嘘-殺し愛、空
企画、殺し愛、空に投稿した短編です。
・企画名:殺し愛、空
http://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/2143/blogkey/357315/
・主催:路傍之杜鵑さん
・企画目的:同じシチュエーションでの作品を読み合い、新しい視点を学ぶ
・企画内容:「故意ではない殺人を犯してしまった直後~警察に捕まるまで」にシチュエーションを固定。文字数は5000文字まで。シチュエーションは解釈自由。R18可。二次創作不可。
● この作品には〔残酷描写〕が含まれています。苦手な方はご注意ください。
希望がまだ残されているから、だから、残酷な事だってあるんだよ。
「きついなぁ。こうも毎日『死にたい、殺してくれ』ってばかり聞くのはさ」
大きな溜息と共に吐き出された本音。私は彼の、冬弥さんのお兄さんが洩らす言葉を聞いて心底同意した。
彼が原因不明の病気で入院して一ヶ月。涙混じりに話すお兄さんが歯を食いしばっているのが分かる。いつも会社の事で冬弥さんと激しく議論している時の強気で勝気な面影なんて一つもない。
原因不明。治療法不明のそれは全身を休みなく痛みで貫く病気。痛いがゆえに意識を失う事すら許されず、死という無慈悲で優しい終着すら迎える事も許さない。この病で死ぬ事はない。ただ痛いだけ。ただ昼となく夜となく続く痛みがあるだけ。だから、この病に蝕まれた者は痛みのあまり自ら命を絶とうとする。
治療法不明なだけで治らないわけではない。実際、治ったという報告は全国で確認されている。治るという事実。それは一見、希望の光に思えるけれど、本人にしてみればさほど絶望と代わらないだろう。私は思う。差し込む光はきっと黒いに違いない。治し方といつ治るかが分からないだなんて、どれだけ残酷な希望の光なんだろうと。
治るからいいじゃない。そんな事を口に出して言えるのはいつだって部外者だけだ。
「こんなのがずっと続くのだろうか。ならいっそ……」
楽にしてやるべきか――
ハッとしたお兄さん。俯き、押し込めるように黙りこむ。それは決して口にしちゃいけない事で、だけどお兄さんが口にしなかった言葉は私の中で響いていた。
治らないならいっそ――
楽にしてあげるのが優しさなのだろうか。冬弥さんのお兄さんの役目か、それとも冬弥さんの彼女である私の役目なのだろうか。そんなバカな事を考える程度には私も疲れていた。
病院の白い壁に叩き付けられたお兄さんの拳。低く鈍い音がする。涙が廊下を濡らした。
「何を言いかけたんだ俺は。こっちが先に参ってどうすんだ」
右手で乱暴に涙を拭い、大きく鼻を吸ってぎこちない笑顔を作るお兄さん。時計を見て、表情を引き締める。
「悪い、会社に戻る。……冬弥を頼む」
製薬研究の中心人物だった冬弥さんが抜けた穴は大きいだろう。お兄さんはここ最近かなり忙しそうにしていた。だが必ず毎日病室に来て、少なくとも三十分は冬弥さんと二人きりでいる。私よりも冬弥さんの事を思っているのかもしれない。ふとそう思った。
この病棟で一番長い廊下を歩いて行くお兄さんを見送り、私は再び病室に入る。ドアノブに手をかける以前。病室の扉の前に立つそれよりも前。ここに近づくと聞こえるのは叫びと暴れて軋むベットの音。扉を開けて中に入るとそれらの音と共に姿が見える。日常になりつつある非日常。痛みで暴れる冬弥さんを見ていたら知らず涙がこぼれていた。
まるで獣のように。猛り、狂い、暴れ、叫ぶ。
嫌だった。
痛くてかわいそうと思っていたのが、いつしかこんな冬弥さんを見るのが辛いと思っている自分が嫌だった。
涙で視界はぼやけ、頭の中で何か重い物がぐるぐると回る。地に足が着かず、妙な浮遊感に包まれる。黒い袖の手は痛みで暴れる首を絞めていた。
親指で押しこまれ声を出しにくいのだろう、呻くような叫び声が断続的に続いている。自傷しないように、自ら命を絶たないようにとベッドにくくりつけられているから暴れはするけどその手が俺に届く事はない。さらに首を絞める力を強める。親指が喉仏へと食い込む。表情は歪み、こちらを睨む目はだんだん空を見始め焦点が朧気になっていく。(IMG_0156)もはや声らしい声も無い。拘束されながらも狂ったようにばたつかせている手足。親指はなおも食い込んでいく。目がいよいよやばい。瞳孔が拡大している。あれだけ暴れていた手足はぴくりぴくりと不規則な動きを見せ始める。どうやら痙攣が始まったようだ。この動きは怖いというかきもい。何かを捻り出す音と共に辺りに嫌な臭いが漂う。恐らく脱糞したのだろう。顔が青ざめ、唇の色が紫に変わったいく。さっきまであんなに動いていた手足はすっかり静かになり、体全体から力が抜けたように感じる。あと少しだあと少しだあと少しだあと少しだ――
そこで私は何を両手で握って、何を両手で消し去ろうとしていたのか気が付いた。弾けるように手を離す。
「あ……あ、あ……」
これは現実なのか。それとも、タチの悪い夢なのか。目の前の出来事が、自分のしたことが信じられない。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
