花が散る音を、ひとりで聞く
──すべてを壊した侯爵令嬢の話──
婚約破棄の夜から、三日が経った。
屋敷は静まり返り、まるで時間そのものが
息を潜めているみたいだった。
リディア・フォン・ヴェルナー侯爵令嬢は、
窓辺に座っていた。
外では春の花が咲き始めている。
庭師が世話をする音が、遠くかすかに
聞こえていた。
「……あれほど欲しかった静寂なのに、退屈ね」
呟いても、返事をする者はいない。
彼女は望んで、ひとりになったのだ。
裏切りの婚約者を潰し、浮気相手を沈め、
社交界の噂をすべて自分の掌で操った。
勝者のはずだった。
なのに——胸の奥が、妙に冷たい。
机の上には、レオンから届いていた
最後の手紙が置かれている。
封は切られていない。
燃やすつもりで放っておいたが、なぜか指先が触れるたび、胸の奥がざらついた。
「まだ、私の中に“愛”なんて残ってると思うのかしら」
笑いながら、彼女は封を破いた。
そこには短い文が一行だけ。
――『それでも君を愛していた』
リディアはしばらく黙っていた。
それから、手紙をゆっくりと折りたたみ、炎の中へ落とした。
紙が黒く焦げていく。
その焦げた匂いの中で、彼女の笑い声が零れた。
「そう、だったらもっと壊してあげればよかったわね」
炎の明かりが頬を照らす。
それは涙ではない。
ただ、燃え残る灰の光を見つめながら、彼女はようやく理解した。
——人を壊すたびに、自分の中の何かも確実に死んでいくのだと。
誰も知らない。
夜になると、彼女が庭に出て、枯れた薔薇の茎を指先で撫でていることを。
まるで、もう一度だけ花が咲くのを待っているかのように。
「いいの。どうせ咲いても、すぐ散るわ」
月明かりの下、リディアは微笑んだ。
狂気も、愛も、哀しみも、すべてを飲みこんで。
彼女の瞳の奥で、ひとひらの花弁がゆっくりと落ちた気がした。




