影 前篇
6月6日TDA2高校、授業中というのに教室の中はいつも通り騒がしい。教員は彼らのHMDに資料を生徒のHMDに配信し、ただベラベラと喋って説明しているだけだ。新しい資料を生徒に配ると手をパンパンと叩き、皆に呼び掛けた。
「はい静かに、以上のように2015年に入り世界は第2次IT革命を起こしました。その1つで今私達が着けているHMDがありますがこれを率先して開発した会社はなんと言う会社でしょうか?江波戸、答えろ」
すると達也のHMDのモニターに質問内容が記された。
「K(圭)です」
教員の顔を見ずに後ろを向き仲間と談笑しながら答えた。
「その通り君のお父さんの会社だね」
教員が笑顔で言うと、達也は教員に顔を向けて言った。
「親父の話はしないでください。アイツ訳分かんねえ事ばかり話すんですよ」
「でもいいじゃねえか、金持ちなんだからさ」
隣にいた親友の風並孝一が話しかけてきた。それを聞いた後ろのもう1人の親友近藤隆樹が笑った。
「いや、金が入っても家狭いし小遣い増えねえし、やってらんねえよ」
親に対する不満を言うと担任は気まずそうな顔をしながらも顔を皆に向け直し話を続けた。
「そして、第2次IT革命が起こると景気が回復すると共に多くの失業者が出た。それは何故だ近藤」
今度は後ろにいた隆樹が指された。
「今までに無い新しい便利なものが増えたからそれまで必要だったものが必要じゃなくなって、そこで働いてた従業員は終わり。それだけ」
隆樹は馬鹿にするように言うと突然孝一が笑い出した。
「すげえな、お前の親父」
「あいつはちょっと変わり者で、何事にも勝敗をつけては『そこで首になった奴はそこで負けだ』とか言ってたぜ。だからこの件に関してはそこまで気にしていないと思う。不景気な時代に生まれると心が狭くなるよな」
達也は少し真面目な顔で言った。
「じゃあ江波戸、その貧富の差を無くす対策として政府が出した法律は?」
「類似転職法」
まだ俺に聞いているのかと言うしつこさからくる顔をして2人と話しながら言った。
「そうだ、今まで自分が働いていた仕事と近い仕事に就くことが出来るんだな。先生の時代ではあり得ない事だったな。働けない奴は死ねって言う時代だったからな。今は日本中がバブルだからな。このまま安定するといいけどね・・・」
教員は話を続けた。
2人と話していると達也の父、又は達也の育った環境を僻むもの達が達也に野次を飛ばしてきた。
「おい、達也どうする?」
隆樹が聞くと達也がニヤニヤしながら言った。
「昔のお前とそっくりだな。オレがここに転校してきた時も似たようなことがあったな」
「それ言うな」
隆樹が恥ずかしそうに言う。
「馬鹿は相手にしなくていい。馬鹿に馬鹿って言っても分かる訳がない。あ、これ俺がそうだったからね」
と鼻で笑いながら言った。
すると、彼らは立ち上がり1人が椅子を振り上げ走り寄ってきた。残りの2人は素手で走って来る。HMDに隆樹が冗談で作った「喧嘩用」と呼ばれるソフトを起動した。
「最近のガキはキレ易いねえ、ゲームばっかやってて前頭葉が働いてないんじゃねえの?仲間連れて来ねえと何も出来ねえのかオカマ野郎!」
自分の机を勢いよく蹴り上げ怒鳴ると、3人は走って襲い掛かってきた。しかしすぐに座っていた椅子とそこにあった自分のカバンを勢いよく背後にいる2人に投げつけた。
二人の目の前に椅子とカバンが飛ぶと教室が一瞬だけしんと静間にかえる。
「バキ、ガランガラン」鈍い音と共に机とイスが落ちる音だけが教室に響いた。それと同時に二人の叫び声が聞こえてきた。途端に女子が騒ぎ始める。
「な・・・!」
二人の姿を見たその友達が始めて怯んだ。
「本当はお前一人だと大した事ねえんじゃねえの?」
達也はヘラヘラと馬鹿にした顔で相手を挑発しながら近づいた。
「分かった。俺の負けだ。謝る」
敗者の姿とは実にみっともない姿だ。体の骨が抜かれたようにヘナヘナとその場に座り込んで御慈悲をしている。
「寝言言ってんじゃねえよ。さっきまでの威勢は何処に行った?自分だけ痛い思い避けようとしてんじゃねえよ」
「クソ!!」
相手は叫びながら自分のカバンから特殊警棒を取り出した。更に教室が騒がしくなるが達也は何も持ち合わせが無いので仕方なく素手で戦う体制になった。
「達也、受け取れ!」
剣道部の孝一が木刀を投げてきた。HMDには戦闘の段取りが書かれていて木刀に目を向けると殺傷力と使い方がナビされていた。
