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プロローグ

 俺は、お前に何もしてやれていないのかもいれない。

 俺は、本当に、本当に駄目で、矮小で、哀れで、どうしようもない存在なのかもしれない。救いがたい存在なのかも知れない。

 ……どうか許して欲しい。いや、許さなくてもいい。きっと許されるはずなどないのだから。

 そう、俺は馬鹿だ。大馬鹿なのだ。愚か者なのだ。

 でも……でも俺は――



「――そんな自分が好きなんだっ!」



「いきなり言ってんのよっ! 気持ち悪っ!」


 路地裏に、まるで変態人間でも見つけたかのように叫ぶ。


「気持ち悪いとはなんだ、偉大なる師匠に向かって」


「偉大? 痛いの間違いなんじゃないの? 痛い師匠リニオ・カーティス……くくっ、我れながら傑作ね。二つ名にでもしたらいいんじゃない?」


 栗色の髪の毛を頭の左右に結わえる少女は、何がそんなに楽しいのか、俺を見てニヤニヤと笑みを浮かべている。


 ……馬鹿め、それで一本取ったつもりか?


「ふん、黙れ。じゃじゃ馬慣らしとはよく言ったものだな。いいか? 俺はお前という――キズナ・タカナシという馬鹿弟子を取り巻く森羅万象に対して、深く深く謝罪をしていたのだ。そして、そんな弟子をいつまでも、馬鹿で、愚かで、哀れなまま放置してしまい、挙げ句の果てはしつけられないでいる俺自身のふがいなさを叫んでいたのだ。……だが、そんな憂う俺自身もまた何かと絵になるもので、ついつい感慨にふけってしまった。涙なんか浮かべたら、それはそれは神々しいだろうよ。古来から水と色男の関係というのは――」


「確かに、一理あるわね。リニオは水を得た魚のようにべらべらと良くしゃべるから」


 鼻で笑いながら話の腰を折る。これから俺のすばらしさを語ろうって時に、お前は無粋な奴だな、キズナ。


「おい、馬鹿弟子。お前は、水もしたたるいい男、という言葉を知らんのか」


「妄想、妄言は、この際水だけに、水に流してあげるわよ」


「ふん、上手いことを言ったつもりだろうが――」


「ところで」


「流すなっ! 二つの意味で!」


 人も寄りつかない薄汚い路地裏で、それは起こっていた。

 馬鹿な弟子が困らないように会話のレベルを落としていることではない。

 目の前には黒いスーツ姿の男二人。

 内一人は壁に民間人を押しつけ、かつ腕を極めて拘束している。残りの一人は、両手にはめたレザーグローブに力を込めていた。レザーが絞られる耳障りな音を皮切りに、男の拳の周りを淡い光りが覆い始める。微細な文字列がレザーグローブの周りを発光しながら取り巻き始める。文字列はあっと言う間に周回速度を増し、男はそれごと打ち出すように拳を振り抜いた。

 それは、この世界に住まうものならば誰もが目にすることの出来る、普遍的な力の形……魔力。

 それを解き放つ行使としての形を、人は口をそろえてこう呼んだ。


 ――魔法。


「問答無用らしいわね」


 打ち出された魔力が、俺たちを押しつぶそうと路地裏を駆けめぐる。その魔力をまとった空気は、まさに巨大な波の衝撃。

 空気が路地裏に落ちるゴミを巻き込んで渦を巻く。青いポリバケツが倒れ、ゴミが散乱し、魚の骨が俺の顔をかすめていく。波は外壁にひびを走らせながら、俺たちに急接近。

 ふむ……なかなかの魔力量、敵はそれなりの訓練を受けていると見た。


「おい、キズナ」


 キズナを見る。


「分かってるわ」


 うなずき、戦闘に集中しようとするキズナ。


「慣れないことをするな、逆に笑える。それより……見ろ、ごみが散乱している。これはあとで掃除する人間が大変――」


「潰すわよ」


 町の美化を危惧する俺に、まるでげんこつでも落とすかのような怖い声が振り下ろされる。

 直後、左右二つに結った髪の毛を振り乱して、壁を蹴りつけて舞い上がるキズナ。軽やかに、そして、しなやかな身のこなしで路地裏に奔騰した魔力の波動をやり過ごす。栗色の長い髪の毛が、舞い上がるキズナに従いながら美しい流線を描いた。


「ところで、キズナ。潰すって何をだ? 男には潰されて困るものがいくつかあるんだがな。たとえばメンツとか」


「片方ぐらい無くなっても、機能的に問題ないわ」


 ……お、恐ろしい女!


