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男はターゲットの抵抗が急に無くなったのを感じ、完全に気を失ったことを確認しようと力を緩める。だがすぐにこちらに向かってくる足音が聞こえる。狭いトイレで男二人分が隠れるのは不可能と判断。口元に笑みを張り付けて出ていく。男の前に現れた人物はターゲットと同じ中学生だった。
「誰かいますか~?」
相手の間延びした声が聞こえる。
「おや、きみは?」
笑顔を崩さず、優しそうな顔で問う。
「三年の加瀬広臣って言います。えっと…貴方は」
「ああ、今年から入った新任の加藤です。」
「加藤先生ですか、すいません人の名前を覚えるのが苦手で。…ところで政府の犬が何しに来たんですか?」
瞬間男は服の袖口に隠していたナイフを右手で取り出し最速で少年の首を狙う突きを放つ。しかし、ナイフが触れる寸前広臣の体は後ろ向きに急加速して完全にナイフの射程範囲外に逃れた。
「鳥かごですか。ずいぶんかぎつけるのが早いですね」
「そりゃこっちのセリフですよ。こいつを一切マークしてなかったあんたらがどうしてもう動いてる?」
「情報提供があったんですよ」
加藤と名乗った男はよけられたことに驚きつつも冷静に相手を観察する。能力はおそらく筋力増強系。しかもトップスピードに至るまでほぼ一瞬だ。足以外にも使えるのか?追う展開になればさらに厄介だがその分能力を使うたび心臓に相当な負荷がかかるんだろう。その証拠に抑えようとしているが息が上がっている。能力を何度か使わせて疲れたところを狩る。だが…。
「君も連れて帰れたら昇進もあるかな?」
男からの圧にすこし気おされながらも
「あんたなんかにつかまるわけねえだろ」
と返す。
訓練された動きとこのプレッシャー、しかも初撃をよけたときの加速でこちらの手札もばれてる可能性が高い。なら相手は息切れ狙いの長期戦を仕掛けてくる。と広臣がここまで考えたところでナイフが目前まで迫って来ていた。相手がナイフを投擲してきたのだ。短期決着狙い!?完全に虚をつかれ回避は不可能。とっさに左腕を顔の前に持ち上げてナイフを防ぐ。激痛だが気合で痛みを押し殺す。男は既に二本目のナイフを構えて向かってきている。二本目を投げるそぶりはない。片腕をつぶした今、近接で仕留めきれると判断したのだろう。広臣は迎撃するべく咄嗟に回し蹴りを放つ。しかし、男は見切っていたのかつま先すれすれのところで急ブレーキを掛けた。つられた!と気づくも遅い。片足じゃ、しかも体勢的にも逃げられない!男は再び加速し始める。防御は間に合わない。そう判断すると能力による脚力で無理やり一回転し二度目の回し蹴りを男の顔面に放った。無理な姿勢とはいえ能力によって強化された回し蹴りは充分な威力でもって男のからだを吹っ飛ばした。左腕の痛みと呼吸困難で体が重いが、幸い男は立ち上がらなかった。一瞬だが命のやり取りを制し一息つこうとする。しかし、入学してから一番の男友達からの声によってまだ休めないことを悟った。
「広臣は敵なのか」
勘弁してくれ。イミングが悪いにもほどがある。内心そう思いながらも顔には出さない。しかしそれもどれだけ効果があったかわからない。なにせナイフを持った男が倒れており、さらには左手にナイフが刺さったままの同級生だ。即通報されてないだけマシなほどだ。
「いつから起きていたんだ?」
「起こされたんだよ、お前の声で」
正確には心の。ナイフが刺さった時の痛みをごまかすための気迫は彼には目覚まし時計よりも騒々しく感じる。広臣はもうごまかしがきく状況じゃないことを理解し腹をくくった。
「なあ、次の授業って何?さぼらないか?」
昼休みは残り5分もない。広臣は3組、陸は2組でお互いの時間割を把握していない。
「コミュニケーション英語、浅野先生の」
広臣は少し悩むふりをしてから
「あの先生ならまあサボってもいっか。」
しかし実際に広臣はさぼることを気にかけているわけではない。彼は話す内容を決めかねているだけだった。そしてそれは陸には筒抜けだった。しかしあえて指摘せずに
「さぼりに巻き込むなよ」
と軽口にのることにした。
「出席日数がやばいわけでもないのにさぼらないなんてもったいないだろ。」
広臣はそういいながらズボンのポケットから右手で携帯を取り出していじり始めた。
「というかその腕は大丈夫なのか。」
そう聞くと広臣は何でもないように左腕を掲げながらナイフを引き抜く。腕から血が垂れ、ナイフにも広臣の血液がこびりついている。
「それも併せて説明してやるから。うし、いくぞー。」
グロテスクな光景に反して間延びした声でそう言って携帯をズボンのポケットに戻す。
「この人は?」
倒れている人を指さして聞くと
「ほっとけ。すぐに俺よりも強い人が回収に来るから心配ない。」
そういうならとおとなしく広臣に連れられ体育館のトイレをでた。
校門を出るとすぐ横に黒塗りの車が止まっていた。まるでお嬢様を迎えにでも来たようだが僕はそんな人がこの中学校にいるなんて聞いたことない。広臣は迷いなくその車の後部座席のドアを開けると早く乗れと手で示してきた。行先不明の車に乗るのは怖かったが広臣に僕をだまそうという意思がなかったため思い切って乗ってみることにした。車内は広く僕の後から広臣が乗ってきてもかなり余裕があった。広臣はシートベルトを締めながら運転席にむかって「本部まで」とつげる。