「相変わらずアホソフトだぜ、遠慮なく使わせていただきます!」
大きく振りかぶり相手の腰に木刀を振り下ろした。
「ギャアァアア!!」
思ったほど3人は彼にとって強くなく、虚しくも達也に負けたのであった。教員は呆気に取られている。孝一と隆樹に顔を向けると2人は笑い転げていた。
達也のHMDには先程の彼らが映し出され、「身体異常なし 回復まで手前から40分 14分 17分」と表示された。
「怪我していないそうです」
達也は笑いながら教員に告げると教員は何も見なかったかのように授業を続けた。この時代の学校は「やること」をやっていれば何も言われない。もはや学校とは生徒の為にあるのではなく教員の為に学校があると考えてもらえば分かりやすい。生徒は教員の商品なのだ。それに達也を含む3人の成績はクラス順位42人中10位以内に入っているのだから当然教員は何もしてこない。
孝一が若干ゼエゼエ息を荒くした達也に話しかけた。
「お前相変らず強いな」
笑いながら言うと達也は何でもないと言うような顔で言った。
「そんな事無いよ。相手は武器を持っていたし、威勢だけで喧嘩の経験が無さそうだった。隆樹のソフトが教えてくれたぜ。ありがとう」
隆樹は鼻をこすりながら少し照れた。そして孝一はその意見に対して疑問に思ったのか、すぐに言い返した。
「武器持っていた方が有利じゃね?」
達也は少し嬉しそうに木刀を彼に返すと話した。
「素人が武器を持つと、それしか頼らなくなって周りの事を考慮する事を忘れるんだ。だから武器の攻撃だけに集中すれば楽に相手を楽に倒せる」
これも経験からだろうか。
「なるほどな。だから自分から攻撃しなかったんだな」
「まあそれもあるけど、馬鹿らしくて相手にしたくなかったんだ」
「くだらねえ事知ってるね、君は」
隆樹が呆れた顔をしながら言う。
すると達也のHMDが赤に変わり担任呼び出しを告知された。
「じゃあ、行ってくるわ。大先生のお呼びだ。あーあ、どうせマニュアル教育だったら先公もシステムにして欲しいよな。いちいち学校行くのかったるいし。でもそれだと確実な教育がどうのこうのでやらねえらしいけどな」
そう2人に吐き捨てると教室を出て行った。
担任の軽い説教が終わり、少し複雑な思いをしながら教室に戻ってきた。ドアを開けると同時に教室の中の会話がピタリとやんだ。そして達也の席に座って会話していた生徒が慌てて席を立った。
「みんな、ごめん。気にしないで会話を続けて」
皆の自分に対する恐れた視線を受け、達也は悲しそうな顔で言った。
「お前が気にしろよ!」
と孝一が突っ込むと教室中が笑いに包まれた。
「馬鹿らしい・・・」
喧嘩など今の歪んだ教育社会では日常茶飯事なのだ。教員も自分がこの世界に生き残るためなら手段を問わない。ただでさえ先程達也が言ったように教育もシステム化にしようか政府で検討されているからである。そうすると学校で働いている教員は自動的に解雇だ。その為、教員は優秀な生徒を一流学校に進学させるためにその生徒が非行に走ればそれをもみ消し、裏で受験校に多額の寄付金という名目で賄賂を流しているという説もある。逆に落ちこぼれの生徒は進むべき道教えず、ただひたすら自分のペースに乗るまでペナルティなどで生徒を脅しているのだ。その為彼等は非行に走ることが多く、先程の特殊警棒を持ち歩いているのもまだ可愛い方だ。
授業は終わり、教室に担任が怒鳴りながら入って来た。
「八真!暴力沙汰は起こすな!」
先ほど達也に喧嘩を吹っ掛けて来た人だ。
「俺じゃねえよ、江波戸がやってきたんだよ」
すぐに八真は反論するが。
「お前の話なんか誰も聞きたくないんだよ。頼むから俺の顔を潰すのやめてくれないか?俺も出世しないと家族を養えなくなってきているんだからさ。ハッキリ言って迷惑なんだよな、お前らみたいなのがいると。それとも何か俺に恨みでもあるのか?」
担任は困り切った顔で八真に言う。
「だって江波戸が―」
その瞬間教員の目がかっと開き教室の端から端まで響き渡るような大きな声で怒鳴り散らした。
「黙れって言っているだろ!納得がいかないんだったら学校に来るな!」
しばらくの沈黙が続いた。達也に向き直り担任が話を続ける。
「江波戸、怪我はないか?お前には期待しているぞ」
先程とは比べ物にならない位の穏やかさで達也に話した。
「はい、ありがとうございます。怪我はありません」