 身体の一部分がきゅっと引き締まるような錯覚を感じる俺をよそに、衝撃波は舞い上がったキズナの視界の下を一過していった。三角飛びの要領で空中に身を投げ出したキズナは、黒いスーツの男にひじうちを落とすべく、さらに逆側の壁を蹴る。男は空中に身を投げ出している時点で、キズナの二手先をよんでいたようだ。

 余裕を持ったバックステップでキズナと距離をとると、重心を低くとり、キズナの着地際を狙う。

 それでなくても狭い路地裏だ。選択肢は限られる。

 男の予想通りならば、キズナに次はないだろう。

 だが、キズナとて素人ではない。そのぐらいはお見通しだ。


 ……お見通しだよな?


「おい、キズナ、ちゃんと分かっているんだろうな?」


 男のねらいを分かっている弟子思いの俺は、キズナに注意を促してやった。


「何を?」


 分かってないのか!?


「冗談よ、冗談」


「本当だろうな?」


「冗談よ、冗談」


 ……おい、冗談にしなくていいところまで冗談にするな。


 俺達の会話に、怪訝そう眉毛をたわめる男が見えた。

 それはそうだろう。命のやりとりをしているのにこんなお気楽な会話をされたらたまったものではない。

 ま、それも俺達には当たり前のことだ。逆にこの会話があることでまだ余裕があるという証明にもなる。


「……それはそうと」


 キズナ、着地態勢。

 男の拳に再度、魔力がみなぎる。

 おそらくはさっきと同等か、それ以上の魔法を放とうとしていること分かる。

 すでに魔法が言語となって男の拳の周りを覆っている。準備は万端と言うところか。


「――キズナ、力をかそうか?」


「ふん、こっちからお断り!」


 数瞬の間に、男が一言だけつぶやいた。それが魔法を発動するキーとなる。

 古来から、魔法は詠唱を必要とした。

 それは今でも変わらない。


 ……が、変わるものもある。


「古より胎動する風の精霊よ――」


 昔から、魔法を使用するには、精霊の力を借りるとか、契約するとか何とか、それなりの手順を踏まなければ体に宿る魔力を放出、あるいは具現化できなかった。

 例えるならば、そうだな……今まさにキズナが実演してくれるだろう。


「――我が盟約に従いその力を眼前にて示せ!」


 キズナ、着地。

 男はすでに魔法を放っている。

 一方、キズナはまだ詠唱をすませていない。

 路地裏を荒れ狂う熱波。空間ごと歪ませるような強力な魔力の放出。

 レンガ造りの壁がバラバラになり、竜巻に巻き込まれるように波動に吸収されていく。男はニヤリと口元をつり上げた。我が身の勝利を確信したのだろう。


 おいおい、キズナ、さすがに危ないんじゃないのか。


「風、変換、壁、顕現!」


 着地したままの態勢で、詠唱を終えるキズナ。

一メートルにまで迫った衝撃波が、キズナを呑み込んでいく。体内から具現化された魔力が、ぎりぎりのところで衝撃波から身を守っている。


 ……だが、いかんせん魔力の絶対量が違った。


 ぎりぎりまで余裕を持ってため込んだスーツ男の魔力と、キズナの急造魔力。勝敗は火を見るより明らかだった。

 ガラスが破れるような音を伴って、魔法の障壁が崩壊する。なすすべのないキズナの身体が、路地裏を吹き飛んでいった。

 キズナの小柄な体がレンガ造りの壁に跳ね返り、地面にどさりと落ちる。

 ふむ、どうやら先端を行く単詠唱魔法と、時代後れの詠唱魔法の差がはっきりと出てしまったようだな。俺はうつぶせに転がっているキズナと、勝利に浸る男の顔を交互に見比べながら、ため息をつく。理屈は、簡単なのだ。


 ――人類の科学が進歩するように、魔法も進化する。


 魔法だっていつまでも唱えるものであるはずがない。

 魔法は、詠唱すればその詠唱の文言でどんな魔法か相手に想像されてしまう。

 第一に、詠唱に時間がかかるようでは、魔法としては一流でも、武器として三流だ。


 覚悟しなさいよねっ! 私はこれから、アンタを剣で右横から斬りつけてやるんだからっ! じゃあ、きっかり二秒後に行くわよ!(当社比二倍表現)


