第二十三話・「決まりね」
――【恩寵者】は、いついかなる時も権力の傍にあった。
権力者はこぞって【恩寵者】を狩り、我が物にしようと躍起になった。
想像には難くないだろう。
その圧倒的な魔力量は、近代のいかなる兵器をも凌駕するというのだから。
ひとたび魔法を唱えれば、町一つを簡単に灰燼に帰し、城の外壁を瓦解させるというのだから。
幾千もの屈強な兵士達をなぎ払い、血の一滴も残さずに蒸発させるというのだから。
権力の象徴とされ続け、自らの自由を束縛され続ける。
友人を、家族を、恋人を、自由すらも奪われ、殺され、権力者の道具とされる。
強制的に殺戮者と造り替えられていく。
戦場に必ず姿を現し、獅子奮迅に戦うその勇姿は国民達には勇者として歓迎され、指導者達には格好のプロパガンダだった。
戦場に捨てられた幾千の屍を踏みしめ、【恩寵者】は秘めたる膨大な魔力を青白い文字に変える。変えられた文字列は精霊との契約通りに、魔法として敵に放たれた。
大陸同盟と倭国の戦争……【恩寵者】同士がぶつかり合ったあの戦争で、俺は聞いた。
キズナと出会ったあの戦争で、俺は聞いたんだ。
今際の際で兵士達がつぶやいた細い断末魔を。
――……紺碧の……死神……。
燃えあがる【旅人の止まり木】は、たくさんの火の粉を太陽の沈んだ空へと飛ばしていく。残り少ない命を振り絞るように、まるで花火のように華々しく。
「…………」
イリスはただ呆然とそれを見上げていた。真っ白な顔を燃え上がる火の赤に染めて。衝撃を受けたような土気色などではい。
まるで対岸の火事を眺めるような平然とした無表情だった。
「……くそったれね」
キズナが拳を振るわせた。
(落ち付け、キズナ)
「落ち着く? ははっ、私は落ち着いているわよ……この上なく……ねっ!」
俺がいる胸ポケットには、歯が削れるのではと心配になるほどの歯ぎしりの音が聞こえている。頬の筋肉は強ばり、握力に際限はない。右手に握りしめた【鶺鴒】に感情に呼応するように青い光りが称えられている。
火事を取り囲む群衆の手前、刀身を現わすことは出来ない。
キズナにしては、よく我慢していると言えた。
「……」
無言のイリス。
窓ガラスが割れ、中から炎が飛び出す。降りかかる破片を避けることもせずに、イリスは火の袂で我が家を見つめている。崩れ落ちる様を必死に目に焼き付けようとしている。
その背中は、小さい身体に似合わず毅然としていて、【恩寵者】としての自分の運命を達観しているようにさえ感じられた。
「……」
幸いにもティアナは無事だった。
周囲の住民達のやりとりに耳をそばだてると、ティアナはどうやらペラン達に連れて行かれたらしい。スーツを着た男達が数人宿屋に入っていくのを見かけた者がいた。男達が宿に入ってから、一分もしないうちに嫌がるティアナを連れ出し、そのわずか数分後にはこの有様だ。いかな馬鹿とて、それが放火であることを否定することはできないだろう。
そのうちの一人は天を突く屈強な大男。それほどの大男、ヘイデンに間違いない。
奴等が意図していることは分かる。
ティアナを預かった、返して欲しくばイリスを連れてこい。
使い古された常套句。悪党のしそうなことだ。自らのホームに誘い込んで、徹底的にやろうというつもりか。
明確な悪意が燃え上がる宿に込められている気がした。
(これは……誘いだな)
「こんなものを見せられて興奮しないわけにはいかないわ。いいわ……誘い通り、最高のデートにしてあげるわよ」
(敵の狙いはイリスだぞ)
「だから?」
(飛んで火にいる夏の虫だと言っているんだ)
事件に自ら飛んでいくお前にふさわしい言葉だ。少しは自分をいさめろというのだ、馬鹿め。
「あっそ、私は飛んで火にいる夏の虫でも一向に構わないわ! 火中の栗でも平気で拾うのが私っ! 火の中ならなおさら、火事場の馬鹿力ってやつを見せつけてやるだけよ!」
(どうやら俺は……火に油を注いでしまったようだな)
キズナの言葉が頭痛を誘発する。やはり今回の旅も、最後はこうなったか。
……やれやれ。
いまだ轟々と燃え上がる宿屋に背を向けて、大股に踏み出す。
弟子が目指すは遠くにそびえ立っていた豪邸。迷い無いな、キズナ。
(あそこがペランの家だという確証はあるのか?)
「違うなら違うでいいわ。聞けば教えてくれるわよ」
ニヤリと笑う。まるで危ない奴だ。確実に門前払いを食らうだろう。
一歩、二歩。ずんずんと歩き出す。
「……待って」
小さくも澄んだイリスの声が、耳に届く。
まったく、お前もかイリス。いいか、頭に血が上った状態で行動すると、後々ろくなことにならないのだぞ。キズナのように後は野となれ山となれ主義では、国破れて山河有りだ。ここは一つ、いかにして相手の裏を付くか、冷静に今後の対策を練って、迅速かつ丁寧に行動するのが真の知者としての正しい選択だ。
というわけで、イリスよ、キズナのように目先の感情に捕らわれている場合ではないのだぞ。……だが、お前やキズナの気持ちも分からんでもない。本来はこの冷静沈着、頭脳明晰、偉大なるリニオ様も、今回ばかりは、キズナの考えに賛同してやるとしようか。
そういうわけだ。思い立ったが吉日、善は急げ、急いては事をし損じる、急がば回れ……などと細々とした故事成語の矛盾はこの際すっぱり置いておいて、ペランからティアナを取り戻しに――
「……行かなくていい」
そうそう、行かなくていいのだ。ここはどっしりと構えて、敵の出方を待つのも一興――
……なんだと?
