第十二話・「心配なんてらしくないじゃない」
血が溢れる脇腹を左手で押さえながら、右手の【鶺鴒】に青い火を灯す。
魔力はまだまだキズナの中で煮えたぎっている。魔力が体内から文字列へと変換され、刀身を復元していく。刀身が発する青いきらめきは、キズナの瞳の中に灯る意思を体現するようだった。
ゆらりと一歩を踏み出すキズナ。
脇腹の傷を構いもせずに、不敵な笑みを浮かべたまま戦いに赴く。
「策があってのことだろうな?」
「ないわ、そんなもの」
「……」
俺は押し黙るしかなかった。
「言ったでしょ? 私は迷路の壁を突き破ってでもゴールするの。道筋をいちいち覚えてなんかいられない。袋小路で引き返してなんていられない。スタートとゴールがある……私にはそれで十分。あとはひたすらまっすぐに行くだけよ」
第一歩は床板にひびを入れた。
二歩目で最大速を得たキズナが、疾風の如くスーツの男に斬りかかる。
前回同様、男達は二手に分かれて、一人はキズナから距離を置くことに専念。そうして一人がキズナを引きつけている間に、もう一人が魔法で攻撃する。魔法使いとしての接近戦を挑むよりも、何倍も効率が良く、かつ、魔法使いにあった戦い方だ。理にかなっている。
「炎のように」
忌々しげにのどを鳴らすキズナ。
「……グレイブストーン」
キズナが最大速を保ちながら二手に分かれたうちの一人に追いつこうとすと、やはり魔法が飛んできた。
単詠唱魔法。自分自身で決定する、個性のあるショートカットの文言が聞こえれば、キズナはその度に追跡の中断を余儀なくされ、迫り来る炎やら石つぶてやらから身を守ることになる。
【鶺鴒】で切り払い、身をよじり、地面を蹴って魔法をかいくぐる。
一つの魔法を乗り越える度に、キズナの身体には傷が増えていく。
頬を切られた血は拭うことも忘れられ、空中に飛散する。
腕はうっ血で紫色に染まり、【鶺鴒】を振るう度にキズナは歯を食いしばった。
太ももに出来た水ぶくれが、キズナのスピードを殺し、危うくマグマに飲まれそうになってしまう。
「……大丈夫か?」
「それって、私に言ってるの?」
上着に燃え移った火をはたいて消す。
「ああ、お前に言っている」
「何よ、心配なんてらしくないじゃない」
「……」
「ああ……そういうこと。リニオが心配してくるほど、私は大丈夫じゃないように見えるわけね」
馬鹿にするんじゃないわよ、そんな意味を込めて鼻を鳴らす。
「それにリニオは私の身体が目当て……そりゃ心配もするわよね」
壁を蹴って男を追撃しながらも、降りかかる溶岩に身を投げ出す。テーブルをひっくり返してとっさの盾代わりとする。それで得たわずかな時間で溶岩から抜け出すと、キズナは速度を上げた。
「どう解釈しようとお前の自由だが、俺がお前の胸ポケットにいると言うことを忘れるなよ」
「ふん、頼もしい師匠ね」
「そういう意味ではない。あのマグマに飲込まれたら、お前も俺も命はないということを言いたかったんだ。いわば一蓮托生……そうならぬよう、身を粉にして頑張ってくれ。だが、事と次第によっては……手を貸さないこともない」
「手出し無用よ」
「ふむ……ならば口だ――」
「口出しも無用」
む……キズナにしては読みが早いな。
「それに頭に上っていた血が少し落ちてきた気がするの、なんか気分が良いわ」
俺の記憶が正しければ、それは貧血という奴では……不安よぎる俺の頭が、むち打ちになるぐらいに激しく揺れる。
キズナの身体はまるで羽でも生えたよう。出血のおかげで身体が軽くなったか? ……などという冗談を言おうとする俺の口が、風圧のせいで空けられない。何とかして胸ポケットから首を回らせば、キズナの身体のあちこちから魔力が漏れ出している。
