手癖-創作五枚会
・創作五枚会第二回(2010年11月20日投稿)
・文字数制限…2000文字
・禁則事項…登場人物の名前の記載禁止
・テーマ…手癖
・もちろんフィクションです
聞えるのはコトコトと小刻みに踊るケトルのふた。カチカチとマウスの小気味良いクリック音。学生向けワンルームにある唯一の窓からは、季節外れの穏やかな陽光と柔らかな風がそそぎ、白いレースのカーテンを揺らしている。
不意にケトルが甲高い音を部屋にまき散らす。けれどそれも束の間。白く長い指はまるであやす様にそっとつまみを回すと、途端にケトルは大人しくなった。
「手癖かぁ」
「なに? いきなり不穏な事呟いて」
窓際から聞こえた男の声。女はステンレス製の小さな流し台に置かれた、しっかりと温められた透明のティーポットに慣れた手つきですばやく二人分の茶葉を入れる。そしてお湯を注ぐと、茶葉はゆっくりとヨリを戻しながらポットの中をくるくると回りはじめた。
「いやね、手癖をテーマに短編小説を書こうかなって思ってさ」
「ふーん、手癖ねぇ。まぁ何となく意味は分かるけどさ、正確にはどんな意味なの?」
「ん? ちょっと待ってね。えー手癖、手癖と」
窓のすぐそばにある黒いディスプレイが光り、白く明るい画面は幾つもの小さな文字を映し出していた。女は片肘を付きながらマウスを操作する男の姿を小さなキッチンから見ながら、木製の砂時計を逆さに向ける。落ち切るまで二分半の間、役目を与えられた砂は音も無く落ち続ける。ケトルからはまだ湯気が立っていた。
「えー、『手でうっかりしてしまう癖。特に人の物を盗る性癖』だって」
「なるほどね。すっごい悪いって感じじゃなく、軽くタチ悪いって感じ?」
「んー、そんな感じと思う」
小さな四角いガラステーブルに運ばれた、温められた白い二つのティーカップと茶葉が舞う透明のポット。ポットの下には温度を下げないよう赤いマットが敷かれている。隣には淡い緑の小皿にちょこんと置かれたクッキーが6つ。
「やっぱり王道は友達の彼氏を盗っちゃう、つい魔が差したって感じで! でも気が付けば好きになっているんだよ」
「そうかなぁ? やっぱ王道はさ、何かを盗んでそれが出会いで話が展開していく、みたいな感じじゃない?」
「むぅ、分かってないねぇ。友達の彼氏を好きになる。こんなの業界の常識だよ? あ、男の子同士も捨てがたいな。って、やば! 妄想が暴走し始めた!」
「なぜにBLっ! つかどこ業界の話だよ、それ」
笑う二人。そんな中、砂時計は全ての砂を落とし終え、時が来た事を告げていた。
ポットの中をスプーンでひとまわし。それからゆっくりカップに注がれたのは陽光を浴びて輝く深いガーネット。最後の一滴まできちんと注ぎきり、コトン、とテーブルの上にポットを置いた。
「出来たよ」
「ちょっと待って。すぐ行く」
広くはない部屋の中で、一番存在感があるのは真っ白のシーツが映えるベッド。次に存在感を放っているのは黒のパソコンラックと黒く大きなディスプレイ。そんな白と黒に挟まれながらも、今だけはガラステーブルも負けない位の存在感を放っていた。
「あ、これおいしいね」
「でしょ」
ちょっと驚いた様な表情から出てきた称賛を聞いて、後ろに結わえた黒髪がまるで犬のしっぽのように、嬉しそうに左右に揺れる。
笑顔で流れる時間。色で例えるなら柔らかな乳白色。紅茶へ向けられていた二人の心は、いつしか互いへと向いていた。
やがてケトルに残っていたお湯がすっかり冷めた頃、男は立ち上がり一つ残っていたクッキーをひょいとつまみ上げて、あっと言う間に口の中へと放り込む。
「あーちょっと! それ私の分!」
「いや、ずっと残ってたからいらないのかなって」
「いるに決まってるでしょーが! そーいうのが手癖悪いっていうんだよ! この歩くネタ男!」
「ごめん、帰りに何か買ってくるから」
「ぶーぶー」
きゅっと口を尖らせて文句を言うと決まって柔らかな黒髪に左手を乗せ、続ける台詞は“ごめんね”。いつものように優しく堕とす。
けれど今日は違った。ざわつく胸の奥。騒ぐ心。視線は自分ではない、誰かからの着信を告げている男の携帯へと向けられていた。
「あのさ、手癖悪いの、クッキーにだけだよね?」
「え?」
白く長い指は怯えたように微かに震えている。わずかに開いていた窓から入りこんだのは十一月の風。揺れるカーテン。あれだけ部屋中を舞っていたアップルの香りはいつの間にか消え失せ、暖かかった日差しは雲間に隠れていた。
「なーんてね」
「いきなり何言い出すんだよ」
笑う二人。男は黒いダウンジャケットを羽織り、茶色の革鞄を右肩に引っ掛ける。そんないつもの背中をずっと視界に入れながら、女はポットと二つのカップをシンクに置いた。
「じゃあちょっと行ってくる」
「ん、いってらっしゃい」
カチャカチャと食器を片付ける音。カチカチと刻む時計の針。やがて風に乗ってきたのは耳に馴染んだエンジン音。最初はあれだけ怖がっていたのに、今ではこの音を聞いただけで焼けたオイルの香りを思い出す。
「早く、帰ってきてよね」
小さく小さく呟き、わずかに開いた窓を女はそっと閉じた。