「こんな馬鹿は相手にしちゃだめだぞ。もう少しお前は上を見ないとな。今回は目をつぶるぞ」
そこへすかさず孝一が割って入って来た。
「今回もだろ?マニュアル教師さんよ!」
孝一はまだ興奮から冷めてない様子だったが担任は聞こえていないふりをした。
達也はクラスの中で喧嘩は多い方だ。本人いわく「大人達が自ら建てた規律や道徳を自ら踏み躙って子供に見せつけ、己の保身しか考えない親や教員に嫌気がさし、自分の持っている学力と言う名の権力を乱用している」と言っている。
それが達也に出来た唯一の大人達に対する反抗と訴えだったのかもしれない。しかし、そんな自分に酔っているのも事実だ。
しかし達也はこのままただ何となく時間が過ぎていくことに満足はしていなかった。喧嘩は達也の暇つぶしに過ぎないのだから。「何かでかいイベントがこないだろうか?学校が爆破してもいい、起こるといわれて数十年が過ぎた今でも大地震が起きていないなら今起きろ、何でもいい!身内が死んでもいい。とりあえず何か大きいイベントはないだろうか!自分の人生が変わるような・・・」そう毎日思いながら学生生活を送っている。達也はただ周りと同化して過ごす自分に嫌気がさしたのだ。他の2人も同じ考えを持っている。だから3人はいつまでも仲がいいのかもしれない。
そんな事を考えている達也だったがそれはもうすでにそこまで来ていた・・・。
家に着くと珍しくこの家の居候人の学が早く帰っていた。居候人と言うより、どちらかと言えば圭の付添人だ。同じ研究室に務めている圭の助手である。圭が研究の事で何かひらめくとすぐに学を呼ぶため面倒だからという事で学が独身で一人暮らしでもあると言う理由もあり、圭が家に泊めたのだ。
しかし、最近達也は学の様子がおかしいと疑問に思っている。それは朝と夜の学が別人のように感じるからだ。ここと言う所はないが雰囲気が違うのだ。一つ目は学が達也より早く寝ると言う事は絶対にない。しかし達也が目を覚ます時にはもうすでに起きているのだ。その為達也は学の寝ているところを見ていない。それだけではない。学は毎日誰かに長いメールを打っているのだ。しかも時間からすると20分、長くて1時間も文を打ち続けている。
そんな疑問が多い学の事を達也は退屈しない人と見ている。
「ああ、帰ってたんだ」
鞄を部屋に投げながら言った。
「久しぶりに早く仕事が済んだからな」
相変わらず学はテーブルに指を当てメールを打っている。キーボード、モニターは学のHMDからしか見えない。
「親父は?」
「またしばらく帰らないぞ。研究が忙しいらしい」
学の言うように圭は滅多な事がない限り家に帰ってこない。だからいつも学と二人きりなのだ。いや、学も帰ってこない事が多い。でも達也は1人でいられる事にとても満足している。
「人間って欲張りだよな、ホント。便利になったんだからこれ以上追及しなくてもいいじゃん」
そう言いながら達也はソファーに座りテレビを付けた。この時代では現代で想像するようなテレビという概念が無くなり、すべての番組がインターネット放送に移行している。
そしてテレビは今のようにモニターのパネルが付いているものは少ない。プラズマで空間に投影している。ちなみにHMDでも観ることができるがやはり若干画質は劣る。ちなみに達也はHMDではあまりテレビを観ない。それは達也が幼い頃から圭にHMDでのテレビの視聴はみっともないと教わったからだ。
幼いころはそれで納得するが大きくなるにつれ疑問が強くなり学に聞くと、圭が大学生の時に自転車に乗りながらテレビを観ていたら車に弾かれそうになったのが圭のトラウマとなり、それ以降圭はHMDでテレビを観たりしなくなり、人がそれでテレビを観るのを観る事も嫌いになったそうだ。。
「・・・・だからな」
小さな声だがかすかに学の口が動いた。
「え?」
「ああ、いや何でもない。またタイピングしながらしゃべっちまったな」
学は少し動揺しながら文章を打ち続けた。 いつもの事だろうと達也は気にも止めなかった。
テレビではニュースがやっていて昨日あった政治家の大沢議員の記者会見の後、その場にいた記者が何者かに殺害された事件についての大沢議員の会見が行われた。
「いやぁ、私もね、ビックリですよ。だってあんなちょっとうるさかったから冗談で手でピストルを撃つ真似しただけで殺人を指示したなんて濡れ衣きせられそうになって。だってまだ犯人捕まってないんでしょ?それじゃあ分からないじゃん。ましてや捕まったとしてもどこのポンコツ人間だかわからない人と私が繋がっているとでも思うんですか?」
