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第二十八話・「ホント、面倒な女」

 運の良いことにペランのいる場所はすぐに分かった。

 表札に、ペランの部屋、と書いてあったわけでもないし、特別大きな扉があったわけでもない。扉の前を警護しているヘイデンの部下がいたからだ。

 扉の前の二人は、俺の姿を目に留めると、その汚れた服装と覆面に訝しげに顔をしかめるが、隣に連れているイリスを見つけると、その意味を解したらしい。


「ペラン様が待ちかねているぞ、来い【恩寵者】イリス」


 俺とイリスを引き離そうとする。おっと、それでは困る。


「ちょい待ち、直接ペラン様に渡したいんだけどな」


 軽い感じで手を広げる。


「貴様らには相応の報酬を払っているだろう。あまり調子に乗らないことだ」


「へへ……そこを何とか頼むよ」


 拝むように手を合わせて目をつぶる。

 慣れない仕草に背中がむずがゆくなる。

 中身が違えば人のしぐさにも変化が生じる。俺ぐらいになると高貴なオーラを自動的に纏ってしまうからな、それを隠すためにわざと軽薄な振りをしないといけないわけだ。


「少し待っていろ」


 いらだたしげに扉の内側に消えるヘイデンの部下。数十秒後、扉の内側から入室の声がかかる。


「ペラン様の寛大な処置に感謝するんだな。……入れ」


「ありがてぇ、ありがてぇ」


 盗っ人猛々しいという言葉は、こういうときに使っても良いのだろうか。

 俺は粗野な笑いを浮かべるよう苦心しながら、扉の中に入ろうとする。


「待て」


 後ろから突き刺さるような声がした。


 ……バレたか?


「覆面を取れ」


「おっと、こりゃけねぇ、癖なもんでね……」


 巻き付けた布を取っていく。もともと俺の身体ではない。顔が割れたところで何の不都合もないのだ。

 ……まぁ、この身体の主には迷惑がかかるかも知れないが。


 瞬間、イリスが俺を不安そうにみ上げているのに気がつく。

 俺はヘイデンの部下達に分からないようにイリスの耳元に口を近付け、大丈夫だ、と元気づけてやった。


「こんばんはですね、【恩寵者】イリス。まさか来ていただけるとは思いませんでした」


 黒革製の高級そうなイスに、ペランは微笑みながら足を組んで深く腰掛けていた。

 整った顔立ちは、相変わらず貴族の王子と言った風体。スーツを着込んでいるが上着とネクタイはなく、シャツは着崩れしていて、第三ボタンまで開襟されていた。まるで何か運動をしていて、慌てて着込んだような……。


「本当はもっと早く、かつ穏便に事を進めたかったのですが……。ですから、謝らせてください。手荒なまねをしてしまったこと、家を燃やしてしまったこと、大変申し訳ありませんでした」


「そんなことは……いい。……姉さんを返して」


 イリスの平板な言葉が、ペランの笑みをよりいっそう深いものにした。


「いいですよ」


 意外にもペランは軽く応じた。当然の如く取引にでも発展するかと思えたが。ティアナの無事さえ確認できれば、残りは行動するだけだ。

 俺は周囲の状況を確認する。部下は二人。一人は【旅人の止まり木】で生き延びた男。もう一人は新顔だが……考えるまでもなく魔法使いであろう。


 幸いにして二人とも鋼糸の攻撃範囲内にいる。


 隙を見て鋼糸を飛ばすことさえ出来れば、一瞬で首を切り飛ばせる自信はある。速度は単詠唱魔法には及ばないとしても、それを補うだけの隙とチャンスをたぐり寄せるのが、偉大なるリニオたる俺の手腕の見せ所というやつだろう。


 顔は動かさず、眼球の動きだけで見極める。


 広い間取りの部屋には、アンティークな調度品も多く、棚には年代物ワインやウイスキー、輸入が制限されている倭国酒まである。足首にまで及びそうなふかふかの絨毯と、テーブルに置かれた様々な書類。

