第二十六話・「俺はロリコンじゃないぞ」
血風の中で奮闘するキズナに背を向け、俺はイリスの元へ駆け出す。
腹部の激痛に堪えながら、【スワップ】した身体のスペックを把握する。
弟子であるキズナの身体を十とするなら、この身体は一にも満たない。
肝心の魔力量は、雀の涙ほどもない。ふむ、本当に雀も泣くぞ。だらしないチュン……などと言いそうだ。いや、雀が語尾にチュンとつけるかは知らないがな。
脳内のイメージに身体が追いつくまでに相当のラグがある。
キズナの身体では思うがままに出来たことがこの身体では出来ない。
……これは厄介だ。
イリスに警戒心を与えない極力の配慮で、俺は服の袖を破って顔にぐるぐる巻きにする。
ナイスアイディアとは言わないが、ないよりはマシな程度だろう。覆面の内側から、イリスを確認する。
敵は五人がかりでイリスを包囲しつつあるようだ。壁際に追い詰められ、尻餅をついておびえるイリス。
子羊に襲いかかるハイエナのように、じわりじわりと包囲網を狭めていく。
「お嬢ちゃん、かわいいなぁ……お兄さんとちょっと遊ばないかい?」
いかにもな卑しい台詞を吐いて、味方の薄ら笑いを誘う。その声を聞いたイリスはぎゅっと身体を縮めて、いやいやと首を振る。
迫り来る悪漢どもに恐れながらも、青い瞳の内では小さい反抗心が灯っていた。
「私には……恋人がいるから」
泰然とした声音。
「そうか……恋人か! クク……じゃあ、そのロリコンな恋人はきっと助けに来てくれるぞ。そうだなぁ、きっと助けに来てくれるに違いないだろうよ。危ないところを助ける……なんせ恋人だもんなぁ……いや、お兄さん達も残念だよ。恋人が助けに来るんじゃなぁ……でも、危ない目に遭わないと恋人も助けに来られないだろう?」
欠けた歯からよだれがこぼれ落ちる。
無精髭と羞恥心を忘れた下半身がイリスに突きだされる。
「…………ムス太……」
毅然とした瞳をまぶたの裏に隠し、身に訪れる数秒後の恐怖に堪える準備をする。
「それじゃ、お兄さんと危ない目に遭おうか、お嬢ちゃん……」
「……おい」
「なんだァ?」
イリスに触れようとした瞬間を咎められ、睨みをきかせてくる。
「悪いが、イリスは俺の女だ」
疑問符を浮かべる男の顔面に、俺の言葉と拳を叩き付ける。
欠けた前歯が折れて、歯茎から血が滴る。折れた歯を手のひらに乗せて愕然とする男の顔面に、問いかける。
「それに俺はロリコンじゃないぞ」
「ロ……ヒ……が……」
「俺は覆面マン……改めデスマスクだ」
歯がないので発音がままならない。
自己紹介もそこそこに、さらに顔面に追撃の膝を入れる。歯の次は鼻骨がへし折れる番だった。鼻からの出血を盛大にまき散らせて、仰向けに気を失う。俺はその男の腰からなまくらの剣を抜き放ち、イリスをかばって残り四人となった男達を見すえる。
……少し、頭に血が上っているな。自分としても悪い傾向だ。
「イリス……少し目をつぶっていろ」
「……ん」
「ふむ……いい子だ」
意外にも、おとなしく従うイリス。疑われたり、拒絶されると思っていたので意外だった。
「おい、覆面野郎!」
「覆面マ……デスマスクだ」
「センスねぇんだよ! ……ってどう言うつもりだ、テメェ!」
センスがないとは心外だ。
「どう言うつもりも、こう言うつもりだ」
俺は欠けた剣の切っ先をそれぞれの男にゆっくりと見せつける。
「イリスは俺の女だ。俺以外に何人たりとも手を出すことは許さん。手を出すなら、あっちの女にしろ。それならいくらでも許す」
遠くで大立ち回りを演じているキズナを指し示す。
示した先では、キズナが石像に男を吹き飛ばしているところだった。激しい勢いで石像に激突した男の上に、壊れた石像がのしかかってくる。男はキズナを見て汗をしたたらせる。すでに大勢いた敵の大半は地面に沈んでいた。
「手を出すの意味が違――」
「よそ見をしていいのか?」
振り返った男の肩口に剣を振り下ろす。さすがはなまくらだけのことはある。
剣は胸の半分を切り裂いたところで骨に引っかかって止まってしまい、半ばで折れてしまった。男は自分の身体の一部になってしまった剣の切っ先をぽかんと見つめながら、吐血する。
訳も分からず俺に救いの手を求めてくる男を無視して、俺は向かってきた残りの三人と戦闘に入る。