「どういう意味よ、イリス」
「……そのままの……意味」
何本もの柱が焼け落ち、倒れていった。
二階の重量に堪えきれなくなった残りの柱は一斉に押しつぶされる。大量に吐き出された熱気は、火の粉をまき散らし、それはまるで家が吐血しているようにさえ見える。
「もう一回言ってみなさい」
つかつかとイリスの背中に歩み寄る。
「行かなくていい……そう、言ったの」
キズナの怒りが言葉を追い抜き、言葉はさらにキズナの手の動きに抜かれていく。言葉よりも、考えるよりも手が早いキズナが、イリスの肩をつかむ。
強い力で振り向かせると、胸ぐらをつかみ上げる。
「ティアナが……捕まってるのよ? アンタ妹でしょ!?」
つま先立ちになってしまうイリス。
「……姉さんが……言ったの……今日、ここを出るときに…………私のことは……何があっても気にしないで……って」
そうか。
今日、この宿を出る前に気がついた不安はこれだったのか。別れ際に手を振るティアナと、寂しそうな表情。少なからず予期していた自分の未来と決意。
……なんと強い女か。
「イリス、アンタはそれに黙って従うわけ?」
「……姉さんが……言ったから」
「何ぬかしてんのよ! ふざけるんじゃないわよっ!」
感情にまかせて罵った。
女であることを忘れ去ったその言葉づかいは、周囲の野次馬の眉をひそめさせる。
「このままでいいの!? 黙ってみてるの!? やられてやられっぱなしでいいの!?」
唇を噛むイリス。姉に言われたこと。自分のしたいこと。
「私は嫌よ。やられてやられっぱなしなんて嫌。泣き寝入りなんてゴメンだわ。私は立ち上がる。何度でも立ち上がって、死んでも枕元にだって立ってやる!」
優先すべきこと。
姉の意思、自分の意思が戦っている。
「もう一度聞くわよ……イリス、アンタはどうしたいの?」
「……私は……」
唇を振るわせるイリスが、切れ切れの声でつぶやいた。
「姉さんの……言うとおりに……する」
「なによ……人形じゃない、コイツ」
胸ぐらを離し、突き放す。よろけたイリスが、灰の落ちた地面に尻餅をついた。
「ティアナが死ねって言ったら、アンタは死ぬの!?」
「…………っ」
無表情に亀裂が入る。
「コイツがこんなのだから、ティアナが勘違いするのよ! ……バカじゃないの?」
ティアナはイリスに必要と思われていないと言葉の端々にそれを匂わせていた。
イリスは姉をこれほどまでに慕っているのにもかかわらずだ。
すれ違いにも程があろう。
まるで母親にはいはいする赤子のように、一心不乱に、純真無垢に、その言葉のみを信じて、それでもイリスは頑なになる。
「イリス、聞きなさい」
顔を真っ赤にするキズナ。おい、血管が切れそうだぞ。
「……」
「思っているだけでは伝えられないし、伝わらない。願っているだけでは叶えられないし、叶わない。待っていても手に入れられないし、手に入らない。望むもののためには……叫んで、手を伸ばして、つかみ取るしかないのよ!」
……世間のなんたるかも知らない馬鹿弟子のくせに…………。
見直したぞ!
「その……リ、リニオが……そう言ってるわ」
言っていることの恥ずかしさに今更気がついたか。しかも俺のせいにするとは、なんて奴だ!
「チュウ!」
だが……キズナよ、俺も同感だ。
お前の馬鹿も、ここまで真っ直ぐに突きつけられては手も足もしっぽも出ない。
「さぁ! 叫びなさい、イリス!」
「……っ……ぅ」
「手を伸ばしなさい!」
「……私……」
「そして、つかみ取るのよっ!」
真性の馬鹿とはかくも恐ろしいものか。いや……俺も人のことは言えないな。
尻餅をついてうつむいたイリス。
「私…………」
手を伸ばしてくる。
「…………寂し……い、の」
目尻に浮かんでいた雫がはじける。
「誰にも……いなくなって欲しくなんかないの!」
キズナのブーツをつかんで、追いすがる。
「……だから、お願い……助けてキズナ!」
イリスの凛とした声に、キズナはにっこりと笑って応えた。
「合格。いい声を出すじゃない。アンタの思い、確かに聞いたわっ!」
ああ、俺も確かに聞いたぞ。
キズナと目が合う。言いたいことは分かっているさ。
「じゃ、決まりね」
ふむ……仕方がないな。
うなずきあう師弟にイリスが尋ねてくる。
「……何を……する、の?」
何をするかって?
「ペランをぶっ飛ばすのよ!」
ペランをぶっ飛ばすのだ!