 窓の代わりにテラスがあり、月夜が窓の向こうに浮かんでいた。満月はまるで汚されるように黒い雲に覆われていく。

 そして、最奥には天蓋付きのベッドが一つ。

 その中で何かが蠢くのが見える。うっすらと浮かび上がるシルエットで、それが誰だか分かった。


 あの大きな胸のシルエットは……間違いない、ティアナだ。


 ……よし、あとは鋼糸を繰り出すチャンスだけ。

 ポケットにつっこんだ手でグローブの調子を確認する。


 いつでもいける。慌てるなリニオ。慌てるな。

 お前は偉大なる男だ。出来ないことなどない。落ち付け、俺。


「本当に……姉さんを……返してくれるの……?」


 信じられないとばかりに言葉を反芻するイリス。

 いいぞイリス、奴の意識をそらすのだ。


「ええ、もちろんですよ」


 笑顔を浮かべるペラン。

 隙だらけだ。あとは部下のみ。


「ただし――」


 ペランが視線を別方向へ。二人の部下も無意識のうちにそれを追う。

 俺を見ている人間はいない。

 千載一遇。今しかない。

 ポケットから手を抜き出そうとする。


「ティアナがうんと言えば、ですがね」


 ……なんだと?


 俺は手を止めてしまっていた。


「ティアナ、あなたの妹が来ましたよ」


 天蓋付きのベッドに声をかける。

 衣擦れの音が聞こえ、シルエットがのそのそと動き出す。

 天蓋をぬって現れたのは、あられもない姿をしたティアナだった。

 シーツを適当に身体に纏わせ、こぼれんばかりの胸元を手で押さえている。ポニーテールだった髪の毛は、留めるものを失ってだらりと下ろされている。

 天蓋をかき分けるときにちらりと見えたベッドの上には、脱ぎ捨てたボロのメイド服と髪留め、巨大なカップ数を誇るブラ。


「……姉さんに……なんて……ことをしたの……!」


 憤慨を込めた視線でペランを見るイリス。

 ペランはそれになぜか困ったように肩をすくめていた。


「だから言ったじゃない、イリスは来るって。私の勝ちよ、ペラン」


 胸元を押さえたまま軽い足取りでペランに近付き、ティアナは耳元に唇を寄せた。

 彼女の言葉には、のほほんとした雰囲気も、語尾を伸ばす癖のある声もなかった。かわりに自信と矜持をあわせもった強気の声が、耳に不快なほどに入り込んでくる。


「ははは、参りましたね」


「これでやっと解放されるわけね……いい加減疲れちゃったわ」


「今までありがとうございました。これからは思う存分羽を伸ばしてください」


「もちろんそうさせてもらうつもりよ。いい加減、ボロい服とか、他人の世話とか、ガキの面倒なんてこりごりなの。肩凝っちゃって仕方がないわ」


「おやおや、それはこれはあなたの胸のせいではないのかな」


 ペランは微笑んだままティアナのくびれた腰元を引き寄せる。


「……んっ……もう……セクハラね。さっきしたばかりじゃない」


 ……そうか。これは意外だったな。すでに先約がいたとは。


「姉さん……どうして……」


「どうしても何も、初めからそうだったわよ。わたしはペランに雇われているの……違うわね、今は恋人なのかしら?」


「おや、大胆発言だね、ティアナ」


 ペランのあごのラインを細い指でなぞるティアナ。

 妖艶で、それでいて手慣れた仕草のように見える。

 さすがに……女は怖いな。裏に幾つもの顔を持っている。単純明快なキズナとは大違いだ。


「ホント、面倒な女。もっと唯々諾々と私に従っていれば、手荒なことはしなかったのに。無愛想で、何考えているのか分からないんだから。根回しにも顔色一つ変えないんだもの、本当に血が通っているの? イリス」


 棘のある口調で、イリスを突き刺す。


「おじいさんとおばあさんは……」


「そうね、今だから真実を教えてあげる。仕事に邪魔だから始末したわ。もちろん、内々にね。ペランのことを話したら反対するんだもの……馬鹿な夫婦。話した時ね、二人で意外そうな顔をしていたわよ。まさか私の口からそんなことを聞かされるなんて思っても見なかった、なんて顔」


