第二章 無限の虚無編 六話 ~コインの裏表~
「兄様!……お願い、行かない、で、兄様!!」
辺りが闇に包まれ始め、薄く輝く廊下の灯りの中、真白は叫ぶ。
※※※※
神力を開花してからの七年。
丁度七歳になった真白は、思わぬ出来事に呆然と息を呑んだ。
離れていく兄に手を伸ばし、けど、それでも、遠ざかる兄を停められず嘆いた。
無力だ。
光の神力を受け継いぎ、兄、黒夜は、闇の神力を受け継いだ。
故に、離れなければならなかった。
白崎組と黒崎組に別れる一族だからこそ、干渉することは許されない。
だから兄に嫌われても仕方ない、憎まれても、恨まれても、全て仕方ないことなのだ。
兄に全てを奪った真白は、恨まれても仕方ない。
声が届く筈もない。
眼を合わせることさえ叶わない。
掟による規制だとと無理矢理思い込んだ。
その方が少しばかり気が楽になるから。
同時に真白に取っても重い罰となった。
赦しを得たい訳ではない、むしろ恨まれるのが同然とさえ思って。
真白は、真白の役目を、黒夜は、黒夜の役目を果たし、すれ違う日々を送っていた――
※※※※
目の前に離れていく兄に対して思う。
今は違う、と。
皆に出会えてから、いや、皆に出会ったから、変われた。
だから、今は違う!!
「……待っ、て……」
今なら、何とかできるかもしれない、という思いに、掠れるような声で黒夜を呼び止めた。
トン、と広く響く足踏みをする音を立てながら黒夜は低い声で呟いた。
「どうした?」
冷酷な声、以前の兄から想像もできない程に。
心を失ったような光無き眼を見て、真白が感じたのは――【恐怖】
彼の黒い眼の奥を覗くも何も見られず。
反射なんぞ存在しないかのように。
今でも尚以前と変わらず怖がっていた。
けど、唯一昔と違うのは、真白自身が知らずに付けた勇気だ。
後ずさることも、身体を震わすこともせず、真っ直ぐ、眼を逸らさず、兄の黒い眼を直視した。
「兄様、待ってください!!」
今度こそはっきりと、途切れることなく言い切り、黒夜は、眼を丸くする。
あの臆病でいつも後ろに下がっていた真白が自分に対して強気で発言する。
この日を迎えることができるかとさえ思えるシチュエーションに感動すら覚える中、黒夜は、本の一瞬の驚きを見せるだけで、普段の表情に戻った。
「何故、呼び止めるのですか、真白様?」
真白様、以前は、普通に呼び合っていた、兄妹だったが、その時は、違った。
白崎組が上位に当たり、黒崎組は事実上下位だ。
様付けをしないことは、白崎一族に対する敵対でもあったからだ。
故に、兄妹関係が粉々に打ち砕かれた。
掟だから仕方がない。
そう諦めかけていた真白に勇気を与えてくれた人が灯火流の一言だった。
『俺がなんとかして見せる』
強気で、確信がないにもかかわらず、何を根拠にその発言を行ったのかは今になっては、いや、その時ですら定かではない。
――そう、つまりはこうだ。
「兄様、以前とは、違うのですか?私達は、もう一緒には、いられないのですか?」
涙目で、それでも精一杯の声で叫ぶ真白に黒夜はゆっくりと振り返る。
「ああ、もう戻れない。俺とお前では、もう――住んでいる世界が違う。コインの黒崎組と白崎組なんです……」
冷徹な視線のまま、けど声には、一瞬の迷いを感じ取れなくもない声を響かせながら再度振り返り、歩み続けた。
遠くへ遠くへと、真白に背を向け、去っていった――が――
「私は、それでも、兄様とまた、一緒、に……昔の、ように……なれると、信じて、ます!!」
最後の真白の言葉が黒夜の驚愕を誘った。
「なら、それを、証明して見せて下さい」
「……どうしたら……?」
「俺と戦って勝って見せろ!!」
気迫溢れる気配を放ち、一瞬真白を怯ませた。
命令口調の黒夜は、恐ろしい程に怖かった。
真白は、一歩後ずさって、内心叫ぶように唸った。
――どうして?
他の方法は、存在しないのか、戦うしかないのか、と苦し紛れに心を痛める。
光と闇、相互関係でありながら、互いに干渉することは叶わない。
まるで黒夜が言うコインの表裏のようだ。
傍にいながら、互いに見ることも触れることもできない、そんな関係にいつの間にか成っていた。
真白は、眼を瞑り、熟考した。
その結果が皮肉にも黒夜が先に言った言葉、戦うことに辿りついた。
「――本当に、他の道は、ないのですね……」
口にすることがこれ程までに苦しい、と初めて実感する。
そして、一滴の涙が頬を伝って滴った……