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一章 おかしな本

「フィーちゃん、ご両親から届いてるわよ」

「あ、ありがとうございます」

 人のよさそうな、ふっくらした中年女性から、薄茶色の紙に包まれ、キュッと紐で縛った荷物を受け取った。

 にこやかに微笑んで答える声の主は、中性的な顔立ちだ。ひょろりと背が高く、パッと見ただけでは、とっさに男女の区別がつかない。服装も、男性が好むシャツとズボンだ。声を聞いても、少女なのか、声変わり前の少年なのか、その判断は難しい。

 荷物の送り先は村の名で、受取人の名は記されていない。送り主には、両親の名が連名で書かれていた。

 そういう取り決めだから、誰も、何も、疑問を抱かない。

(……本、かな?)

 軽く首を傾げながら、荷物を抱えてトコトコ歩く。

 大陸の端で、辺境にある小さな村。住人はたった二十世帯ほどで、全員が大きな一つの家族といった様相だ。

 この村で生まれ育ち、普段は一人暮らしをしている。両親は【探求者】と呼ばれる特殊な資格を持ち、遺跡などの発掘にいそしんでいるためだ。

 この大陸には河川が少なく、人の住める場所が限られる。その結果、古くからの貴重な遺跡などが数多く残されてきた。そして、国が行う厳しい試験に合格した【探求者】は、それらの発掘や調査を行う。すべての出土品と情報をまとめ、国に報告することで、多大な報酬を得ている。

 自身も【探求助手】という、【探求者】の補助ができる資格は有している。ただし、単独の発掘はもちろん不可。実際の発掘作業は、ただ眺めるのみ。できることは、出土したものや資料の整理といった、単純な雑用だけだ。

 とはいえ、無資格で出入りしただけで厳しく罰せられる発掘現場に、堂々と入れる。それだけでも、ずいぶん優遇されていると言えた。

 村の中心地にほど近く、水場もすぐの好立地。そこにいくつか並ぶ家の一つが、我が家だ。

 赤茶けたレンガを積んだ外壁と、薄い木板のなだらかな屋根。外壁に開けられた四角い隙間は窓だ。風のない暑い日や夜間は、室内からタペストリーでふさぐ。今日のように天気がよく、風が心地よい日には、どの家も窓を開けて風を通している。

 玄関のタペストリーを軽く持ち上げ、足早に中へ入った。ジリジリと肌を刺す日差しがなくなり、ほのかにひんやりした空気が皮膚をなでていく。

 丸いテーブルに荷物を置き、小さなナイフで紐をぷつんと切る。ガサガサと紙を開いて、さらに紙で包まれた中身を取り出す。

「……珍しく厳重だね」

 やや縦長の四角形で、小指の関節二つ分ほどの厚さの何か。

 そっと、慎重に包みを開けていく。

「やっぱり、ね」

 呟いて、中身を両手でゆっくりと持ち上げた。

 叩くとコンコンと軽妙な音のする、硬い表紙の古い本だ。思わず匂いを嗅いでみるが、古くさい紙にありがちな、鼻につくカビ臭さはない。

 ゆっくり表紙を開くと、右上に『septem』と書かれていた。上下に適度な隙間を空け、紙の中心に文章がいくつか並んでいる。単語の都合なのか、行末は不揃いだ。

「七? 一じゃないの?」

 変わってる本だと思いながら、はらりとページをめくった。

 左側は真っ白だ。右上には『centum』とある。

「えぇ? 七の次が真っ白で、その次が百って、いったいどうなってるの?」

 肩をすくめ、本をテーブルに投げ置く。それから、同封されていた手紙に目を向けた。

 表も裏も文字はなく、封は開いている。だが、これは間違いなく両親からのものだと、直感が告げていた。

「この本を、正しく戻せ……?」

 便箋のほぼ中心に、たったそれだけ。

 ついつい読み上げてしまったが、まったくもって意味がわからない。

「……ページがメチャクチャなことも、何か関係あるのかな?」

 パラパラと数枚めくってみたが、百の次は十八、その次は三十二と、やはり並びは無秩序だ。そして、どの見開きも、必ず左側が白い。

「だいたい、さっき百があったけど、これ、絶対百枚もないよね」

 本自体は分厚いが、紙もそこそこの厚みがある。裏のないこの紙が、百枚も収まる厚さはない。

 パラパラめくりつつ数えてみれば、たった十八枚しかなかった。

「正しく戻せ、って言われてもね……」

 呆れ気味に呟いて、手紙を折り畳んで本に挟み込む。

「ごめんください!」

 若い男性らしき声だ。

 村の人間なら、こんな言い方はしない。愛称で呼びかけ、軽い調子で「いる?」と聞いてくる。

「えっと、フィリスさんのご両親に頼まれた者ですが……」

 無言を貫いていると、彼はあたふたと用件を告げた。在宅を確信している辺り、住人にきちんと確かめてから来たのだろう。

(仕方ないなぁ……)

