第十一話・「燃えるっ!?」
「キズナ、力を貸してやろうか?」
目をつぶっていた状態から、片目を開けてキズナを見すえる。
「アンタはそこで見てなさい。こんな状況ぐらい、一人で何とかしてみせるわ」
「先程は敵にも油断があった。だが、今回はない。さらには、お前の弱点も把握している。敵はお前のように馬鹿ではないからな、一筋縄では行かんぞ」
「黙って」
「言っておくが、お前はまだ未熟だ。師匠である俺が言うのだから間違いない」
「なら、私が未熟じゃないってことを見せつけてやるわよ。アンタにも……敵にもね!」
鼻息荒く、豪語する。
敵を知らず、己も知らず……先人の教えをことごとく馬耳東風とは。本当にしょうがない奴だな……未熟なのは胸だけにしてほしい。
【鶺鴒】を居合い抜きの位置に構えると、正面からスピード任せに斬りかかるキズナ。並んでいた二人のスーツ男は、ニヤリと歪ませていた唇を引き締めると、示し合わせたように二手に分かれた。
歓談モードから、戦闘モードへ。
引き締められた口元から魔法のワンフレーズがこぼれる。奇しくも、互いに同じ内容を意味する単詠唱魔法だった。
「風のように」
「……スピード」
単詠唱魔法がキズナの到達よりも早く男達の移動速度をフォローする。二手に分かれた男達を見て、キズナは舌打ちする。【鶺鴒】を振り下ろす先を失ったキズナは、方向転換を余儀なくされ、あわてて地面を蹴る。
一人の男が壁沿いに駆けていく。逆に追いかける側に回ったキズナが、持ち前のスピードで男に迫る。
「待ちなさいよ!」
「断言する。そういって待つ奴はいない」
【鶺鴒】を左手で逆手に持ち替え、素早く右手で抜刀しやすいようにする。右腕で燃えさかっていた文字列が、左手に移動。キズナのスピードに追いつけなくなった青い文字列は、まるで火の粉のように力を失って消失した。それでも次から次へと燃焼するキズナの魔力は、炎の文字列を生み、キズナの腕を覆い尽くす。
魔力量で言ったら、スーツ男二人合わせてもキズナの足元にも及ぶまい。【恩寵者】とはそういう存在だ。そして、そういう存在だと知られているからこそ、男達は対恩寵者戦に慎重を期しているはずだ。
魔法使いの戦いとは、単純な魔力量の戦いではない。
キズナ、俺はお前にそれを教えていないわけではないのだが……。
男の背が迫る。
魔法によって加速を得ている男に追いつくとは、我が弟子ながら驚異的な運動神経だ。キズナがいよいよ抜刀の時を迎える。逆手に持っていた左手の【鶺鴒】に右手がかかる。
青い流線が男の背中に迫ろうかという時。
「炎のように」
キズナに追いかけられていない男が、さらなる単詠唱魔法を唱えた。横殴りの炎に皮膚が悲鳴を上げる。壁に掛かっていた絵画や、転がっていたイスが一瞬で灰になる。
「あつッ! 燃えるっ!?」
胸ポケット中は阿鼻叫喚。
キズナを見れば、ツインテールに纏められていない髪の毛の一部がちりちりになっている。追跡を止めて身をひねっていなかったら、俺もキズナもこの世から消失していただろう。
「……キズナの胸がもう少し大きかったら、炎にやられていた……!?」
くっ……なんて空しい勝利だ。
「うるさいわよ! 外野っ!」
位置的には内野だ。
「髪は女の命! 代償はアンタの命!」
身をひねって着地するその足で、炎を放った男に突進する。
「風のように」
キズナに背中を向けると、単詠唱魔法をつぶやく男。
キズナの横薙ぎの一撃は、男の無防備な背中を捕らえるには至らなかった。キズナの歯がみする音が聞こえてきた。
今度は、別の男と追いかけっこを始める。