大沢は自信満々に腹ただしくなるくらいのニヤ気顔で言った。
画面が切り替わり、それに対する抗議なのか「情報の開示を!」や「同士の解放!!」と書かれたプラカードを掲げた宗教団体が国会議事堂の前で機動隊ともめていた。 この宗教団体は一般的にカルト教団に分けられていて、信者も少ない。だがどこからかの経済支援があり、その資産は莫大だと噂されている。
「バッカじゃねぇの、こいつら?」
そう言うと学が声を掛けてきた。
「達也、お前も今ニュース見てたのか?」
達也は背を向けテーブルで文字を打ち続ける学に気を使い、音が漏れないようにHMDの骨伝導に変えて聞いていたのだが 、どうやら学もテレビを見ながら手紙を打っていたらしい。
「ああ、くだらねえ内容だけどね」
と軽く言い返すと返事がなかった。学を見ると少し考えたそぶりを見せながら達也に向き直って頭に付けているHMDを外した。何かを察して同じく達也もHMDを外す。一息置いて学が口を開いた。
「達也、彼らの行動は無駄なんかじゃない。彼等はとても大事な事をしているんだ。理由も知らないのに簡単に否定するもんじゃない」
学の鋭い眼が怖い。
「・・・・・」
何も言い返せなかった。いつも明るい顔をしている学がいきなり険しい顔をしたのだ。しかもよりによって彼らの事を肯定するように。学は続けた。
「達也、急にだが仮にお前が誰かに操作されてたらどうする?普通に過ごしているつもりが実は誰かに操られていたとか―」
「そいつをぶっ殺すかな」
学の言葉を途中で遮って、ふざけて答えた達也に対して真剣な顔で学が頷く。
「そうだろ?操作されているのに動けるか動けないかは別としてそいつを止めに行くよな?それと同じなんだよ彼等は」
言い終わった後の学は元の学に戻っていた。何かかみ合わない。
「風呂入ってくる」
その答えに関係する事は何も言い返さず達也は風呂場に向かった。
服を脱ぎ湯船に浸かる。
「分からない。学さんは何を言いたかったんだろう。つまり彼等は誰かに操作されているのか・・・」
結局2時間ほど湯船の中で考えたが結論は出せなかった。
夕飯を作りテーブルに並べながら学に質問をした。
「さっきの事なんだけどあれはどういう意味?」
「え、何。オレなんか言ったけ?」
学は考え事をしていたのか遅れて返事をした。
「さっきの事だよ。ニュースでやってた内容をオレが批判したら理由も知らないのに簡単に否定するなって言ったじゃん?」
「あ、ああ。だから簡単にテレビの内容を否定するなって事だよ」
学はなぜか動揺しながら言った。
「そういう意味じゃないでしょ。そしたらなんで宗教団体について話したの?あの団体を肯定するように」
「い、いやぁ信教の自由っていうのがあるじゃん?そのことを言ったんだよ。だから簡単に人の思想を否定するもんじゃないって」
明らかに変だ。人が嘘や隠し事をしている時に挙動不審になる事はどうやら本当のようだ。そのくらい学は動揺している。
「さっき言ってた事と違うよね?だってさっき―」
「疲れているんだ、休ませてくれ」
達也の言葉を途中で断ち切りそう言って学は自分の部屋へ逃げるように入って行った。逃がしたくなかったが話しかけるなと拒絶するオーラがあったので声をかけなかった。そして達也は先ほどの宗教団体の歴史を辿った。
あの宗教団体の事は少し知っている。リベルティ(Libelty)と呼ばれ世界各国に存在し、テロ組織と繋がっていると聞いた。先ほど国会議事堂で騒いでいた彼等はテロを起こした同士の開放を望んでいるのだろうか?いや、彼らは捕まって当然だ。関係ない人たちを巻き込んで無差別にその場にいた人間を殺す。
しかし、こんなどうしようもないテロリスト達を今日まで抑えられたのは日本政府が送り出した国家警察特別機動隊のおかげだと言われている。先ほどの番組内にも少し映っていたが彼らが時に国民に危険がせまった時に、リベルティを制圧していくのだ。しかし若者の間の都市伝説でその国家警察特別機動隊が実際には国民が思う組織と多く異なる組織という噂がある。