 両親に頼まれた者、と言って来る人間には、あまりいい思い出がない。

 玄関のタペストリーをぐいっと持ち上げ、フィリスは不機嫌な顔を覗かせる。

 この辺りではまったく見かけない、ヘーゼル色の髪と瞳の青年だ。少しばかり、目つきが悪い。すらりと伸びた背筋と、それなりに筋肉のついた腕。肌はしっかり日に焼けている。困惑の色が濃いためか、いまいち年齢がはかれない。薄い茶色のシャツと黒いズボンには、ところどころに乾いた土がついている。

(年は近そうだけど……パッと見は近づいたら危ない人って感じだね)

 のんきな村暮らしのフィリスには、そんなふうに映る人物だ。

「あんた、誰?」

「……え? あれ……?」

 あからさまな戸惑い様に、フィリスは露骨に目をすがめてため息をこぼした。

 毎回毎回、両親の依頼を名乗る訪問者はこの調子だ。

「あんたも、父さんと母さんに騙された口?」

 年頃の少女の一人暮らしだから、やはり心配してしまう。

 そう聞かされて、頼まれた人間は少なからずソワソワして、ワクワクしながら訪れるらしい。だが、顔を出すのは、明らかに期待していたような可憐な少女ではない。

 薄茶色のサラサラした髪は短く、栗色の瞳は涼しげだ。睫毛が長めだから、髪を伸ばせば少女に見えるかもしれない。だが、低めの声を聞いた後では、全体的に細っこくてひょろっとした、声変わり前の少年だ。

「僕と両親、この村の人たちとは、きちんと取り決めてあるんだ。そのルールに則ってないあんたは、悪いけど信用できない」

 よそ者がいる時は正しく、いない時は愛称で呼ぶ。外部からの訪問者が、愛称を尋ねた場合は無条件で信じていい。名前を呼んだ場合は、家を教えるだけ。余計な情報は与えてはいけない。

 これは、村の者だけでなく、フィリスの両親も徹底している。

「それと、僕が可愛い女の子じゃなくて残念だったね」

「いや、娘とは言われたが、可愛い女の子とは聞いてないぞ」

「あ、そうなの? いっつも『可愛い女の子の一人暮らしだと思ってたのに!』って怒鳴られるから、てっきり父さんか母さんがそう言ってるのかと思ってたよ」

 もっとも、両親の性格をかんがみるに、その類いのことを言うのは母だけだ。

 唇を歪めて薄く笑い、フィリスは肩をすくめた。

「……で、あんたは何の用で来たわけ?」

「いや、だから、ジェフリーさんとアンソニアさんに頼まれて、娘さんの様子を見に……来る必要はなかったな」

(……あれ?)

 何かがおかしい。引っかかる。

 変わった荷物が届いた。その直後に、愛称を教わっていない人間が『様子伺い』に来る。そんな偶然が、あっていいのか。

 ひどく、嫌な予感がした。

「あんた、名前は? ひょっとして、【探求者】の資格、持ってる?」

「カイルだ。それと、【探求者】なら持ってるぞ」

 腰から下がる小さな巾着を、彼はポンと軽く叩く。

 現場に入るには、正規の所有者でなければわからない質問に答える必要がある。それも、人によって違う。だから、資格証の管理が少々ずさんであっても、質問の答えさえ知られなければ、取り立てて罪に問われることはない。ただし、うっかり紛失した場合、ねっとりとしつこく説教されるそうだ。

「ねえ、カイルさん。運動は得意?」

「普通よりは得意だと思うが……いったい、さっきから何なんだ?」

「じゃあ、いつでも逃げれるようにしておいてくれる?」

 彼の質問には答えず、フィリスはカイルを室内へ招き入れる。かといって、茶を出したり、もてなしたりするわけではない。

「そうそう、ここを突き当たって右で台所。左側に勝手口があるから」

「……逃走経路の確認か? いったい、何だって」

「邪魔するぜ!」

 問い詰めようとしたカイルを遮る、低いだみ声が響いた。フィリスはとっさに、本をしっかりと腕に抱きかかえる。

「ここに届いた本を渡してもらおうか」

 だみ声の主は勝手に入ってきた。

 むさ苦しい無精ヒゲの、厳つい顔の浅黒い男だ。背もそこそこに高く、体の幅が広くがっしりしている。パリッとしたシャツとズボンを履いているが、どうにも胡散臭い印象はぬぐえない。

