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第二十二話・「弟子にしてあげても良いわよ?」

 イリスが来たのは、太陽が空の頂点を過ぎて日も暮れようかという微妙な時間帯だった。微妙とはいえ、日差しはまだ強く、気温も高い。


「姉さんと……話していたら……長引いたの」


 左腕にバスケットを下げて、右手には黒い日傘を持っている。なぜか日傘の縁にはフリルが付いていて、ただの日傘にしては蛇足が多い。

 思うのだが、一体誰の趣味なのだろうか。ベビードールといい、日傘といい、並の趣味ではない気がする。


「お店の人が……くれるの」


 イリスの服装をしみじみと眺めていると、イリスが俺に向かって説明する。


 キズナ、そう俺をにらむな。

 俺は口に出してなどいないし、ましてや身振り手振りで訴えかけたわけでもない。今のは、イリスが勝手に判断して、勝手に告白してきただけのことだ。

 恐ろしいほどの観察力……ということで済ませるにはあまりにも会話が成立していたような気がする。


「これ……」


「お、気が利いてるじゃない」


 イリスが地面に置いたバスケットをのぞき込むと、キズナがよだれを垂らしていた。

 お前は待てを命じられた犬か。


「ムス太……食べて」


 バスケットの中にはたくさんのサンドイッチが詰められていた。

 レタス、卵、ベーコン、トマト……目にも美味しい色とりどりの配色が食欲をそそる。


 キズナは、いただきますもしないでサンドイッチにかぶりついている。

 さすがは待ても出来ない犬以下のキズナだけある。自分の欲望にはとにかく素直だ。

 右手と左手にサンドイッチを持ち、交互に口に含みながら胃袋に納めていく。

 漫画でよく見るような食べ方だな。喉に物をつっかえるお約束はあるのだろうか。


「はい……ムス太にはこれ」


 イリスがバスケットの奥から取り出してきたサンドイッチには、なにやら特殊な趣がある。よくよく目をこらしてみれば、なんと、サンドされているのは大量のひまわりの種なのである。

 イリスよ……いくら俺でも、ひまわりの種ならば何でもいいというわけには、いただきます。


「ふふ……良く噛んで」


 ばくばくばく…………んぐっ!


 がっつきすぎたせいか喉に異物が突き刺さったような感触。顔を真っ赤にしながら、咳き込んでしまうのを我慢する。

 吐き出してなるものか。

 必死に胸をノックして、何とかつっかえている物を嚥下しようと苦闘する。


「もう……ムス太……誰も取らないの」


「馬鹿ね、勢いよく食べ過ぎて喉に物をつっかえるなんて、漫画と一緒じゃない」


 お約束なのかっ!? この俺が!?


「ムス太……? ……泣いてるの?」


 泣いてない。決して泣いてなんかないぞ。


「待てぐらい犬でも出来るわよ、なのに目の色変えてがっつくから、そういうことになるのよ」


 お前はどこまで俺の心を陵辱すれば気が済むんだ。


「ムス太はハムスターだからいいの」


 イリス、フォローありがたいが、俺は元人間だ。


「そうだ、イリス。アンタ【恩寵者】なんでしょ」


 イリスは小さな口でサンドイッチの角をかじると、咀嚼しながらうなずく。そのスピードで食べていくと日が暮れてしまうだろう。キズナと比べたら、アリとゾウぐらいの食欲の差だ。


 おい、イリス。

 お前は第二次成長(性徴)期なのだから、もっと食べないと大きくなれないぞ。その……色々な意味で。


「魔法は使えるの?」


 小さな喉でサンドイッチを飲み込む。


「……使ったことない」


「ふーん、そう……」


 キズナが悪戯を思いついた子供のような邪悪な笑みを浮かべていた。


「イリス、私が直々に魔法を教えてあげるわ」


 それはどんな拷問だ?


「……?」


 きょとんとしているのはイリスだ。

 それを見たキズナは鼻で笑い、手に付いたパンくずを舌でぺろりと拭うと、颯爽と立ち上がる。


「キズナが……私に?」


 その疑問は大いに正しいぞ、イリス。


「そうよ、この私が教えてあげるっていうの! 少しは喜びなさいよ」


「……」


「なんでそこで、ムス太と私を交互に見るのよ」


 自分を棚に上げすぎて棚が壊れなければいいのだがな。

 イリスはそれを分かっているから、こうして俺に、キズナは……大丈夫なの? ……という視線を向けているのだ。少しは分かれ。


「いい? 一回しか言わないからよく聞きなさいよ」


 人差し指をピント立てて顔をイリスに近付ける。


「単詠唱魔法というのは、逆引きの辞書の関係なわけ」


 ふと思ったのだが、自分が理解していないものを他人に教えるなど奇跡的にもほどがある。俺

 の言ったことを丸暗記しているならば別だが、そんな記憶力をキズナに期待できるはずもなく。

 キズナ、お前の海馬は最近頑張りが足りない気がする。


「魔法の六大要素ってのがあるのよ。不思議なことにね」


 訂正しておくが、全然不思議ではない。


「いつとかどこでとかそういう奴よ。詠唱魔法っていうのはそれらの要素を口に出すことで発動するっていう」


 六大要素はかろうじてセーフとしても、せめて初めて学ぶ人間のために、六大原則をきちんと説明して欲しかった。


「その六大酵素を一つの言葉に纏めるの」


 酵素ではない。決してタンパク質方面の話ではない。


「それが逆引きの辞書の関係なの」


「……」


 イリスがまばたきをしていた。


「……終わりだけど?」


 終わりなのか!?


