第十六話・「おいで……可愛がってあげるから」
……。
……いきなりではあるが、怒鳴ってもいいだろうか。
ひい、ふう、みい……多大なるご賛同ありがとう。
……と、どれだけ賛同をいただいたかは、俺の心の中にしまっておくとして、俺は満を持して怒鳴ろうと思う。
机の上で両腕を枕にしてよだれを垂らしながら大いびきをかいてもう食べられないわよなどと前時代的な寝言ランキングにトップテンにランクインしているようなことを繰り返しながらもぐもぐと口を動かして熟睡している馬鹿弟子に対してすべからく怒鳴ろうと思う……ハァ……ハァ……と、思わず一息で言い切ってしまうこの俺の怒りのボルテージ、お分かりいただいたであろうか。
分からない奴は、水の入ったバケツを持って廊下に出ていろ。
おっと、俺としたことがこれも前時代的だったか。
というわけで。
「起きろっ! 馬鹿者がっ!」
俺の背後には黒板。
重いのを我慢して持っていた指示棒をキズナの脳天に振り下ろす。
「……むにゃむにゃ……ティアナ、特急よ、特急……超特急で料理しちゃいなさいよ……むにゃ」
俺の脳天唐竹割りではキズナをたぶらかす睡魔すら退治できないらしく、キズナはぐうぐうと寝たままだ。
身じろぎ一つしないどころか、悪びれもない。
起きたところで馬鹿弟子が悪びれるとは思えないが。
時刻は午後、俺とキズナは師弟関係らしく魔法の勉強をしている。毎日二時間の魔法講義がこの師弟間での約束でもある。これといった事件や急務、あるいはやむを得ない事情がない限り確実に開催されている、いわば日課のようなものだ。
偉大なる俺のそれはそれはありがたい講義……言い換えるならば無償の愛と言ってもいい。
しかし、ボロい宿屋の割りに、こうも色々と便利な道具が揃っているのは不思議で仕方がない。
黒板に、チョーク、勉強机にイス、講師用の指示棒……と、見た目はボロだが至れり尽くせりの品揃えだった。
「ええい、起きんか! キズナ!」
「……ハムスターのくせに生意気なのよ……むにゃふにゃ……」
よだれが机の上で水たまりになっている。
「むむぅ……コイツ……俺の授業が聞けないのかっ! 馬鹿弟子め!」
「……すぴー……むにゃ」
いいだろう、挑戦と受け取ったぞ、俺は。
黒板消しとチョークの置いてある黒板消しの縁からジャンプして、キズナの耳元へやってくる。
うぬ……よだれが足に付いたではないか。
おまけにべたべたしている。
非常に汚い気がするが、この際我慢だ。
俺は我慢のできるハムスターなのだ。
「むにゃ…………何で干支の最初がネズミなのよ……二番目が牛って笑えるわ……むにゃ」
俺が知るか。一体どういう寝言なのだ。牛に謝れ。
キズナの耳に被さっていたツインテール(髪)の片方を背中の方に投げ上げる。
耳たぶを引っ張って耳孔を露わにして、声が通りやすいようにしてやる。
ふむ……どうやら耳の穴をかっぽじって……という皮肉が必要がないくらいには綺麗な耳をしているようだ。
それにこの耳たぶは……柔らかくて、滑らかで、ふわふわしていて……と、いかんいかん。なぜ俺がキズナの耳たぶに胸を熱くしなければならないのだ。
「さて、覚悟するがいい、キズナ」
俺は傷案の耳元で優しくささやいてやる。
「キズナは巨乳」
無反応。
「最高の弟子だ、抱きしめてやる」
反応なし。
「胸が大きいお前を愛している」
なおも流れるよだれ。
「良い子だ、おいで……可愛がってあげるから」
変わらずのいびき。
「……」
俺はため息をついた。
「…………貧にゅ――」
「ぶち殺してやるっ!? ……はぅ? 私、寝て……た?」
コンプレックスもここまでくれば立派というものだ。涙が出てくる。
「何泣いてるのよ、気色悪いわね」
「いいのだ、キズナ。お前のつらさを俺は分かっている。もう何も言うまい」
目尻に浮かんでしまった涙を拭いながら、俺は黒板の縁に戻ると指示棒を手にする。
髭をきらりとなびかせると、しっぽをぶんと振って、颯爽と振り返った。
「講義を再開するぞ、今度は寝るなよ?」
「すぴー……」
「言ってる側からなのか!?」
足下に落ちていたチョークは、思いの外軽かった。