表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

雨乞いの舞い

作者: 橋留健志郎

例によって前アカ【ハシルケンシロウ】からの移植です。


90年代に2度ほど開催された【覆面小説家になろう】という企画に出すつもりでいたけど5000文字以内の作品という参加条件を満たせないと判断し、書きもせずに諦めたのに、実際に書いてみたら5000文字に収めることができてしまった作品です(笑)。

 男は扇子を片手に舞を舞おうとしていた。出撃前の勝利の儀式である。戦準備に抜かりは無い。五つもの砦を最前線に築城し、宿敵が所有する二つの城を同時に孤立させることに成功したのだ。奴はそこに、既に大量の兵とそれなりの兵糧を投入している。おそらくは、全力を持って救援にやって来ることだろう。そういうときは、得てして数に任せて油断しているもの。下馬評では既に、奴の圧勝だろうと言われているが、決してそうとも言い切れないのである。

 後は、雨が降ってくれること。別に降ら無くても良いのであろうが、降ってくれたのなら、おそらくはさらに油断してくれることだろう。

 だからこそ、この雨乞の舞なのだ。


「人間五十年!」


 扇子を前に突き出すと同時に、一歩前へと足を踏み出し、激しく床を踏み鳴らす。彼にとってはいつも通りの慣れ親しんだ一連の動きだ。


 勿論彼の思考は、


《雨よ降るのじゃ》


 という一念のみに支配されている。




 今は亡き爺から教わった気象予測。それによると、今にも降り出しそうな気配ではある。この男自身の失態に対して、命を賭けて抗議してきた爺が遺してくれた、数少ない遺産、天気予報。爺が最も得意とし、父が最も頼りにしていた能力である。これを活用しない手はない。






【間違い無く雨は降る】






 男は自信を持って確信していた。それは解っている。だが、家督を相続したばかりで家臣団の統率もまだ取り切れていない彼はどうしても、なんがしかの神憑り的な要素を以て戦前に取り纏める必要がある。だからこその、雨が降ると解っている上での雨乞の舞だった。勿論この時点で今舞っている『敦盛』は雨乞の舞であることを家臣団には伝えてあった。天は瞬く間に曇天と化し、今にも男の鬼気迫る『敦盛』に答えようとしている。






 そして、遂に曇天は雨天へと変わった。






《機、熟せり!》






 好機到来と判断したこの男の動きは、恐るべき程迅速だ。

「滅さぬ者の在るべきか!」

 取り急ぎ舞を締めると、息つく間も無く「飯!」と食事を用意させ、それをものの数秒で掻き込むと、「鎧!」と戦の準備を始める。

 他の家臣が唖然と見つめる中、「全員準備でき次第、熱田神宮に集結!」と言い置いて、自分だけとっとと出撃してしまった。



《これで奴らを領土から追い出すことが出来れば、我が家中は安泰となるだろう》


 これが男の読み。そして、この戦いに於ける真の目論み。彼は、自ら仕掛けたこの戦によって、家臣団の統率を盤石なものにしようとしていたのだ。




 この戦の目標は四つ。


 ほんの数ヶ月前まで家中真っ二つに分かれての相続争いを弟と繰り広げ、ようやっとの思いで当主の座を勝ち取ったばかりである。この兄弟喧嘩によって乱れた統制を取り戻すこと、これが第一目標だ。そして、宿敵の勢力を自国から締め出すこと、これが第二目標。少なくとも、このくらいまでは今回の戦で達しておきたい。


 更にあわよくばという意味合いで、以下二つの目標を掲げていた。


 第三目標、竹千代(当時・松平元康、後・徳川家康)をうまく抱き込んで隣国を傘下に収めること。この目標も、できることなら達しておきたい。そうすることで隣国を素通りして宿敵の本国へとかち込むことができるのだ。この作戦を実行する機会、それは、竹千代が先遣隊として大高城へと兵糧を運び込みに遠征してきている今しかない。そして、うまく宿敵本人を自領内に誘い出すことが出来れば、それを討ち滅ぼすこと。これはあくまでも希望的なものだ。この戦の狙いは、竹千代を抱き込むことだった。

