ハル遠からじ (4)
暦の上ではもう春とはいえ、朝はまだ寒い。吐く息も真っ白だ。ハルとの待ち合わせも、コンビニ前じゃなくて、すっかりコンビニの中になってしまっている。店員さん、ごめんなさい。
こうしてハルと一緒に学校に通い始めて、もうすぐ一年になる。そう考えると感慨深い。人が少ないから、周りに邪魔されずに二人でゆっくりお話しが出来る、ヒナの蜂蜜タイム。ハルとの貴重な時間。
それにしてもハル、気が付いたら、目線をあげないといけないくらい背が伸びてるし。少しの間とは言っても、ヒナより一歳年上なんだよな。ハル、いいな。
昔から、この一つ年上の期間が羨ましくてたまらなかった。ハルばっかりズルいって思ってた。今もそうだ。一足先に十六才になっちゃって。ヒナは置いてけぼりだ。
「ヒナだって、もうすぐ誕生日じゃないか」
そうなんだけどさ。ヒナはハルと一緒が良かった。どんな時でも、どんなことでも。二人で同じ、ってのが憧れだったの。ハルだってそう思うことあるでしょ?
「何が?」
「ハル、私、十六才になるんだよ?」
この前さんざん言われたでしょ?ヒナは十六才になる。そうなったら。
「結婚、出来るようになるんだよ?」
ハル、どうして女の子だけ、十六才なんだろうね。ヒナは、ハルと一緒が良かった。
それだったら、もう少し簡単な話になってたかもしれないね。だって、ハル、やっぱりちょっと不安なんでしょう?
「そうだな。正直に言えば、不安はあるよ」
不安になるってことは、ヒナのこと、好きってことだよね。何処かに行ってほしくないってことだよね。嬉しいよ、ハル。ヒナは、ハルのこと大好き。
何処にも行かないって、ハルのものだよって。どんなに口で言っても、ハルの不安は減ってくれないからさ。
だから、「待ってます」って。ちゃんと待ってるって。ヒナは、ハルに伝えたよ。
ハルも、ヒナに伝えてくれるんでしょ?ハルの気持ち。ハルの想い。
「そのつもりだよ」
ふふふ、待ってます。
「そうは言ってもなぁ。ヒナは、俺が何を言っても、きっと喜んじゃうからな」
そりゃあまあ、大好きなハルの言うことだもん。それがなんであれ、ヒナは嬉しいです。いいよ、何を言ってくれても。ハルの言葉なら、それが何であってもヒナは飲み込んでみせるよ。
突然、ハルがヒナの手をぎゅっと強く握ってきた。ん、どうかした?
「ヒナを傷つけるようなことは言わないよ。そういうことじゃなくてさ」
はいはい。大丈夫、ハルがそんなことしないなんて、判ってるよ。こんなに大切にしてもらって、ヒナは幸せ。ハルのこと、信じてますよ。
「そうじゃなくてさ、ヒナが、本当に喜んでくれるには、何を言えば良いのかなって、悩んでるんだ」
本当に喜ぶ?
「そう、本当に、心から、ヒナを喜ばせてあげたい」
ふふ、それは大変だね。
ヒナに答えを聞いちゃうわけにもいかないのに、何を言っても喜んじゃうヒナちゃんを、心の底から喜ばせようだなんて。
ハルはチャレンジャーだなぁ。
うーん、でもそれって、実際にはそれほど難しいことじゃ無い気がするなぁ。ハルが、ただ素直にヒナに気持ちをぶつけてくれれば良い。今までだってそうだったし、これからもずっとそうだよ。
五月に、ハルはヒナに告白してくれた。
あの時、ヒナは本当に嬉しかった。幸せだった。ハルとお付き合いが出来る。彼氏彼女になれる。恋人になれる。ずっとずっと好きだったから。大好きだったから。
今こうやって、ハルがヒナのことをこんなに大事に、真剣に考えてくれてるってだけで、ヒナは満足なんだよ。
だから。
「ハルが望むことを、望むままに、で良いんだよ。私は、待ってるから」
待ってるよ、ハル。
色々と考えて、フミカ先輩とは放課後に図書室で会うことにした。水泳部の先輩が仲介して、待ち合わせについては伝えてくれることになった。さて、後は万が一に備えておかないといけない。
「んー、必要ないんじゃないかなぁ」
フユは能天気にそんなことを言っている。司書の先生にお願いして、お茶とお茶菓子まで用意してある。まあ、確かに本当に危険な相手ならナシュトが警告を発して来るはずだもんね。ヒナはちょっと気を張り過ぎかなぁ。
そもそもこういった修羅場はフユの方が多く潜り抜けて来ている。そのフユがこんな様子なら、きっと大丈夫なんだろう。
時間になった。ヒナが緊張して見守る中、図書室の扉を開けて入ってきたのは、小柄で三つ編みの女子生徒だった。
えーっと、三年生?スカーフの学年色は確かに三年生だ。しかし、言われなければ中学生って思うかもしれない。いや、可愛いですね。え?この人?