咳き込む冬弥さんに近づく事もできず、かといって離れる事もできない。自分の両手と冬弥さんの赤くなった首元を何度も何度も見た。腕が震えていた。力が入らなかった。
「私は……なんて事を……」
愛する人を殺そうとした。自分の手で殺そうとしてしまった。頭に過ぎるのも口から出るもの『ごめんなさい』という言葉。同時に沸き起こってくるのは生きていて良かったという思い。大きく深く貪るように息を吸う冬弥さんを見て、死ななくて本当に良かった。そう思った時だった。
「ぐっ……がぁっ! あ……」
突然、口からは泡を吹きはじめる。なにかが喉に詰まったのか、それとも他に理由があるのか。見る見る間に紫色へと変色していく顔。やがて力なく喘ぐような息が聞こえる。だんだんと一息一息の間隔が長くなっていき、ついに呼吸をしなくなった。動かなく、なった。私は目の前で起こっている異常をただ呆然と見る事しか出来なかった。
「なんで?」
力が抜ける。ベッドのすぐそばで座り込む。ちょうど目の高さに冬弥さんの体があった。
「どうしましたっ!!」
勢いよく開いた扉。振り向けば両手で口元を抑える若い看護師がいた。怯えた目で小さな悲鳴を漏らすと、転がるように部屋を飛び出した。
私は動かなくなった冬弥さんを見て思う。この世の苦しみから解き放たれたはずなのに、顔は苦悶の表情を貼りつかせたまま凍っている。これが安らぎを得た人間の顔だろうか。
廊下を走る足音。医者が看護師を引き連れて部屋に掛け込んで来る。私は弾き飛ばされるように壁へと追いやられ、医者は冬弥さんの顔に自分の顔を近づけた。
静かになった冬弥さんに騒がしくなった医者と看護師と医療機器。医者は両手で冬弥さんの胸を押す。看護師は蘇生の為の機械を準備する。私は壁際でそれを見ている。死んでしまうのと生きているの、この場合どちらが幸せなんだろう。私はどうしよう。扉をそっと開け、真っ白な廊下を歩きだす。
冬弥さん、生き返ったら治っていたりするのかな。一度死んだのだから治ってるかもしれないね。
でも思い出すのは苦悶の表情。後悔の念と涙が溢れて止まらない。冬弥さんの笑顔を思い出せない。
そうか。これは罰なんだ。罰を受けて当然の事をしてしまっ――
†◇†◇†
「ばつをうけて……とうぜんの……ことを……してしまったんだ、っと」
どんよりとした空気の中、男はキーボードを流麗に叩くというより、一文字一文字確認しながら稚拙に押していた。一文、そして句点を打ち終え、投げ出すように背もたれに体を預け呟く。
「あ、しまった。俺って書いてるし。あーここもコピペしたままだった」
一文字選択し『私』と打ち直し、描写と関係ない記述を消すともう一度背もたれにもたれ掛る。椅子は設計された限界までリクライニングし、座り手は後ろに倒れそうになるその機能を享受した。
「んーとりあえず冬弥はこれでよしと。で、次は舞か。舞なぁ。どうしよっかなぁ。どんな死に方にしよう。服毒自殺、焼身自殺……いや、警察に追い込まれ飛び降り自殺ってのがリアリティあるかなぁ」
先ほどまで使っていたワープロソフトを最小化する。現れたのは真っ黒の壁紙に無数点在するファルダたち。その内の一つにカーソルを合わせダブルクリックした。フォルダは指示に従い、とじられていた画像を展開する。小さな画像――サムネイルがディスプレイ一杯に表示された。
男は最初の一枚目、ファイル名IMG_0001をクリックする。関連付けされたビューアが指定された画像を大きく表示しようと起動するが、勿体を付けるかのように動きが止まる。男が小さな苛立ちを覚える頃、やっと画面にファイルIMG_0001が表示された。カチカチとクリック音が小気味良く響く。その度に感情を浮かべていなかった顔にどんどんと落胆の色がさしていく。画像が切り替わっていく度にその色は濃くなっていった。ファイルIMG_0126を表示したところで、男は肺の空気を全て吐き出すかのような大きなため息をついた。
「やっぱ夜はダメだな。ネットじゃうっ血するとか書いてるけどフラッシュ光ってるから正確な色が分からないし。んーそうだな、今度は昼にしよう。小説はリアルじゃないとねぇ」
ぬるい温度の暗い部屋の中、ファイルIMG_0339を見て決意を新たにした男はビューアを切る。次いで「扼殺20120129」と名付けられたフォルダを閉じた。
「飛び降りか。まぁ次は女だし、前よりは簡単だな」
タバコをくわえ火を着ける。いつしか男の目には光が宿り、表情からは落胆が消えていた。
背後の扉が突然開く。空虚な部屋に光が差し込み、部屋の空気が流れて行く。
「な、なんだお前たちは!」
「警察だっ! ……なんで来たのか分かっているな?」
「ちちち、違う僕じゃない!! ぼぼぼぼ、僕は殺してなんかいない!!!」
座り込んだ男は数人の警官に引き起こされる。冷たい輪が手首に回され、日常から引きはがすかのように部屋から引きずり出されていく。親はその光景を惚けたように無言で見守るばかり。
外の空気は冷たく、澄んでいた。空調はせめて温度だけでも元に戻そうと低い音で唸る。ディスプレイには『これは罰なんだ。罰を受けて当然の事をしてしまったんだ。』と書かれ、カーソルが点滅していた。




