第一話・「…………狙い通りね」
……凶悪だ。凶悪すぎる。
ひまわりの種を頬張りながら、俺はある一点をじっと見つめていた。
「この度は、本当にありがとうございました」
先程助けた民間人が、キズナに向かって鷹揚に一礼する。長い黒髪ポニーテールが肩口から胸元に向かって落ちてくる。黒髪を挟み込むようにして屹立する二つの大きな谷間は、見ているものを釘付けにする大きさと形を誇っていた。
むむぅ……やはり俺の見込んだとおりだ。着ているメイド服は所々つぎはぎだらけで痛んでいる一方で、つぎはぎのぬい間が、押し上げられる内側の弾力に今にもはじけ飛びそうになっている。なんというか、こう……苦しそうな胸元を楽にしてあげたいとさえ思える。そのためには、まずはそのエプロンを取っ払ってしまおう、うん、それが良い。
(ねぇ、馬鹿。馬鹿リニオ)
(なんだ、馬鹿キズナ。俺のことは師匠と呼べといつも言っているだろう)
深々と頭を垂れる女に聞こえないように小声で会話する。人語を話すハムスターというものは、俺という例外を除いてこの世界には存在しない。発見されれば色々と面倒であるのは明らかだ。自ずと人前では、小声での会話が必須となる。
(用事がないなら呼ぶんじゃない。俺は今忙しいんだ)
(へぇ、どこがどう忙しいのかしらね)
(もちろん研究だ)
キズナが胸元のポケットにいる俺に向かって、ジト目を向けてくる。俺はそれには気がつかない振りをし、頭を下げ続けている女を観察して……お、おおっ……頭を下げているから、まるで熟した二つのリンゴが今にも枝から落ちそうなぐらいに、たわわに、たわわにっ!
(キズナ、師匠の崇高なる研究のために彼女のエプロンを脱がせるがいい)
(ド直球でくるわけ!?)
(直球でも変化球でもいい。俺はアスファルトで寝るより、羽毛の布団で寝たいのだ)
俺は女の胸、キズナの胸とを見比べる。
「……それは遠回しに私の身体的特徴を言っているわね?」
ポケットの縁から両腕を垂らしていた俺は、怒り心頭のキズナにつまみ出され、あろうことかキズナは俺のひげを両手で持つ体勢へ移行する。
「おい、引っ張るな! ひげを引っ張るな! 抜ける! せっかくセットしたのに抜けてしまうううっ!」
「抜けろ、抜けてしまえっ! アンタなんかただの変態よ!」
「あ、あの〜……一体どなたと会話なされているんですか?」
「えっ!?」
(フゴッ!?……むぐぅ……キズナ……貴様、無理矢理……!)
慌てたキズナによって、胸ポケットに乱暴に押し込められる俺。
「いや、なんでもないのよ、なんでも! あはは〜……」
頭からポケットに押し込められ、足だけを胸ポケットに出したままの体勢は非常に息苦しい。
(…………く、くそ……息苦しいぞ、キズナ……体勢のせいか鼻が押さえつけられて……全く、態度が態度なら、胸も胸だな。弾力の欠片もないこの胸……もみもみ……やはり成長が感じられんな。何とかならない――フゴゴッ!?)
(……どさくさに紛れて私の胸を揉むんじゃないわよっ! この腐れエロネズミ!)
「あ、あの……大丈夫なのですか?」
気を失いかける俺。
どこからか天使のような声が聞こえる。
「ねずみさんがとても苦しそうにもがいていらっしゃるのですが……」
「はっ!?」
胸ポケットを押さえていた手をどけるキズナ。
「大丈夫、ノープロブレム、問題なし! これが飼い主としてのスタンダードなのよ!」
「そ、そうなんですか……? それならばよいのですが」
よくない! それに誰が飼い主か! 俺はこの馬鹿弟子の師匠だぞ! 勘違いするな女!
落ちそうになるほどぶんぶんと両腕を振って抗議する。そんな俺の頭を指で押さえながら、キズナはあきれたようにため息をつく。
「ふふ、ペットさんと仲がおよろしいのですね〜」
俺たちを見て口元に手を当てて上品に笑う。
初めて胸以外を見たが、なかなかの美人だ。どこかおっとりとした雰囲気を感じさせる垂れ目を、長いまつげが覆っている。少しふっくらとした風体だが、脂肪が多いという印象は全くない。受ける印象があるとすれば、豊満、だろう。
加えて、豊満だからこそもてる安心感、抱擁力のようなものが、見ているだけで自然と心に広がっていくようだった。肩口から下がる黒髪のポニーテールは光りを称えながら、つややかな潤いを保っている。
そのポニーテールはまるで渓谷の間に築かれた道路。
その意味するところは、彼女の最大で最強の象徴にある。
ふむ……やはり、大は小を兼ねるな。
「私は、ティアナ・ノーリンと申します」
再び頭を下げる。仕草はあくまで丁寧かつ鷹揚。その風体も相まって、おっとりとした雰囲気が場を包み込んでいく。まるで時間の流れを遅らせていると感じるほどに。
「ふ〜ん、ティアナね。私はキズナ・タカナシ。こっちはペットのリニオ」
頭を上げたティアナにふんぞり返るように自己紹介を返す。なんだ、このふてぶてしさは。まるでオセロの表裏。誤答と正答。分かってはいたが、ティアナの爪の垢を煎じて飲ませたいぞ。
「それじゃ、改めましてリニオちゃん、よろしくね」
「チュウ!」
俺の鼻先に差し出された人差し指を、握手とばかりに両手でつかんでやる。
ふっ……かわいいハムスターを演じてやることも人を欺くには必要なのさ。
「あら、自己紹介をしてくれるの? リニオちゃんはお利口さんね〜」
屈んで俺をのぞき込んでくるから、胸元が……谷間が!
……さらには、もう少しで頂に咲く百合の花をっ!
「チュウ! チュチュウ!」
ゴクリ……もう少しだ……ハァハァ……もう少し……。
ん? ……おい、キズナ、その目はなんだ。
止めろ! 軽蔑するような目でこっちを見るんじゃない!
く……師匠をそんな目で見るとは、許せん。
俺がキズナの教育方針を真剣に考えていると、突然、下方から地響きのような音が発生した。地震ではない。爆発でもない。発生源は、キズナであった。
「あら、まぁ……キズナさんったら。ふふふ」
恥ずかしい。俺は恥ずかしいぞ、キズナ。
「ふんっ、我慢してたのっ! 戦っている最中だって、ずっと……お腹……減ってたんだからっ……」
俺を見下していたのは一瞬で吹き飛んで、真っ赤になってそっぽを向くキズナ。
子供のような仕草で頬をふくらませる。
「でしたら、こうしませんか?」
ティアナの顔が楽しそうに華やぐ。何かを思いついたのか、胸元で、ぱん、と両手を一叩き。その勢いでたわわに実った果実が上下に揺れる。……重力、万歳。
「私にお礼をさせてください。こう見えても私、宿屋のオーナーなんですよ」
「…………狙い通りね」
きらりと瞳が輝く。
「はい? 何か言いました?」
頭に疑問符を浮かべるティアナ。
「ううん、なんでもない。それより、遠慮無くごちそうしてくれるんでしょうね? 私ってば、もう魔法を唱えることも出来ないほど空腹なの」
「ええ、もちろんです。遠慮なんてなさらないでください。キズナさんは命の恩人なのですから」
ティアナ、キズナは遠慮なんてしていないぞ。