 彼の後ろから、似たような体格の男たちがぞろぞろと、五人入ってきた。

 元々、そう広くない家だ。六人もこんな男たちがいたら、何もなくとも暑苦しい。

「やだ。……って言ったら?」

「奪い取る!」

 うっすらと凍る笑みを張りつけて断るフィリスに、男は空気をビリビリと震わせる怒声で応じる。

 気づかれないよう、フィリスはジリジリ下がっていく。

「あんたには渡さないよ」

「……奪い取れ。本が無傷なら、やつらはどうでもいい」

 背後の男たちに向かって。暗に、殺してでも、と言い放つ男に、フィリスの顔色は変わらない。

「こんな子供にまで、何てこと言いやがる!」

 乾いた泥のこびりついた、大きな荷袋。そこからほんの少しはみ出た、ほのかな茶色のシャツ。二つの色が、視界に広がる。

 ぼんやりと見上げた先には、ヘーゼル色の髪。

(……ひょっとして、庇って、くれてる?)

 カイルの行動が、さっぱりわからない。首をひねって真剣に考えたいが、状況がそれを許さないことは重々承知している。

「カイルさん、逃げるよ!」

 言いながら、フィリスは男たちに背を向けた。そのまま、脱兎の勢いで勝手口へと走り出す。

「あ、ちょ、おい!」

 慌てた声を背中で聞く。すぐに、気配が一つ、追いかけてきたのがわかった。その上、彼の後ろにはいくつもの気配。

 勝手口から外へ。待ち構えていた住人たちが、フィリスに道を示す。

「悪そうな人は、カイル。僕と一緒に行くから案内してあげて。でも、クマみたいな男たちはさりげなく邪魔して!」

 指示を飛ばしている合間に、横から差し出された荷袋を受け取る。

 こういうことがあった時、いつでも脱出できるように。他の人に預けている、フィリスの旅用の荷物だ。寝袋まで入っているため、見た目にもかなり大きくて重い。

 グッとつかんで、紐を左肩に引っかける。きっちり背負う余裕はない。

「ありがと!」

「フィリス、どうか無事で!」

 知った声に力強く頷いて、一直線に村の外を目指す。向かう先は、姿を隠しやすい森へ続く出入り口だ。

「おい、待てって!」

 カイルの声がすぐ後ろで聞こえた。それでも振り向かず、フィリスはひたすら森へと走る。もちろん、森へ入ったからといって、速度をゆるめることはしない。

 たまに飛び出している細い枝が、頬や額を打つ。それでもフィリスは突き進む。

 振り向いても、村は見えない。森の出口もまだ遠い。そこまで進んで、フィリスはようやく足を止めた。

 息がすっかり上がってしまったから、整えるために少し大げさに呼吸を繰り返す。

「……あのなぁ」

「とりあえず」

 呆れた声音が何か言いかけたが、フィリスは容赦なく遮る。

「カイルさんが僕のとこに来た目的は、何?」

「だから、お前の親に頼まれたからだって。そうじゃなきゃ、わざわざ現場を離れて、こんな僻地に来ねぇよ」

「……それもそうだね。じゃあ、今まで来たことがある人たちって、何だったんだろうね。人の顔見て、あからさまにがっかりしてくれるんだから」

 理由は、とっくにわかっている。

 【探求者】として遺跡にこもってばかりになるため、基本的に出会いはない。同業者や友人の姉妹と結婚することも、決して珍しくはない世界だ。年齢が近ければ、年長の【探求者】の娘は格好の標的になる。

 もしかしたら。そんな淡い期待を抱くから、がっくりと肩を落として、大きく落胆しなければいけなくなるのだろう。

「俺が知るかよ。つーか、さっきあいつらが言ってた本って、何だ?」

「これだよ」

 片腕で、厳重にかくまっていたもの。

 腕をほどき、本を持ち直してカイルに見せる。

「カイルさんが来る、ちょっと前に届いたんだ」

「へぇ……ん? これ、何て読むんだ?」

 表紙に並ぶ文字をまじまじと凝視していたカイルが、眉を寄せて唸っている。

「ペルデレ リッテル。古語で『失う文字』って意味。一般的には、【失われた物語】って呼ばれてるやつ」

 古語は、大昔に使われていた言葉で、絶対に過去形にならない言語だ。いや、そもそも、過去形がない言語と言うのが正しいか。それをわざわざ【失われた物語】と称した、最初の人の感性には称賛を浴びせたい。

