ハル遠からじ (3)
「サユリはヒナのことを心配してたんだと思うよ?バレンタインからこっち、ちょっと朝倉くんの様子がおかしかったって」
フユがにこやかにそんなことを言う。うーん、そうだとは思うけどさぁ。
「まあ、朝倉くんならヒナを傷つけるようなことはしないし、私は平気平気だと思ってるよ」
ハルはヒナのことを、宝物みたいに大事にしてくれてるからね。ヒナに負けないくらい、ハルの愛って実は重いのかも。それで自分が潰れちゃわないか心配だな。ヒナの方からガンドコ行った方が良いのかなぁ。
「ヒナは貪欲だなぁ。素敵な彼氏ってだけじゃ満足出来ないの?」
別にヒナは今のままで良いんだよ。ハルの方が色々言ってくるんだもん。「俺だけのヒナでいてくれー」とか。はいはいそうですよって口で言っても、なかなかねぇ。
「それはそれは、ごちそうさま」
くすくすとフユは笑った。
二人がいるのは、学校の図書室だ。フユが根城にしていて、最近は放課後になると必ずここにいる。蔵書数がそれほどでもないということで、利用する生徒の数もあまり多くない。司書の先生もすっかりフユと仲良しで、たまにお茶なんかまで出してくれたりする。
お昼の時にフユが合図してきたので、授業の後の部活までの短い時間、ヒナは図書室に顔を出してみた。がらーんとした自習スペースの端っこ、日当たりの良い席で、フユと並んですっかり雑談してしまった。
「それで、フユ、話したいことがあるんじゃないの?」
ハルのことになるとついつい長くなってしまう。そうじゃなくて、多分フユにはヒナに相談したいことがあるんだ。なんとなく見当は付いている。
例えそうだとしても、きちんと言葉にすることは、二人の間での取り決めだ。
ヒナの左掌には、銀の鍵が埋め込まれている。フユも同じ。二人にあるこの特別な力は、本来ならば持ち主の願いを叶えるため、神々の住まう幻夢境カダスへの導きを与えるものだった。
ヒナとフユは、それぞれ異なる事情でカダスへの誘いを拒絶した。ヒナは、ハルへの想いは自分の力だけで手に入れると宣言し、フユは、何も無い自分の消滅を願った。叶えられない願いを受けて鍵の契約は暴走し、銀の鍵はヒナとフユの左掌と同化して残された。
銀の鍵には、様々な力がある。人の心を覗き、操り、書き換える。目に見えないものを見て、耳に聞こえない音を聞く。フユが転校してきて出会うまでは、ヒナはこの力のことを誰にも相談出来なかった。
一応、それまでにも近隣の土地神様なんかに話は聞いてもらっていたが、やっぱり身近で同い年の女の子の方がずっと気軽だ。フユには特殊な事情が沢山あるが、ヒナにとってはかけがえのない友達。それはフユも同じことで、ヒナとフユは大きな秘密を共有する大切な親友になっている。
ヒナもフユも、滅多なことでは人の心は読まないようにしている。ヒナに言わせれば、銀の鍵の力は、手軽に使っているとロクなことにならない。フユの方は、人と話すという行為自体を楽しんでいるため、答えを先に知るようなことはつまらない、ということだった。
「星のお守り、なんだけど、ヒナも気付いてる?」
予想していた通りだった。フユも気が付いているとは思っていたが、ヒナたちに直接害をなすものでは無さそうなので今まで放置していたものだ。
「知ってる。今月に入ってからなんだよね、あれが増えたの」
「そうなんだ、あれ、不思議だよね」
フユは腕を組んで、うんうんと唸った。何か考えているのか、いないのか。放っておくとそのまま昼寝してしまいそうだ。フユの周りの空気は、いつも柔らかでゆったりとしている。
フユが「星のお守り」と呼んでいるものは、三年生の一部で流行している星形のお守りのことだ。何処かのお店で売られているのかとも思ったが、形や色が不ぞろいで、どうも手作りであるらしい。数はそんなに多くなく、どうも三年生の一クラスという、比較的狭い範囲を中心に存在しているようだ。
そのお守りには、どうも良く判らない呪いがかけられてる。
ヒナとフユは銀の鍵を持っているから気付くことが出来た。どうもあの星のお守りは、持ち主から体力を微かに削り取っている。その量が本当に僅かなので、本人に自覚症状のようなものはまず無いだろう。しかし、確実に体力は奪われているし、それがその後どうなっているのかは判らない。
「ナシュトは何て言ってるの?」
「生命力を何処かに集めているんだろうって。カマンタは?」
「同じだね。じゃあ、やっぱりそういう装置なのか」
ナシュトというのは、ヒナの銀の鍵に憑いている神官の名前だ。ヒナが銀の鍵と同化してしまった際に、一緒にくっついてきてしまった。世界に存在するありとあらゆる魔術に通じている神官にして神様。こういう時は便利に使わせてもらっている。ただ、人間のすることにはあまり興味が無いらしく、ちょっとコミュニケーションに難がある。