達也の知る限りではその組織の名前はベリス(Velith)と言う。ちなみに両教団共に外部の人間に対しては比較的閉鎖的な組織の為、あまり勧誘される事もなければどこかで演説をしているわけでもない。彼等はリベルティと対立する組織で、世界中でリベルティがテロを起こした際に市民を守りリベルティと戦う組織となっている。だが実際に日本にいるのはリベルティだけしかおらず、リベルティと戦うベリスいう組織をまともに見た人はほんの僅かしかいない。だからそうなると自然とリベルティのテロの時にいつも駆けつけてくる組織こそがベリスなのではないかと考える人間も多くいるのだ。
でも、なぜ学さんは肯定するように言ったのだろうか?ひょっとすると・・・いや、学さんに限ってそんなはずはない。ましてや人殺しなど。彼らの自由とは何を意味するのだろうか。自分なりに感じる自由とは誰からも縛られていないと感じられる瞬間、大切な仲間がそばにいると分かる充足感。それを自分では「絶対的自由」と呼ぶ。
「ガチャン」
玄関で扉の閉まる音が聞こえた。自分の部屋の窓から外を見ると学が車のエンジンをかけていた。学びの車にはGPSが付いているのであとをつけようとしたのだが学の車を検索しようとするとエラーメッセージが出た。何度やっても結果は同じだった。
すると丁度学から電話が来た。
「達也、人の車を追跡しているのは見えているが何があった?ただ圭の研究室に戻るだけだ、また留守番をよろしく頼む」
「なら言ってくれたっていいだろ。今日、変だよ学さん」
「男はみんな変人だ、急用だったんだ。大至急来てくれって頼まれて」
風の音がうるさくてよく聞こえないが確かに学の息は荒かった。
「今度は何?また実験?」
しばらく学は黙っていたが言葉を選ぶように口を開いた。
「まあそんなところだが今は言えない。だがこれから先の達也には大きく関わる事だと思うからいずれ言わないといけない」
「じゃあ―」
「今は無理なんだ、いやこれからも」
達也の言葉を割って言った。
「・・・・」
しばらく互いの沈黙が続き、電話が切れているのではないかとさえ思われる時間が続いた。
その沈黙を破ったのは学だった。
「何で日本国憲法第九条が消えたかお前は知ってるか?」
とっさの質問に達也は戸惑うが質問に答えた。
「世界が再び兵器などの緊張状態に入ったからだろー」
「違う」
冷たい声で学は言い返す。学は続けた。
「日本が日本国憲法第九条を破棄したのは別の理由があるんだ。俺たちのコンピュータは特殊なものでできているから国に傍受されていない。それぐらい知っているよな?あらゆるデジタル端末の物は公では言われていないが機械が傍受してている。でもさっき言った事も今から言う事も他の端末で話すなよ。お前は知るべき人間だから話すんだ」
達也は唾を飲み込み構えた。
「日本は核兵器を輸出している」
「・・・・!!」
あまりにも突拍子のない学の言葉に達也は言葉が出なかった。
「もうそれで分かるだろ。日本は平和の下で憲法を破る事が出来なかった。だから合理的にする為に破棄し、新たに憲法改正をして国にも公にも合理的な理由を成立させた。そして合理的な口実を作るための基となった世界平和の歪みも日本が世界各国に煽りをかけ、再び同じ過ちを繰り返させた。今もなお日本は世界中に核、核兵器につながる兵器を売り渡している」
「嘘だろ?」
達也が軽くパニックを起こすが学の声が荒々しくなった。
「嘘なんかじゃない!これを見ろ」
学の視界が達也に映る。するとあらゆる線が学の前を行き交っているのだ。それもよく見ると文字になっている。
「これは・・・?」
「ネット上で送受信されて流れる情報を可視化させているんだ」
学が何かコマンドを打った。すると情報の内容によって色分けされた。こっちから操作したいが操作権は向こうにあり、達也は映像のみだ。
「この過半数を占めている金色のラインが核兵器、他武器の設計図や輸出先を記載している情報だ」
「こんなに。」
ただこれらに見とれるしかなかった。
「これでも信じられないか?君の大嫌いな日本が」
元のビジョンに戻る。
「別に嫌いじゃねえよ。でもどうやってこの情報が見えるようになってるんだ?」
「君の親父さんはそれぐらいこの研究に関与してしまったのさ」
「・・・・・」
目の前にあるペンをいじりながら気持ちを整理しようとしたが変わらなかった。
「悲しい現実だよな。公の理由と真実はまるで違う。憲法改正の理由だって経済成長の拍車に終止符を打つ為、有名な2国が安保条約破棄を同時にチラつかせ、それに対応するべく日本は憲法改正をしたと言われている。しかし、おかしいよな?それの脅しに便乗するかのような挑発的な行いを政府はするか?しかも改正するにはその2国の同意が暗に必要だ。だからこの理由の信憑性を深める為にあえてこの偽の改正理由については言わなかった。もうひとつ別の理由を作り、それを公に発表。そして一部の人間に先ほどの理由を言った。そうすればあとは自然と周りがつるし上げ、政府はその理由を否認すれば国民はますます疑いこのくだらない作り話を信じるようになるんだ。
