三話 孤独
今日は後輩の夏紀と遊びに行く予定だった。
「先輩!待ちました?」
約束の時間よりも20分は遅れている。夏紀は時間にルーズなのだ。
「遅い」
「す、すみません」
やっぱりかわいい。別に私は待つのは嫌いじゃないし、気にしてなかった。
「うっふふ、じゃあ行こうか」
こうやって夏紀と一緒にいると、昔の私とだいぶ変わったなと思う。人に話を合わせて、笑顔を作って、ただ空気を読んで仲間外れにされないように必死になっていた日々。他人に心を開くことなどできなかった。多くの友達に囲まれて、どんなに楽しそうに笑っても、いつも私はひとりぼっちだった。心から他人を信用したことがないのだ。自分が自分じゃないような気がして何度も死にたいと思った。アキハルさんに会うまでは。
アキハルさんに初めて会った日は今でも覚えている。あの日は雨が降っていた。学校の帰り、神社近くのコンビニで雨宿りしていた時の事だ。
「よう。雨宿りか?」
と、突然話しかけてきたのだ。Tシャツにジーンズ。ラフな格好をした20代の男。それがアキハルさんだった。
「傘貸してやろうか?」
「あ、いえ結構です」
そのとき私はナンパだと思ったから断った。
「ふぅん。まあ良いけど。しばらくは止まないぜ?雨」
「え?それは困ります」
あの日私には大事な用があった。
「あっはは。困るだなんて俺に言われてもどうしようも無いがね、はい、傘。それ良いやつだから返しに来てね。あ、俺そこの神社に住んでるから。じゃあね」
「は、はい。ありがとうございます」
後日傘を返しに行くと
「お、ホントに返しに来るなんて偉いなぁ。まだまだ世の中捨てたもんじゃないねぇ」
と言われた。
「よく盗まれるんですか?」
「うん。別にまた買えば良いんだけどさ。だいたい戻ってこないね。特に若い奴はね」
「なんかすみません」
「俺も若いんだけどね」
「あ、すみません」
なんか謝ってばっかりだった。
「まぁいいさまぁいいさ。ところでお茶でも飲んで行くかい?」
「良いんですか?」
「おう。もちろん。ここのお茶は旨いぜ?」
「ありがとうございます!」
あのときも私は、アキハルさんについて行ってあの神社に入っていったのだった。
「そうだ。俺の名前は秋田春雄。名前に秋と春って季節が2つも入ってるんだ。みんなにはアキハルって呼ばれてる。それに慣れすぎてて春雄で反応しなくなってきたくらいでさ…」
と、突然語り出した時はびっくりしたっけ。お茶がなかなか出てこなかった。小一時間話を聞かされた。
「ところで君の名前は?」
「井上美雪です。美しい雪と書いて美雪です」
「へぇ、美雪って言うんだ。冬の季語だね」
「そうなんですか?」
「え?知らないの?俺もだけど」
「アキハルさんも知らないんじゃないですか」
「だって俳句とか興味無いもん」
私とアキハルさんはこのあとも他愛の無い話を続けていた。そのとき私は気が付いたのだ。ありのままで話せている自分に。
それからしばらくして付き合うことになった。そしてある日。
「縛りって興味ある?」
そう聞かれた。
「なんですか?それ」
「SMだよ。ロープとかで身体縛るやつ。知らない?」
「やりたいんですか?」
「うん」
正直気持ち悪いと思っていた。しかし好奇心もあった。
「良いですよ」
「やったね。じゃ、服脱いで」
「は、はい」
私は服を脱いだ。
「下着も全部」
「すみません」
下着も脱いで裸になった。何も身につけていない。
「じゃ、始めるよ」
緊張でドキドキしていた。しばらくして、それが興奮であることに気づいた。
「はい。完成」
アキハルさんに身体を弄ばれている間。私は満ち足りた気分に浸っていた。不思議な気分だった。縛られている間だけ、私は世界で一番幸福なのではないかと思った。心を開いて、アキハルさんに縛られて、私の何もかもを解放したような気になった。私はそのとき孤独じゃなくなった。あの興奮は今でも鮮明に覚えている。
「じゃ、さようなら。楽しかったよ」
私は夏紀に別れを告げ、家路に着く。彼女もまた、私の孤独を埋めてくれる一人なのだ。
井上と木下と秋田