1章-1
「とても美味しいお茶ですね」
と呟いたのは、藤浪トモとテーブルを挟んで車椅子に座る少女。
ここは藤浪トモの自宅の一階。
住居というよりオフィスに近い雰囲気がある。
「あら、うれしい」
と、語尾にハートマークを付けそうな柔らかい声の主は水上チカ。
チカの落ち着いた物腰はトモより年上のものだ。少なくとも、アルコールOKの年齢だろう。
しかし、背の高さと顔つきから判断すると、十代前半にも見えてくる。
そのくせ、胸と腰の曲線は成熟した女性のもの。
チカは藤浪トモの左隣に盆を抱えて立っている。
トモの右には水上カズネが座る。
「チカ姉のお茶は最高だよね」
カズネは、トモと同じ年の従兄妹になる。
カズネとトモは姉妹。
家が近く、親戚である藤浪家と水上家の交流は深かった。
「ちょっと、先生の様子を見てくるわね」
と、チカは部屋を出て行った。
先生とは、トモの母親であり『レオ・ファーブラ』の著者である藤浪アイコである。
水上チカは、アイコのアシスタント兼マネージャーとして働いている。
主なワークスペースは、藤浪家一階にあるアイコが執筆に使う仕事場と資料室。
資料室は打ち合わせスペースと休憩室も兼ねている。
しかし、休憩室とは言っても主であるアイコは、この部屋で休むことはない。
仕事に入ると仕事場のPC前に座り続け、トイレ以外には動かない。
それが、アイコのワークスタイルだった。
いきおい、チカの仕事のメインは、アイコの健康管理と藤浪家のライフライン維持となる。
「マユちゃん、このクッキーもおいしいよ」
カズネは、金属缶入りのクッキーを両手に掴むと、車椅子少女の前の皿にザラザラと盛り上げる。
「カズネ」
トモは、小さく声をかけた。
「あっ! これね、見て見て。このストラップ、『レオ・ファーブラ』アニメ化記念の特別なやつでレアアイテムなんだよ。ステキでしょ」
カズネは、自分のケイタイのマスコットストラップを見せ。
「これは私の宝物なんだけど、マユちゃんにあげるね」
と、言ってストラップを外そうとする。
「いえ、それはカズネさんが持っていたほうがいいわ」
車椅子少女がカズネを制した。
「えっ? でも、特別なやつだよ。宝物だよ」
お預けをくらった子犬のような表情のカズネ。
「カズネ、それは母さんがカズネにあげたやつだろう。僕もカズネに持っていてほしいな」
トモのカズネを諭す。
「う……うん。まあ、トモがそう言うなら……」
渋々という風に、ケイタイを仕舞うカズネ。
トモは一息つくと、決心したように背筋を伸ばして車椅子少女に向き直り。
「東雲マユさん。僕の言った事を信じてくれるかい?」
車椅子少女--東雲マユは、トモの視線を鷲掴みにするように睨み返し。
「あなたのお母様が執筆中の小説の中に入れるって御伽噺?」
トモを睨みながらマユ。
「その御伽噺だよ」
マユの視線を受け止めてトモ。
「信じられわけが無いわ」
きっぱりと断言して。
「でも、私はトモ君の言葉に縋るわ」
フッとマユの目力が軟らかくなる。
「溺れる者は藁にも縋る」
マユは諺をあげた。
「私は、今、溺れているの。トモ君の言葉は、藁だわ」