第十話・「魔法の使えない【恩寵者】」
人間の有視界は百八十度に及ばない。左右から挟撃してくるスーツ男は、それを見越して互いにキズナの死角に回り込もうとする。
「イリス! そこにいたら邪魔!」
キズナはそうはさせじと、二人を視界にはっきりと捕らえられる位置へ動き回る。常に動きを止めぬこと、それが命を長らえさせる。蚊がなぜ殺されてしまうのか。それは目の前の好物に注意をひかれるあまり、動きを止めてしまうからだ。
せっかくのスピードも、止まればただの持ち腐れに過ぎない。
「さっさとティアナを連れてフロントの裏!」
「……わかった」
素直にうなずくと、ティアナの肩を担いでフロントの裏へ身を隠す。
「……キズナ、死なないで」
(……だそうだぞ。何か答えてやったらどうだ?)
「ふん、私の心配はいいから。終わったあとのデザート、覚悟しておきなさいよ」
肩越しに不敵な笑みを見せるが、それも瞬きの間のみ。すぐさま敵の姿を視界に納め、地面を蹴って、距離を保つ。
「……うん。ティアナ……きっと喜ぶ」
「楽しみにしてるわよ」
ロビーと呼べるほど広くない場所で、敵とキズナの立ち位置はめまぐるしく変わる。敵は明らかにキズナの様子をうかがっている。スピードを上げて、攻撃の態勢を取ったかと思いきや、すぐさまそのスピードを緩めて、様子見にはいる。まるで揺さぶりをかけているかのようだ。
「寝る前の食事は肥満の元なのだがな」
「脂肪が胸に行くとしても?」
右手に握りしめた【鶺鴒】の青白い刀身が、通り道に蒼い残像を描く。
「ほう……それは楽しみだな。期待しないで待っていよう」
【鶺鴒】からは常に魔力の発散が見られる。魔力を文字列から魔法に変換する詠唱魔法や単詠唱魔法ならば、魔法を放った瞬間に魔力の消費は止まる。
「そ、だから言うじゃない? 果報は寝て待つものってね」
しかし、魔法刀【鶺鴒】は違う。常に刀身を保っておくために、常時魔力を消費し続けなければいけないのだ。キズナの魔力が桁違いだからこそ、魔力の消費が多い【鶺鴒】を起動し続けられる。おそらくは、敵もそれを観察しているのだろう。【恩寵者】であるキズナががどれほどの魔力を持ち、どれほどの余力があり、どれほどの戦闘力があるのか……。
「それで食後に牛のように寝るのだと? 幼稚な詭弁だな」
「詭弁でも筋は通っていると思うけど?」
「……ふん、迷路を抜けるのに壁を壊すことのどこが筋か。筋違いも良いところだ」
「単純で手っ取り早いから、私は好きね。むしろ大賛成――」
やはりというか、キズナが嬉々として敵に仕掛けていった。壁に足をかけたと思ったら、壁に着地するように両足を曲げ、はじけたバネのように加速する。【鶺鴒】を平突きに構え、斜め後方から追ってきていたスーツ男に仕掛けていく。
分かってはいたさ。
こうして彼我の戦力をうかがい続けるのが、キズナの戦い方ではないことぐらいな。
俺との会話でもイライラして、いつまでたっても襲ってこない敵にもイライラ。
今までのキズナを見れば、赤ん坊でも分かる簡単な理屈だ。
食べたかったら食べる。寝たかったら寝る。欲しかったら手に入れる。
それがキズナたる、馬鹿弟子たる所以。
キズナの強硬な手段に、男は虚を突かれたのだろう。ま、それも分かる。
数的不利な状況で、あえて仕掛ける必要性もない。おそらく敵は四人とも魔法使いとして訓練されている。その自負もあるだろう。いくら【恩寵者】とてそう簡単に戦況を覆せないだろう……などという自負が。
しかし、残念だ。
キズナはお前達の自負を上回るくらい馬鹿なのだぞ。
「だから、壁も吹き飛ばしてきたという訳か」
「そんなこと考えてないわ。ただ私は、何事も派手な方が楽しいのよ」
