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ハル遠からじ  作者: NES
5/7

ハル遠からじ (5)

 三月の陽射しが暖かい。季節は春になろうとしている。ヒナは今ぐらいの時期が一番好きだ。

 バレンタインがあって、ハルの誕生日があって、ホワイトデーがあって、ヒナの誕生日がある。イベントが目白押し。ハルの気持ちを感じられて、幸せになれる。

 今年は特にそうだ。晴れて彼氏彼女、恋人同士になって、お互いに好きって感情をさらけ出したまま、お祝い事を迎えられる。二月はヒナがハルに愛情を注ぐ月だったからね。今度はハルの番。楽しみにしている。


 土曜日、久し振りのデートだ。色々悩んだ結果、今日は花火大会の時にも来た国立公園を訪れることにした。本当はショッピングモールでお買い物、とかも良かったんだけどね。

 少し、静かな場所で心を落ち着けたいって思ったから。何しろ考えることが多すぎる。

 ハルは何処でも良いよって言ってくれた。いつもわがままばかりでごめんね。そんなヒナを許してくれるハルだから、ヒナは安心してハルのものでいられるよ。



 フミカ先輩におなじないを教えたのは、かつてフユを助けてくれた人だった。


 故郷も、家族も無い。名前さえも「寒い時期に産まれた」というだけで「フユ」と呼ばれていたフユ。フユの過去は、悲しみと痛みで満たされている。自分がそこにいる理由すら判らないまま、フユは銀の鍵を手にした。そして、苦しみからの解放、即ち自らの消滅を鍵に願った。銀の鍵は自己否定の願望を叶えることが出来ず、そのまま鍵の契約は暴走した。

 銀の鍵の力を使って、他人の心の中を覗き見て。その時、フユは初めて自身が普通ではない、哀れな存在であることを知らされた。自らの境遇を正しく理解した結果として。フユは、自らの存在そのものに対して、嫌悪感すら抱くようになってしまった。

 そんなフユには、銀の鍵の守護神であるカマンタがつき従った。カマンタはフユを生かし続けようと、献身的に尽くした。ナシュトとはえらい違いだ。だが、フユはカマンタに常々申し訳ないと思っていた。カマンタを、いつまでもフユのつまらない人生に付き合せたくはない。こんなフユと共にある理由など何処にもない。

 フユが鍵に願ったのは、自らの消滅。ならば、自分が消えてしまえば、カマンタはその責務から解放される。

 そう考えると、フユはためらうことなく橋から身を投げた。世界に未練なんて何も無かった。自分みたいなものが生きている意味なんて、何も無い。


 次にフユが気が付いた時、フユは病院のベッドの上にいた。重症のフユを救助してくれたのが、魔法使いを名乗るその人だった。

 その人はありとあらゆる伝手つてを頼り、フユが普通に生活していけるような手はずを整えてくれた。生活保護、支援団体。その人は人間の世界だけでなく、目に見えないものの世界にも精通しているようだった。フユを土地神様に紹介してくれたのも、その人だ。

 何故見ず知らずのフユのためにそこまでしてくれるのか、フユには判らなかった。フユには何も無い。生きている価値も、ここにいる意味も。それなのに、その人は持っている全てを投げ出してでも、フユに普通の人生を歩ませようとしてくれた。


 フユが自分の戸籍と、部屋と、生活を手に入れて。高校にまで行ける段取りになった時。その人はフユにお別れを告げてきた。フユのことが無ければ、もっと早くに発つつもりでいたらしい。どうしても気になって、フユは最後にその人に訊いてみた。どうしてここまでしてくれるのか。フユには何も無い。お礼も、何の見返りも提供出来ない。


「私は、世界が善意で出来ているって、あなたに見せてあげたかったの」


 そう言って笑ったその人の笑顔は、何よりも輝いていて、眩しかった。

 フユは、それを自分の大切な宝物であると語った。


 念のため、フユがフミカ先輩の記憶を確認した。間違いなく、フユを助けた魔法使いさんであるということだった。恐らく、フユがこの辺りで生活出来るようにと色々動いた後に、フミカ先輩に接触したのだろう。随分と行動的な人だ。


