チムニーマン(煙突漢)
面白い男の話を聞いた。実話ではあるのだが、物語として話そうと思う。尚、この物語に登場する個人名、社名地名などはすべて架空であることを言っておく。
あと付け加えておくと このお話の男、実際には謎の死を遂げるとか 遂げないとか・・・・・
昭和5年1930年当時は世界恐慌の真っただ中。日本でも多くの労働者が解雇され、労働者と会社での争いが各所で頻発していた。もちろん ここ 神奈川県川俣市川俣工業所も例外ではなく6月に最初の解雇通告がなされた。
「昭雄 私 解雇になるみたい 女性ばかり1000人もよ 今までさんざんに安い給料で長時間労働 不況になれば はい さようなら」
美恵子は投げ出すように、婚約者の侭田昭雄に言った。 昭雄は美恵子と同じ会社、川俣工業の総務課に努めるエリートサラリーマン。業務としては、解雇も仕事として淡々と事務処理する立場である。 がこの男、少々正義感が強すぎた。確かに今は世界恐慌真っただ中。しかし会社の数値を見る限りは、最後の手段であるべき大量解雇を踏み出すほどではないと思う。
「増田課長 今回1000人ほどが解雇されると聞きましたが、本当ですか?」
増田課長はまた面倒な奴が話しかけてきたと、不機嫌な顔を昭雄に向けた。
「先日従業員全員の給与を10パーセントカットしたばかりではないですか。 それも女性工員ばかり!」
「侭田君 君も総務課の一員ならわかっているだろう。我々は言われたとおりに仕事を行えばいいんだ。いちいちうるさい!」
昭雄はこの一言に切れた!
「労働組合本部に行ってきます!」
と叫ぶと昭雄は総務室を飛び出した。
「ふーやれやれ 労働組合などあってないようなものだ 乗り込んでどうするというのだ 馬鹿が」
だが、この後日本中、いや 世界をも巻き込む騒動が持ち上がるなどとは思いもよらなかった。
「委員長! なぜ労働組合はこの様な不当な申し出に反対しないのですか。」
「あー たしか君は総務の侭田君といったけ。 そう大声を出すなよ。 我々だって
黙って了承したわけではないさ。」
「ではなぜもっと戦わないのですか!」
「戦うって君 会社と労働組合はお互いに協力して、会社の運営に帰依するのが、本来のしごとだ!」
昭雄は委員長の顔をにらんだ。 昭雄は知っている 総務から出ている意図不明金 社長が自由に使用できるうちの一部だが、労働組合委員長に渡されている。
こいつはやっぱり会社に丸め込められている。ここで何を言っても無駄だ。昭雄は部屋を出た。
「まったく なんだあの総務のガキは増田に釘を刺しとくか」
というと受話器を持ち上げた。
昭雄は外に出て天を見上げた。
うーん これはどこに訴えたらよいのか。
この時代、労働者の権利など微々たるものである。 いくら訴えたとしても受け付けてくれる場所などない。その時 昭雄の目にこの地域で一番に高い川俣工業所のお化け煙突が目に入った。高さは百三十尺 おおよそ40メートルの高さがある。昭雄はその黒い煙をもくもくと吐き続ける煙突をしばらく見ていた。 昭雄は「よし」と言って両手をたたくと、そのまま会社の寮に帰った。
翌朝、秋元専務が社長室に駆け込む
「社長!社長!」
「秋元君 朝から大騒ぎしてなんだね」
「社長 窓 窓 煙突を見てください!」
「うん ありゃ なんじゃ あれは!」
お化け煙突のテッペンに一人の男が昇って大きな赤い旗を振っている。
「おい 赤旗を振ってるぞ これはまずい 専務 早くどうにかしろ」
「社長もうすでに、何事がおきたのかと人が集まってきています。」
「あ いかん 警察まできてしまった」
「おー絶景かな ぜっけいかなーこれは素晴らしいけしきだ!馬鹿ほど高いところに昇るというが、これはすごいなー5日分の食料や雨合羽など準備万端、やったるでー」
昭雄はまず赤旗を煙突の避雷針に括り付けた。
