第二十七話・「愛しているから……?」
「……でも、ムス太……いつものムス太じゃない」
俺は頭をぽりぽりとかく。
「私……いつもの……ムス太がいい」
柳眉を下げるイリス。
イリス……お前はどんな表情でも美しく映えるのだな。一度、そんなお前のアホ面を拝んでみたいものだ。
「いいか、イリス。これは俺の仮の姿だ」
ハムスターも仮の姿だがな。
「お前の力になるために、一時的にこの姿になっているに過ぎないのだ」
「私の力に……?」
「ああ、そうだ」
「一時的に……?」
「ああ、そうだ」
「愛しているから……?」
「ああ、そう――じゃない、ティアナのためだ」
おい、今、舌打ちしなかったか、イリス。
「リニオ……俺の女だって……言ったの」
顔を伏せる。
「ふむ……確かに。しかし、お前は数多くいる俺の女の中の一人に過ぎないのだ。そこを良く理解しておくことだ」
「……そうなの?」
媚びるような目は止めて欲しい。おねだりをする子犬のような、豊潤なつやを称えた目は、一国の主をも夢中にさせる。さしもの俺とて大ダメージは避けられない。
「……一言付け加えるならば」
だから口が勝手にフォローしてしまう。
「星の数ほどいる俺の女の中でも、イリス、お前はトップテンに入る……ということは言っておこう」
「……キズナは?」
「キズナは下から数えた方が早いぞ」
「ふふっ……」
まるで主人に頬ずりする子犬のように微笑むイリス。
「……嬉しいの」
ランクアップだコノヤロウ!
無表情から微笑みへの移行は、新月から満月への満ち欠けを思わせた。
「ティアナが待っている、行くぞ」
イリスを従わせると、正面玄関へと駆ける。キズナを見れば、残り二人となった敵兵が逃げる様を、腕を組んで眺めているところだった。
「ちゃんと戻ってきたようね」
「当たり前だ」
「……当たり前なの」
「イリスは無事?」
「無事に決まっているだろう」
「……無事に決まっているの」
「……」
「おい、真似をするな」
「……うん、真似なの」
「……。ふ〜ん……」
俺、イリス。
イリス、俺。
俺、イリス。
キズナの視線が往復する。
「リニオ、アンタばらしたのね」
「む……ぐ……。……やむを得なかったのだ」
「やむを得、ね……」
キズナの疑うような視線に堪えられなくなり、俺は目をそらす。
そこは一面の血の海。
五十人はいた敵は、最後の二人を残し全て地に伏している。真っ白な石像は血しぶきに染められ、前衛的なアートを思わせた。噴水の水は赤々として、潤いと言うよりはぬめりに満たされている。
死屍累々とした庭の風景は、地獄絵図。手、足、胴体、首に内蔵……死体と肢体が転がる中で、返り血を浴びて薄ら笑いを浮かべているキズナは、まさに虐殺の赤い天使。
「……悪趣味な……光景」
「ランクダウンだ、キズナ」
「何を言ってるの?」
首をひねって疑問符をひねり出す。
「ま、どうでもいいわ。それよりリニオ、身体は無事よ。まだ目を覚ましてはいないみたい」
キズナの胸ポケットではハムスターが眠っている。この身体の持主はまだ目を覚ましていないらしい。
「早く戻りなさいよ」
「……ふむ」
腕を組んでしばしの熟考。
「俺に考えがある。耳を貸せ」
正面玄関の強大な扉を前にして、キズナとイリスを手招く。これから突入しようという直前でミーティングを開く。一分間の短いミーティングの後、キズナが一言で締めくくった。
「なんか面倒ね」
「……そんなこと……ないの」
「我慢しろキズナ、これが一番手っ取り早いのだ」
深呼吸を経て、俺はイリスに向き直った。
「イリス、許せよ」