学はつづけた。
「でもな、さすがに国民も馬鹿じゃない?時間がたてば疑う人間は出てくる。だがその時にはもう日本は世界を裏で牛耳っていたんだな。世界中に煽りをかけ、互いの国を疑心暗鬼にさせ冷戦みたいなものを再び再現したんだ。だがそれに気付いた世界ももうすでに遅かった。日本から買った兵器には日本からも操作できるようになっている。少しでも変な事をすれば自国がドーンだ。だが世界中が日本からの兵器を買っている。だからそれに気付いたとしても買い続ければならない。つまり日本は世界中に自国の兵器が配備されていて、いつでも世界中の国と戦える状態を確立し、経済のどん底から再び上に這い上がった。詳しい事は長くなるからまた後で話すよ」
「・・・・・」
学の長い説明にも付いて行けるほど頭が回らなかった。
「分かってくれたか?」
「何を?」
学の言葉から何を分かれというのだろうか。
「ああ、スマン。話がそれたな。あまりにも深刻そうだったから別の話題を出したんだがもっと深刻になっちまったな。オレ達はとりあえず研究所に行くだけだから。内容は教えられないけれどね。」
「親父も・・・一緒なんだね。」
すると学の電話が切れ、圭から掛って来た。やろうと思えば5人までの会話が可能だったが、自分が先ほどの憲法について食ってかかってくると悟ったのか電話を圭に転送したのだ。
「・・・ああ、久しぶりだな」
父親が出た。 車には乗っていないようで周りの音は静かだ。
「何やってるんだよ」
あきれるように言う。
「悪い。最近会っていないが元気にしているか?」
「誰もいないから自由気ままにやらせてもらっているよ」
「そうか、相変わらずなんだな。まあしばらく学も俺も帰れないから留守番宜しくな」
「ずっと向こうにいてもいいよ。オレ自由好きだから」
「誰だってそうだ。俺もお前ぐらいの時は同じだったな。うん、帰ってこられないかもしれないな」
冗談なのか本気なのかすらりと圭の口から出た。
「ま、まあそれじゃあね」
「ああ、それじゃあな」
電話を切った。
今日は本当に意味不明な事ばかりある。
気になる。憲法破棄した理由。ネットで調べても出てこないと考え結局は何もしないで寝ることにした。
それが達也にとって家での最後の睡眠となる事は知らずに。
何となくすっきりしない朝を迎えた。昨日は疑問だらけの1日だったからだ。
朝食を作りながら天気予報を観た。今日も晴れ。雨の日は1週間に1度あるかないか位だ。「なにも発展しない毎日にへどが出る。どうせ自分なんか存在したってしなくたって地球は回る。でもそれが逆に誰からも縛られていないと確認できる瞬間なんだよなあ」と毎日暇があると同じ事を考えてしまう。溜息と同時に玄関のドアを開ける。この時、なにかが達也の裏で動き始めたのだ。
学校に着くと、いつものように考一と隆樹がいた。
「だよな、家で何かあったって、周りは周りだもんな」
そんな当たり前の事をなぜが達也はありがたく思った。
「来たか」
考一が話しかけてきた。
「ああ、おはよう。1時限目何だっけ?」
「体育だ」
隆樹が答える。
「ありがとう、じゃあ着替えるか」
「やはり何も発展しない毎日は面白くない」
そんな事を考えながら着替えている達也はまた昨日考えていた「退屈」を消す事ばかりを考えていた。
「どうした?」
急に考一が険しい顔をしながらぼーっとしている達也に気付き声をかけてきた。
「ああ、うん。大丈夫だ」
そう言い返したが長年の付き合いもあり考一にすぐに見破られてしまった。
「またあれか。ループ的な人生に飽きてきたのか?それはオレと隆樹も同じだ。だけど、それで何もしないんじゃ何も始まんないぜ?」
考一が笑いながら言った。
「ああ、そうだよな。うん、悪かった」
「行こう、もうすぐ授業始まる」
頭に付けているHMDと手に着けているコンピュータを外し、ロッカーの中に入れた。
「OKじゃあ行こう」
そう言って運動場に向かう。
授業はいつもと同じように進んだ。達也たちも同じように授業にそって動く。まるで波のように、そして時としてその波が大きな引き潮となり津波に変わる事がある。達也が校庭で球を追いかけている時にはもう事件は起きていた。
