ハル遠からじ (6)
魔法使いさんに会ったと言ったら、フユとフミカ先輩が揃って「ずるい」を連呼してきた。そんなことを言われましても、向こうから訪ねて来たのであって、ヒナにはどうしようもないのです。フユもフミカ先輩も、あの人には強い思い入れがあるみたいだ。まあ、また機会はあるんじゃないかな。そんな気がするよ。
最近、フミカ先輩は毎日のように学校に来てくれている。フユに、魔法使いさんから教わったおまじないを伝えるためだ。術自体はカマンタに聞けば判るだろうが、それをどのように応用するのかは、魔法使いさんの知恵だ。手元にあるナイフを、人を刺すこと以外に使う方法について。道具が人を生かすか殺すかは、その使い方次第。
フユはとても興奮していた。銀の鍵の力を、誰かを助けるために使えるかもしれない。
「私は、カマンタと離れられないからね。銀の鍵の力を、なるべく良いことに使いたいんだ」
契約が暴走した銀の鍵を手放すには、鍵が叶えられなかった願いを自分の力で達成する必要がある。フユの願いは自己の消滅。フユが生きている限り、銀の鍵とカマンタはフユの手元に残される。
「少し前なら、いつでもこの世界からいなくなってしまえば良いって、そう思ってた」
フユは自分の胸元に掌を乗せた。そこには、大きな傷跡がある。他にも、大小無数の傷の名残が、フユの身体には刻まれている。フユという人間が、苦しみと悲しみを背負ってきた歴史。
「今は違うよ。私はここにいたい。フユとして。この傷痕も含めた全部。フユという一人の人間として、ここにいたい」
魔法使いさんに命を助けられて、人の善意に触れて。フユは大きく変わったという。誰かのために生きる。誰かに必要とされる。学校でヒナや、他の友人たちと触れ合って、フユはそういった世界の優しさを知ることが出来た。
「私は、恩返ししたいんだ。私のことを助けてくれたみんなに、世界の優しさを伝えることで」
そもそもフユは、からっぽな自分自身のためでは無く、誰か他の人のためになることをしたい、なんて言っている子だった。やり過ぎない程度に頑張ってくれれば良い。きっと魔法使いさんも喜ぶことだろう。
フユとフミカ先輩は、毎日放課後の図書室で語り合っていた。ヒナは部活があるので全部に参加することは出来なかったが、必要なら後でフユに教えてもらえば良い。大きな目標が出来たからか、フユはとても楽しそうだった。
フユは、一生銀の鍵と付き合っていくしかない。だから、最初からそういう覚悟が出来ている。
では、ヒナはどうだろうか。ヒナの願いは、今、叶いつつある。多分あと数年もすれば自然に叶うんじゃないか、というところまで来た。嬉しいことだ。銀の鍵なんて、神様の力なんか無くたって、ヒナはちゃんとハルと愛し合える。夢を実現出来る。
そうなれば、銀の鍵はどうなるのだろう。気になったので、ナシュトに訊いてみた。
「その瞬間から、契約が破棄可能になる。いきなり鍵が消えるわけではない」
「じゃあ、そのまま持ち続けてたら、どうなるの?」
「残り続ける。もしヒナ、お前がそれを望むなら、だ」
なるほど、そこは都合よく出来ているんだね。捨てるも使うもヒナ次第。いつでも手放せるという安心感を得られるのは良いことだ。まずはそこからだな。
「持ち続けるつもりか?」
「さぁ?」
そんなの、その時になってみないと判らない。ここで、「捨てる」と即答しなくなったなんて、ヒナも随分変わったものだ。苦しみしか生み出さなかった銀の鍵だけど。
もし、ヒナが銀の鍵を手放したとして。この鍵は、今度は何処かの欲望と悪意に塗れた誰かの下に行くかもしれない。
それならば、少なくとも今はヒナが持ち続けているべきだろう。頭のおかしい誰かさんに、こんな危険なものを譲るわけにはいかない。
大丈夫、ヒナが間違えた時には、止めてくれる人がいっぱいいる。今は、色んな人がヒナのことを支えてくれている。そう考えることが出来るんだから、実に気楽なものだ。