「どれくらいかかるんだ?」
すぐに答えが返ってくる
「20分くらいかな。それまで暇だしジャン負けでお互いの好きなところを言い合おうぜ」
「やらないよ、つかそれカップルとかでやるやつじゃん。」
「恥ずかしがんなよ。じゃあ、相沢のすきなところでもいいぜ。」
「なんで相沢さんなんだよ!関係ないだろ。」
「友人のいいところの一つも言えないのかよ。明日相沢にチクるか。」
「いやっそういうわけじゃなくて!そりゃ好きなところはたくさんあるけど今ここでいう必要はないんじゃないかって」
いい加減広臣にからかわれていることは心を読まなくてもわかっている。少し冷静になるためにも話題をそらそうとした。そのときじゃんけんをしようとした彼の左腕のきずがふさがっていることにきづく。1時間もたっていないのに治りが早すぎる。
「ていうかそんなことよりもさっきのはなんだったんだよ!」
「プロレスごっこだよ」
「刃物まで持ち出したらそれはプロレスじゃない。」
「ならチャンバラごっこだ。」
「広臣。」
まともに取り合おうとしない彼にいらだって語気が強くなる。
「冗談だよ。どこから話そうか考えていただけだ。」
すると遠い昔に思いをはせるような顔をして教えてくれた。
「20年前、遺伝子学研究においてある物質がみつかった。それは取り込んだ動植物の遺伝子に変異を起こさせる物質だった。長い年月で起こると考えられていた突然変異を人為的に短い期間で引き起こした物質はInvisible genetic Matter IGMって名づけられた。このIGMは光をほとんど反射せず肉眼では見えないことが由来らしい。これは生物の進化にも大きな影響を与えると考えられて」
「ちょっと待て進化?まさか超能力は進化の結果だって言いたいのか?」
「まだ説明の途中なのに、まあそういうことIGMはみつかったはいいもののただ直接体内にぶち込むだけだと異物と認識されて排除される。万が一そうならなくても遺伝子はぐちゃぐちゃになる。遺伝子のコピーミスは増えてがん細胞の発生率が異常におおきくなったり、エイズとかもろもろの病気で被験者は死んじまう。だがある製薬会社がIGMに興味を持ち薬を開発した。それはIGMの作用をかなり抑えつつ体内ではそれは異物と判定されないものだった。そうして抑えられた変異は半日ほどで体にでてくる。」
「それが人間の進化か」
「正確には進化って言えるのかは学者でもないしわかんねえけどな。」
「でもニュースを熱心に見るわけじゃないけど薬どころかそんな物質がみつかったなんて聞いたことないぞ。それに新薬の開発なんてかなり時間がかかるって聞いたことあるぞ。」
「ま、そうなるよな。しかしこの新薬開発には日本政府の支援が入ったんだよ。」
「民間の新薬開発にパンデミックでもないのに何で国がでてくるんだよ。」
「デザイナーベビーって知ってるか?受精卵に遺伝子操作を行い望んだ外見や体力や知力を持った子供のことだ。」
「SFみたいだな、」
「これはもう先進国ではほぼすべての国で行われている。当然秘密裏にな。」
「冗談だろ?」
僕は先ほどから広臣の話に少しも嘘の感じがしないことをわかっているのにそう聞いた。聞かずにはいられなかった。
「マジだよ。使いつぶしても惜しくない優秀な人材はスパイとして各国に送られる。」
「だがそれとさっきまでの話とどう関係するんだよ。」
「デザイナーベビーは使えるようになるまで時間と金がかかる。これでわかるか?」
はっとした。わかってしまった。
「まさか後天的に作ろうとしたのか?そのための薬か?!」
「デザイナーベビーと同等の能力に加え特殊な能力を備え持つ諜報員を薬があれば簡単に作れると国のお偉いさん方は考えた。そしてうまれたのが『超隔世遺伝子活性剤』っていうもんだ。おとといお前の家にあったものだよ。それから能力者によって日本は情報戦において他国よりも一歩有利になった。」
エスパーになった原因があの注射器にあることは想像がついていた。けどそんなやばいものだったなんて。
「なら広臣はおととい、あの注射器について知っていたんだな」
「ああ。あれは冗談でもそこらへんに落ちてていいもんじゃねえ。」
そこで広臣はふと気づいた
「あのとき注射器は二本あったよな。一本は陸が使ったとしてもう一本はどうしたんだ。」
確か部屋に戻ってからそのままのはずだから、
「僕の部屋の机の上に置いてあるけど。」
「おい!まじかよ!?」
「知らなかったんだからしょうがないだろ」
広臣は特大のため息をつくとやれやれというように頭を振ってから運転席に向かって
「すみません。途中でこいつの家に寄ってもらえますか。」
と告げた。僕はそうならそうといってくれたらと言いたかったが、落ち度はないはずだけどやらかしてしまったような感じがして少し申し訳なさを感じたので心の中でつぶやくにとどめた。
車が見慣れた二階建ての家の前で止まった。車に広臣を待たせて、鈴鹿の標識をダッシュで横切る。
「あれ?」
玄関ドアを開けようと鍵を回すとがちゃんという音がしない。母さんがカギをかけ忘れたのだろうか。らしくない不用心に驚きつつも僕の部屋がある二階に向かう。部屋のドアを開けると、そこにあるはずの紙袋はなかった。