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第十五話・「もみしだく!」

 とんかん、とんかん、とんかん、とんかん……。


 快晴の空の元、俺は屋根の上でひなたぼっこをしていた。

 階下からは金槌を振るう音が聞こえてくる。半壊してしまった一階。特にひどい玄関、フロント、食堂。その三カ所から流れてくる打楽器によるアンサンブルは、唐突ながなり声によって調和を乱された。


「もう嫌! 朝からずっとこの調子じゃない! 朝早くからとんかんとんかん……いい加減に金槌の打ちすぎで私がとんちんかんになるわっ!」


「……とんちんかんは……黙って手を動かして」


「と、とんちんか……!? 助けてやった恩人に向かってその言い草!?」


「……助けてもらってない。どちらかと言えば……敵に見逃してもらった」


「イリスちゃん、駄目ですよ〜、本当のこと言ったら〜」


「……むぐぐ。…………あ、手が滑った」


 何かが壊れる盛大な音がした。


「あ〜! キズナさん! か、壁を壊しちゃ駄目ですよ〜」


「姉さん……キズナの昼食は抜き。……その分、ムス太が大盛り」


「何でアイツが大盛りなのよっ! あの馬鹿ネズミこそ、何もしてないじゃない!」


「馬鹿なんて言っちゃ駄目ですよ〜、ムス太ちゃんは可愛いのですから〜」


「うん。ムス太……可愛い」


 階下から聞こえてくる喧噪も、なぜだか別世界のように感じられる。



 キズナと旅を始めてからどれほどの月日が流れたのだろう。

 五年……いや、六年か。


 俺とキズナが出会ったのは、ちょうど島国である倭国が大陸と戦争を始めた頃。

 先進的な技術と魔法論で軍事の先端を走っていた倭国は、大陸の国々から見ても驚異的な存在だった。倭国は魔法使いの育成に長けており、高等な育成学校を卒業した人間は軍事の中枢を担うほどであった。

 今では稀少とされる【恩寵者】も多く輩出し、倭国の魔法使いの象徴となっていた。そこにいたのがキズナだった。キズナは当時から色々と問題の多い生徒だったらしく、魔法の授業をさぼっては武術にばかり明け暮れていたらしい。だが、そんな倭国を驚異に感じた大陸の国々は、一時的な協定を作り、大陸同盟と名前を変えて倭国に侵略を開始した。


 戦争を仕掛けて一番驚いたのは大陸同盟だろう。

 極東の小さな島国相手を制するのに、二年の月日を費やしてしまったのだから。


 大陸同盟の圧倒的な物量に対して、小さな島国である倭国がここまで戦えたのは、ひとえに倭国の技術力といっていいだろう。魔法、魔法具、【恩寵者】……そして、圧倒的な力を持つ精霊、それを操る【寵愛者】の存在。

 両国共に犠牲は多かった。

 互いに甲乙つけられぬまま泥沼化の戦争に発展してしまったことで、互いに国力は疲弊してしまっていた。やがて、互いに痛み分けで終わるこの戦争は、倭国の鎖国という、大陸同盟にとって望まぬ形で幕を閉じる。倭国は技術力を内側に止めたまま、他国との交流を絶ったのだ。


 俺は大陸側の人間だったが、当時は倭国の研究室に在籍していた。

 詠唱魔法、単詠唱魔法、そして無詠唱魔法……と、次世代の魔法の研究に明け暮れていた。その研究のひとつが【スワップ】であった。

 しかし、その成果を待たず戦渦に巻き込まれた俺は、命を落とすほどの大けがを負ってしまった。

 一か八かで【スワップ】を行使した。死ぬよりは何倍もいい。そんな苦し紛れの思いだった。



 だが……まさか、目の前にハムスターがいるとはな。



「アンタ達絶対だまされてるわよ!? アイツの本性は変態なのよ!? いい、ティアナ。アンタのその無駄にでっかい胸の脂肪は、アイツにとっては格好の獲物なのっ! リニオの脳内ではこれでもかっていうぐらいに揉みしだかれているに違いないのよ!?」


「まぁ、キズナさんったら、はしたないです〜」


「キズナは……露出魔だから」


「まぁまぁ、キズナさんったら、はしたないです〜」


「もみしだく!」


「きゃっ! キ、キズナさん……そんなところ……ひやっ! 駄目ですよぉ〜」


 俺の身体は失われた。

 正確には、ハムスターの魂と交換になってしまった。だから、本当の俺の身体は、今頃このハムスターの身体に宿っていた魂が占有しているはずだ。もちろん、俺の身体など、すでにこの世から消え去っている可能性もある。


「あんっ! ……ふあっ……キズナさん、駄目ですよぉ〜……」


 瀕死の間際で完成させた【スワップ】。精神と精神を【スワップ】(交換)する高等な魔法。

 ハムスターの姿のままでは【スワップ】以外、何一つ魔法を使うことが出来ないという制限付き。


「……はわっ!……だんだん……変な感じに……なっちゃいます〜……」


 ならば適当な人間の体を借りてしまえばいい……とは、どうしても思えなかった。それは、大陸同盟が倭国に攻め入ったことと同じだ。精神による精神の侵略に他ならない。


「ひゃっ……そこは特に駄目ですぅ〜……あう〜……」


 俺がハムスターでいることに悩んでいたところに、偶然、戦争孤児になっていたキズナがいた。

 土砂降りの廃墟。あちこちからは戦渦の火がくすぶっていた。

 漂ってくる煙が、少女の姿を簡単に隠す。


 何を思ったのか、俺は少女に話しかけていた。

 生きることに真っ直ぐな瞳と、決して揺るがない意思。小さい身体に降りしきる雨を浴びた少女は、まるで雨に宣戦布告するように口をへの字に曲げて空を見上げていた。

 奇妙な光景だった。



 ――お前は、どうしてそんな目ができるのだ?



