第三十話・「口は達者なようだな……!」
突き出された切っ先は、紫電一閃。
速い。
それだけがわずかな時間で俺が出せる感想だった。捕らえたかに見えたキズナの一撃は、ヘイデンの脇をかすめたに止まる。スーツの切れ端がキズナの眼前をたゆたう。
【鶺鴒】に付着したヘイデンの血が刀身の熱によって蒸発していた。ヘイデンは歯を噛みしめてうなると、短く言葉を発する。
「風障!」
反転して横に薙ごうとするキズナの【鶺鴒】が、猛烈な風の壁によってその速度を落とす。
目を開けていられないほどの暴風がヘイデンの周囲に巻き起こり、キズナはなすすべなく体重を軽々と宙に舞いあげられた。
ヘイデンの単詠唱魔法か。
キズナはエントランスホールの天井に吊られている巨大なシャンデリアにぶら下がると、ためらいもなく吊り金具を切り落とす。シャンデリアを蹴って重力加速度に手心を加えてやれば、シャンデリアは最高の圧搾機に変貌した。
キズナは切り落として天井に残った金具部分に捕まるのを止めて、すぐさま天井を蹴る。先行したシャンデリアを盾する格好で、ヘイデンに襲いかかった。
【鶺鴒】が獲物を求めて刀身を青白く輝かせる。
キズナの魔力が変換された魔法文字が、シャンデリアの輝きと共にきらきらと輝く。
「疾風!」
ヘイデンの高声がキズナの舌打ちを引き出す。
目に見えない刃がシャンデリアを幾千のガラス片に分解していく。
正面から襲ってくる刃は真空。
自然現象で言うところのかまいたちにも似た波動は、シャンデリアをものともせず、キズナの身体を切り刻んだ。動物的な直感で空中で身をひねるが、避けきれるわけがない。
ガラスの芥子粒に混じって、血風が舞う。
キズナが体勢を崩して地面に叩き付けられそうになるところに、ヘイデンの追撃が飛び込んでくる。右手に握りしめた魔法刀が目覚めた。
【朱雀】、ヘイデンはそう言っていた。
白刃がキズナの太ももを切り裂き、キズナは構わずにバックステップする。太ももからにじむ血同様に、悔しさをにじませるキズナ。切られた太ももはもう少しで骨に達するところだった。
そうなったら機動力は失われる。類い希なる反射神経が、かろうじてキズナの生命を繋ぎ止める。ヘイデンは一振りで【朱雀】の刀身を消失させると、今度は素手でキズナを追撃してくる。
……魔力の節約のつもりか。
巨大な右の拳がキズナの顔面を狙ってくる。キズナは水の動きでゆらりとこぶしを回避すると、ヘイデンの頬にカウンターパンチをお見舞いした。クリーンヒットした拳だったが、ヘイデンは拳を受けたままニヤリと笑ってみせる。
ヘイデンの左手に握られているのは【朱雀】だ。
いつの間に右手から左手に持ち替えたのかを思い出そうにも、視界に映らなかったものは思い出せない。
「来るぞ、キズナ!」
「……っ!」
胸ポケットで叫ぶ俺の声に、キズナが応える。伸びてくる真っ白な刃を青い刃が受け止めた。
漏電した電流のような音をたてて二振りの魔法刀が鍔迫り合うが、それも一瞬。キズナは力の押し合いへし合いには付き合わない。相手の力を流して、零距離から突きを繰り出す。
吸い込まれるようにしてヘイデンの胸元に入り込んでいく。
だが、その必殺でさえ、魔法によって阻まれる。
「障風! 烈風!」
キズナの刃が胸板まで数センチと言ったところで急停止する。風圧によって動きを封じられてしまい、身動きが取れなくなる。
慌てて間合いを取ろうとするが、遅い。
ヘイデンの纏う魔法文字がキズナを覆い尽くす。
むむ……かなりの魔力を込めたな。
「ふざけ――」
罵声を浴びせようとするキズナが風に押しつぶされる。屋敷を覆う炎を吹き消すどころか、屋敷を破壊しかねないほどの風速は、もはや暴風域だ。
きりもみ回転しながら、キズナは階段に叩き付けられ、ごろごろと転がり落ちてくる。
立ち上がろうとする身体は、きしみをあげ、動かせば何かが壊れる音がする。
満身創痍の上にこれだけ身体を酷使すれば体は悲鳴を上げる。
崖っぷちで何とか止まっていられるのは、キズナの負けん気と【恩寵者】故の魔力の補助があってこそ。
汗を蒸発させるほど火照ったキズナの身体から湯気が立ち上る。
「やはり……天才か」
ヘイデンがゆらりとよろめく。
時間遅れではだければスーツの内側には、深い切り傷の痕。
キズナが吹き飛ばされるわずかな時の中。魔法が消失する一瞬の隙を見逃さず、キズナは【鶺鴒】を振り抜いていたのだ。