 ……そんなことを言って敵に向かっていく人間がどこにいるだろうか。


 そんなことをするのは、よほどの馬鹿か、よほどの自信家か、今ここで転がっている不肖の弟子くらいのものだろう。キズナは前者にも後者にも当てはまっているから、それこそ手に負えないのだが。


 多少話はそれたが、魔法は、そういった詠唱と時間の二つのデメリットを背負っていた。それこそ時間をただただ無駄に費やすだけの歴史を重ねてきた。

 だが、近代魔法として大成された単詠唱魔法はそれらを同時に解消させてみせた。男がキズナの詠唱手段とは違い、魔法の詠唱をたった一言で済ませてしまったのにはそれなりの理由があるのだ。

 詠唱を脳内で行い、さらにそれをショートカットとしてある言葉に置き換えておくこと。


 例えるならば、逆引きの辞書の関係に近い。


 キヌゲネズミ科キヌゲネズミ類の総称。体長十五センチメートルほど。毛は絹毛状。顔が丸く、頬袋をもつ。背は明るい赤褐色。現在世界中で飼われているものは、すべて倭国で捕獲されたものから増殖された。実験動物、愛玩用。


 ……以上を一言で言うならば、ハムスター、である。


 つまりショートカットとは、魔法をいち早く発動するために、一連の詠唱を一つの言葉として取り決めてしまうことだ。言葉遊びに近いが、簡単に説明するのならば、今のが一番分かってもらえるように思う。


 魔法学に賢しい方なら、ここで一つの疑問が発生するはずだ。


 単詠唱と言うが、やはり最低限言葉を発しなければいけないじゃないか、と。

 実は現在……おっと、悠長に説明している場合ではないな。ご静聴ありがたいが、説明は追々していくとしよう。


「寝心地はどうだ?」


 キズナの顔をのぞき見ると、キズナが口に入った砂を吐き出しているところだった。おい、つばを吐きかけるな、汚いじゃないか。


「ふふ……最高よ。もう少し寝ていたいぐらい。ベッドはアスファルト、硬いし、冷たいし、何より口の中がしゃりしゃりするし。最高……ふふ、最高……」


 怒りに声が震えている。キズナ、強がると余計空しいぞ。


「おまけに生ゴミ臭いしな」


 キズナの前であからさまに鼻をつまんでやった。そんな俺の仕草にキズナは唇を噛む。キズナの悔しがる顔が俺の嗜虐心を呼び覚ます。


「おい、生ゴミ女、助けが欲しいか?」


「うるっさいわね!」


 歯ぎしりするキズナの叫びに先んじて、拳が飛んできた。俺は間一髪でそれを避ける。

 言葉より手が先か、なんと短絡的な。


「ふむ……分かった」


 俺は納得し、キズナの腰にぶら下がっているヒップバックにちらりと目をやる。


「じゃ、手をださない代わりにあとで例のものをくれ。俺はもうどうなっても知らんぞ」


 キズナの額に青筋が浮かぶのを見て、俺は引っ込む。触らぬ神……いや、馬鹿にたたりなし、だ。


 まぁ、キズナにその気がなければ、どうせ俺は手を出せないしな。


「分かってるわよ! アンタはそこで黙ってなさい!」


 どうやら感情がキズナの堪忍袋の緒を断ち切ってしまったようだ。

 こうなってはもう手が付けられない。

 キズナは身体の反動を利用して跳ね起きると、短すぎるミニスカートの裾を乱暴に払う。揺れるミニスカートからのぞくのは、キズナお気に入りの黒い下着。


 ……相変わらず黒が好きな奴だ。

 黒はもっと大人見た女性が着てこそ、色気が出るというのに。お前みたいなお子様は、水玉模様か、クマさんパッチが分相応というものだ。

 そもそも姿は女学生と変わらない制服姿……ま、対魔法用の特殊な繊維で編まれてはいるから、一概に制服とは言えないのだが。加え、胸は発展途上にしろ、成長限界にしろ、一見して分からないほどしかない。まるでイチゴののっていないショートケーキ。

 やはり胸は大きいに限る。大は小を兼ねるものだからな。


「……黙れと言ったはずだけど?」


「おっと、失礼」


 慌てて口にチャックする。いけない口だな、うん。


「あ〜……良い感じに、いらついてきたわ」


 膝に血がにじんでいるのを見たキズナは、より一層怒りのボルテージを上げていく。

 女のヒステリーは嫌いだ。何をしでかすか分からない。


「……制服、傷ついちゃった」


 だったら日頃から着るなよ、とは口が裂けても言えない。


「高いのに」


 オーダーメイドだからな。


「高いのに!」


 わざわざ二回言うほどのことか?