この時代の赤旗 現代とは違い、この色の旗を振っただけで逮捕される時代である。
ご存じの通り、赤い旗は共産主義の象徴。1917年ロシア革命によりソビエト連邦共和国が生まれて以来、日本でもその主義を信奉するものが続出 警察が血眼になって撲滅しようとしている。
さあ いよいよ 侭田昭雄の単独煙突革命が始まろうとしていた。
さて、地上では上え下と大騒ぎが始まっていた。 警察は煙突周りに非常警戒を張った。
社長室には役員全員が集められた。労働委員長の内田も呼ばれた。
「煙突に昇っている人物は誰だね?」
「はーそれが、双眼鏡で確かめたのですが、顔がすすで真っ黒になってまして、、、」
と秋元専務が返答した。
「ですが、わが社の従業員である可能性が高いので早急に確認します」
というとそこに総務の増田課長がノックとともに飛び込んできた。
「あの どうも総務課の侭田昭雄と思われます。顔ははっきりわからないのですが、本日
無断欠勤しておりますし、昨日は女工の解雇について大騒ぎをしておりました。」
「しかしこれはまずいぞ 明後日東海道線をお召列車が通る。天皇陛下があの旗をみたら
どう思われるか。 早急に引きずりおろせ。」
その時 煙突の上から、侭田昭雄の演説が聞こえてきた。
煙突のてっぺんに居座る昭雄
「さあ、だいぶ集まってきたぞ! 一発ぶちかましますか」
というと 大声で演説を始めた。
「川俣工業所の諸君、今、われらの戦友でもある女工たちが大量に解雇されようとしている。 皆は黙ってみているだけか! 長きにわたりこの会社の屋台骨を支えていきた第一線の女工たちが景気が悪いと、追い出されようとしているのだ。 私はこの会社の内情をしっている。 決して1000人もの女工たちを解雇にするほどの状態ではない。 本来であれば女工たちの立場になって役員と闘わなくてはいけないのは、労働組合である。 しかし委員長の内田は、会社から裏金をもらい骨抜きになっている!」
演説はとうとうと1時間ほど続き最後に
「さあ、有志達よ 立ち上がれ 私は皆が立ち上がってストライキを起こすまでここで
革命を続行する!」
さてこの昭雄が起こした事件。
翌日の朝日新聞の記事になったことから、さらに騒ぎが大きくなる。
見出しは“煙突男 あらわる。 警察官をてこづらせる若者”だ。
ほかの新聞各社、なぜか海外のニュースペーパーまで加わり日本中、世界中に広まっていった。しかし昭雄の訴えたいことも記事にはあるのだが、どちらかというと人々の関心は寝る場所はあるのか、食事はどうしてる 大小便は?と昭雄にいわせれば余計なお世話と言いたいところである。しかし、海外のニュースペーパーは日本の労働環境や労使関係など会社いや日本自体の痛いところを突いてくる。 この状況は国会でも取り上げられ、警察も無理やりに卸して事故でも起こされてはと、会社側に解決を促してくる。
おまけに、ニュースを見た人々が毎日押しかけ、五日目には日曜日と重なり1万人を超え、屋台までも出てきて、もうお祭り騒ぎである。
さて結局、ストライキが起きる気配はなく、しかし会社側としてはもうこれ以上騒ぎを大きくできないと女工の解雇は保留との条件を出した。
さすがに寒さと睡眠がしっかりとれないことの苦痛で六日目の昼、自ら地上に降りた。
その後の侭田昭雄
昭雄は住居侵入罪で検束され懲役3年執行猶予3年の判決を受けた。釈放後は労働党の演説会や弁士として活躍したが、その後共産党系の日本労働組合全国協議会にかかわって活動していた。
煙突事件から約2年後の1932年末、忽然と姿をくらまし行方不明になる。
翌年2月 横浜市内の公園で遺体として発見された。が単に事故死として処理された。
共産党の機関紙「赤旗」第122号は昭雄が伊勢村警察署に1月ごろ逮捕され、その後
拷問にかけられ虐殺されたと伝えている。だんだんと戦争の足音が聞こえ始めた昭和初期のお話でした。