つの枝が青龍を取り巻き、攻防を始めていた。青龍の身体をぎりぎりと締め付け、自由を奪おうとする。
俺はそれを横目に見ながら、イリスの所在を確かめようとする。
燃え上がる町を遙か下に見下ろしながら、俺達は枝で作られた空中回廊を疾走する。
蟻のように小さく見える人々が通りに倒れ伏しているのが見えた。
小さな我が子を抱きしめた親が、消えゆく命をかえりみずに悲嘆に暮れている。必死に住民を避難させようとする兵士が、青龍の放つ無詠唱魔法で、誘導した人々ごとこの世から消え去った。
無差別であり、無慈悲。
青龍にとって人々など魔力を吸い上げるだけの微々たる餌としか見えていないのだろう。俺は歯ぎしりし、叫んだ。
「イリス! 聞こえるか!」
燃えさかる青龍の鱗に、枝が次々に焼失していく。俺はそれが一時的に過ぎないとしても次々に枝を青龍に向かわせた。
大蛇のように食らいつき、突き刺そうとする枝は、青龍の無詠唱魔法によって爆砕する。
粉砕された木片が民家にバラバラと落ちていく。煉瓦造りの壁を壊し、屋根をぶち破った。しばらくして魔力が霧散し、木片は消える。そして、破壊痕だけが残る。
「お前は間違っているぞ!」
「そうよ! アンタは間違っているわ! イリス!」
俺の走る蔓に襲いかかる無詠唱魔法。
俺の前方で炎が膨れあがったかと思うと、それは一気に収束し、閃光を放つ。俺はとっさに脳内で無詠唱魔法をくみ上げる。キズナが唯一使える魔法など足元にも及ばない高等なものだ。
激突する俺の魔法と青龍の魔法。
爆発が夜空に花火を打ち上げ、俺の足下を壊していく。俺は木片ごと落下し、すんでのところで蔓にぶら下がる。魔法としては同じ無詠唱魔法。だが、威力では及ばなかった。巨木を操りながらでは無詠唱魔法は一つが限界だ。それが人間としての限界でもある。だが、青龍を見れば、軽々と何重もの無詠唱魔法をひっきりなしに発動し続けている。
化け物。怪物。もはや形容しがたい生き物だ。
俺は盛大に舌打ちして蔓の上にはい上がると、全速力で蔓を駆け上がっていく。螺旋階段のように青龍の周りを回りながら、徐々に頭へと近付いていく。
枝と青龍の攻防は圧倒的に青龍の有利。魔力の絶対量に差があるのは明白。枝は青龍のうねりによって次々にへし折られてしまい、止めに燃やされて塵になる。
「聞こえているのか、イリス! お前は間違っているのだ!」
「無視するのは自分が無力な証拠なんだからね!」
【鶺鴒】を握りしめて叫ぶ。
キズナも俺の叫びに続き、胸ポケットに必死にしがみついている。
「お前のしていることは、魔法で人を傷つけることなのだぞ!」
近くで起きた大爆発に、青龍に巻き付いていた蔓がへし折られる。あまりの爆風に身を吹き飛ばされそうになった。それでもつたを蹴り、走り続ける。
「確かに魔法を使えば、誰かが傷つくことになる! 誰も傷つけない魔法など詭弁に過ぎない!」
「もうっ! 魔法を使えるくせに、いっぱしに悩んでるんじゃないわよ! 私なんか、そんなことを悩む以前の問題なんだからねっ!」
「論点がずれている!?」
青龍の身体が激しく動き、蔓の枷を外そうとする。
尾が激しく振られて、俺達ごとたたきつぶそうとする。俺は力の限り跳躍して炎を纏うしっぽを飛び越える。風切り音と熱風が汗をも蒸発させる。身体の痛みは、緊張と集中で後ろに置き去りだ。
今はそれでいい。全てが終わった後で、ベッドに縛り付けるなりされてもいい。
……どうせ、縛り付けられるのはキズナだからな。構いやしないさ。
「今の何!? 悪寒がしたわっ!?」
「……そうか、気のせいだろう」