平付きが、疾風となったキズナによって繰り出される。男はありったけ身体をひねって、キズナの突きをかわそうとする。
男のスーツの胸元は簡単に切り裂かれた。
舌打ちを鳴らしながら、男は一言つぶやく。
単詠唱魔法。
展開させた魔法文字が、防御の光となって男の前面を覆い始める。そんなことはお構いなしとばかりに、蒼い文字列を纏ったキズナの右腕が、伸びきったままに横薙ぎに移行する。並の魔法使いならば首を切り落とされているだろうキズナの一振りは、魔法の壁を破壊するにとどまった。
「馬鹿め、そんなことばかり考えるから……いや、むしろ考えなしだから、スカートすらはき忘れるのだ。あきれてものが言えん」
「さっきから、べらべらべらべらもの言ってるくせに……よく言うわ」
「それはもののたとえというものだ」
「それこそ詭弁って言うんじゃない? 言っていて苦しいわね」
「お前が言うな! 馬鹿弟子が!」
俺の怒声を上書きしたのは、仲間の苦戦に駆けつける、二人目のスーツ男。
両腕に電撃を蓄えて、それをキズナに向けて放つ。
キズナは背後の気配だけで攻撃の接近を悟っているはずだ。それでもなお防御の壁を破壊されたスーツの男に高速接近、とどめを差しに行く。
苦し紛れに後退しようとする男の胸元めがけて、キズナは斬撃ではなく強烈な蹴りを放った。
かかとに鉄板を仕込んであるキズナのブーツだ。男の胸からは幾つもの骨が折れる鈍い音が響き、その音がキズナの歓喜を呼び覚ます。
黒スーツの胸にブーツの足形をつけられた男は、壁に激突して昏倒する。キズナはその男の生死には興味ないようで、男の胸を蹴ったのを踏み台に、反対側へ跳躍。
向かってくる電撃に保身もなく飛び込んでいく。
おい、距離を置くという考えはないのか。とことん危険を顧みない奴め。
空中で胸を反らし、電撃の叫びを耳元で聞く。
触れただけで身体が麻痺するか、神経が焼き切れそうなほどの威力。
高電圧の刃はキズナの身体に手を伸ばすが、キズナの勇気はそれすらもはねのける。針の穴に糸を通すようなぎりぎりの感覚で電撃の魔の手をすり抜け、驚愕に刮目する男に袈裟斬り浴びせる。
それはまさに断罪そのものだ。
男の身体に青い直線が刻まれる。男の身体は骨ごと切り裂かれ、時間差でスーツの間から大量の血が飛び出す。
口から大量の血液が吐き出されるのと、体内の五臓六腑がこぼれ出すのはほぼ同時だった。
「全く、馬鹿とは見ていて飽きの来ないものだな」
「うるさいわね……馬鹿って言った方が馬鹿なのよ」
俺たちは横たわる二人のスーツ男には見向きもしない。
武器を手にするということは、誰かを傷つけるということ。
生き死になどは日常茶飯事。
魔法を使うということは、誰かを傷つけること。
生き死になどは日常茶飯事。
武器を使い、魔法を使い、誰も傷つけずに済むなどという生やさしい考えは、持つだけ無駄だ。もしも、両方とも持っていて、そんな戯れ言を口にするのならば、それはよほどの偽善者であることだろう。
俺たちにそんな戯れ言は通用しないし、戯れ言を実行しようとも思わない。
【恩寵者】に生まれ、魔法使いに生きれば、どんな道を選ぼうと茨の道を歩くことになる。イリスとて例外ではない。【恩寵者】であることが分かった瞬間、その身を狙われることになった。
人より優れたものを持つことは、人よりも多くのリスクを背負うことと同義なのだ。
【恩寵者】はそれだけの魔力量と、素質を持っている。
「馬鹿と言った方が馬鹿だと? ……俺は馬鹿とは言っていないぞ。俺が言ったのは馬鹿弟子だ。馬鹿と弟子はセット。いわば馬鹿弟子という固有名詞なのだ。お前はバカラというトランプ遊びに対しても、『はい、今、馬鹿って言ったっ!』……などと指摘するのか? それこそ馬鹿だ。だから、私は馬鹿とは言っていないのだ」
