第三十一話・「見せてやるわよ、講義の成果!」
二人をさえぎるように崩落した天井が大量の煙と、熱気を膨れあがらせる。
肌を焼く熱の圧力は、吸い込んだ空気にさえ引火していて、肺をかきむしるような痛みさえ催させた。
視界が零の煙の中なのに、キズナは苦もなく【鶺鴒】を振う。一合、二合と刀身がぶつかり合い、キズナが煙の外へ転がり出てくる。大腿部からの出血はキズナのスピードを殺している。スピードこそがキズナの生命線であり、ヘイデンに唯一劣ることのない部分。こうなってはヘイデンにとってキズナなど、まさにまな板の上の鯉、か。
続いてヘイデンが煙から飛び出してくる。
床に膝を突くキズナに、【朱雀】が振り下ろされる。キズナはそれをひらりとかわして、距離を取りざま【鶺鴒】を薙ぐ。ヘイデンの肩口に血の花が咲き、ヘイデンが低くうなる。キズナはそれを見てヘイデンの背後に回り込み、高速で突きを繰り出す。
地を這うような突きは、大胆不敵にヘイデンの心臓を狙っていく。
ヘイデンは半身になって高速の刃を交わして、通り過ぎようとするキズナの身体に左の拳をめり込ませた。
めきめきとキズナの身体が壊されていく。
血を吐き、地面を転がっていくキズナ。
折れた肋骨が肺を傷つけなければよいが……。
一方のヘイデン。
刺突でつけられた切り傷は、ヘイデンの胸に赤い一線を描き、先程の傷に交差して十文字を描いていた。吹き飛ばされたキズナは地面に【鶺鴒】を突き立て、吹き飛ばされていた自分を繋ぎ止める。
キズナが笑った。
バカにするような、何かを確信したような笑みだった。
(何を笑っている?)
「……悔しいけど、アンタの言う通りじゃない」
(ふむ……)
顎に手を当てる。確かにそのようだな。
「だったら、やるしかないようね……!」
キズナが手の甲で唇の血を拭い、【鶺鴒】を引き抜く。
「見せてやるわよ、講義の成果! 私の単詠唱魔法をねっ!」
……おい、嘘はいかんぞ。誰より師匠である俺が一番よく分かる。
爆発するように魔力を加速燃料に変えて、風のように走る。
無意識とは恐ろしい。キズナの魔力が、キズナにわずかな体力の回復を促している。小さな擦り傷切り傷ならばたちどころにふさがっていく。
殴りつけた体勢のままのヘイデンが、懲りずに向かってくるキズナに歯ぎしりする。消失させていた【朱雀】の刀身を呼び戻そうとする。
しかし、どうもその動きが芳しくない。
「疾風!」
【朱雀】の刀身を復元させぬまま、単詠唱魔法を唱える。
距離を取ろうとしてはなった単詠唱魔法なのだろう。重なり合う真空の刃がキズナの周りを取り囲むように強襲する。
膝を切られ、肩から血液を走らせ、頬に一筋の赤がひかれる。執拗な風に切り裂かれながらも、キズナのスピードは揺るがなかった。
挑戦的な笑みと、自信過剰な瞳の炎をぎらつかせ、体勢をさらに低くする。
愚直……だが速い。
単詠唱魔法を放ったヘイデンはその愚行までも予測できなかったのだろう。所詮、経験則など俺の弟子には通用しない。
何せ……馬鹿だからな。
いつの世も、世界を動かしてきたのは一握りの天才と一握りの馬鹿だ。
馬鹿と天才は紙一重――要するにそういうことだ。
「いくわよ、単詠唱魔法っ!」
……なんだと? ま、まさか、本当なのか!?
手のひらを突き出すキズナ。
腕を盾にするヘイデン。
単詠唱魔法、発動。
驚愕する俺。
「――…………やっぱ無理ね」
ヘイデンが絶望を隠せない。俺も同じ表情をしていただろう。
そこにあったのは、キズナを除く全員の停止だった。
「謀ったな! 【恩寵――」
「騙される方が悪いのよ」
俺も悪いのか!?
ヘイデンの隙を見逃すキズナではなかった。【鶺鴒】が最高最短の軌跡でヘイデンの腕を切り飛ばした。
宙を回転するヘイデンの腕。丸太のような左腕が炎の中に消えていく。
「まだだ!」
俺の警告とヘイデンの雄叫びは、奇しくも同じ。
乾坤一擲とばかりに、全力で振り抜いた【鶺鴒】。
キズナは死に体。
【朱雀】が主の叫びに呼応して白刃を取り戻す。
腕の出血などお構いなし。捨て身の一撃を繰り出すヘイデン。
防御は出来ない。不可避。
俺も、キズナも。
胸ポケットにいた俺ごと【朱雀】は切り裂くだろう。
ふむ……意外な最期だったな。
一刀両断。キズナの胸が切り裂かれた。
目に鮮やかな鮮血の花。キズナは床の上に仰向けに倒れていく。振り切ったヘイデンも血溜まりの床に沈んでいた。
双方床に倒れ伏し、焼失していく屋敷の中で力を失っていく。
火の粉がまるで粉雪のように降り注いでいた。屋敷が崩れていく轟音が、他人事のように聞こえているのが不思議だった。
「キズナ…………なぜかばった」
ポケットから這い出し、喘鳴をあげるキズナの顔に近付く。
「……かばってなんかいないわ……避けようとしただけよ」
「そうか。そうだな」
キズナらしい返答に微笑む。
「そ……そうよ」
鼻白むキズナが痛みと顔を隠す。どちらも俺に見られたくないのだろう。
「ねぇ……リニオ……」
木材が爆ぜる音と、ガラスが割れる音、壺が砕け散る音。
「なんだ?」
様々な音が俺とキズナの会話に混じっていた。
「私……負けたの……?」
「引き分けだ」
ぼそりとした声に、俺はきっぱり言い返す。
「……私、負けたのよね……?」
「引き分けだと言っているだろう」
しつこいぞ、馬鹿弟子。
「そっか……引き分けか……そっか……」
乾いた笑いを耳にしながら、ヘイデンを見やる。
ヘイデンは床に大量の血痕を残したまま忽然と姿を消していた。血痕を点々と残しながらエントランスへと消えていったようだ。生かされたのか、生かしたのかは分からない。
「キズナよ――」
俺はヘイデンからキズナへと視線を戻す。
小さな身体、小さな手でキズナの頭を撫でてやった。
「――泣くな」
震える肩。
傷だらけの弟子。
ふむ……これで死なないのだから、悪運だけは強いようだな、キズナ。
「あとは俺が何とかする。……返答がないな。俺を誰だと思っている? 俺は偉大なるリニオだ」
キズナの方から鼻をすする音が聞こえた。
俺は腕を組んでふんぞり返る。
「そして……俺は、そんな自分が大好きだ」
「知ってるわよ……バカ」
「そうか、知っているか」
「……知っているわよ」