二人目の男も壁際を走って、キズナから遠ざかろうとする。背中を向けてまで逃げる割りには、スピードも特段高速というわけではない。キズナの身体能力を持ってすればものの数秒で魔法刀の間合いにはいるだろう。
「背中傷は、戦士の恥ってね」
言葉を言い放つと同時に、キズナの刀が鞘走りの音もなく抜き放たれる。
確かに【鶺鴒】は完璧な軌道を描いた。
「……グレイブウォール」
……単詠唱魔法によって阻まれていなければ。
抜き放たれた【鶺鴒】は、追いかけていた男の背後の地面から生えてきた石柱によって切れ味を鈍らされる。石柱をものの見事に切断してみせる切れ味も、さすがにその向こうの男の背中を切るまでには至らなかった。切断された石柱が、豪快な音を立てて床に横倒しになる。ばきばきと床を突き抜け、衝撃が建物を揺るがす。
「ふざけるんじゃ……!」
言葉尻を噛み殺す。
逃げに徹する敵に熱を帯びるキズナ。切り落とした石柱に足をかけて跳躍。石柱によって難を逃れた男に追いすがろうとする。ジャンプ一番、逆手に持っていた【鶺鴒】を振りかぶり、一刀両断の構え。
「……グレイブストーン」
横から聞こえたのは、さらなる敵の単詠唱魔法。しかも、着地際を狙ったタイミングだった。背中を見せて逃げていた男に追いつこうかという寸前に、キズナはまたも石に阻まれる。
床板を突き破って飛び出してくるのは、鍾乳洞も真っ青の鋭い岩の数々。
落ちてくるのではなく、空に向かって飛び出してくる光景に、キズナの心臓が収縮するのが分かった。
「古より胎動する風の精霊よ、我が盟約に――っ!」
……間に合うはずがなかろう。
単詠唱魔法なら間に合っただろうが、詠唱魔法では時間が足らなすぎる。
慌てて【鶺鴒】で鍾乳石を切り払おうとするが、五本が限界だった。刀を振り切ってしまった隙を狙って、キズナの脇腹を鍾乳石の刃が襲った。身をよじって交わすのが精一杯。キズナは甘んじて脇腹を切り裂かれることとなり、身体が空中で回転してしまう。
あとは、自由落下に身を任せるだけだ。
さらなる鍾乳石が発射され、キズナを蹂躙しようとする。キズナは空中で血液を飛び散らせながら、【鶺鴒】を向かってくる鍾乳石に突き立てた。鍾乳石の頑丈さを利用して、体勢を安定させる。
「溶岩のように」
逃げに徹していたはずの男も、これを好機と見たのか畳みかけてくる。絵画とイスを灰にしたものよりも格段に高熱の熱源が迫る。
大気さえも焦がす赤。触れれば体の芯まで溶かす。
被れば灰すら残らないだろう。
飛沫ですら触れることを許されない凶悪な液体が、鍾乳石ごとキズナを溶かそうとする。【鶺鴒】は鍾乳石に刺さったまま。
手放して逃げるには【鶺鴒】は惜しい代物。
しかし、命には変えられない。
耐えがたいジレンマ。
キズナの頬を大粒の汗がしたたり落ちる。
「力を――」
「……お断りよ!」
俺の誘いと、【鶺鴒】への魔法供給の両方を絶つキズナ。すると、刺さっていた刀身部分は消失し、鍔と柄だけが残る。
ふむ……考えたな。
鍾乳石が溶岩に飲まれたところで、魔法の効力が切れ、魔力が無に帰す。命からがら地面に着地したキズナが、大きく息を吐く。
脇腹をかすめた鍾乳石はキズナに予想以上のダメージを与えていた。
脇腹からしたたる血が、下着の黒に染み込み、太ももの内側をなぞって落ちていく。
おい、これではまるで、月……いや、自重するとしよう。
「なかなかやるじゃない……」
脇腹を押さえて、笑うキズナ。
「あきらめて降伏しろ【恩寵者】。お前は金になる」
「悪いけど、そんな安い女じゃないの」
「降伏しないのならば、仕方がないな」
「アンタ達に降伏するぐらいなら、死んだ方が幸福よ……なんちゃって」