「何言ってるかわかんないわ」
「ああ、そうだ……やはりお前の言うとおりだ。馬鹿と言った方が馬鹿だったよ。お前に論理的な思考をさせようとした俺が馬鹿だったのだ。だが、そんな弟子に頭を痛める俺も何かと絵になる。苦労人とでも言うべきが。世界の同情を誘う」
男の胸元を切り裂いた【鶺鴒】に血が付いていた。
起動し続ける【鶺鴒】の魔力熱によって、じゅうと蒸発していく。
血が蒸発する悪臭が鼻を突き、俺は思わずむせてしまう。
「……痛い男」
「偉大な男だっ!」
悪臭にめげずに、俺はがなり立てる。
「ナルシストーカー?」
「余計なものをプラスするんじゃないっ!」
キズナと俺たちの奇妙なやりとりに、眉をしかめる残り二人のスーツ男。
俺はポケットの中だから、奴等からは見えない。とするとキズナが独り言を言っているように見える訳か。確かにそれは気味が悪いだろうな。
キズナは俺との会話の中で表情を憤怒に染めたり、喜色に染めたりする感情豊かな奴だ。戦いに駆られた狂戦士ならともかく、これはやりにくいだろう。
一方で、俺とキズナにはスタンダードで、これがないと逆に物足りなささえ感じる。
ああ……そういう意味では、キズナも狂戦士にカテゴライズされるのかもな。哀れ、キズナ。
「……なるほどな。よく分かった」
俺がキズナに合掌していると、スーツ男の一人が悟り顔でうなずく。
「確かに、報告通りってわけだな」
残り二人のスーツの男が何かを確認し合っていた。
殺された仲間のことなど俺たち同様気になどしていない。
敵は仲間などではなく、傭兵の類なのだろう。とすれば、ペランとか言う奴の傭兵なのだろうか。
……いや、今はそんなことは二の次か。
さて、どうするキズナ。奴等はお前の弱点に気がついたようだぞ。見当違いであってくれれば、今後の展開が楽なのだが……すがるだけ無駄な希望か。
「魔法の使えない【恩寵者】」
男はその言葉を口にすると、確信したような笑みを浮かべた。
やはり、気がつかないわけがないか……。
お前がわざわざ危険な橋を渡るからだ。
魔法使いとは臆病な生き物。もともと魔法は、命のやりとりから離れた後方支援を主体として進化してきた。そんな魔法という技術が、単詠唱魔法の確立と共に、急に戦闘の最前線に顔を出すようになって、まだ十年にも満たない。
つまり、近接戦闘に不慣れなものが多いことを意味する。一朝一夕では得られない戦闘技術を一流の戦士の域まで高めつつ、魔法も同等の腕にある……そんな二匹のウサギを追える天才的な才能の持主はまだ数少ない。
よって大概の魔法使いは、近接戦闘中、紙一重の回避になるぐらいならば、極力魔法での防御に頼る。最初に蹴り倒した魔法使いがまさにそれだった。
それをキズナは、大胆にも魔法でカバーせず突っ込んで行った……推論を導くには容易いな。
そして、奴等の言った報告……どうやら昼間の奴等は生きていて、アジトに逃げ帰り、そのまま情報を共有されてしまったらしい。
まったく……身から出たさびだ、馬鹿者が。
お前が訓練所の兵士なら反省房行き確定、国営に関する情報漏洩は懲戒免職、それぐらお前は短慮だと言うことだ、キズナ。
「勘違いするんじゃないわよ! 魔法は使えるわよ! ………………詠唱魔法だけど」
この上自ら恥を重ねるとは。もはや、苦笑いを通り越して失笑ものだ。
「だからどうしたって言うの?」
【鶺鴒】の切っ先をスーツ男に向けて、口角から泡を飛ばす。キズナの怒りに従うように、右腕を覆いながら燃える文字列が激しさを増す。
「所詮は単詠唱魔法を使えるだけが能の三流魔法使い……私がまとめて地獄に送ってあげるわ!」
「……だとしたら、単詠唱魔法を使えないお前は四流になるわけだが」
墓穴を掘るな、墓穴を。