 ふと見れば、彼は夢心地のようにぼんやりしていた。

「……【失われた物語】? マジで?」

 彼の反応も無理はない。本物であれば、これ一冊で死ぬまで遊んで暮らせるだけの大金を、誰でも手に入れることができるのだから。

 その名のとおり、ほとんどの時間は失われている。ごくたまに、思い出したように世間に出てきて、またフッと消えていく。存在自体が幻とも言われている、非常に謎の多い書物だ。

「本物かどうかは知らないよ。でも、変な本ってことはわかってる」

 中身は右側しか内容が書かれていない。振られた右肩の数字も、メチャクチャだ。次行の頭の単語が短くても、前文末に押し込まれていない。逆に長いものが、時々強引に押し込まれている。

 これが、まともな本であるわけがない。

「まだ読んでないから、一旦逃げ切ったらゆっくり読みたいけどね」

「じゃあ、お前が読んだら読ませてくれ」

「……本物じゃないかもしれないけど、読むの?」

「偽物だろうな、って疑って読むんだよ」

 否定から入る。それも、【探求者】としての一つの方法だろう。だが。

「……それ、楽しいの?」

 本心から聞いてみたが、カイルはただ笑っているだけで答えない。

 ため息を一つついて、フィリスは手元の本に目を落とす。

 普通に生きていたら、まず見ることのない言語。それが表紙だけでなく、中身にも踊っているのが、この『ペルデレ リッテル』だ。

 そこでふと、フィリスは我に返る。表紙が読めなかったカイルに、中身が楽しく読めるとは思えない。

「っていうかさ、カイルさんに読めるの?」

 試しにと、適当なところを開いて見せる。

「うげ……何だよ、これ。ミミズか?」

「違うよ。幸い、僕は読めるけど……一度目を通したら、訳して音読しようか?」

「……そうしてくれるとありがたいな」

「だったら、早く安全なとこに出ようよ」

 そう告げて、フィリスは一歩踏み出した。

 森を抜けた先は、ほとんど知らない世界だ。【探求助手】の資格を取るためと、取った後に両親といくつかの現場を見た以外、村から出たことがない。

 これまで、何も不便はなかった。困ることも、苦労することもなく。平和に、平穏に、ずっと暮らしてきた。

 そんな生活が、たった一冊の本に崩されるなんて。

 今さら、理不尽さに腹が立ってきた。


        §


 やや鬱蒼とした薄暗い森を抜け、太陽の光を浴びる。ようやく、気分がほんの少し明るくなってきた。

 森の周囲は、まだ地面に水気があるのか、しっかりと固まっている。けれど、いくらか離れると、土から水が失われてひび割れていた。大きな土の固まりも落ちている。土は踏めば崩れるとはいえ、足下はどうにも不安定だ。

 照りつける太陽の暑さも加わり、歩きにくいことこの上ない。

「さてと、どこに行こうかな。カイルさんは、どこに行きたい?」

 一応、同行者だ。希望は聞いておこう。そんな感覚で何気なく、聞いてみたのだが。

「逃げることを考えるなら、人混みの中。迷惑を避けるなら、人のいないとこ。逃げ場を確保するなら、発掘中の遺跡だな」

「現場に行って、逃げれるの?」

「資格持ちっぽいのはいなかったからな。いても、一人二人ならどうにかなるだろ」

「……あんたってさ、慎重っぽく見せかけて、案外いい加減なんだね」

 もし、全員が【探求者】や【探求助手】の資格を持っていたら。

 貴重なものを掘り出している場所に、わざわざあんなやつらを引き込むなど。百害あって一利なし、だ。

「僕だったら、発掘中に余計な揉めごととかは勘弁して欲しいし、邪魔だから来るなって思うよ。あっちが本当に資格なしなら、有効だとは思うけどね。はっきりしない以上は、人の少ないとこをウロウロするしかないでしょ」

 乾いた細かな砂がサクサクと、小気味いい音を立てる。

 特に方向は決めず、けれど大きな街からは少々離れたところを進む。先導は、途中からカイルに変わった。勘に任せて適当にフラフラと歩くフィリスに、カイルが大いに不安を抱いたからだ。

 途中、すでに発掘と探索を終えた遺跡を見つけた。

「んー、ここはインディキウムか。よし、ちょっと休憩するぞ。で、日が暮れる前に街に寄って、食料とか買わないとな」

「じゃあ、今からざっと、これに目を通すよ」

 フィリスは外から見つかりにくい、大きな岩の陰に腰かける。早速荷袋から本を取り出し、表紙をゆっくりとめくった。

(……プリームム、オプスクーリタース、エッセ……何これ、単純な単語しか並んでないんだけど)