 ……悪かった、イリス。ただただ悪かった。お前の貴重な時間を奪ってしまったことを、キズナに代わってこの俺が謝ろう。すまない。恥ずかしい弟子でごめんなさい。


「さ、後は実践よっ! やってみなさい!」


 小高い丘に向かってびしりと指差す。


「……ん」


 イリスは素直にうなずくと、静かに立ち上がる。

 瞑想するように目をつぶり、深呼吸。

 臆することもなく魔法を唱えようと試みる姿は、失敗することを恐れて何もしない最近の若者に見習わせたい。


「……」


 無言のまま、風が走る丘を見つめ続ける。

 ボロボロのメイド服が早い風に揺られてひらひらとはためく。集中力が、嫌が応にも高まっていく感覚。ぴんと張り詰めた空気が、電気を放ち、さながら肌をぴりぴりと焼くようだった。

 風の音が消え去り、耳鳴りが脳を揺さぶっていく。嵐の前の静けさ。

 無表情で時が止まったかのようにたたずむイリス。



 時間は、ふいに動き出した。



「……どうすればいいの?」


 分からなかっただけかっ!


 まったく、勘違いさせるな。変に緊張感をあおってしまったじゃないか。


「もっと頭を働かせなさいよ。単詠唱魔法って言うぐらいなんだから、何か一言ぐらい言って魔法を発動させるのよ」


「……何を……言えばいいの?」


「何でもいいのよ、なんでも。最悪、馬鹿リニオでもいいわ」


 最悪、馬鹿キズナでもいいぞ。


「……わかった」


 キズナを見ていたイリスが再び丘に向き直る。

 魔法を使う格好らしく両手を前に突き出す。

 水を差すようだが、魔法を放つとき手を突き出したりする必要はない。

 六大原則を思い出せば分かってもらえると思うが、魔法の発動する場所などを細かく指定しているからだ。

 昔からの因習というか、単なる格好付けというか、魔法を使うときは目標に対して手を突き出したりしなければいけない……そんな気持ちになってしまうのが魔法使いの奇妙な習性でもあり、魔法使いなら一度はやってみたいおめでたい儀式のようなものである。


「……鳶色リコリス」


 突然、イリスがつぶやいた。


 少女の言葉を意訳するならば。


 ――赤い色の彼岸花。


 イリスが何を思い描いたのかは分からない。

 ただ言えることは、すさまじく熱量の高い炎の渦が、小高い丘の花々を焼き尽くしていたということ。

 彼岸花とは言い得て妙で、その色合いや、燃え上がり方が彼岸花の花びらに酷似していた。青白い魔法文字がイリスの半径十メートルを覆い尽くし、踊り狂う波紋のように広がっていく。辺り一面を焼け野原にしたイリスの単詠唱魔法は、そよ風を熱風と化し、俺とキズナの目を容赦なく痛めつける。

 俺はあまりのことに驚くことも忘れて、炎達の狂喜乱舞に見入るしかない。

 どうやら、キズナも同じようだ。

 口をあんぐりと開けてツインテールを熱風にもてあそばれていた。


「……できた」


 できた……だと? 冗談じゃない。そんな簡単にできてたまるか。


 燃え尽きた花々の残滓が、深々と降り注ぐ。

 たくさんの灰の雪に降られながら、俺はイリスを改めて見やる。


「ふ……ふん、見なさい! 私の教え方が良かったのよ!」


 いや、それはない。


「イリス! 私の弟子にしてあげても良いわよ?」


(いや、俺の弟子にしてやるぞ。安心しろ、今いる弟子はクビだ)


「リニオ……アンタねっ!」


(俺は、教え甲斐のある弟子を持ちたいと常日頃から思っていたのだっ!)


 俺とキズナが無言でいがみ合うのをよそに、イリスはフラットな声で言葉を綴っていた。


「……遠慮するの。……魔法は、人を傷つけるだけ……なの」


 バスケットを持って、来た道を戻ろうとする。

 俺とキズナはものの数秒で休戦協定を締結し、さっさと丘をくだっていくイリスの後を追う。

 俺はキズナの胸ポケットに戻り、揺りかごに乗せられたように心地よい感覚を味わう。


 ゆらゆら……うむ、眠くなりそうだ。


 胸ポケットから前を見ると、イリスは小柄ながら足早で、何か家路を焦っているようにも見受けられた。

 確かに西に移動した太陽も、その丸い相好を山際に隠そうとしている。夕焼けを経て、夜のとばりが世界を包むのも時間の問題。早く帰りたいというのも分かろうというものだ。


「ちょっとイリス、急に立ち止まらないでよ」


 イリスの背中にぶつかるキズナが、不平をもらす。


「一体何なのよ……?」


 キズナの声は聞こえていなかっただろう。イリスはただ一点を凝視していた。


 遠く北には沈んでいく太陽とは別の、もう一つの夕焼けがある。

 空を真っ赤に染めて、燃えるように存在を主張している。


 俺は痛烈な違和感に襲われた。

 目の錯覚ならば良かった。

 俺が違和感に打ちのめされていると、代弁するようにキズナが声を荒げる。


「行くわよ……!」


 丘を蹴って、蒸し暑い空気を切るように疾走するキズナ。

 今にも転びそうになりながら、イリスも必死にそれに続く。


「ティアナ……!」


「……姉さん……!」



 【旅人の止まり木】が炎上していた。


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