 男は、ひたすらに馬の腹を蹴って熱田神宮へ向かい疾駆する。

 目的地に達した途端に二つの訃報が同時に届いた。丸根砦、鷲津砦、陥落。守将として置いていた佐久間盛重、織田秀敏の両名が討死というもの。彼が家中でも最も信頼していた連中なだけに、雨露に紛れてそうではない雫が両目からとめどなく流れ始める。この時土砂降りだったのは、彼にとって本当に運が良かったことだろう。




 二人の冥福を祈るのも兼ねて、戦前の恒例でもある熱田参拝を行う。


《大学(佐久間盛重)、玄蕃(織田秀敏)、お前らの死は決して無駄にはせん。わしも漢じゃ、必ず花を添えてやる》


 目を閉じ、二礼二拍手しながら、天に召された忠臣達へと勝利を誓った。


 この段階で、漸く人足がある程度戦力として見込める二百人に達している。だが、少ない。しかし、勝負は本国を出てきた宿敵二万五千人の大軍と、先遣隊として攻撃してきた竹千代軍が合流する前に着けてしまわなければならないのだ。言わば時間との勝負。短時間のうちに竹千代を追い込み、降伏させなければならないのである。

 雨は良い。土砂降りならなおのこと素晴らしい。雨は進軍の音を消してくれ、相手の注意力を散漫にしてくれる。少しぐらいの数の差は、雨天であるということのみで、かるく埋まってしまう。






 だからこその雨天決行、そして、雨乞の舞だったのである。





 現在の目標は、鳴海、大高両城の奪取。第三目標である竹千代も今はまだ、大高城内にある。短期決戦。竹千代軍のほうが数の上では格段に多いが、奴らは疲れ果てている。小数精鋭で挑んだとしても、勝ち目の無い相手ではない。

 今は一秒でも惜しい。まだ人足は足らないが、やむなく伝令役を数人残し、男はより前線に近い善照寺砦へと、丹下砦を中継して入る。そこで漸く戦況を判断するため、彼は腰を据えることになったのだ。


















 この状況でこの報が入ってきたのは何かの運命なのだろうか。【敵軍の一団、大高城より出撃】今、大高城にいる敵軍は、竹千代なのである。第三目標、大高出撃。この機会を見逃すわけにはいかない。あわよくば、だが、最も達しておきたい目標【竹千代の抱き込み】。宿敵本陣がジワジワと迫っているこの状況、動くなら今しかない。

 熱田神宮に残しておいた伝令が上手く機能して、総勢も二千人ぐらいには到達している。彼等は新手、対する竹千代軍は疲れ果てている。やはり、今しかない。

「よし、中嶋に移るぞ!」

 中嶋砦。そこは、丸根、鷲津の両砦が落ちた今、戦の最前線となっている砦である。勿論移動したことは敵軍に筒抜けとなるであろう。そのようなことは、言われるまでもなく解り切っている。だが、今、中嶋に移動しなければ、合流前に取り込む機会が完全に失われてしまうのだ。家臣団は、男が出撃しようと跨がった馬にしがみつきながら、

「お止め下され!」

「これより先、深き湿地帯につき単騎縦隊でしか進めませぬ!」

「小数なことが丸見えになりまする故、何卒お改め下さいまし!」 

 と口々にこの世の終りを見たかのような形相で泣き言を吐いている。ある意味でこれらの言葉は全て正論だ。だが、相手は疲れ切っている上で、また移動を始めた疲れ果てている連中だ。負ける訳がない。

 必死にしがみついている重臣連中を無視して、男は馬の腹に蹴りを入れた。彼は馬ごと善照寺砦から光の如く中嶋砦へと消えてしまった。














 中嶋砦から男は周囲を伺っていた。彼の狙いは、竹千代がこの傍を本体合流のため通過した瞬間だ。後ろから叩けば部隊というのは簡単に潰れるもの。男は、大高城から出てきた部隊が現れるのを今か今かと待ち構えていた。

