第二十四話・「……やはりというか、やはりなのか?」
太陽は完全に没していた。
ペランの屋敷らしき建物の外壁まで来た俺達は、建物の影からこっそりと門をうかがう。
門の前には二名のスーツ男がうろうろしていた。
二名とも背が高く、一般人ならばおいそれとは近付けないような雰囲気を纏っている。
豪邸の周りは深い堀で覆われていて、正門のみが人の出入りを許すような構造。周りから壁を伝って侵入というような手段は使えそうになかった。
「私に任せなさい。イリスは事が済んだらくること、いいわね」
イリスの首肯を確認すると、建物の影から出て行く。自らの正体を明かすことを厭わない、自信を持った足取り。
俺は一抹の不安を覚えた。
「……やはりというか、やはりなのか?」
考えなしの正面突破。
「リニオはそこで見てなさい、上手くやるから」
街灯に照らされながら、キズナはゆっくりと門へ歩いていく。見とがめた男達は、サングラスに隠れた眉をぴくりと上げ、キズナの前に立ちはだかった。
キズナより頭一つは大きい。厚い胸板が壁のように立ちはだかる。
「立ち入り禁止だ」
「ペラン、いるわよね?」
「……。……何者だ、貴様は?」
キズナの唐突で直接的な物言いに、男は一瞬の逡巡を交える。
確認はそれだけで十分だった。
間違いない。この男のわずかな沈黙の中には、ペランの所在の有無と、対応がよぎったはずだ。
「私は【恩寵者】よ。悪いけど、押し通るわ」
キズナの身体が男の目の前から消え失せる。
頭一つ男が大きい分、身体を沈めたキズナを視界から失うのも早い。キズナは素早く身体を上下反転させて、男の頭を両足首でロックする。ブーツで締め上げる男の頭がみしみしと音を立てる。
反動と体重を交えて、キズナは逆立ちをする格好から、足首で頭を締めたまま、男の頭を地面に叩きつけた。
足癖の悪い女だ。
鈍い音が二つ重なる。男の頸椎が折れた音と、地面にめり込む音の二つだ。
男の意識は身体から離れ二度と戻ることはない。キズナは素早く身を起こすと、二人目の男が襲いかかってくるのを目の端に留める。繰り出される男の拳を首をかしげて避けると、続けざまにその腕を取り、勢いを制して一本背負い。受け身も取れずに背中を地面に打ち付ける男の口から、苦悶の声がもれる。男の意識がキズナに投げられたことを認識する間に、キズナは男の胴体に馬乗りになっている。
連続的で、隙のない動き。
首を右肘で絞めにかかるキズナ。圧迫される呼吸系。ぐ、ぐ、ぐ、と締め付けを増すキズナの力に、男が泡を吹いて白目を剥いた。
「一丁上がりっと」
料理を客に出すようにあっさりと言ってのける。
キズナが建物の影にいるイリスに手招きすると、イリスはとことこと駆け寄ってきた。屍となった男二人を遠回りに裂けるとキズナの傍らにやってくる。
(おい、この門はどうやって開けるのだ)
小声で尋ねる俺に、キズナが鼻息を落としてくる。
「ふん、そんなの簡単よ。イリスお願いね」
「……うん」
おい、お前達はいつの間にそんな意思の疎通が出来るようになったんだ?
「鳶色リコリス」
丘でみせた単詠唱魔法をイリスは再び詠唱する。
魔法文字が喜ぶようにイリスの周囲を周り、青白い残像を描く。
まもなく発動した魔力は、真っ赤な炎で門に風穴を開けた。
溶鉱炉につっこんだように、鉄の門扉が風穴に沿ってぐにゃりと溶けてひしゃげている。丘で見たよりも精度が上がっている。
イリス、お前には一度真剣に魔法を教えてやりたいものだ。
時間の経過と共に霧散した魔力の残滓を肌で感じながら、キズナは興奮を抑えられないように門をくぐる。
「……すごい屋敷……なの」
「まさに金持ちのやりそうなことね」
屋敷までは百メートルほど。
屋敷へ続く舗装道路を幾つもの街灯が照らしている。ライトアップされた中央の噴水を中心点に、武装した騎士の石像と、天使をモチーフにした石像、手入れの行き届いた植木がそれぞれシンメトリーになるように配されていて、家主の金満さをこれでもかとアピールしている。
正直いくらかかっているかなど考えたくもない。
全焼した【旅人の止まり木】など何百軒も建てられるのではないだろうか。
「きたきたきたわ……期待通り雑魚がぞろぞろとね」
門をくぐるまで半分以上電気が落ちていた屋敷は、あっという間に全ての部屋に電気が灯り、さながら敵襲にあった砦のようだ。
事実、無鉄砲な馬鹿弟子に襲撃されているのだが。
敵は正面の門を開け放ち、次から次へ湧いて出た。手に手に様々な獲物をたずさえている。
ざっと五十人はいるだろうか。
全員、慇懃なスーツ姿ではなく、いかにも酒場で飲んだくれている荒くれ者といった風情だ。
門番は外面的な体裁上、スーツ姿だったのだろう。
ペランが色々と裏の事情に通じているのもうなずける。叩けばほこりがいくらでも出てきそうだ。