フユもいる。フミカ先輩もいる。土地神様もいる。トラジもいる。魔法使いさんもいる。この一年で、ヒナは沢山の絆を手に入れた。誰にも言えなかった悩みを、分かち合える仲間たちだ。
ヒナには友達がいる。サユリ、サキ、チサト、ユマ。そして、大好きなハルがいる。みんなが幸せであってほしい。ハルと一緒に、光の溢れる世界で生きていきたい。
そのために、ヒナにも、出来ることがある。ううん。
ヒナにしか、出来ないことがあるんだ。
卒業式が近付いて来て、学校の中は少しだけ慌ただしくなった。とは言っても、一年生にとっては一部を除いてそれほど関係は無い感じ。吹奏楽部のチサトは、演奏の練習でてんてこ舞い。ヒナなんかは、水泳部の先輩に渡すコサージュ作りのお手伝い程度。部活をしていないフユは、相変わらず図書室でフミカ先輩とおまじないの勉強をしている。
「そういえばホワイトデーって、三倍返しなんだよね?」
お昼のお弁当の時間、フユがまた何処から仕入れてきたのか、愉快なことを言い出した。
「まあ、そういう説もあるな」
じゃがいも1号、お前しっかりとフユからチョコを貰っておきながら、そういう言い方は無いだろう。すっとぼけやがって。そんなんだからじゃがいもなんだ。
「義理なら尚更お返ししないとね。失礼ってものでしょう」
サユリがじろり、と男子ィを睨みつける。いいぞ、もっと言ってやれ。
「んでもさ、因幡から貰ったチョコって手作りだろ?お値段の付けようがないというか」
お前、本気で汚いな。適当に買ったもので済ませようとしているのがバレバレだ。散々クレクレ言っておいて、いざあげてみたらこれだよ。渡し甲斐が無いというか、そりゃモテないわアンタ。
「確かに金額では表しにくいよね」
じゃがいも2号までそんなことを口にする。もう知らん。フユ、こいつらには二度とチョコをあげるな。クラスの切れ目が縁の切れ目だ。二年生になって別クラスになったら、完全に他人のふりだ。っていうか他人だ。見知らぬ男子ィだ。
「手作りに対するお返しは、やっぱり手作りよねー」
ユマが、にやりと笑った。あ、その顔知ってる。ハルのお母さんが良くやる奴だ。
「今日、丁度調理実習室が使えるのよ」
いもたちの顔が、さぁっと青くなった。ほっほう。そうですよね。手作りにお値段が付けられないなら、お返しもお値段の付けられない手作りであるべきですよねぇ?
「いや、俺たちはそんな・・・」
「クッキー作るの?」
フユが目をキラキラと輝かせて身を乗り出してきた。いいぞ、フユ。ナイス食いつき。
確かちょっと前にヒナがフユの家に遊びに行って、一緒にクッキーを焼いたんだよね。思ったよりも簡単だって言って、大喜びで二人で食べたんだっけ。多分その時のことを思い出したんだ。
「いいなぁ。みんなで焼いたクッキーが貰えたら、とっても幸せになりそう」
はい、いもたちグゥの音も出ず。これは決定だね。今日は部活お休みして、急きょおよめさんクラブに参加してきなさい。
そこで他人事みたいな顔しているハル。ハルも参加だからね。
「えっ?俺も?」
当たり前でしょう?ハル、フユからチョコ貰ったじゃない。鼻の下伸ばしてデレデレしてたじゃない。貰った物にはちゃんとお返ししましょう?ヒナは、そういうところがしっかりしている彼氏が良いな。
「ヒナ、なんか怒ってない?」
怒ってないです。フユにしっかりと、『義理チョコ』のお返しをしてくださいって言ってるんです。過不足なくね。
「ごめんね朝倉君。それでチャラってことにしておこうよ。ヒナのためにもね」
楽しそうだな、フユ。まあ確かに、男四人がフユのためにクッキーを焼くって、それはなかなか愉快だとは思う。
ん、じゃがいも2号、早速携帯でクッキーの作り方とか調べ始めてんのか。なんだ、結構やる気じゃないか。感心感心。他の三人も、いい加減覚悟決めな。ここにいる女子全員で試食してやるから。
「楽しみだねー」
フユ、先に言っておくけどね。
男子ィにまともなお菓子作りなんて、期待しちゃダメだからね。
放課後、調理実習室には情けない顔をした男子ィ四人が整列していた。んー、なんだぁ、元気が無いなぁ。気合入れていこうじゃないか。