 助詞がないため、正確な意味がつかみにくい。

 強く眉をひそめつつ、フィリスは黙り込んで文字を追う。いくらか距離を取った場所から、カイルがやはり怪訝な顔で見つめていることには気づかない。

(最初、闇、存在……突然、光。水、出る。穀物、育つ。感謝、祈る……あれ? 何か、こういう感じの話を、読んだことがある気がするんだけど……)

 引っかかりながらも、フィリスはページをめくった。

(ブライアン、奪う。奪う。奪う……人々、飢える、死ぬ。ブライアン、笑う、言う……最低な男だなぁ……)

 単語の間にある意味を想像で拾いつつ、黙々と読み進める。ほとんどが、ブライアンという男の犯した罪に関する話だ。それも、大方、感情を持った人とは思えない所業でしかない。

 半分ほど読んだところで、何かに似ていると感じた疑問が解けた。

(あー、【創世記】か。あれと似てるんだ)

 【創世記】は、この世界が始まった時のことをつづった読み物だ。家族に【探求者】のいる子供は、寝物語に聞かされることも多い。【探求者】や【探求助手】であれば、ほぼ間違いなく暗記しているだろう。

 ただし、【創世記】はまろやかに、口当たりよく仕上げてある。寝物語として、子供に読み聞かせることもあるからだ。だがこれは、夢を見させるだけではない。人の弱さゆえに発生する、むごたらしく悲惨な出来事まできっちり書かれている。どこを見ても、実に人間らしい人間しか出てこない。

 単語だけで淡々とつづられていることが、少なからずもったいないくらいだ。

 最後まで目を通し終えたフィリスは、そっと本を閉じた。顔を上げ、キョロキョロとカイルを探す。

「終わったか?」

「うん」

 気配を察したのか。どこからともなく現れて、声をかけてきたカイルに、フィリスは大きくはっきりと頷く。

「【創世記】をもっとえげつない話にした感じだったよ。僕はそうでもないけど、人によっては人間不信になりそうだね」

「で、お前はそれをどうするんだ?」

「んー? 父さんから伝言があるから、それに従うつもりだけど?」

 深く探るように、フィリスはおもむろにカイルをジッと見上げる。

 売り払った金を欲しがっているなら、何とかして離れなければ。そうでないとしても、このまま彼がついてくる理由がない。

「ジェフリーさんから?」

「うん。だから、誰かに売ることはないよ」

 先制攻撃のつもりだった。

 資金にしたいなら、取り上げようとするだろう。表面に出なくても、空気は変わる。そこで見極めようとしていたのに。

「別にいいんじゃねぇの? 今んとこ、お前のもんなんだし」

 あっけらかんと言い放つ彼を、思わずしげしげと見つめてしまう。

「んじゃ、食料と水だけ、補給しに行くか」

 頷いて本をしまうと、フィリスはのろのろと立ち上がる。

 辺りを何度も警戒してから、慎重に外へ向かう。そんなカイルの背を追いながら、フィリスはぼんやりと考え込む。

(ねえ、父さん、母さん……カイルさんは、信じても大丈夫なの?)

 両親が決めた方針に、則っていなかった。だから、どんなに親切にされても、すんなり信じてしまうことができない。

 フィリスには、少々特殊な特技がある。その事実に最初に気づいたのは、フィリスの世話をよくしていた村の人だった。

 本。紙切れに書かれた文字や数字。それらを、フィリスはたった一度見ただけで、完全に暗記してしまう。しかも、いつまでも覚えていられる。

 だからこそ、興味本位で読んだ古語を、今まで正確に記憶できていたのだ。

『ねえ、フィー。あなたは【探求者】になりたいの?』

『うん!』

『じゃあ、最初は【探求助手】だけにしなさい。フィーの頭の中の本は、いろいろなことがたくさん書き込めてしまうから、悪い人は悪いことに使おうとするわ。【探求者】では、それをうまく避けることができなくなるの。助手だったら、全部「わかりません」「知りません」「できません」で逃げちゃえばいいでしょ?』

『えー……私、お父さんやお母さんみたいになりたいのに!』

 駄々をこねた幼いフィリスに、母親はにこやかに微笑んでこう言った。

『お父さんやお母さんじゃなくて、フィーをずっと、そばで一生守ってくれる人ができたら、【探求者】になってもいいわよ』

 その約束を支えに、フィリスはこれまで【探求助手】として生きてきたのだ。

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