「恐ろしい人だね、君は」


 そんなペランの顔に頬寄せて、ティアナは悦に入った声を出す。


「今回は良い機会だったわ。キズナとか言う女がこの町に来てるっていう情報があって、利用させてもらったの。色々と他の町でもやらかしているようだしね、その女」


 テーブルの上の書類をめくると、俺達の方に投げてよこす。クリップに挟まれていたキズナの間抜け面の写真が、イリスの足下にふわりと舞い降りる。

 書類には、なにやらかつて訪れた町での記録がびっしりと書き込まれているようだった。


「案の定、私の出した条件に、疑いなく飛びついたわ。バカな女。今回の事件の責任を全部取ることになるとも知らずにさ。シナリオとしては、旅先で問題ばっかり起こす旅人が宿を燃やし、住人を殺害したあげく、この屋敷に強盗に入った。そんなところかしら」


「そんなの……誰も……信じない」


 うつむくイリスの声が震えている。


「ふふ……信じるわよ。だって、キズナは実際に来たわ。気にするなと言えば気になる……それが人間でしょ? 私の演技が一流である証拠ね。思わせぶりな演技にころっと騙されてくれちゃって」


 残念ながら、ティアナの言うとおりだ。

 大衆とはいつの世も曖昧で騙されやすく、感情的なものだ。たとえ嘘でも、大衆がそれを信じ込んでしまえば、それが真実となる。

 おうおうにして現実などはそんなものだ。


 どうやら、人の見る目がなかったのはキズナだけではないらしい。

 悔しいが、私も騙されてしまったわけだ。


「…………」


 今だから言えるが、確かに不自然な点はあった。


 ボロ屋で、客も来ないのに、なぜか食費だけが尽きない。キズナが毎日大量に食べても、次々に豪華な食事が出てきた。

 イリスが身に纏っていた小綺麗な下着なども、おそらくはティアナの言う根回しの一種なのだろう。お店の人にもらったとイリスは言ったが、その店の人もおそらくはペランの手が回っていたに違いない。

 キズナならば物欲で簡単に釣られるが、イリスはそうではないからな。


「【恩寵者】イリス、私はこう見えて寛大です。悪いようには決してしません。ここは見て分かるとおり清潔ですし、お金だってあります、あなたはここで自由に暮らしていけるのですよ? 【恩寵者】として私にに遣えるだけでいいのです」


「あら、妬けちゃうわ」


 うふふ、と笑うティアナ。


 そうなのだ……俺が感じた違和感は、本当はこれだったのだ。強い女……そう勘違いした自分自身が少々腹立たしい。

 俺達が燃える宿屋の前でかわした決意も、イリスの叫びも、全て意味のないこと。

 その頃、このティアナという女は、のうのうとベッドの上でペランと快楽にふけっていたわけだ。


 滑稽だ。あまりにも滑稽で馬鹿馬鹿しすぎる。


「…………寂し……かったの」


 イリスの頬を透明なものが伝っていく。


「……姉さんが……何かを隠していたことは……知っていたの…………」


 大粒の雫だった。

 お前がティアナになかなか心を開こうとしなかったのはそういうわけか。そう言えばティアナもそんなことをキズナに相談していたな。


「でも……それでも……姉さんは姉さん……だから……」


「あら、私、好かれていたの? あはは、気がつかなかったわ。だったらそう言いなさいよ、面倒なことしちゃったじゃない」


 落ちそうになるシーツをたぐり寄せてせせら笑う。

 今はその大きな胸も、悪性の固まりに見える。

 ランクダウンだ、ティアナ。底なしにな。


「……ひとりぼっちだった私の……唯一の絆だから……」


 それが寂しかったイリスをつないだ。


 性根が悪くとも長年共に過ごしてきた生活。腐れ縁は、たとえ腐っていても縁なのだ。イリスにとってその生活は、ひとりぼっちだった寂しさを埋めてくれる唯一のつながりだったのだ。