不意打ちが聞いたのはここまでだ。あとはこの【スワップ】した身体と折り合いをつけるしかない。
「この裏切り者が!」
この身体ならそう思われても仕方がないな。身体の主には申し訳ないが。
「死ねやッ!」
手に持った折れた剣の鍔を向かってきた男に投げつけ、隙を作ろうとする。男はそれを難なく避けると、ショートソードを小脇に抱えて突進してくる。
直線的な攻撃はスピードがものをいう。
俺は速度とタイミング見極め、闘牛士の要領でそれをひらりとかわす。俺の脇を通り過ぎていった男の後に、白髪の男がトンファーを繰り出してくる。
腹部に走る激痛。キズナがつけた傷だ。それに加えて、なぜか避けたはずのショートソードの傷までもある。
じくじくと血がにじみ、痛みは腹部をはい上がる。
「むぅ……やはり、イメージと動きに差があるか……」
キズナ、お前は男を見る目以上に、人を見る目がないな。
「ぶつぶつ言ってるんじゃねぇ!」
トンファーが顔面に迫っていた。かろうじて身をよじるが、それで終わりではない。トンファーを取っ手の部分でくるくると回転させて、突きから殴打へと形態を変える。
なかなかトリッキーだ。
傷ついた腹部一撃をもらってしまい、俺は地面に膝を突く。さらに背中にも攻撃を加えてくる男のトンファーを避けるべく、俺は地面を転がった。颯爽と登場した割りには劣勢を強いられている。
……俺としたことが、格好悪いぞ。
何か無いかと懐をまさぐれば、面白いものに指がぶつかる。俺はそれを素早く手に装着すると、向かってくる白髪の男に指を振るった。
夜の月明かりに、数条の輝きが走る。
きらりきらりと白髪の周りを回ったと思えば、男は突然自分の首を押さえて苦しがる。俺はその光景に唇を歪ませ、五本の指をくいくいと操作する。トンファーを落としながらもがいた男は、まもなく常闇へと意識を飛ばした。首には真っ赤な一線。
首をつったような絞殺の痕からは、だらだらと血が滴る。
……訂正しよう。キズナにも、意外に見る目があったというわけだな。
まさか【スワップ】した男が鋼糸使いだったとはな。
仲間の不意な死に驚きを隠せない男達。
残念ながら俺がその隙を見逃すほど俺は甘くはないぞ。戦闘馬鹿のキズナほどではないが、俺もそれなりの知識と経験がある。戦いの機ぐらいは引き寄せられる。
右手に装着したグローブから鋼糸を射出し、鋼糸を泳がせる。見えざる手となった鋼の糸は、素早くショートソードを持った男の手首を取る。
俺が複雑な指示をすると、あっさりと男の手首を切り落とした。
そのままの勢いで、三人目の男の調理にかかる。及び腰となっていた男は破れかぶれで武器を振り回した。
俺の放つ鋼糸をはじき返すが、それも数本止まり。
幾重にもからみつく蜘蛛の糸に、男はなすすべ無く身体を締め付けられる。
「ステーキは好きか?」
武器を落とし、恐怖にうちふるえて失禁する。湯気を立てる液体が異臭を放っていた。
「サイコロステーキと、ハンバーグステーキどちらがいい?」
サイコロ状になった自分と、ミンチになった自分を思い浮かべたのだろう。
どすをきかせると男はころりと失神してしまう。手首を切られ戦意を喪失していた男も、すでに出血多量で血の海に沈んでいる。
俺はそれを見届け、男の身体に巻き付けた鋼糸を解いた。
「目を開けていいぞ」
イリスに向き直る。一応、片は付いたようだ。【スワップ】したこの男が鋼糸使いでなかったらと思うと少し怖い。
知識というのも無駄にため込んでおくものだ。いつどこで役に立つか分からない。
「……ありがとう……覆面マン改めデスマスク」
立ち上がってぺこりと頭を下げるイリス。顔を上げると、俺の目をのぞき込んでくる。
「……。覆面マン改めデスマスクは……」
全てが名前ではないのだが。
「……ムス太なの?」
いきなりだった。頭に血が上っていたとはいえ、軽率な発言をしてしまったことが悔やまれる。俺はいくらか逡巡しながらも、自分の身体が【スワップ】してあるものだと思い出して、首を振る。
ごまかせるか……?
「……恋人が助けに来るって……その人が言った」
お前はそこの悪漢の言うことを信じるのか。
「それに……さっき言ったの。…………俺の女って」
判断するのはそこなのか。
「……ムス太……なんでしょ?」
つぶらな瞳が純粋な光りを帯びる。
「……そ、そうだ」
俺は、その瞳に負けていた。