「イリス、隠れてなさい」
「うん……キズナ……頑張ってなの」
サムズアップするキズナ。
「襲ってくるような奴がいたら、容赦なく魔法を使っちゃいなさい」
イリスが首を振る。
「……魔法を……そういうことには……使いたくないの……」
門を壊しておいてなんとも偽善的な発言だが、それがイリスの良さなのかも知れなかった。人を傷つける魔法、そういう使い方をしたくないという意味なのだろう。
「そ、なら、そのときは全力で逃げなさい。降りかかる火の粉ぐらいは自分で拭わなくちゃ」
お前が半ば強制的に火の粉に飛び込ませたのだろうが。
正面突破をすることは愚かなお前の性格上明らかだが、イリスのことを少しは考えてほしかった。敵の狙いはイリスなのだぞ。
俺の頭痛などお構いなしに、キズナが両手をぱきぱきと鳴らす。
「ヘイデンは……ペランもいないみたいね」
一通り敵の姿を見渡したキズナは残念そうにため息を吐く。
「やっぱり、雑魚を掃除しないと、ボスは出てこないのかしら」
ゆっくりと敵集団へ歩き出す。
……彼我戦力比、一対五十。
屋敷の中にはヘイデンとその部下達、ならびに魔法使いが控えているだろう。
完全なる多勢に無勢。単詠唱魔法の使えないキズナにしてみれば自殺行為。しかし、当のキズナは興奮を抑えきれない様子で、足取りを徐々に早めていく。
身構える敵集団。獲物を握る手に力が込められていく。
それを見たキズナは鳥肌を立てながら笑う。
俺は胸ポケットからそれを見て、頼もしさを通り越してあきれかえっていた。
「お前は変態か」
ゆっくりとした歩みが、早歩きへ。
早歩きが、小走りへ。
抑えられない衝動が、キズナを戦いへ引き寄せる。
唇をなめるキズナが、小走りから駆け足へとスピードを上げる。
迎え撃つ敵集団も、キズナが手ぶらで向かってくるのを見て警戒心を強めていた。妖艶に舌なめずりするキズナに空恐ろしさを感じているのだろう。その内の一人が恐怖を振り払って、キズナに仕掛けてくる。
それに続けと、数多くの男達がキズナに大挙して押し寄せる。
――今、嚆矢は高らかに放たれた。
雄叫びを上げて剣を振り上げる先頭の男。
その勇気は褒めておこう。だが、それは無謀というものと知れ。
歩き、小走り、全速……トップギアへチェンジしたキズナと男がぶつかり合う。
正確に言えば、ぶつかり合うというのには語弊がある。ぶつかり合ったのはキズナのつま先と男のあごだからだ。鉄板の仕込まれたキズナのブーツが、男のあごを破壊した。つま先はめりこみ、衝撃は下あご、上あごを突き抜け、鼻骨までをも破壊した。
男の意識が砕けた前歯と一緒に飛んでいく。だらりとあごを垂らした男が鼻血を飛び散らせながら海老ぞりに宙を舞う。キズナは男の手からこぼれる剣を地面に着地する直前にすくうと、次に襲いかかってきた男の手首を切り落とす。手首からほとばしる血に目を丸くする男の叫びが、耳に不快な反響を残す。
キズナは手首を失った男を無視して、剣で突いてくる男の刃を、半身になることで回避する。伸ばされた男の腕を脇腹に抱えて、男の肘の関節に膝蹴りを入れた。
逆関節となった男の肘はぼきりと折れて、武器を取り落とす。すぐさまその足で前蹴りを突き込むキズナ。
後ろから飛び込んでくる男達を大勢巻き込んで、男は吹っ飛ぶ。
キズナのスピードは敵を圧倒する。
一撃でしとめようと力む敵の力を利用して、的確な打撃を、的確な箇所に加えて、速やかに致命傷とする。
戦闘技術は俺の目から見ても一流だ。
……魔法もこのぐらい出来ると良いのだが。
俺は飛んできた返り血をポケットに隠れることで避ける。
剣を振るう音が聞こえた。
再び顔を出す。
絶叫を上げる男の顔面が飛び込んできた。キズナが振るった剣を首の半分まで食い込ませた男が、キズナに向かって倒れ込んでくる。絶叫の半分は切り裂かれた喉から空気となってもれていく。
キズナがその男を優しく胸で受け止めるはずもない。
これ幸いと、踏み台にして軽やかに宙を舞った。
ブーツの足跡が男の顔面に残されていく。まるでスタンプラリーだ。
一、二、三……と男の鼻の骨を潰し、四人目は男という踏み台を利用したかかと落とし。
脳天を鉄板入りのブーツで割られた男の頭蓋骨から、ピンク色の中身が見え隠れする。注射器の先から飛び出る液体のように、ぴゅぴゅっ、と血潮が飛び散った。
周囲はまさに四面楚歌。
後ろから殴りかかってきた男の打撃を背中に受けて、キズナは舌打ちをする。打撃の方向から男の顔の位置を素早く読み取り、神速の回し蹴りを放つ。
頬骨を眼孔ごと破壊された男が、視神経を飛び出させる。目玉がブランコのようにぶら下がっていた。キズナはさらに一回転し、男の胸板に掌底を打ち込む。
地面を離れた男の身体が噴水に飛び込んで、盛大な水しぶきを上げた。