 フミカ先輩が魔法使いさんに出会ったのは、今から二ヶ月ほど前のことだった。街中で迷子を見つけて、一緒にお母さんを探していたら、そのまま二重遭難になってしまった。なんか普通に想像出来て可笑しい。困り果てて揃って半べそをかいていたところに、雉虎きじとらの猫が現れて、二人を導くようにして前に立って歩いた。

 猫の後をついていって二人が辿り着いた児童公園に、迷子のお母さんがいた。無事に発見出来てほっとしているフミカ先輩に、魔法使いさんが声をかけてきた、ということだった。


 魔法使いさんは、恐らく猫と会話が出来る。であれば、銀の鍵の力に近い。ひょっとするとトラジに聞いたら何か判るかもしれない。トラジは土地神様のところにいる、近隣の猫たちのボスだ。猫たちは共有意識で情報伝達しているというし、ヒナが銀の鍵を手に入れた時には、一斉に警戒して村八分にしてくれたくらいだ。間違いなく何かを知っているだろう。


 それにしても。

 人の善意を信じて、人を助けて、おまじないを授けて。

 確かに、ロマンチストなんだろう。お人よしも良い所だ。そのせいで誰かが苦しむ結果が生じないなんて、誰にも保証出来ない。


 でも。それでも。


 目の前にいる人を助けたかったんだ。誰かを助ける力を与えたかったんだ。

 世界が善意で出来ているって、信じたかったんだ。



「ヒナ、疲れてる?」

 ハルが心配そうに声をかけてきた。ああ、ごめん。ちょっと考え事してた。暖かくなってくるとぼーっとしちゃってさ。

 実際今日はとても過ごしやすくていい気候だ。デート日和。モールとか屋内よりも、こうやって太陽の光を浴びるのに最適。公園の広い芝生にも、カップルや家族連れがいっぱいだ。

 幸せな時間。光に満ちた世界。これが、その魔法使いさんが望むものなんだろうか。


 少し歩いて、小さい子供向けの遊具が置いてある場所にやって来た。わいわいと大騒ぎだ。小学二年生のヒナの弟、シュウを連れてきたら大はしゃぎしそうだな。エネルギーの塊みたいな子だし。

 空いているベンチに腰かけた。日当たりが良くて気持ちいい。春の太陽は、そのままハルに抱かれているみたいな温もりがある。繋いでいるハルの掌も、同じくらい暖かい。

「何か買ってくるよ。待ってて」

 そう言って、ハルは売店の方に歩いていった。あー、結構並んでるじゃん。そういえばもうすぐお昼だ。無理しないで自動販売機の缶コーヒーあたりでもいいのに。


 ぼんやりと空を眺めていると、小さな女の子がヒナの方に駆け寄ってきた。何だろうと思っていたら、ベンチの周りをきょろきょろと見回している。失くしものだろうか。

「どうしたの?何か失くしたの?」

「かばん、うさぎさんのかばん、見ませんでしたか?」

 女の子は今にも泣き出しそうだ。そうか、失くしちゃったか。それは困ったね。

 そっと記憶を覗き見る。本人が忘れているような些細なことであっても、銀の鍵は見逃さない。トイレの横、水飲み場で手を洗った時。ああ、そこに置いたんだ。

「向こうのトイレの横にある、水道の所は探してみた?」

 指差してあげると、女の子はちょっと頭を下げて、たたたって走って行った。きっと見つかるよ。そう願ってる。


 これも善意かな。ヒナには、あの子を助ける力があった。助けてあげたかった。

 銀の鍵の力を、人のために使う。こういう使い方もある。不思議だな。気持ち悪くて、さっさと投げ捨てたいって思っていたこともあったのに。


 今は、どうしたいんだろう。



 ごう、と風が吹いた。砂埃が舞う。春先には強い風が吹く。

 風に乗って、色々なものがやって来る。


「こんにちは。曙川ヒナさん」


 後ろから声をかけられた。なんとなくそんな気はしていた。この公園に足を向けたのも、予感がしたからだ。ナシュトは何も言わなかったけど、きっとこの出会いは予見していたんだろう。