 足下に寄ってきたハムスターが急にしゃべり出したのだ。驚かないはずはなかった。

 少女は雨雲をにらみ付けるのを止めて、俺を見おろす。すすけた頬を、高等魔法学校の制服の袖でぐいっと拭うと、右手の魔法刀をぎゅっと握りしめ、まるで挑発するようにこう言った。



 ――私は負けない。何者にも負けないんだもん。



 何者にも負けない。

 俺はその、何者、という言葉に大いに心を揺り動かされた。


 この小さな少女は、自分を取り巻く全ての森羅万象に対して、強くあろうとしている。全てのものを打ち負かし、乗り越えようとしている。

 それは侵略してきた大陸同盟かも知れない。あるいは自分の置かれた環境かも知れない。

 雨にも、風にも、あるいはもっと大きな世界でさえも。


 だから、俺は半ば無意識のうちに口を開いていた。思えば、それが今日まで続く不幸の始まりといっても良い。

 俺らしくないのだが、言葉の端々は俺らしい言葉。


 ――俺に、お前の手助けをさせてはくれないか。俺はお前を何者にも負けない女にしてやれる。


 こくり。


 少女は無言で小さくうなずいた。そして、不敵に微笑んだ。

 雨が上がった雲間から降り注ぐ光は、二人の出会いを歓迎するかの如く、神々しく大地を切り裂いていた。


 ――ならば今より、俺はお前の師匠だ。従って、お前は俺の弟子だ。俺の名前はリニオ・カーティス。リニオ師匠と呼べ。


 ――ヤダ。


 ――……。……お前の名前は?


 ――私……私の名前は……。


 手に持っていた魔法刀が青白く輝く。


 ――絆。


 綺麗な瞳の色をしていた。ブラウンの瞳に俺が映り込んでいた。


 ――キズナ? 人と人の心のつながりを表すキズナか?



 ――そう、その絆……私は……小鳥遊、絆。



 二つに結った栗色の髪。付着した水滴。のぞいた晴れ間が、少女の髪をきらきらと照らす。

 綺麗な名前だと思った。

 今まで聞いたことがないくらい美しい名前だと思った。


 ――タカナシ・キズナか……よし、キズナ、今日からお前は俺の弟子だ。いいな?


 ――うん。


 嬉しそうにうなずいたキズナは、このときが初めてだったかも知れない。


 ――それでこれからどうするの? リニオ?


 ――リニオ師匠だ。……そうだな、まずはこの国を出よう。そして色々な国を旅するんだ。世界は広い。お前はこの国のように自分に錠をかけて閉じこもるのではなく、世界の広さを見て、触れて、感じて、知るべきだ。俺はその中でお前に色々と教えていくつもりだ。……これはついでなのだが、俺の身体の代わりとなるものを探してくれると嬉しい。


 ――……ヤダ。


 ――ふむ……まずはお前のその口答えを何とかしなくてはならないらしいな。


 濡れた廃墟を一人の少女とハムスターが歩いていく。それは誰が見てもおかしな取り合わせだったろう。

 だが、なんの不安もなかった。目の前にある景色がどれほど不安や絶望にさえぎられていても、この少女と一緒ならば何とかなるような気がしたのだ。



 まぁ……色々と後に後悔するわけだが。



 俺は蒼穹から目を離して、階下の騒ぎにため息をつく。女三人寄ればかしましいとは言うが、まさにその通りのようだな。


「この脂肪が! この脂肪が! この脂肪があっ! こんなものがあるから世の男どもはっ! 出てきなさいリニオ! アンタの変態ぶりを見せてみなさいっ!」


「……嫉妬、責任転嫁……格好悪い」


「何がよっ! ……って、イリスだって貧乳でしょうが!」


「私は……発展途上。伸びしろ、たくさん……。キズナは……」


 チラ……とんかん、とんかん。


「あえて何も言わないっ!? そうやっていっそう感傷を盛り上げるわけっ!?」


「大丈夫ですよ、キズナさん。胸が大きくても小さくても、実際に使う機会に恵まれなければ意味なんてないんですから〜」


「ッ……! もみしだく! 徹底的に!」


「ひゃんっ! キ、キズナさん……や、やめてください〜……これ以上は……駄目ですよぉ〜」


「……やっぱり、キズナ……変態」


「このこのこのこのぉ〜っ!」


 本当に……馬鹿な弟子と出会ったものだ。


 俺は蒼穹に別れを告げて、作業現場に降りていくのだった。


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