ハル遠からじ (1)
寒い冬の終わりに、学年末試験なんてものがあった。うん、あった。過去形。もう終わったんだから、そんなものはどうでも良い。別な意味でも終わった。いいんだ、進級出来れば。別にヒナ、勉強出来なくても困らないもん。
曙川ヒナ、十五才、高校一年生。女子高生の本分は青春であって、勉強だけじゃないと思います。
バレンタインが終わったら、あっという間に試験期間だった。部活もお休み。余裕をもって勉強して、試験に臨みましょうってことなんだろうけど。
ヒナは、ちょっとそれどころじゃなかった。だって、ハルがどきどきするようなことを言ってくるから。
朝倉ハル、十五才、だった。もう十六才になるね。高校一年生。ヒナの幼馴染で、今はヒナの大切な恋人。
中学時代のちょっとイマイチなイメージを払しょくして、ヒナは髪をほどいてやわらかい肩までのウェーブヘアにした。ぱっちりとした目元、緩やかな鼻筋のカーブ、存在感のある唇。そして短いスカート。すっかり可愛くなった幼馴染の姿に、ハルはずきゅーんとやられてしまった。
高校に入って一ヶ月ほどしたら、ハルはヒナに告白してくれた。好きだ、付き合ってくれって。他の誰かに、ヒナを取られたくないって。嬉しかった。もちろんオッケーした。当たり前でしょう。
ヒナはずっとハルのことが好きだった。ハルとは幼稚園の頃からお友達だった。小学校三年生の時、ヒナは雨の中自転車で家出して、転んで怪我をして動けなくなった。誰も助けに来てくれないって、一人で泣いていたヒナを見つけてくれたのは、ハルだった。
その時から、ハルはヒナの特別。ヒナにとって、誰よりも大切な人になった。
それは、ハルにとっても同じことだったみたい。ううん、ハルは、ヒナのことをその前から好きだった、って言ってた。ただ、ヒナのことを大切にしようって、そう考えてくれるようになったのは、やっぱりあの雨の日の時からなんだって。
だから、お互いに好き同士だったんだよね。はっきりとは口にしていなかっただけ。それが判った時はほっとした。本当に良かったって思った。だって、ヒナはハルだけだもん。ハルに嫌われちゃったら、もう何をどうしていいのか判らなくなっちゃう。
そんな、ヒナにとって誰よりも大切なハルが、十六才になる。
誕生日プレゼントに何が欲しいのか、事前にハルに訊いてみた。何でもいいよ、って。えへへ、ホントに何でも。ヒナがあげられるものなら、ね。ハルはヒナのことをすごく大事にしてくれてる。もう、安心して任せられちゃう。もっとグイグイ来てくれてもいいのに。そのくせ独占欲だけは強かったりするんだから。困った彼氏様。
ハルは中学まではバスケットボール部で、頑張ってレギュラーを目指していた。身長が伸び悩んでいたこともあって、残念ながらいい結果を残すことは出来なかった。高校に入ってからはそこまで根を詰めることはせず、ちょっとゆるい感じのハンドボール部で楽しく活動している。
成長期だからか、気が付いたらハルはヒナよりも背が高くなっちゃってた。色白で日焼けしにくい肌。スポーツは続けているから、筋肉がついてがっしりしている。髪も短くしてさっぱり。細くてちょっと垂れてる目が可愛いのに、最近はなんだか男らしさの方が勝ってきちゃってる。えーっと。
あれ?ハル、ひょっとしてすごくカッコよくなった?ヒナのフィルターを通しているせいじゃない、よね?
そんなハルに、欲しいって言われちゃったら、ヒナはもう、何でもあげちゃう。そのくらいのつもりで、誕生日プレゼントのリクエストをうかがってみちゃったわけなのですよ。そうしたら。
「ちょっと頼みにくいんだけど、いいかな」
なんだか、とんでもないお願いをされてしまった。えー、それはどうなんだろう。困惑しつつも、とりあえず了承はした。しかし、これはヒナの一存では決められない。関係各所との調整が必要な内容です。
ハル、本当にそれが良いの?