体育が終わり、ロッカーに戻るとHMDが光っていた。メールかと思い確認すると着信だった。それも学から。
「どうした?」
考一が話しかけてきた。
「なんか家から電話が入っていて。かけた方がいいかな。でも、もう授業始まるし。いいか、どうせまた帰れないとか帰ってくるの話だろうし。」
悩んだ結果、時間もないのでそのまま次の授業を受けることにした。
だが、授業中にも関わらず学から着信が入ったのだ。基本的に校内での通話は厳禁だが家族内の通話は授業中でなければ可能となっている。達也、考一、隆樹にとっては全く関係がないのだが。
「はい」
周りに迷惑にならないように小さな声で電話に出た。
「達也!圭が死んだ!!」
学が慌てた口調で電話をしてきた。
「は!?何言ってんだ!」
あまりにも大きな声で叫んだので全員が達也の方を見た。
「ちょっとヤバいって廊下で電話を―」
隆樹が出るように腕を引っ張るが振りほどいた。
「交通事故だ、即死だったらしい。まだ目的地も遠いのになぜか手動運転になっていたんだ。詳しい事は・・・。今来れるか?家に。」
「大丈夫だ。学さんは今どこ?」
「現場だ。現場には―」
「今行く!」
学をそこから動かしたくなかったから、一方的に電話を切った。電話の発信場所はこっちから地図で見えていた。
「達也、授業中に電話はいくらお前でも―」
教員が達也に腕を向け電話を切るように言った。
「ガラ」
教室のドアが開き、担任が入って来た。
「達也、君のお父さんが」
「話は伺いました。申し訳ありませんが車を出してもらえますか?」
担任は頷くと車を取りに教室から出て行った。
「どうした?」
考一が聞く。
「あとで話す。なんか親父が事故ったらしい」
途端に教室がざわめき始める。
これ以上いても意味がないと思い、すぐに荷物をまとめて教室を出た。下駄箱に向かうともう外には担任が車に乗って待っていた。
「いやぁ大変だね達也君も。こっちも色々手続きで大変だけど・・・ああ何でもないごめんごめん。お父さん無事だといいね」
教育現状に学生ながら諦めがついていた達也は一瞬強く握りしめた拳をゆっくり解いた。
「親父、死にましたよ」
「え?」
「いいから早く出せマニュアル教師!!」
担任は慌てて行き先を指定し車を発進させた。おそらく死んだ事まで話されていなかったのだろう。
事故現場に着くと圭の車とその隣には学がいた。
「詳しく教えてよ」
達也はすぐに学の所へ行き聞いた。
「朝に1度家に帰ってたんだ。そして研究所に戻る直前にこうなったんだ。警察も不思議がってるよ。何で乗り始め、乗り終わりじゃない途中の道で手動になっていたのか」
「外部からのハッキングの可能性は?」
「それはない」
「でもやろうと思えばできるでしょ?だって衛星端末だって一応ネットに繋がっているでしょ?そしたら政治家とか身分の高いやつらのコネがあれば・・・」
周りの警官は黙って達也の事を睨みつけていた。
「ここじゃ話しづらいから、別の場所で話そう」
学が車を出した。
「何処に行くの?」
学は答えなかった。だが間をおいて口が開いた。
「家だ。達也、あの状況を見てあの話は良くない。だが一応オレも気になって調べたんだが外部からのアクセスはなかった」
達也を見ず前を見ながら言った。
「ごめん、でもどうしても納得できなくて聞きたかったから。目的まで遠いのに何で手動になっていたのかも気がかりだし。これじゃあ自殺じゃないか」
ぼそっと達也は言った。
圭をこんなにあっけない終わり方で終わらせたくなかった。自分自身では認めたくなかったが、少なからず圭を尊敬していた。何かに没頭できる事。それは幼い頃から自分を見てくれない事に腹も立っていたが、それが世界中で役に立っている事に達也はとてもうれしかった。昨日の事件だってそうだ。喧嘩をした本当の理由は、からかわれたらそこで鼻を高くすればいいものを父親の偉業を素直に喜ぶ事の出来ない自分自身に苛立っていて暴れたのだ。
「それなんだが、気を悪くしたらすまん。どうやら手動にしたのは圭自身らしいんだ。もしかしたらお前の言う通り・・・」
達也に向き直り、気まずそうに言った。
「な、なんで?」
「分からない、近くにコンビニとかそういうのがあれば話は別なんだがな。あ、まだ着かないから寝てていいよ」
