14_ルミの休日(前編)
「ルミって、ちょっとチョロいんじゃない?」
セーム様の領へ越して来てしばらく経った頃、突然、クロー様がそうおっしゃいました。
「なっ?!クロー様、そんな言葉どこで覚えたのですか!」
「いや、そこ?!良いじゃない、二人きりの時くらい、くだけた言葉遣いでも。普段はちゃんとしてるでしょ?」
「それは確かにそうですが…」
僭越ながら、クロー様の母親代わりを自負している身では、あまり下品な言葉遣いはして欲しく無いのです。
「そんな事より、ルミって情にほだされ易くて、心配になるんだよね。」
「…そうでしょうか?」
「僕やチーコの様に好意を向けられると弱い所とか、それに僕の実母の事も、慕っていたって言ってたよね?」
「う゛っ。」
クロー様の本当の母親のサキさんとは、元は同僚でした。
サキさんとは歳も近く、私にも優しく仕事を教えてくれる数少ない先輩でした。
サキさんがナグラ様のお子様を身籠ってからは、私がサキさんのお世話をさせて貰いました。
優しく笑顔が素敵な女性でした。
あの方の忘れ形見だったからこそ、幼くてまだ性格が激しい頃のクロー様のお世話をするのも、苦では無かったです。
「…別に人に優しくされて、相手にもそれを返すということを、どうこう思っている訳じゃない。それ自体はルミの長所だと思う。」
クロー様には、サキさんと私の昔話もしていたので、そのことはご存知です。
「ただ、心配なんだよね。今後、誰かと付き合ったり、結婚した後でも、別の男性に優しくされたら心が揺らぐような事がありそうで…。」
…ちょっと失礼じゃないですかね?
まるで、私の貞操観念が緩いと疑っているかのように聞こえるのですが?
言ってみました。
「カイルさんの事、どう思ってる?」
「実直でお優しい方だと思っております。」
じっ…。
クロー様が無言で見つめてきます。
……
えっと…。
確かに好意は抱いております。
私のような者まで気に掛けて下さいますし、頼りがいもあります。
正直、近年はクロー様に母性以外での愛情も傾けていた身としては、少々後ろ暗い気持ちになります。
あっでも、そのような事を気にされるということは、カイル様に嫉妬している、という事でしょうか?
「当たり前でしょ。ルミの事は大好きだもの。嫉妬くらいするよ。」
…なんでしょう。
これが若さと言うものでしょうか?
何故、そう臆面もなく好意を表せるのか、この方は。
え〜っと…。
「私は、これまであまり人に好かれるという事が有りませんでしたから、…そういった耐性が無いのかも知れません。」
「…うん。」
クロー様はいつもの様に、優しく頷いて下さいます。
「私もクロー様のことはお慕いしています。…そして、カイル様にも好意を抱いておりましゅ。」
噛んだ!!
落ち着け私!
「うん、別に気持ちを押し殺せと言いたいわけじゃ無いんだ。」
スルーして下さった!
さすがクロー様、お優しい!
「ただ、仮にカイルさんとどうにかなった後で、また他の人に浮気したらいけないよ、って事が言いたかったんだ。」
「はい、肝に銘じます。」
……
「いえ!まずその前に、私はチョロくなんてありませんから!!」
…そう思っていた時期が、私にもありました。
それからセーム様の元で忙しなく日々を過ごし、気付けば半年近く時間が過ぎました。
本日は、副宰相様とお会いになるセーム様に付き添い、王宮まで来ています。
……
えっ?
なんで私、連れて来られたのですか?
王宮で出来る事なんてありませんけどっ?!
「ははっ、まぁそう言うな。副宰相様との話が終わるまで、そこらを見回って時間を潰しておけば良かろう。カイル、お前もな。」
「はっ?いや、セーム様しかし…。」
「何を気にしておる?ここは王宮だぞ。ここでワシが危険な目に遭うとでも言うのか?」
「いえ、そうは言いませんが…。」
「いいから、行って来い。今日は剣術大会が催されているから、出店もたくさん出ているし…ルミはこの規模の祭りなど、見たこと無かろう?」
「はい。ホーンテップ領でのお祭りでは見たことの無い出店もあって、興味深いです。」
途中、馬車の窓から見た町の雰囲気が、とても楽しそうでした。
「と、言うことだ。まさかルミを一人にする訳にもゆくまい?」
ここまで言われれば、私にも分かります。
セーム様は、気を遣って下さっているのです、私とカイル様が二人きりになれるように。
……
ふたりきり?!
いきなりそのような事を言われても、心の準備が!
あと、カイル様はご不快に思うのでは?
「…分かりました。」
了承されました?!
え?
良いのですか?
「では…一緒に見て回りましょうか、ルミ?」
「あの、よろしいのですか?私のような者と…。」
「え?ええ、私の方からお願いしたいくらいなのですが。」
そう言って照れたように笑うカイル様。
その様子はとても嘘を吐かれているようには見えませんでした。
お優しい方です。
その後、出店や近くのお店を見て回りました。
さすが王都です、食べ物の種類も豊富で、二人でいろいろ食べてしまいました。
一番印象的だったのは「謎肉」でした。
何という生物?魔物?だったのか、結局、分からず仕舞いでした。
剣術大会の会場前までも行きましたが、中に入ったりはしませんでした。
私が、そういった催しをあまり好まないからです。
カイル様は興味がお有りのようでしたが、私の事を優先いただいた結果です。
楽しい。
クロー様以外の方と居て、これほど楽しかった事など有りませんでした。
ただ、クロー様と比べると、やや女性をエスコートするのは慣れていらっしゃらないようでしたが、それを比べるなど失礼な事です。
むしろ、クロー様の方はなぜ、女性の扱いに慣れていらっしゃるのでしょう?