 この人は、危険な人ではない。

 それが判っているから、わざわざ警告なんて発する必要が無い。だからといって、さぼり過ぎじゃないですかね。あーあ、ヒナもカマンタの方が良いなぁ。無愛想イケメンなんてマンガの中だけで十分だよ。


「何て呼べばいいですか?魔法使いさん、ですか?」

 振り返らずにヒナは訊いた。ちょっと困惑している気配がする。思っていたよりも普通の人みたいだ。女の人。声の感じだと、落ち着いた大人の女性。

「じゃあ、それで」

 軽い足音がして、ヒナの正面に回り込んでくる。白いロングコート。ブラウンのハーフブーツ。フェイクファーのネックウォーマー。栗色の髪が揺れる。ええっと、思っていたよりも若いというか。

 魔法使い?

 うーん、どっから見ても女子大生、だな。少し洒落っ気というか、飾り気が足りない。清純派女子大生って感じ。シャギ入ってる肩までのサラサラヘアー。ピアスは開けてない。おっとりとしているようで、気が強そうな美人。目力が強いんだな。茶色の瞳は、光の反射で金色に輝いて見える。油断していると吸い込まれてしまいそう。

「はじめまして、えーっと、魔法使いです」

 そう言って、魔法使いさんははにかんだように微笑んだ。やっぱり自分でもその呼ばれ方、恥ずかしいんですね。迂闊にも、ちょっと可愛いとか思ってしまった。


「フユのことも心配だったし、一度あなたに直接会ったみたかったの」

 ヒナの隣に座ると、魔法使いさんはヒナの顔をまじまじと見つめてきた。すごい視線だ。銀の鍵があるから更に判る。流石に心を読むまでは無いにしても、見えないものを見通す力を感じる。

「どうですか?」

「うん、安心した。思った通りの子で」

 そう言って目を細めて笑う。ちょっとほっとした。あんまりその瞳で見られていると、おかしくなってしまいそう。

「邪視を強化してるからね。ごめんね。びっくりさせちゃったね」

「邪視?」

「目線に魔力を込めるのよ。まだ勉強中だからうまく使いこなせなくて」

 ごしごしと魔法使いさんは目をこすった。そのまま、またヒナの方に視線を向ける。思わず、うっ、と身構えてしまった。恐る恐る魔法使いさんの顔を確認すると、今度は普通の茶色い瞳があるだけだった。

「一応、私も警戒してたんだよ。銀の鍵だなんておっかなくって」

 なるほど、魔法使いだ。

 警戒していたのはお互い様だ。ヒナだって魔法使いなんて正体不明でおっかない。しかも自称だし。もっとこう、黒いローブを着て、鼻がニンジンみたいに長くて、イッヒッヒって笑ってるのかと思っていた。

 これだと単なる優しいお姉さんって印象。さっきの目線が無ければ、自称魔法使いってトコロも怪しいと思えるくらい。

 すっかり毒気を抜かれてしまった。ハルの方を見ると、まだ行列に並んでいる。やれやれ、これはまた、ゆっくりとお話が出来そうだ。


「フユもフミカも、元気にしているみたいね」

 ヒナから二人の話を聞いて、魔法使いさんは安心した様子だった。直接二人に会えば良いとも思ったが、それはしたくないとのことだった。

「私自身、まだ修行中の身だから」

 魔法使い、としての修行。魔法使いさんは、生まれつき見えないものを見て、聞こえないものを聞く力を持っていた。しかし、そこまで止まりだった。ヒナにはそれでも十分だと思えるけど。魔法使いさんはより強い力を見せつけられて、本格的に自分を高める決心をした、ということだった。

「私があなたくらいの頃は、それこそ失敗ばっかりしてた」

 誰かを助ける。そのために自分の力を使おうとしても、うまくいかないことばかりだったそうだ。結局それは誰かを傷つけてしまったり、事態を余計にこじらせてしまったりにしかならなかった。

 それは、ヒナにも良く判ることだった。銀の鍵もそうだ。この力は難しい。今までだって、この力を使ったところで、ロクなことにはならなかった。いらないって、真剣に捨てようって考えていたことすらある。