かなり苦し紛れではあったが……。
「……肉を切らせて骨を断つ……か、よくもやるものだ」
「次は骨だけじゃ済まさないわ」
(……その前に切らせる肉がキズナに残っていればいいのだがな)
俺の皮肉への解答はなされず、キズナはヘイデンに【鶺鴒】を突き出す。ヘイデンは上着を脱ぎ捨て、その鍛え抜かれた筋肉を露わにさせる。
「脱いだって強くはならないわよ」
「強がりを吐いたところで、強くはなれはしない」
キズナとヘイデンの言葉が、【鶺鴒】と【朱雀】のぶつかり合いに取って代わる。
キズナの繰り出す突きは神速。身体を沈ませ、スピードと無駄のない動きから放たれる【鶺鴒】は全てを貫く。
ヘイデンの単詠唱魔法ですら速度で凌駕し、次第にヘイデンの身体に傷を増やしていく。しかし、致命傷を与えられないでいた。
経験に勝るヘイデンの巧者ぶりが光る。
キズナの直情的な性格を読み、かつキズナの手元をよく見ている。刀の行く先を見なくとも、ある程度経験則で補うことでキズナの神速を高速にまで貶めているのだ。
対するヘイデンも防御一辺倒というわけではない。単詠唱魔法が圧倒的に有利なのは揺るがない。所々に単詠唱魔法と魔法刀【朱雀】を交えて、キズナの体力を確実に削っていく。単詠唱魔法を盾にキズナに突進、魔法をなんとかしのぐも、キズナの肩は【朱雀】によってえぐられてしまう。
ヘイデンと交錯する刹那、明らかにキズナの踏み込みが甘かった。
太ももからの激しい出血。
足が使い物にならない域にまで来ていることを如実に示していた。
えぐられた肩をだらりと下げながら、キズナは歯を食いしばる。
青白い顔を不敵な笑みで上書きし、キズナはさらに踏み込もうとする。ゆらりゆらりと歩く様子は、方向感覚を失った夢遊病者のそれだ。
「キズナ……手を貸してやろうか?」
「イヤよ」
脂汗を大量に流しながら、キズナは吐き出す。
「まだまだ……こんなもんじゃ……私は倒せないわよ」
【鶺鴒】はいまだに青く燃えさかる。
魔法文字はキズナの状況を知らないのか、子供のように身体の周りを周回する。まるでけらけらと笑っているようだった。
「見なさい。私の魔力はまだ戦えるって言ってるわ……アンタもそうでしょ?」
口を真一文字にひき結んでいたヘイデン。半死半生のキズナからすればマシな方だが、出血量はキズナに勝るとも劣らない。
口の端をつり上げるように笑うキズナに、ヘイデンは楽しそうな笑い声で応えた。
「これほどの高揚感……大陸同盟との戦でも得られなかったぞ!」
腹部から血をまき散らしながら笑うヘイデン。額から流れる汗を拭いもしないで、【朱雀】をキズナに向けた。
「……ペランの犬だけあって、よく吠えるわね」
ぽたり、ぽたり。
二人の血液が炎の猛る屋敷の中で、時の流れを紡いでいく。
「ふん、確かにペラン殿には雇われている。……だが、私は任務に忠実なのではない。任務を執行する自分自身に忠実なのだ。自分の意思なく、ただ闇雲に付き従うだけの忠犬ではない」
示し合わせたように、キズナもヘイデンに【鶺鴒】を向けた。
顎からしたたったキズナの血が【鶺鴒】にぶつかって蒸発する。
「フン、馬鹿じゃないの? 犬が自分はなぜ吠えるのかを考えるようなものね。犬は所詮犬。野良犬だろうが、血統書付きの犬だろうがね。犬は犬らしく、負け犬として遠吠えていればいいのよ」
「口は達者なようだな……!」
「口だけじゃないわよ、刀の腕も達者」
(……魔法の腕は達者ではないがな)
蒸し焼きになりそうな熱の中でひとりごちる。
「……いいだろう。お主のその比類なき傲慢さ、この【雲雀】で切り伏せてやろう!」
「そういうアンタの自負による傲慢さも……この【鶺鴒】で叩ききってあげるわっ!」
崩落してくる天井の下。
火の粉降り注ぐ炎の海の中で、互いに蒼と白の刀身を構える。
遠くから青龍の咆哮が聞こえた。
地面をわずかに揺らす爆発の音を聞きながら、最後の火ぶたが切って落とされるのを待つ。エントランスホールに充満した熱気と鬼気の狭間で、陽炎が二人の姿をぼやけさせた。
互いの纏う魔法文字が、エントランスホールに舞い踊る。
キズナの栗色の髪は、発散される魔力で、まるで燃えているかのように青白く揺れていた。
自重に堪えられなくなった天井が、炎を連れて崩れてくる。
瓦礫と粉塵もそれに加わり、二人の中間点に落下。
その轟音を火ぶたに、二人の影がかき消える。
残り五話ぐらいです。頑張ります。