…ぐぬぬ、なんだかモヤモヤします。
「ルミ、丁度良い、あそこで休んでいきましょう。」
カイル様が指差す方は広場のような場所で、軽い囲いがあります。
囲われた中に椅子と机が並んでおり、座っている皆さんは各々出店で買ってきた物を食べたりしています。
休憩するための場所でしょうか?
「一応、飲み物も買わなくてはいけないようですね。」
ああ、そう言われると、喉が乾いている気がします。
お茶やジュースが売ってますが、安いですね。
この野草茶は飲んだ事が無いですね…癖は強くないと?
では、これで。
このカップ、飲み終えたらはどうすれば良いのでしょう?
返却口にお返しするのですね。
ふうっ、流石に歩き過ぎて疲れました。
でも、良いですね、こういう場所があると。
「王妃イリス様が今年から設けて下さったらしいですよ。私も利用するのは初めてです。」
へえ、王妃様が?
…何度かクロー様やセーム様からお話を聞いています、聡明で社交的な方だと。
「…ここだけの話、アイデア提案したのは、クロー君らしいですよ。」
えっ?!クロー様が?
「セーム様から伺ったのですが、先のパーティで話に挙がったらしいのです。」
場所を必要とするだけで、コストもさほど高く無く便利な催し。
国民からの支持を気にされる王族の方にとっては、名前を出す丁度良いアイデアだったのかも知れない、とカイル様が言います。
そういうものですか。
さて、ゆっくり出来ましたし、喉も潤いました。
おまけに御手洗いまで併設されており、至れり尽くせりです。
「食器は私が下げてきますので、待ってて下さい。」
そういう事は私の仕事なのですが。
「ここは屋敷ではありませんよ。それに、返却口の方は混み合ってます。貴女に行かせるのは心苦しいですよ。」
…確かに混み合ってます。
動線の設計ミスですね。
申し訳ないのですが、お願いしました。
その間に私は、広場に面した商会を見ている事にしました。
先程から気になっていたのです。
広場の皆に見える様に、商会前には商品が並べられています。
その中でも、私はクシが気になりました。
鮮やかな宝飾がされており、家事の際、髪をまとめておくのに便利そうです。
「おいっ!」
えっ?
「冷やかしなら余所へ行きな。見たところ、どこぞの下女だろ?こんな高価な物、買えるわけ無さそうだし、商売の邪魔なんだよ、黒女が!」
あ……。
そうでした。
私は、そういう事を許される人間では無いのでした。
…カイル様と一緒に楽しく回っていられたせいか、忘れてました。
「申し訳ありません。」
そう言って、私は商会の従業員に頭を下げました。
そして、振り返ったその先に──
──鬼が居ました。
「貴様あぁっ!!私の大切な人に向かって、その無礼な態度は何だあぁっ!!」
カイル様は先程までの穏やかな様子から一変し、鬼の形相で怒号を飛ばします。
「ひぃっ?!」
従業員の方も怯えています。
それはそうでしょう。
平均的な身長よりも頭一つ高く、精悍な体つきをした男性が、烈火の如く怒っているのです。
身の危険を感じて当然です、私も驚きました。
「私達はローエンタール子爵様にお仕えする身だ!我が主は、たとい使用人であろうと一人一人を気に掛けて下さるほど、慈悲深い御方だ!そんな主にこの事をお伝えすれば、どのような結果になるであろうな?…商会の会頭に御伝えしておけ、お前のせいでこの商会を畳まなくてはいけなくなるかも知れん、とな!」
カイル様は店中、広場中に轟くような剣幕で、恐怖のあまり固まっている従業員に言い放ちました。
流石にかわいそうです。
けれどカイル様は、鼻息荒く私の手を握り、王宮の方へと歩き出しました。
私はと言うと、従業員に言われた言葉の事も、カイル様が勝手にセーム様の家名を出された事も、カイル様の怒りが収まっていない事も、何も気にする事が出来ませんでした。
ただ、カイル様と手を繋ぎ王都を歩いている、という状況を全身で感じる事にのみ、思考を巡らせておりました。
その後、セーム様と落ち合った私達は、王都邸へ帰りました。
そしてその日の夕食の際に、今日何があったのか、とセーム様に問われました。
お答えされたのはカイル様ですが、私も補足をお伝えしました。
おおよその事は、お伝え出来たと思います。
「…。」
セーム様もクロー様も、話の間ずっと無言です。
「──という訳で、カッとなり子爵家の家名を語る愚行を犯しました。大変申し訳ありません!」
カイル様はずっと恐縮されております。
「そういう事か、カイル…。」
「はい、申し開きのしようもございません。」
あの、どうか…
「でかした!!」
「「……は?」」
セーム様のお言葉が一瞬理解出来ず、カイル様とハモりました。
「そんな事で気を病んでいたのか?いや、ルミが卑下されるなど遺憾だが、其奴の心胆寒からしめる事が出来たのなら、子爵家の家名くらい出しても構わんさ。」
「は、はぁ…。」
「そんな事より!あの剣術馬鹿なお前が、女の事で我を忘れるほど怒るとはな!」
何故か上機嫌なセーム様に困惑します。
「カイルさん、グッジョブ!」
クロー様、サムズアップは…下品かどうか微妙ですね。
とにかく、私のことでカイル様がお叱りを受けることは無さそうで何よりです。