実際何回も確認して、やっぱりどうしてもそれが良いとのこと。ハルも調整を手伝ってくれるって言うので、まぁ、それならやりますよ。それにしても、まさかそんなことを頼まれるとは。意外って言うか。
いよいよ、なのかな。
ハルの誕生日、丁度定期試験の最終日。条件として、ちゃんとテスト勉強をこなすこと。これをしっかりと二人でクリアして。
放課後の夕方、ヒナは、ハルの家にやって来た。さて、じゃあはりきってハルに誕生日プレゼントを贈りましょう。
ハルの家とは、家族ぐるみでお付き合いがある。ヒナとハルの関係についても、既に了承済みだ。交際記念のお祝いとかされちゃってるくらいだからね。うん、嫌ではない。すっごく複雑ではあるけど。今日もこんなことをハルに頼まれちゃって、どう思われてるんだろう。色々と気を遣っちゃうな。
「やー、ヒナちゃん、いらっしゃい。ごめんね、ハルが馬鹿なこと言いだして」
ハルのお母さんが気さくに迎え入れてくれた。いえ、とんでもないです。ヒナは全然平気です。ただ、もうハルのお母さんとかにものすごく迷惑なのではないかと気が気じゃ無くて。
「気にしないで。ハルがもうすっかりヒナちゃんに胃袋掴まれちゃってる証拠なんだから」
そう言ってばちこーんとウィンクしてくる。若いな、ハルのお母さん。こういう悪巧み系が好きなのも相変わらず。ウチのお母さんもそうなんだよな。ヒナはいつも振り回されてばっかりだ。逞しくならないと。
居間に入ると、ハルのお父さんがソファに座って新聞を読んでいた。その横にはハルの弟のカイもいる。カイは小学六年生。ハルよりも全然しっかりしているよね。サッカーやってて、勉強も出来て、ハルよりも線が細くてすっきりとした感じで。モテる弟ってのはどうなんだろうなぁ。
「ああ、ヒナちゃんいらっしゃい。今日はよろしく頼むよ」
ハルのお父さんは税理士をしている。とてもダンディな紳士。カイは間違いなくお父さん似。物静かで、頭の回転が速い。ハルはお母さん似。これも間違いない。ヒナはどっちも素敵だと思うよ、うん。
「何かお手伝いしましょうか?」
カイは気が利くなぁ。でも、今日はハルの誕生日プレゼントで来たからね。全部ヒナにやらせてちょうだい。心配しないで。ヒナも結構楽しみにして来たんだから。
「あ、ヒナ」
ひょっこりとハルが顔を出してきた。あ、じゃないでしょ。自分で呼んでおいて。感謝してくださいね。こんなハルのわがままを聞いてくれた、ヒナと、ヒナの家族と、ハルのご家族に。
「お誕生日プレゼント、早速お作りいたしますね」
ハルがヒナに要求してきたプレゼント。それは、誕生日に晩ご飯を作って欲しいってこと。
これじゃ通い妻だね。もう、恥ずかしいなぁ。
夏休みの後にすったもんだがあって、二学期からずっとハルのお弁当はヒナが作っていた。ハルはヒナの作るご飯をとても気に入ってくれていて、ハルのお母さんからもお礼を言われていた。ハルのお世話をするのは、ヒナも好きでやっていることなので、ちょっと照れ臭かった。ハルの奥さんしてるみたいでとても楽しかった。
そうしたら、まさかのこれだ。家に来てご飯を作って欲しいだなんて。ハルだけに作るわけにもいかないし、結局ハルの誕生日、ヒナは朝倉家の夕食を任される流れになってしまった。これって、考えてみるとすごい要求だよね。
ハルのお母さんは「ラクが出来るー」なんて明るく言っている。しかし、ヒナとしては申し訳ない気持ちでいっぱいだ。息子の誕生日に、料理を作ることを拒否されるって、どうなんだ。ハルはもっと普段からお母さんに感謝しないとダメだよ。ハルだけじゃ出来ないこと、いっぱいあるんだからね。
ヒナがキッチンに立っている間、ハルはお父さんとテレビを観ていて、カイははらはらとヒナの方を気にしていて。ハルのお母さんは、横に立ってふーんってヒナの手元を観察していた。うっわぁ、緊張します。これってやっぱ、査定だよね。査定。
一応ハルの好みについては、昔から調べてよく知っているつもり。お弁当も、ハルが好きなおかずと栄養バランスを考えて、一ヶ月先までの献立表を準備してある。自分でも「愛が重い」とは思っている。だって、大好きなハルにいい加減なものは食べさせたくないでしょ?それに、美味しいって言ってもらえると、すごく嬉しい。ハルのこと好きなんだなぁ、って幸せになる。
いや、今日はそれどころじゃないよね。ハルのお母さんの前で、滅多なことは出来ないわ。当たり前だけど、朝倉家のキッチンってあんまり使ったことないし。細かい調味料とか、器具とかの置き場所が判らない。流石にハルのお母さんのヘルプ無しでは厳しい。メチャメチャ緊張する。
もー、ハル、テレビ観て笑ってないで、少しはこっちも気にしてー!