フユの鍵に憑いているカマンタの方が、なんというかずっと人当たりが良くて付き合いやすい。これってトレード出来ないのかね。まあ、フユもナシュトは嫌だろうなぁ。フユはカマンタが大好きだ。カマンタは、フユがヒナに自慢出来る数少ないものの一つなのだそうだ。
「イマイチ判然としないよね。悪いモノならもう片っ端からブッ壊しちゃえば良いのに」
それはちょっと過激じゃないかな。でも確かに、奪われた生命力が良くないことに使われているのだとしたら、黙って見過ごすのはあまり得策じゃない。巡り巡って、ヒナやハルの学校生活にまで影響を及ぼしかねない。
範囲が狭いので、多分その気になれば出所はアッサリと割れるはずだ。次に星のお守りを持っている三年生を見かけたら、軽く記憶を覗かせてもらうだけで良い。あんまりよろしくないことかもしれないが、そこは緊急事態ってことで。
「何か大きな悪巧みの下準備かもしれないし、注意した方が良いかな」
ヒナは以前、この学校の中で危ない呪いを受けて酷い目に遭ったことがある。あれの出所も結局判らずじまいだ。強力な魔術を使う人間が学校の中に潜んでいるのだとしたら、油断がならない。
「迂闊に手を出さないようにしましょう。まずは、誰が広めているのか、から」
そう言って、フユと別れた。さて、じゃあ星のお守りを持っている三年生を探さなきゃなんだけど。もう今の時期だと、そもそも三年生自体が珍しいんだよなぁ。
星のお守りを持っている人は、割とあっさり見つかった。
ヒナは水泳部に所属している。このクソ寒い時期であっても、室内温水プールという恵まれた環境のお陰で、元気に活動が可能だ。あー、嬉しい。あー、寒い。
三年生がいなくなって、部長の二年生メイコさんが厳しく檄を飛ばしている。競泳水着がはち切れそうな素晴らしいスタイルに、広い肩幅、すらりとした脚。理想的水泳選手だよなぁ。強い目力でがっつり睨みつけてくる。こういう時のメイコさんはホントに怖い。鬼部長です。鬼。
そんな所に、丁度受験を終えた先輩が一人訪ねて来た。陣中見舞いというか、ちょっと様子を見に来てみました、という感じ。その鞄には、紛れもない星の守りがついていた。
いきなり先輩の心の中を覗こうとして、ヒナは慌てて思いとどまった。いかんいかん。この力に飲まれて、当たり前のように使うようになってしまってはダメだ。直接話が出来る先輩なんだし、まずは本人からしっかりと聞きましょう。
「これ?これは、願い星って言うんだよ」
先輩は笑顔で教えてくれた。やはり三年生の一クラスを中心に広がっているもので、他クラスでも持っている人はいる。欲しがっている人には無償で配っているとのことだった。
「願い星って言うからには、何かを願っているんですよね?」
ヒナの質問に、先輩は愁いのある表情を浮かべた。少し話しにくそうにしてから、思い切ったように全部をヒナに語ってくれた。
三年生の中に一人、今月になって重い病気で入院した生徒がいる。先輩と同じクラスで、明るくて、クラスの中心みたいな人だ。大学も推薦で決まっているし、後は卒業を待つだけだった。
「でもね、今月がヤマだっていうのよ」
その人のために出来ることは無いだろうか。お見舞いもしている、千羽鶴も作った、寄せ書きも書いた。他には何か無いだろうか。みんな、その人のことを心配している。一緒に卒業したいと願っている。
そこで出てきたのが、この願い星だった。
一緒に卒業したい、という願い。大切に想っているという証。これを身に着けて、先輩のクラスはその人の無事な退院を願っている。
「不思議なんだけどね、願い星をみんなで着けはじめてから、病状が良くなったって言うんだ」
噂は三年生の間に広まり、その人を知る生徒たちはみんな願い星を着けるようになった。元気になってください。また、学校に来れるようになってください。静かな祈りが、こうして広まっていた。
そんな話があったんだ。ヒナは全く知らなかった。隣で聞いていたメイコさんも初めて知ったみたいで、驚いた様子だった。星のお守り自体は見たことがあっても、この話はそれほど広まっているわけではないらしい。
この願い星は本物だ。作った人は、願い星を持っている人から、その病気の人の所にほんのちょっとだけ元気を分け与えるようにしている。病気がどういうものなのかは判らないが、少しでも回復の助けになるのなら、という、正に願いだ。
力をこういう風に使う人がいる。驚きだった。人を苦しめて、痛めつけて、悲しませるだけが呪いだと思っていた。こんなに優しさに満ちたやり方があるなんて。
願い星を作った人に、ヒナは会ってみたくなった。その人のことを知りたい。その人に会えば、また一つ、自分の力を許せるようになるかもしれない。
先輩は快くその人のことを教えてくれた。佐原フミカ先輩。やっぱりもうあまり学校には来ていないみたい。次に登校するという日を教えてもらった。
フユも誘ってみよう。きっと、興味を持つに違いない。世界には、光と暖かさが溢れているって、信じて疑わない子だからな。