「力は、結局使い方次第なのよ。刃物と一緒。人を刺すのも、果物の皮を剥くのも、同じナイフ」

 いつだったか、ナシュトも似たようなことを言っていた。銀の鍵は純然たる力。その方向はヒナが決める。ヒナが使い方を間違えなければ、正しい結果は得られるのだろうか。


「魔法使いさんは、人の善意を信じているんですか?」

 ヒナの質問に、魔法使いさんは少し驚いたようだった。フユを助けたのもそう。フミカ先輩におまじないを教えたのもそう。それは一歩間違えれば、大きな過ちを生み出したかもしれない。

 いや、今だって過ちに転じる可能性を秘めている。正しさが永久に、無条件に続くなんて、誰にも言い切ることは出来ない。

 それでも。


「信じてるよ。私は、世界は光と優しさで満たされるって、信じてる」


 魔法使いさんは断言した。強い意志。そうでなければ、こんなことは出来ないだろう。人を信じて、善意を信じて、この人は正しいと思うことをしているんだ。自分に出来ることをするために、魔法使いなんて名乗っている。

「あなたはどう?」

 ヒナは、どうだろう。そうであってほしいとは願っている。

 ハルと生きていく世界。フユが生きていく世界。そこには、嫌なことも、苦しいこともあるだろう。

 でもそんな時には、誰かの善意が、優しさの手が差し伸べられるって。

 ヒナは、そう信じてみたい。

 ちらり、とハルの方を見た。ヒナは、ハルのことが好き。ハルと幸せに生きていきたい。ヒナの願い。それを叶えるためにも、世界には、優しさで満たされていてほしい。

「信じたいです」

「じゃあ、頑張ろう。あなたには、その力があるんだから」

 魔法使いさんは笑った。暖かい笑顔。ヒナを、世界を、何もかもを信じているって表情。不思議と、裏切れない気持ちにさせられてしまう。胸の奥が熱くなる。

 これもきっと、この人の魔法なのだろう。


「時間だ。行くぞ」

 ヒナの足下から突然声がした。ビックリして見下ろすと、大きな雉虎の猫が知らない間にベンチの下に潜りこんでいた。

「うん、判ってる」

 魔法使いさんは立ち上がると、ヒナに握手を求めてきた。白くて、綺麗な手。この人には、悪意は無い。あるのは、何処までも真っ直ぐな善意。

 それは正直危なっかしいとも思う。

 でも、少なくとも、この人はヒナの敵ではない。魔法使いさんの目指している世界は、ヒナにとってすごく心地良い。

「フユとフミカに、元気でねって」

 ヒナは魔法使いさんの手を握った。柔らかくて、華奢で。素敵な人だ。

「ああ、それから、神様にもよろしくね。最近顔出せてないから、いじけてそう」

 そう言えば土地神様とも顔見知りなんだっけ。トラジよりも、そっちに聞いた方が話が早そうだ。小さく手を振って、魔法使いさんは去って行った。雉虎の猫も、知らない間にいなくなっていた。「サキチさん、待ってー」とか、ちょっと情けない感じの声が聞こえてきたような。大丈夫なんだろうか。



 ハルが飲み物とかホットドックとか色々と抱きかかえて戻ってきた。

「ごめん、なんかすごい混んでて」

 ううん、ありがとう、ハル。ヒナのためにこんなにしてくれて。ちゃんと感じるよ、ハルの愛。優しさ。善意。

 うさぎの顔がプリントされている鞄を抱きかかえた女の子が、ヒナの方に走り寄ってきた。ぺこん、って頭を下げて、また何処かに走って行く。良かった。見つかったんだね。

 ハル、やっぱり、世界は善意で満ちていてほしい。ヒナはそう思う。幸せだって気持ちを、みんなと分かち合いたい。ハルと一緒に、ここにいて良かったって思いたい。

 そう、そしてそれだけじゃなくて。

 ヒナは、そっと自分のお腹、おへその下辺りに触れた。ヒナの願い。夢。それが幸せなことであるって、信じたい。


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