ご飯作って、食べて、お片付けしたらもうだいぶ遅い時間だった。ハルが送ってくれるということで、二人で寒空の下に。星がぴかぴか光っている。空気は冷たくても、ハルとの間は暖かい。手袋した掌から、ハルの温もりが伝わってくる。
とりあえず講評は上々でした。ハルのお母さんに、「ハルのことよろしくね」って耳打ちされてしまった。まあ、ヒナとしては是非よろしくしたいところなんですが。
後はハル次第、だと思ってます。
バレンタインで、ハルに渡したチョコレート。そこに、ヒナはメッセージカードを入れておいた。『待ってます』とだけ書いて。多分、ハルも何のことかは判ってる。今日、ヒナにこんな誕生日プレゼントの無茶ぶりをして来たのも、きっとそれ絡みだ。
ハルは、ヒナのことを大事にしてくれてる。一度、二人きりでヒナのことを自由に出来たこともあったのに、我慢するって言って手を出さなかった。ハルの優しさとか、愛とか、ヒナはいつも感じている。とても感謝してる。
お互いの気持ちは、もう十分過ぎるくらいわかってると思うんだよね。まあ、ヒナはハルに対して、まだ言ってない望みというか、夢みたいなものがある。いよいよそれを打ち明ける日も近付いて来ているのかなぁ。ハルはどんな顔するんだろう。呆れるかな。喜んじゃうかな。それはそれで微妙だな。やっぱ言わない方が良いかなぁ。
「ハル、お誕生日おめでとう」
「ありがとう、ヒナ」
うん、好きだ。ヒナはハルのことが好きだ。この想いは、全く揺らぐことが無い。
じゃあ、ハルに任せよう。ハルが覚悟を決めてくれるなら、ヒナも決心します。この想いを、ハルに打ち明けます。それで何がどうなろうと、後悔しない。正直な気持ちなんだから。
「ハル、ホワイトデーなんだけど」
ぴくん、ってハルの身体が痙攣した。お、良い反応。ちゃんと覚えていてくれてますね。ヒナのメッセージ、読んで考えてくれてるのかな。偉い偉い。
どうしようか、ハル。ヒナとしては、別に急かすつもりは無いんだ。今のこの関係もすごく幸せで大好き。ハルの彼女で恋人って、それだけで夢みたい。毎日ふわふわしている。
ハルは、その先にある現実も見ているんでしょう?だから我慢なんてしてる。困ったハル。素敵なハル。
なら、ちゃんと現実も掴み取ろう。大丈夫だよ。ヒナの返事なんて判ってるでしょ。
無理なんてしてないよ。ヒナにも夢があるの。ヒナは、ハルのこと、多分ハルが考えているよりも、ずっとずっと。
好きなんだよ。
「うん、なんて言うか、その、考えてる」
嬉しいこと言ってくれるなぁ。ヒナのわがままを、こんなにちゃんと悩んでくれるなんて。いつでもいいよ。誤魔化してもいいよ。ハルの気持ち、ちゃんと知ってるから。
まだ早い。そうかもね。いや、きっとそうなんだ。人生は長い。これから何が起こるかなんて、誰にも判らない。
だからこそ、ハルは不安になっちゃうのかな。信じてないわけじゃなくても、気持ちが抑えられない。ただ闇雲に手を伸ばして、掴めばいいってものでもない。ハルは本当に。
ヒナのこと、好きでいてくれてるんだね。
後二年。
その二年を、ハルはどうやって過ごす?
ヒナはハルにお任せするよ。だって、ヒナはもう昔からずっと、ハルのものだから。何もかもをハルに預けました。ここまでこんなに大切にしてもらって、後悔なんてするはずもありません。
ハルの考えてることなんて判っちゃうよ。ハルも、ヒナの考えてることなんて判っちゃうでしょ?同じことだよ。
別れ際に優しいキスをした。
じゃあまた明日ね、一ヶ月だけお兄さんのハル。ヒナ、とっても楽しみにしてるから。