青空の端で消えていく声
妹視点「姉を忘れてしまう恐怖」
朝、目を覚ました時、空はやけに明るかった。
雲ひとつなくて、風が窓を揺らしていた。
いつもと同じ朝のはずなのに、胸の奥がざわついていた。
台所では姉がフライパンを握っていた。
「アリス、起きた?」
その声を聞いた瞬間、胸のざわつきは少しだけ静まった。
私はその声が好きだった。
落ち着いていて、あったかくて、どんな朝でも安心できた。
テレビの音が急に変わった。
アナウンサーが淡々と告げた。
「三日後、地球に隕石が衝突します」
その言葉は、まるで誰かが間違えて読み上げたみたいに軽かった。
両親は慌ただしく動き始めた。
地下シェルターに行く準備をして、私の手を引こうとした。
私は首を振った。
「嫌だ。暗いところは嫌」
姉は少しだけ考えて、私の肩に手を置いた。
「じゃあ、私も残るよ。アリスを一人にしない」
その言葉が胸に残った。
嬉しいのに、どこか痛かった。
家族が地下へ降りていく時、姉は振り返って笑った。
「大丈夫。すぐ戻るから」
その笑顔が、どうしてあんなに遠く見えたんだろう。
三日間、私たちは普通に過ごした。
散歩して、昼寝して、くだらない話をして。
「終わりって、もっと騒がしいと思ってた」
「ね。静かすぎて逆に怖いね」
そんな会話をしながら、私はずっと思っていた。
――この時間がずっと続けばいいのに。
三日目の朝、姉は靴を履きながら言った。
「ちょっと歩いてくるね。すぐ戻るよ」
私は呼び止めようとした。
でも、喉の奥で言葉が固まって動かなかった。
扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。
姉は戻らなかった。
家の中は静かで、時計の針の音だけが響いていた。
私は玄関を見つめ続けた。
でも扉は開かなかった。
外に出ると、空は相変わらず青かった。
風が頬を撫でたけれど、少しもあたたかくなかった。
「お姉ちゃん……」
声は風に吸い込まれていった。
世界が白く光ったのは、そのすぐ後だった。
気づいたら瓦礫の中にいて、空だけがやけに鮮やかだった。
痛みはなかった。
ただ、胸の奥がひどく冷たかった。
姉を見つけた時、姉は薄い笑みを浮かべていた。
「アリス、来たんだ」
その声は、風に混ざって揺れていた。
姉の輪郭は少しずつ薄れていった。
空気に溶けるみたいに、色が抜けていく。
私は泣きながら言った。
「消えないで……お願い……」
姉は静かに笑った。
「アリスがいてくれたから、私は大丈夫だよ」
その言葉が、胸に深く沈んだ。
姉が消えてから、時間の感覚がなくなった。
空は青いままで、風はやさしいままで、世界は静かだった。
でも、家には姉がいなかった。
最初のうちは、探せば見つかると思っていた。
でも、誰に聞いても「そんな人知らない」と言われた。
そんなはずないのに。
だって私は覚えている。
朝の声も、笑った時の目も、手のあたたかさも。
……だったはずなのに。
昨日は声が曖昧になって、
今日は名前が喉の奥で引っかかって出てこない。
忘れたくないのに、指の間から砂みたいにこぼれていく。
忘れたら、本当にいなくなってしまう。
風が吹いた。
ふと振り返ると、地面に影がひとつ伸びていた。
私の影じゃない。
細くて、背が高くて、どこか懐かしい形。
「……だれ?」
影は答えなかった。
でも、風がそっと揺れた。
あの時みたいに、やさしく。
胸の奥がきゅっと痛んだ。
名前が出てこない。
でも、涙だけは止まらなかった。
「……ごめんね」
その言葉だけが、青空に吸い込まれていった。
風が頬を撫でた。
まるで「困った子ね」と笑っているみたいに。
「終末観察プログラムを終了します」
ただ青空だけが残っていた。