色々聞きたかったが今は学の言われたように寝ることにした。朝から運動をし、そして身内が事故に遭い、実際達也も疲れていたのだ。それにもしかしたら自殺の可能性もあり、それを認めたくなかった。だから寝て忘れようとしたのかもしれない。
「『自分自身の色を持て。』『お前はお前だ他人じゃない。』『男ってくだらねえ生き物なんだよ。』」
これが圭の口癖だった。でも、もうあいつはいない。さっき見た。無残に散らばった圭の残骸を。なんで勝手に死んでいったんだよ。
「着いたぞ」
目を開けると家の前に車が止められていた。眠ていたのか、眠ていなかったのか分からない。ドアを開け車から降りる。
こうして一緒に学と家に入るのも久しぶりだ。家に入ると学が達也に言った。
「圭が何か残していないか探してみよう。達也が事件だと思うなら何か重要な手がかりが残っているはずだ」
「分かった」
取りあえず自分の部屋に行ってみる。すると、探すまでもない程に達也の机にメモが置かれているのだ。しかもそれはHMDからでしか見えない。
学を呼ぼうとしたがメモにHMDのアイコンを合わせると「誰にも見せるな」と書かれている。メモに触るととあるアルファベットと一緒にメッセージが流れた。
「た、達也・・・。お前を巻き込んで悪かった。でもこうするしかなかった。こんな事はあってはならなかったんだ、間違っていたんだ。この意味が今は分からなくても、すぐに分かるようになる。だから先に謝らせてくれ、。すまなかった。今後は学の家に泊めてもらいなさい。そしてこの3文字は絶対に誰にも教えるんじゃない。いいか、これが・・・・。すまん、全ては話せない。ただ言える事は・・・変えてくれ」
そこで映像が途切れた。ディスプレイ上には「L,O,S」と書かれている。
達也はそれをHMDでスキャンし、データごとパソコンに保存した。
「何かあったか?」
突然学が部屋の前に来て声をかけた。ビクッとした。
「何もない」
言い終わったあとの間が達也以外の人間は一瞬に感じられるが、達也は嘘をついたあとの間が長く感じ、嘘がバレてたのではないかと毎回思う。
「入っていいか?」
達也は自分が信用していない人に部屋にプライベートラインに入られる事を拒む。ただし学は別だが、気を使っていつも聞いてから入っている。
「いいよ」
机に置いた学の手が圭のメッセージと重なる。どうやら自分のHMDからしか見えていないらしい。
「まさかこんなに早く死ぬなんて」
圭の事を悔やんで言ったのか、それとも初めから分かりきっていた事なのか。達也の頭に強く残った。
時計を見ると6時を回っていた。皮肉にも夕焼けが眩しく綺麗だ。それに学は珍しく誰にも手紙を書かなかったらしい。
「もし、あの時電話で『帰って来い』って言ってたら死ななかったのかな。自分が追い詰めたのかな」
「よすんだ。人って言うのはな、そいつが死ぬと必ず最後の事を悔やむんだ。だからお前は関係ない。仮にも関係あったって、もうここには何もないんだ」
「・・・・・」
説教とか人に論されるのは嫌いだが今回は黙って学の言葉を聞いた。
「『未来は無限大だ』ってよく大人達は子供に言うだろ。でも本当の意味を深く理解してる奴なんていやしない。でも、未来は無限大ってのは本当だぜ。だが過去を見てもそれは1本線でしかないんだ。あの時こうしていれば良かったとか俺も思うし他の誰だって思う。だがその頭の中で描いたその世界はもう存在しないのさ。簡単に言えばこの現実の中にある物を1つにまとめた電車だったとしよう。その先にある分岐点には無限の線路があり、そしてその先にも無限の分岐点と線路があったとする。そして選んだ道に進む。しかし線路の選択を誤って、仮に戻れたとしても選択した時に動かしたポイントマシンは1度しか動けないから他の線路には行けないんだ」
「そして無理矢理他の道に行こうとすると脱線する。だから仮に未来が分かっていてそれを止めようとするとその行動自体がもしかしたら無限に広がる線路でもその線路は存在しないのかもしれない。線路のどれか1つの先は通る道だが乗っている奴には見えてはいけない世界なんだ。言っている意味が分かるな。過去を悔やんでもしょうがない。よく俺は薄情者とか言われるが俺だって泣いてるんだ。だが事実を受け止めるしかないんだ。今回の事で俺に出来る事は圭の遺志を継ぐ事。そして圭を忘れない事だ。それを背負って俺達は生きていく」
話し終わると達也が無言で沢山の涙を流していた。ただただ涙を流すしかなかった。沈みかけた夕陽が達也と重なった。