クッキーの材料なんて、調理実習室には一揃えある。バターも卵も、およめさんクラブが提供してくれたよ。ココアパウダーもあるし、張り切って二色使っていただきましょう。普通に二種類?マーブル?チェック?いいよー、バッチこーい。あ、クラッシュナッツもあるね。およめさんクラブ、便利いいな。ヒナもちょっと作りたくなってきちゃった。
なんだか知らないうちにフミカ先輩まで来ていたので、女子総勢七人の視線が注がれている。男子ィたちは、携帯の画面と家庭科の教科書を睨んだまま、石のように固まっていた。こらー、そんなことしててもクッキー生地は出来ないぞぉ。
結局見かねて手助け有りになってしまった。まあ、作るからには食べられるものが出て来てほしいじゃん。バターとか高いんだよね。無駄にはしたくない。チョコ作る時だって楽じゃ無かったんだよ、ってところを解ってもらえれば良かったんだけど。
えーっと、ハル、この粉はふるいにかけましたか?「え?どうせ粉だろ?」ううう、判ってはいたよ。いたつもりだったよ。でも、流石のハルもそこまで万能では無かったのかって。いいよ、家事はちゃんとヒナが担当します。お世話させてくださいね。
じゃがいも1号、それ、ちゃんと量測った?「あー、大体このぐらいだろ」いやいや、計量命だからね?お菓子の場合、ちょっとした分量の間違いが致命傷になるからね?つーかバター無駄遣いすんな。殴るぞ。
じゃがいも2号、ベーキングパウダーそんなに入れちゃダメ。入れれば膨らむってもんじゃないから。「別に平気じゃないの?」ダイレクトに味にくるんだよ。激マズになるぞ。それ人に食わせんなよ?もう本末転倒だ。
さといも、表面に卵黄塗るんだ。「え?教科書に書いてあったから」うん、書いてあるね。なんというか、そういうのすっごい懐かしいや。悪くは無いよ。うん、良いんじゃないかな。ははは、卵もったいねぇ。
チョコレート作りの比ではない大パニックだった。確かに普段からキッチンになんて立たないだろうし。ましてやお菓子作りなんか知識も興味も無いだろう。しかし、それにしても、だ。
「情けない子たちだなぁ」
フミカ先輩にまでそう評されてしまった。見ているとイライラして来たので、女子は女子でそれぞれクッキーを作ることにした。おお、フミカ先輩すごい、こういうの得意なんですね。
みんなフラストレーションが溜まっていた結果か、やたらと気合の入ったクッキーが大量に出来上がってしまった。その横に、男子ィたちの作った残骸、じゃなくて男クッキーが並ぶ。ははは、焼いた小麦粉とバターの混ぜ物。材料が超もったいない。
「なんかもう見た目からしてヤバくねぇ?」
それを作ったのは自分たちだという自覚を持ってくれよ。食べる産業廃棄物だ。仕方無いからここにいる全員で胃袋に収めるからな。不味くても文句言うなよ。
「わー、まずーい」
フユがすごく楽しそうだ。一つ食べてはまずい。もう一つつまんではまずい。ホントに何でも楽しいんだね。ヒナはもう、これでどれだけのバターと卵と小麦粉が犠牲になったのかって、それを考えたら目が回りそうだよ。
「生クリームとかチョコソースとか付けて、味を誤魔化した方が良いかもね」
サキがもう全てを諦めたかのようなアイデアを口にする。うん、まあ、味はそれでも良いかな。それはそれとしてさ、あそこに塊があるでしょ?あれゲンコツ煎餅よりも硬いよ?どうしよっか?牛乳で煮てみる?オートミールみたいになりそう。
「クッキーとスコーンの中間みたいな感じだね」
チサトの評価がある意味一番厳しい。うん、クッキーじゃないなコレは。なんかもっと禍々しい何かだ。口の中がざりざりする。
「これがお金に換算出来ない気持ちか。まあ確かにこれでお金取ったらマズイよね」
サユリが綺麗にオチを付けてくれた。これはお金を出して、引き取ってもらわないといけないレベルだよね。ううう、こんなの食べちゃって、明日お腹痛くならないかな。フミカ先輩、胃腸に効くおまじないってあります?ハルも無理しないでよ?