穴という穴、それこそ皮膚に至るまで微量の魔力の放出が見られる。それはキズナの無意識の産物なのだろう。
青い文字列がキズナの身体の周りで踊っている。
「……スピード」
「溶岩のように」
役割分担のなされた単詠唱魔法が交互に詠唱される。逃げる男の足と、攻撃する男の腕を白い文字列がぐるりと回転する。
魔力が文字列へ変換、魔法が行使されている証拠だ。
溶岩が、男の背中を追うキズナに降りかかる。赤い猛りがキズナの頭上を覆い尽くす。触れたものを灰燼に帰す熱量に、今回ばかりはさしもの俺も息をのんでしまう。
キズナはあろう事かマグマより早く通り抜けようと試みたのだ。
今までは急ブレーキの末に、回避を選択していたキズナ。溶岩がキズナの髪の毛を、服を発火点へと近付ける。
熱い。燃えるように熱い。
肌が、頭が、いや全身が燃えるように痛い。
まるでなくなってしまったかのようにさえ感じる。
視界は真っ赤に染まっていた。
燃える津波の真下を通り抜けるキズナが瞬間、風になったような錯覚を見る。飲込まれていく壁をいち早く抜け、キズナは白刃を振るう。
敵は防御の単詠唱魔法を唱えようとしたのだろうか。
口を開こうとする努力も空しく、男の背中が青白い軌跡と共に床に沈んだ。
「これで、あと一人!」
ばっさりと切られた男の背中を、キズナはブーツで踏みつけた。鉄板の仕込まれたブーツで背骨を折ると、男は短い断末魔を上げる。
なんと言ったのかは分からない。
耳を澄ますには時間はあまりにもなさ過ぎた。残った一人が、男ごとキズナを燃やそうと魔法を放っていた。キズナはさらなる加速力を経て疾駆する。
まだ早くなると言うのか。
もはや襲い来る魔法に慌てる必要などなくなっていた。文字列を置き去りにして、キズナは残像となる。遅れて到達した魔法が、男の死体を飲込んで燃え上がらせる。あとには骨一つ残らなかった。
「チェックメイトよ、覚悟は良いわね?」
逃げようとした男の正面に回り込むと、男の喉元に【鶺鴒】を突きつける。
ふう……これで勝敗は決したか。本当に、一時はどうなることかと……。
「チェックメイトにしては、いささか相手が小物過ぎるとは思わぬか?」
キズナが俺をにらみ付けてくる。
いや、俺が言ったのではないぞ。第一、聞こえた方向で分かるだろうが。
「それもそうね」
声は扉が蹴破られた玄関口からだった。
「なかなかやるではないか、【恩寵者】!」
丸太のような腕を組んだ中年の男がいた。
玄関口が狭いと思わせるほどの体躯。形の良い髭をいじりながら豪快に笑っている。腰には倭国刀を下げ、着込んだスーツは内側の筋肉に張り裂けそうだ。
「もう……この後始末をつけるのは大変ですよ? 宿の破壊に、斬殺死体……どうしてくれるのですか……ヘイデンさん」
大きな体の脇に立っているのは、ひょろっとした優男だった。
ヘイデンと同じようにスーツ姿だが、胸元やカフスには高級そうな宝石が輝いている。一見すれば、良いところのお坊ちゃん然とした感じ。体つきは戦闘とは無縁のようであり、武装もしていない。ヘイデンと呼ばれた男と並び立つせいで、余計にそれが際だって見えた。
「済まぬ、ペラン殿……私の部下が出過ぎたことをしたようだ。部下の不始末は、このヘイデン・ブッフバルトの不始末。罰を受けるのならば、部下と私ともども相応のものにしていただこう」
大きな頭を下げる。
「ま、それは後で考えることにしましょう」
「ですな……」
頭を下げていたヘイデンが規律正しい動きで頭を上げる。軍人のような機敏で機械的な動きだった。