「……誰にも……いなくなって欲しくなかったの……」


 頬を流れ落ちる透き通った涙は、頬を流れて顎の先へ。


「でも…………分かったの」


 顎の先に溜まった大きな涙の雫が、重力に堪えられなくなる。


「もう……いいの……」


 落涙。


「もう……疲れたの……」


 一滴がぽとりと落ちて、弾けた。


「…………つながりがなければ……寂しさも生まれないの……!」


 背筋が凍るような魔力の胎動が、弾けた涙から溢れ出る。

 あのときと同じだ。

 屋根の上でイリスが抱えていたもの。必死に我慢してきたもの。その全てがイリスの中から溢れ出ようとしている。ぽとりぽとりと次々に涙は落ち、直後、世界を揺るがすような振動が発生する。屋敷はきしみ、棚からワインが落ちて割れる。地響きが鼓膜を痛めつけ、立っていることすら困難となる。


「な、何事ですか!?」


 慌てるペランと部下達。

 ティアナはペランのイスにしがみついたまま声も出せないでいるようだ。

 俺はイリスに手を伸ばそうとするが、その手がイリスの肩に届く前に震度がさらに上がった。


 突き上げるような揺れ。

 窓が割れる。破片が散乱する。そして、テラスの向こう、広がる裏庭の真ん中に地割れが発生した。舗装された道が石畳ごと吹き飛び、宙を舞う。植えられた木が根こそぎ弾き飛ばされ、石像を押しつぶす。


 違う。これは地割れではない。噴火に近いものだ。

 何かが起きようとしている。


 揺れる視界で、思考がままならない。石畳の一部が窓を突き破って、ペランの部下を直撃した。ペランの部下は単詠唱魔法を唱えて防御しようとするが間に合わず、石をまともに受けて顔面をくぼませる。飛び散る血痕にティアナが悲鳴を上げた。


 イリスは涙を流し続ける。


 吹き荒ぶ魔力の奔流は、部屋中を駆けめぐり、やがて噴火の穴に吸い込まれていく。魔力の爆発と、収束。そこから浮かび上がってくる存在があった。


 この世のものとは思えない巨大な身体。そこからほとばしる禍々しい魔力は、畏怖さえ覚える。蛇のような身体は、青白く燃えさかる魔力に覆われ、何者をも寄せ付けない荘厳さに溢れていた。深遠なる眼光がイリスを目にして細められる。

 愛おしそうに見つめるその瞳は類い希なる愛情に彩られているように見えた。

 青白く燃える長い身体が、地面の割れ目から飛び出してくる。


 龍。


 俺の頭にはその言葉が浮かんでいた。刹那、龍の周りに幾重にも魔法文字が飛び交う。間違いない。あれは魔法だ。それもとてつもなく強力な。


「イリス!」


 発動されたのは、同時に五つの無詠唱魔法。ただの一つの詠唱も必要としない最先端の魔法だ。それを同時に五つ。冗談ではない。


 はっきり言おう、キズナの身体を借りても俺には出来ない芸当だ。せいぜい二つ同時が限界。


 悪寒がして見回せば、部屋の全てに高密度の業火が発生するところだった。逃げる暇すらなく燃え上がるペランの部下。消し炭すら残らないだろう。

 なりふり構ってなどいられなかった。

 イリスを抱えて逃げようとする。だが、イリスの身体はすでにそこにはない。揺れる視界の中で必死に探せば、イリスは龍の袂にいる。


 イリスは龍の中にゆっくりと吸い込まれていく。

 表情はない。涙だけが美しく目尻にきらめいていた。


「まさかこの目で青龍を拝めるとはな……!」


 ただ膨大な魔力を持つだけの【恩寵者】ではない【寵愛者】……精霊に愛されし者。世界に四人しかいない希有な人間。

 精霊、四神に対して一人ずついるとされる、まさに伝説の存在。


 さしずめ、愛しの【寵愛者】の涙に呼ばれて精霊が助けに来たというところか。


 蒸発する汗。

 身体が恐怖に震えていた。


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