イリスのメイド服をつかむと、胸元を強引に引きちぎる。露わになった胸は、薄手のキャミソールに覆われていた。真っ白なキャミソールは内側がかすかに透けていて、わずかに押し上げるふくらみの頂点がかすかに判別できた。肩まで裂けてしまったメイド服が、なんとも言えない。
まるでいかがわしい事件に巻き込まれてしまった事後のようだ。
……イリス、喜べ。お前は相当にいい女だぞ。
「……その行為に意味があるとは、到底思えないわ」
俺はキズナの拳が震えているのを無視して、即座に玄関の扉を蹴り開ける。
「助けてくれ!」
蹴破った先には、エントランスホール。
中央に大きなホール、その奥には幅広な廊下があり、その左右から円を描きながら二階への階段が続いている。磨き上げられた大理石の床が、きらびやかに光沢を放つ。天井にある巨大なシャンデリアは威容を誇っており、階段を上がる度に、珍品、骨董品などが飾られていた。古今東西のあらゆる武器の数々も壁に飾られている。何とも一貫性のない趣向。
――その中央の廊下に、奴がいた。
筋肉に固められた巨躯が、スーツの中で苦しそうだ。帯剣しているが、その刀身は先日の戦いで失っているので、刀の柄だけが不自然に腰元にぶら下がっている。太い腕を組み、軽く足を広げて大地に根を張る。胸を張った威圧感は、まるで仁王像のようだ。部下は従えていない。
ただひたすらに――ヘイデンはまぶたを閉ざしていた。
待ち人いまだ来ず、そんな声が聞こえてきそうだった。
「おい! 女を捕まえたぞ! 俺はコイツをペラン様のところへ連れて行く! だから、アイツを何とかしてくれっ!」
俺は息を切らした振りをして、イリスを乱暴に引きずり回した。手首を握りながら、見せつけるようにヘイデンの前に投げ出す。足をもつれさせてイリスが転ぶのを心苦しく思いながらも、俺は手を抜いたりはしなかった。
「ペラン殿はこの先だ。早々に行くがいい。きっと喜ばれるだろう」
微動だにせず、ヘイデンは告げた。
「さっさとしろ、馬鹿女! 早く来るんだ!」
ぐいぐいとイリスの手を引っ張って、中央の廊下を行こうとする。イリスはしつこく転びながら抵抗するふりをした。俺はそれをさらに引っ張ろうとする。
ただでさえボロのメイド服だ。玄関口で破いた箇所からさらに服が破れ、布の破れる音が広いエントランスホールに響く。
演出としてちょっと大げさだったろうか。
「…………茶番だな」
ヘイデンが笑ったような気がした。
「――茶番じゃないわ、本番よ」
遅れて玄関からエントランスホールへと飛び込んだキズナが、会話の時間も与えずヘイデンに斬りかかった。
ヒップバックに手を突っ込み、使い慣れた愛刀を握りしめる。
ヘイデンのまぶたがゆっくりと持ち上がった。
眼前まで迫るキズナの加速を目にしながら、それでもゆっくりと帯剣した刀に手をかける。
刀と刀。
接近と斬撃。
激突と鍔迫り合い。
【鶺鴒】と【朱雀】。
それら二つの魔法刀が、同時に刀身を顕現する。
青い魔法文字がキズナの周囲を躍り、二つに結った髪の毛を蒼く燃えるように波打たせる。
白刃を出現させたヘイデンの周りも白い魔法文字が泳ぎ、蒼と白の文字は互いに相殺しあう。
「ぶしつけだな! 【恩寵者】キズナ!」
「戦いにヨーイドンなんていらないでしょ?」
ホールの真ん中で切り結ぶ。
「確かに。生きることこそが戦い、戦うことこそが生きること!」
ヘイデンの咆哮が、エントランスを震わせる。
ヘイデンが鍔迫り合いからキズナの剣戟をはじいた時、俺とキズナの視線が交錯する。キズナの顔は誇らしげで、自信に満ちあふれていた。
……分かっている、ティアナは俺に任せろ。
俺は振り返らない。
キズナをその場に任せて中央廊下を進むだけだ。