 ゾンビのようにゆらりゆらりとスーツ姿の男に近寄っていくキズナ。

 そのあまりの無防備さをやけっぱちと見たのか、男は残りの魔力を拳に収束させ、接近戦を挑んでくる。

 物理的な手段で、直接手を下そうという算段らしい。

 戦いぶりを少しだけ見た感じでは、男はなかなかの手練れだ。とどめをさそうとする行為にも手を抜いていない。

 敵が一人ならば、例え相手が何であろうと全力でしとめる。

 その気概がスーツ男に見て取れた。敵対するには嫌な傾向だ。

 男の足が魔力によって補助されている。加えて拳にも同等の魔力。足首と拳の周囲を輝く文字列が踊っている。


「加速、強打」


 聞こえた男のつぶやきは二つ。つまりは、単詠唱魔法を同時に二つ。

 やはり、手を抜いている様子はない。


「……クリーニング代、高くつくわよ」


 対するキズナのつぶやきは、男の耳には入らなかったであろう。

 地面を蹴る直前に、魔力が男のスピードをアシストした。魔力を風に変換したらしい。男の靴の裏から吹き上がるように風が吹いたかと思うと、急接近してくる。男の蹴った地面はくぼみ、いびつな靴跡を残す。一呼吸の間もおかずにキズナの目の前まで切迫。

 男は魔力の込められた必殺の拳を振り抜く。

 キズナは避けることが出来ずに、拳は顔面を直撃。


 キズナは脳天を砕かれて即死する。

 排除完了。


 ……それが男の描いたシナリオだろう。

 だが、残念ながらシナリオは編集長によって却下される。

 編集長はもちろん。


「残念でした」


 キズナ。馬鹿だが、一応自慢の弟子だ。


「私の相手じゃなかったみたい」


 男は目を見開いた。

 確かに殴りつけたはずのキズナの顔面。

 しかし、キズナはそこにはおらず、男はキズナに耳元でささやかれる。

 男の背には戦慄が駆け抜けたはずだ。

 敵として認識していたはずの女が、一度は下したと思えた弱者が、絶対的な捕食者へと変貌したのだから。

 男は恐怖を振り払うようにキズナに裏拳を見舞う。

 風の魔力まとった強力な裏拳。

 触れればコンクリートの難なく破壊することのできる鉄の拳。

 だが、キズナはそれを容易に受け止めた。魔力をまとわないキズナの手のひらは、渦巻く魔力に削り取られて裂傷を負っている。


 痛みさえも忘れたか、キズナよ。

 ……いかんな、アドレナリンがあふれ出しているぞ。


 もはや男は化け物でも見るような体だ。

 キズナはそんな男を一撃のもとに葬り去る。

 キレると強くなるというのは普段おとなしいヤツに適用される語句だと思っていたが。

 いやはや、天然というか、不器用というか。

 体中に魔力をみなぎらせて、常人にはとらえられない速度にまで加速をかけている。青白く輝く文字列と化した魔力が、縦横無尽にキズナの周囲を駆けめぐり、キズナの動きに遅れてキズナを追随する。

 普段からこんな風に魔力をコントロールできると痛い目を見ないですむのに、とは口が裂けても言えない。


 間違っても、ヘタレとは言わないで欲しい。


 キズナの掌底をうけた男は、レンガの壁を突き抜けていく。

 さらにはレンガの先にあった壁を一枚つきぬけ、冷蔵庫にぶつかってようやく止まる。

 中にいたおばさんが、冷蔵庫から取り出した牛肉を握りしめた態勢で目を丸くしていた。今までそこにあったはずの食物満載の冷蔵庫は横倒しになり、それを抱きしめて男が失神している。


 ……ああ、叫ぶな、きっと。


 俺の予想通り、我に返ったおばさんの悲鳴が路地裏にまでとどろいた。

 悲鳴は耳をつんざくばかりだ。腹の底からの叫びを上げたおばさんが、牛肉を放り出して逃げ出す。

 俺の方に弧を描いて飛んでくる牛肉。

 おお! 見目麗しき高級肉ではないか。美味しそうだ。

 キズナ、キャッチしてくれ。地面に落ちる前に!