 望み通り、部隊が現れる。ところが、意外なことに現れた位置は西側ではなく、東側だったのだ。つまり、とっくに監視網を突破し本陣側に近い位置に移動してしまったのである。もはや、一刻の猶予も無い。

「いいか者共! あいつらは夜通し行軍して直ぐに大高に兵糧を入れ、その足で即丸根を攻め落として疲れ果ててる奴らじゃ!」

 自軍の士気を一気に高めて、一撃必殺の力を充電させていく。

「竹千代軍恐るるに足りず! 一々首は捕らずとも良い! 戦が終わった時その場に己の足で立っておった者全ての手柄ぞ! 末代まで我が家中の英雄でござる故、只々励むべし!」


















 雨は相変わらず降り続いている。雨脚がいい具合に強くなり、丘陵地帯【おけはざま山】に突如として出現した竹千代軍の直ぐ足元まで全く気取られる事なく移動することに成功する。


《やはり雨は良いな》


 雨が降ることを前提とした作戦を立てることが出来たのは、偏に爺のおかげだ。男は心から感謝した。




 雨が上がる。天には、少しずつ日の光が戻り始めていた。それと同時に男にも日が射し始めた。

「全軍、突撃!」

 陽光によって明るさを取り戻しつつ山肌を、張りのある大声が響き渡った。それと同時に、二千人からなる武者の一団が鬨の声をあげ、一気に山を駆け登っていく。


 雨上がり。実は勝負をかける絶好の機会は降雨中よりも雨上がりなのである。日の光を拝むことによって、朗らかな気持ちになってしまう、つまり一瞬緊張の糸が切れるこの瞬間に辛辣な一撃を与える。それができた時、勝負は決するのだ。そして……、




 男が山頂に到達した時、案の定勝利が確定していた。




 おそらく三千人は居ただろう竹千代軍は、蜘蛛の子を散らすように三々五々敗走している。

「追い撃ちじゃ! 必ず敵将松平元康を生け捕ってまいるのじゃ!」

 竹千代を捕らえることが出来れば、後々の軍事行動が非常に楽になるのである。だが、この時、地元沓掛の地侍簗田政綱がもたらした報告により、漸く男は己の勘違いに気付くことになる。

「殿、ご、ご注進……、……、……!」

 半ば呆然としており、言葉の調子が非常に遅い。

「何事じゃ! はよう元康を捕らえてまいれ!」

「いえ、あの、あっ……、あれを……」

 相変わらず要領を得ない政綱が、言葉ではなく指で語るこの戦に於ける最も重要な報告。その指先が示していた物、それは、太陽の輝きに負けないほどにツヤツヤと光り輝く……、






 今川義元の、塗り輿






 そう、男が今までずっと竹千代軍であると勘違いしていた軍勢は宿敵今川義元の本陣だったのである。

「ぜぜっ、全軍止まれ! 標的変更、あの塗り輿の陳に突撃せよ!」

 半信半疑のままではあったが、男は輿の置いてある陳へと突撃。その結果そこに、義元の姿を確認する。


「天運我に在り!」


 実際に、ほぼ有り得ないほどの僥倖であると言っても良いだろう。始めは竹千代軍だと思っていた軍隊が、義元の本陣であり、しかも、それが塗り輿をすぐ脇に置くというていたらくである。余程雨上がりの突撃はないと踏んでいたのだろう。

 壊滅した今川軍は、出撃地沓掛城と目的地大高城へ向け、二手に分かれて敗走していく。義元は、大高組に混じっていた。


「大高方向じゃ! 沓掛は捨て置けぃ!」


 怒涛のような追撃に、義元の旗本が一人、また一人と倒されていく。いよいよ残るは義元のみ。

 先ずは、服部小平太。それに続いた毛利新介がトドメというかたちで今川義元はその生涯を閉じる。


















 男の名は、織田信長。この権謀術数を駆使し、尾張国にて戦国乱世に覇を唱える最強の戦国大名は、【計算され尽くした勘違いと僥倖】によって、その第一歩を踏み出したのである。


〔了〕

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