「はじめまして、曙川ヒナさん、因幡フユさん」
ぺこん、ってその子は頭を下げた。マジか。
「佐原フミカです。お二人に会えて、とても嬉しいです」
無邪気で、きらきらとした笑顔。フミカ先輩は、とても十八才とは思えない、ミニマムで可愛い系の女の子だった。
この子が、あの願い星を?
フミカ先輩は、司書室でパイプ椅子に腰かけている。足が床にぎりぎり。身長、百四十センチ台ですよね?ひょっとしてもっと小さい?ヒナの友達にも小さい子はいるけど、それよりってのは初めてだ。
お茶菓子のクッキーをかりかりって食べてる。なんだろう、小動物みたいだ。リスとか、デグーマウスとか。ええっと、この方が三年生で、ヒナよりも二つか三つは年上で、四月からは大学生とかなんですよね?
普段は癒す方担当のフユが、すっかり癒されている。うん、確かに見ているとほっこりするよ。それは間違いない。
全く、世の中には判らないことが多すぎる。
「お二人のことは、以前から気になっていました」
クッキーを五つばかり平らげたところで、フミカ先輩は語り出した。たまに視線がクッキーの方に行くので、多分まだ食べたりないんだろう。いいですよ、遠慮なさらずにどうぞ。そう言ったら、またかりかり齧り出した。これは先輩に対して言うことじゃないかもしれない。しかし、あえて言わせてもらおう。うはぁ、かわえーわー。
「私はそういう力は全然弱くて、むしろギリギリだって言われてました」
「言われてたって、誰に?」
フユが素早く問いかけた。すっかり見惚れているのかと思っていたら、ちゃんと話は聞いていたのね。しっかりしている。
「私におまじないを教えてくれた、先生です」
フミカ先輩は、順を追って色々と説明してくれた。
フミカ先輩には、もともと霊感のようなものがあった。見えないものを見て、聞こえない声を聞く。ただ、それはあまりにも弱くて、意識していなければ全然気付けない程度のものだった。
目の前に何かがいても、あれ?今何かいた?で終わり。不思議な音がしても、あれ?今何か鳴ってた?で終わり。正直あっても無くても変わらないくらいの、微弱な力。
その力を見出したのが、フミカ先輩言うところの「先生」だった。
「先生は、自分のことを魔法使いだって言ってました」
それはまた、凄い。自称魔法使い。そんな人がいるんだ。
呆れるやら感心するやらしていたら、フユは意外にも真剣な顔で考え込んでいた。フユ、ひょっとして魔法使いに知り合いでもいるの?
「そう名乗る人は知ってるけどね」
ええっ、いるんだ。まあ神様だっているくらいだもんなぁ。魔法使いがいても不思議じゃないか。今更何が出てきても驚くつもりは無い。とは言え、自称魔法使いはちょっとサムい気もするな。
フミカ先輩は、その魔法使いにこの願い星のまじないを教わったということだった。出自は人から力を奪う良くないものだが、使い方さえ間違えなければ、きっと人を助ける力になるだろう、と。
力が弱いフミカ先輩にはうまく扱えないものが多いが、他にも沢山のおまじないを先生は残していった。危険であっても、正しく使うことで、誰かを助けることに繋がる術式。今は使えなくても、時が経てば何かに役立てることが出来るかもしれない。
そのおまじないの数々は、フミカ先輩がノートにきっちりと記録してあるということだった。
「先生は、じゃあ今はもう?」
「もともと一つの所に長くいることは無い、とのことでした。今どこにいるのかは、私にも判りません」
なるほど、旅の魔法使いってわけか。
しかしそれは何というか、諸刃の剣な気がするな。正しく使われる限りにおいては、確かにそのおまじないは、誰かの役には立つだろう。
でも、正しく使われなければ、どうなってしまうのか。善意を持っていた人間が、いつまでもそのままだとは限らない。仮にその人が善意の人間であったとしても、その人が更に別な人におまじないを教えるとなったらどうだろう?その相手もまた善意だけの人であるなんて、保証が出来るわけじゃない。
元々は人を傷付けるために作られた呪いだ。それが、ずっと良いことのみに使われるかなんて。そんなことは、誰にも判らない。
「その先生とやらはロマンチストだね。世界が善意で出来ているとでも思ってるんだ」
フユがため息を吐いた。
「人間の善意を信じて、そんなことをしているんだ。それで、世の中が良くなるって」
椅子から立ち上がると、フユはヒナに背を向けた。どうしたのかと思って振り返ると。
フユの身体が、小刻みに震えていた。
「あの人は何にも変わってない。私を、フユを助けてくれた時から、何にも」
すすり泣くフユの声が、司書室の中に響いていた。