『桃太郎inヴァンパイア村 〜たらい屋キャリーと鍼医ホッタ』
むかしむかし、ある山奥におじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に。
金髪にブルネットのそのおばあさんはいつもようにたらいを担いでいます。おばあさんの名前はたらい屋キャリー。初老のその横顔には人生の憂いが陰を落としていた。
自慢のたらいを使い粗末な着物を洗濯していると川面が揺れ始め、小さなさざ波が川岸に浮かぶ牛の死骸をゆすった。
地響きが徐々に大きくなっていく。川上をふと見上げると、なんと大きな桃が流れてきたのです。大きな大きな、本当に大きな桃が押し寄せてきたのです。狭い川からはみ出るほどの巨大な桃。まるでタンカーか、倒壊した10階建てのビルが洪水で押し流されるようにキャリーの眼前に迫ってきました。
桃より先に激しい波がキャリーの膝下を打ち付ける。桃はドンドン大きくなっていきます。川の水を飲んでいた犬や牛は逃げ遅れ巻き込まれてしまいました。
逃げなきゃ!
だが、気持ちとは逆にキャリーの身体は巨大桃に向かい、真っ向向かっていたのです!
ガシッツと桃を大の字になって受け止めたキャリー。踏ん張った足元から川底の小石が激しく飛び散り、水しぶきがミストに舞いました。
桃の巨大な質量に圧倒され、川下へ数十メートル以上押し流されました。
このままでは桃に飲まれるっつ!
このとき突然、老婆の目が光った。カールのついた金髪が逆立ち、見開いた瞳が深い紫に変化した。すべての爪が鋭く伸び、猛禽類のように桃の果肉に食い込んだ。シワの寄った皮膚が幾筋にも裂け、四肢が隆起すると巨大桃の重みに耐え始めました。
キャリーが大きく口を開くとその上下に牙のような歯がキラリ光った。顔、首すべての力を桃肉にかぶりついた!
桃から声のない悲鳴が響いたように聞こえると、暴れ狂っていた桃は次第に静かになり、やがて川面に止まったのです。
刀のように研ぎ澄まされた爪で一閃。すると桃の裂け目の中から、なんと赤ん坊の泣き声が聞こえてきたのです。キャリーは慎重に桃の中から赤ん坊を取り出しました。
そのとき、赤ん坊の弱い小さな指がキャリーの指を握った。かすかに、だが、しっかりと握ったのです。
キャリーは赤ん坊を抱きしめました。
ずっと子供が欲しかった。とうの昔に捨てた夢。想いが胸の中から広がっていき、体の隅々まで染み渡っていくのです。
だが、次の瞬間、キャリーの背中に冷たい衝撃が走った気がしました。赤ん坊が右手を開くと、なんと折れた牙の歯が握られていたのです。キャリーの歯に生えていたものと同じものが……
芝刈りから帰ってきたおじいさんは桃から生まれた赤ん坊を連れて帰ってきたことに大喜びしました。たらいにぬるいお湯を入れ、赤ん坊をふたりで愛おしそうに洗いました。老夫婦にとって至福の日でした。
赤ん坊は桃太郎と名付けられ、2人は夜遅くまで桃太郎を眺めて過ごしました。
おじいさんが桃太郎を抱き笑いかけている隣でキャリーの笑顔の上には憂いの陰がかかっていました。おじいさんはキャリーの過去は何も知らないのです。
深夜、おじいさんと桃太郎は眠りにつきました。布団から抜け出たキャリーは、桃太郎を悲しげな目で見つめています。キャリーは何かに取り憑かれたようにふらと立ち上がり、桃太郎を抱き上げました。まだ、水の残っているたらい。虚ろな目をしたキャリーは桃太郎を水の中に入れてしまいました。
ハッと、正気に戻ったキャリーは慌ててたらいをひっくり返し桃太郎をゆすると無事でした。
ああ、ごめんなさい、ごめんなさい、許して。
キャリーは、桃太郎を力強く抱きしめて泣きました。
そのとき、外の空気が変わりました。木々が風に流され、夜空に雲が立ち込めるとキャリーは恐怖を感じはじめました。急いで桃太郎を空になったたらいに入れ、おでこにキスをして人目につかないように蓋をして隠しました。まるでなにかを恐れるかのように。
表の扉がひとりでにゆっくりと開いていきます。キャリーは悪寒が走り、身はこわばり振り返ることができません。
「ひさしぶりだな、キャリー」
声を聞く前にキャリーには誰かわかっていました。扉のむこうに小柄な人影が揺れています。地面からちょっとだけ浮いて。妙齢100歳を超えるであろうこの小柄な老人はこの村の長老で鍼医のホッタ。髪の薄い頭部に刺さった数百の治療鍼がやわらかに揺れ、月の光でキラキラと美しく光った。
「なにやら、妙な気を感じる。キャリー、お前は感じなかったか」
おじいさんが布団で寝返りをうつとキャリー の胸の鼓動が高まった。
お願い、目を覚まさないで。
キャリーは、たらいの中の桃太郎が気になった。動かないで、お願い。ジッとしていて。天を仰ぐように目をつぶった。
「"牙斬り族"……、桃から生まれる戦士。数十年前、我らがすべて滅ぼしたはずだが、なぜか今日やつらの気配を感じた。本当に感じなかったのか」
ホッタの低くしゃがれた声がキャリーの頭の中でこだました気がしました。
その時、キャリーの息が止まった。たらいのフタが少しズレたのです。
お願い、動かないで。気づかれないで。
ホッタはニッ、と三日月のような口に笑みが浮かび黄色い腐臭が漏れました。
牙が見えた。だが一本だけ欠けている。桃太郎が握っていた牙とピッタリ同じに見えます。
「フハハハハハハーー、牙斬り族! 必ず見つけて消滅させてくれる。我が血吸族は諦めぬ。この折られた牙の怨み、忘れてはおらんぞ! 最後の1人まで狩り尽くしてやる」
ホッタの背から羽が広がり、頭から抜けた鍼がキラキラと宙を漂いながら暗雲漂う夜空へ消えて行きました。
力を振り絞り、キャリーは四つん這いたらいに駆け寄った。フタを放り投げ、中でスヤスヤと寝る桃太郎を見つめると目から涙が溢れてきました。夢中で抱きしめると、桃太郎の温かみがじわっと広がってた時、キャリーにはある決意が芽生えていたのです。
この子を守ろう
たとえ、どんな未来が待っていようとも、
この子と共に生きよう、と。
キャリーと桃太郎の戦いが始まる。
ーEND—