ハルの様子を窺うと、ハルは物凄く複雑な表情でヒナの顔を凝視していた。ん?どうかした?
「ヒナ、今までゴメン」
突然ハルに頭を下げられた。ヒナだけじゃなくて、その場にいる全員がビックリだ。ハル、ホントにどうしたの?変なもの食べた?あ、食べたか。ゲーする?ゲー。
「今まで、ヒナの作ったお菓子とか、なんかひょいひょい食べてた。こんなに大変だとは知らなかった」
あはは、なんだそういうことか。気にしないで。好きでやってることなんだから。
ハルのためなら、お安いご用ですよ。いつも残さず食べてくれるハルに、ヒナはむしろお礼を言いたいくらいです。おいしく食べてくれるなら、それで十分なんですよ。
「朝倉君は、ヒナの愛をもっと良く知った方が良いよねー」
もっしゃもっしゃとクッキーを口いっぱいに頬張りながら、フユがハルに何かを差し出した。ハート形の、小さなクッキー。ヒナが作った奴だ。
「この小さなハート一つにも、ヒナはちゃんと気持ちを込めてるんだよ?」
ま、まあ確かにそうなんだけどさ。そうはっきりと目の前で言われちゃうと恥ずかしいな。
ハルはハートのクッキーを受け取ると、まじまじと見つめた。んーと、今日はみんなとわいわいやってたし、そこまで気合入ってないんだ。最初からハルにあげるつもりなら、もうちょっと完成度あげるかな。
でも、おいしく食べてほしいって気持ちは入ってる。それは常に入れてる。ヒナちゃん特製だからね。食べる人に喜んでほしい。それがハルなら、尚更。
「ヒナ、ありがとう」
「どういたしまして」
大好きなハルにそう思ってもらえれば、ヒナはとても幸せですよ。
さて、ヒナとハルのラブラブ劇はこのくらいにして。フユはちゃんと満足した?もうおいしいとかマズイとか関係ないよね。
「うん、ちゃんと気持ちは入ってたと思うよ」
なら良かった。男子ィお疲れ。手作りには手作り。もし次に手作りチョコを貰うようなことがあれば、今度はもっとマシなお返しが出来るようになっておくんだよ。
「いや、手作りはもう懲り懲りだ」
何言ってんの。本命の手作り貰えるように頑張れっつってんの。大事なのは気持ち。ハート。お菓子作りだけじゃなくて、何事にも気持ちを入れていきなさいってこと。
フユが男子ィにあげた手作りチョコには、義理であっても沢山の気持ちが入ってたんだよ。その重さ、しっかり受け止めなさい。これが本命だったら更に重いんだから。それが貰えるような、受け止められるような男になるんだよ。
「うはーい」
なんだ、気が抜けた返事だなぁ。フユはこれで良いの?
「わー、フミカ先輩のクッキー美味しい」
聞いてないし。
しかもフミカ先輩が作ったクッキー、ヒナも食べたいし。
もういい、今日は解散。流れで。
卒業式まであと一週間に迫ったある日、三年生の間に一つのニュースが流れた。入院していた生徒が無事回復し、卒業式までに退院出来る見込みだ、というものだ。
図書室でその知らせを聞いて、フミカ先輩は涙を流して崩れ落ちた。フユがその身体を抱き締めて、しきりに「良かったね」と声をかけていた。きっと、そこには単純な善意以上の何かがあったのだろう。
願い星は、みんなの願いを叶えてくれた。きっとフミカ先輩以外にも、喜びに打ち震えた人はいたはずだ。沢山の人に、夢と希望を与えてくれた。
ヒナも、自分のことのように嬉しかった。ヒナたちには力がある。誰かを助けることの出来る力。誰かを幸せに出来る力。世界を、善くすることの出来る力。
それが認められたって、そう感じられた。魔法使いさんの望む世界を、ヒナも目指してみたくなった。