無題
不安になるのは、病気だからだろうか。そうだ、そろそろ病院に行かなければ。何ヶ月か過ぎると初診料が発生していまう。それはただの意味の無い言い訳だ。本当は、辛くて辛くて仕方ないから行くのだ。なにが辛いか、特に実態はない。言うなれば、過去だろうか。過去にあった苦しみはいつまでも心に残ったまま、消化されることはない。それが今へと引きずっていると、小さな些細なことで、辛くなってしまう。目には見えない症状は、自分にしかわからない。それは仕方の無いことだし、理解してもらおうとも思ってない。それは嘘だ。理解してほしい。でも言葉では言い表せない辛さは、いつまでたっても消化されず、ずっと心の中に残っている。それが僕は、怖い。
仕事仲間と友達は違う。
仕事は割り切った関係だ。あとでのフォローなんてあまり必要ないし、仕事をしている関係だけだから面倒なこともそうそうない。けれど友達は違う。あとでのフォローだって必要だし、なにも理由がない関係だから相当脆いものだ。相手が嫌だと思えば、それは嫌悪として顔に出たり、表情に出たりする。それが僕は怖い。人よりも僕はきっと人の表情がよく読める。異変があればすぐにわかる。それが自分に向けての嫌悪ならばなおさらだ。だから僕は恐れる。人に嫌われることを恐れ、人から遠ざかりたかった。けれどそれも無理な話しだ。人から遠ざかるなんて無理で、けれど嫌悪をものともぜすに生きていくのも僕には無理だ。中には嫌悪なんてどこ吹く風で、自分は自分、他人は他人で割り切っている人もいるだろう。けれど僕は違う。そんなことはできないし、そんな心の割り切りはできない。辛くて辛くて仕方がなくなるのだ。悲しい。寂しい。でもそれを口に出せば、本当に僕の周りから人はいなくなってしまうだろう。それが僕には悲しくて仕方が無い。
希望はあると信じているが、無性に死にたくなる瞬間が多すぎる。本当にふとした瞬間だ。癖になってしまっているのかもしれない。だからと言って死ぬような行為はしたことがない。いや、一度だけあった。何も食べない日々が続いていた時があった。今思えば、死に向かっていたのかもしれない。あまりに緩やかな死への向かい方に、僕は当時気づきもしなかった。自覚したのは何年か経ってからだ。けれどそれ以外に手首を切るような行為や飛び降りる行為はしたことがない。死にたいけれど、死に切れない。僕が生きている理由は、死なないから、という陳腐なものなのかもしれない。
中二病だと笑う人もいるかもしれない。その人は恐らく、こういう経験をしたことがないのだろう。こういう、どうしようもない経験を。僕のように若いうちからする人もいれば、大人になってからする人もいるだろう。ひょっとしたらこういう経験をしたことがないまま、死ぬ人もいるかもしれない。その人は幸福なのだろうか。いくら考えたってわからないのだから、止そう。
生きている内に大切なものが見つかればいい。死ぬまで時間はあるだろうし、僕の気持ちが変わらないうちは。けれど死にたいという気持ちが消えることはない。僕は事あるごとに死にたいと思うだろう。それを実行する時はないとも言いきれない。けれど僕は生きている。だからそれでいいかな、とも思う。未来を夢見れるほど余裕はない。死にたいという気持ちと、生きているという現実に挟まれていて、それで精一杯だ。それでも僕を好きだと言ってくれる人と、生きていけたらいい。その人たちを大切にできたらいい。全ては願望でしかないけれど、でもそれがずっと続けばと願う。
これは僕の徒然だ。題名をつけるまでもない。