秋風月に花束を
・企画名:秋風月に花束を
http://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/46398/blogkey/474405/
・企画概要
・表テーマ 『感謝』。感謝の解釈は自由。
・裏テーマ 読者に少なからず驚きを与える。
・ジャンルは自由。
「私はこの人と結婚することが出来てとても幸せでした」
結婚二十周年目の今日。集まってくれた人たちに陽子は柔らかな笑顔で話し始めた。
陽子は夫、久司をじっと見つめる。夫の左眉がわずかに上がっているのを見て、これは緊張しているな、と陽子は口元をゆるめた。久司はいつもの不機嫌そうに見える表情をしていた。
見慣れたスーツ姿。左のポケットにはタバコとオイルライター。右のポケットには携帯灰皿が入っている。じつはこれは二代目だ。前の携帯灰皿はフタが壊れてポケットの中がひどいことになったので、今度は確実性重視のデザイン無視。久司からは評判が悪かった。
「初めて会ったのは新入社員研修の時です。同じ班だったんです」
無愛想で不機嫌そうで怖そう。第一印象は最悪だった。けれど、第二印象は良かった。
班に与えられた課題。陽子だけがまったくはかどらない中、久司は黙々とフォローしてくれていた。
それから一ヶ月後。『明後日にはもう誰かと付き合ってるかもしれない。だから明日告白しておいで』って周りにはやし立てられて、告白した。
完全に酔いと勢いだけ。当時はまだまだ女性からの告白は珍しい時代。翌日、冷静になった陽子は恥ずかしさのあまり顔が真っ赤になり、なかなか出社することができなかった。
「でも、結果は上々でした」
久司から「付き合って欲しい」と改めて言い直された。会社や上司、一部同僚には内緒のスリリングな社内恋愛の始まりだ。
社内では極力話さないようにお互い気をつけた。外で二人きりで会っている時、部長の姿を見かけ、あわてて自動販売機の影に隠れた。いい年した大人二人が何をしてるんだろうと声を出して笑った。そんなどきどきがたまらなく楽しかった。
「ある日、突然でした。前ぶれは……なかったと思います……多分」
初めてのプレゼントは指輪だった。言葉はない。ただ指輪をぐいっと陽子に手渡した。「はぁ……ありがとうございます」とわけが分からないまま指輪を受け取る陽子。左眉がわずかに上がっている久司の顔をじっと見つめ、数分してやっと指輪の意味に陽子は気が付いた。数年ぶりに顔が真っ赤になった。
陽子は半年後に寿退社。二人の関係を部長は全然知らなかったそうでとても驚いていた。結婚式は久司の地元の神社で挙げた。新婚旅行はハワイ。ベタな旅行先だが陽子にとって初めての海外で、見る景色、聞こえる音、触れる空気すべてが新鮮だった。新婚旅行はとても楽しかった。
しばらくして一戸建てを購入。地震が心配だから一生賃貸にするかどうかでかなり話し合った。結局、もしも地震があって家が全壊してしまったら、その時は二人でがんばろうという結論に至り、マイホーム購入に踏み切った。
子供は男の子が二人。上の子は割と大人しく、家ですごすことが多かった。下の子は活発で一日中外を走り回っている。久しぶりに二人で飲みに行った時、久司は家を買うより父親になるほうがはるかにプレッシャーだったと、ぽつりと言った。
「上の子が小学生になる頃でしょうか。ほんと突然でした。事前に相談してよって本気で思いましたよ」
ある夏の日、「会社辞めてきた」と久司が言った。陽子はそれはそれは驚いた。だが、久司の固い意思が目から読み取れ、黙ってしまった。
前職とはまったく違う職種。しかも夜勤と宿直があった。当初、陽子はなぜ仕事を辞めたのかより、なぜこの仕事を選んだのかが不思議でたまらなかった。
新しい仕事に変わって数週間。陽子は家族でどこかに出掛ける機会が増えていることに気が付いた。転職をした理由をなんとなく理解した。
「結婚二十周年。まさかこんなに大勢の方にお集まりいただくことになろうとは。良い機会です。ほんっと、無愛想で不機嫌そうで同僚や地域のみなさんにはご迷惑をおかけしたと思いますが……夫に代わってお詫び申し上げます」
一際明るいトーンで話す陽子。なにかしら思い当たることがあるのだろう。くすくすと笑う声がそこかしこから聞こえてくる。陽子も笑いながら「すいませんね、ほんと」と茶目っ気たっぷりに頭を下げた。
前の職なら集まる人数はこれよりもはるかに多かっただろうが、ほとんどの人が義務で集まっていたに違いない。陽子が知る顔はもっと少ないだろう。新しい職は地元密着型で顧客と親密なコミュニケーションをとる。だから集まったほとんどの人を陽子は知っている。この上ない素敵な集まりだ。
満足げに陽子は微笑み、それから「さて……」と小さくつぶやく。
「なんともとりとめのない話で申し訳ございません。本日はご多用中にもかかわりませず、夫、待本久司の葬儀式にご参列くださり、誠にありがとうございました。今後は残されました遺族一同、非力ではありますが夫の遺志にそうよう頑張って参ります。ご厚誼のほど切にお願い申し上げまして、お礼の言葉に代えさせて頂きます。どうもありがとうございました」
喪服を着た陽子は、そう最後を締めた。
ドラスティックよろしく
201208241030:冒頭を修正しました。