 願いも空しく、キズナは牛肉を無視して、残りの男に突進していく。


 ――ぎゅ、牛肉が!


 思いっきり手を延ばすが、すんでのところで届かない。

 ふわりと舞った牛肉。

 スローモーション。

 伸ばす俺の手。


 訪れたのは……悲劇。


 高級牛肉は、俺の悲しみの涙とともに路地裏の汚れた地面にぽとりと落ちていた。

 俺がこらえきれない涙とともに牛肉の哀悼を祈っているうちに、勝敗は決する。

 男の単詠唱魔法よりも早く、キズナは懐に潜り込んでいた。


「馬鹿な! 早すぎ――るうっ!」


 それが男の最後の言葉となった。語尾が悲鳴とが混ざり合い、高速で路地裏を滑っていく。

 牛肉を失った悲しみ。涙でかすむ視界で見れば、男がゴミにまみれて転がっていた。生ゴミや破れたストッキングを頭に乗せて、だらしなく気を失っている。

 時間差で落ちてきたポリバケツのふたが、男の顔を覆い隠す。

 まるで臨終の白いハンカチ。

 どうやら片は付いたようだな。

 キズナは大きく息を吐く。体の周りを周回していた魔力の文字列が、息とともに空気中に霧散していった。それに伴い、怒りもどこかへ飛んでいったようだ。

 いや、殴り飛ばしてストレス発散といったところか。まったく、単純な奴だ。

 直後、キズナは尻餅をついてぐったりとしてしまう。


「【鶺鴒せきれい】を使わずに撃退したことは褒めてやろう」


「ありがと、素直に受け取っておくわ」


「それよりも、だ」


 声色の変わった俺の声に、キズナの顔がとたんに渋面になる。


「時代後れの時間を要する詠唱魔法。ノーモーションから放てる単詠唱魔法。両者とも威力は同じ。この二つから選べと言うなら、俺は後者を選ぶぞ」


「分かってる、分かってるわよ。もうそのセリフは聞き飽きたわ」


「分かっていてしないのは、愚の骨頂だ」


「…………できないんだからしょうがないじゃない」


 唇を尖らせて抗議してくる。


「もっとよく練習しないからだ。そもそもキズナはいつも――」


「あ〜はいはい。そだ、リニオ。例のものよ」


 キズナがヒップバックに手を突っ込む。迷い無く例のものを一つかみし、無造作に放り投げた。


「ふおおおおおおおっ! ひまわりの種! ひまわりの種ええええぇっ!」


 きらきらと輝く宝石のような種。

 俺は狂ったように飛び出し、空中で見事に種をキャッチする。

 素早く着地すると、落ちてくる残りの種を両手と口で次々にキャッチしていく。

 見事、全てを確保し、十点満点の試技。スポットライトを浴びたなら、拍手喝采だろうな。思わずダンディズム溢れるポーズを決めてしまう格好良い俺。


「ふっ……師匠といえど所詮はリニオ。気をそらすのなんて造作もないわね」


 キズナがいやらしい笑みを浮かべていた。

 くっ……師匠を見下すような目は、非常に許し難い。

 しかし、ま、今回はひまわりの種に免じて許してやるとしよう。

 本当に心が広いな、俺は。


「はぁはぁ……なんていやらしいラインなんだ、お前は……そうやっていつも俺の心を興奮させる……はぁはぁ……ここか? ここがええのんか?」


 食べてしまいたくなる衝動を抑えて、ひまわりの種を愛撫する。

 ストイックな俺。ひまわりの種を愛でるなんて、罪な男だぜ俺は。


 ……二度目になるが、ここでも言わせてくれ。


「――俺は、そんな自分が大好きなんだっ!」


「大変態、気持ち悪い」


 毎度失礼だぞ、キズナ。


 あ……ちなみに、俺か? 

 キズナの胸ポケットにいた世界一かわいい愛玩動物。


 ひまわりの種を優しく愛撫するハムスター、それが俺だ。


 何か色々と大事なことを忘れている気がしないでもないが、そのうち思い出すだろう。それよりも、今はひまわりの種を愛でてやることが先決だ。


 言い忘れていたが……俺は雑食である。


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