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部屋の外の騒がしさでたたき起こされた。普段、僕は朝に弱い。しかし、その日目が覚めたのはまだ6時。もちろんもっと早く起きている人も学校に限った範囲でもたくさんいるのだろう。しかし、遅刻ギリギリの僕からすれば2時間近くも早い。理由は単純に騒がしかったのである。普段はテレビの音のみがリビングから聞こえるのに四方八方から話し声がきこえてくる。頭が痛い。そういえば昨日のあれがやはりまずかったのだろうか。そう思って左腕を見るといつも通りの不健康そうな白い肌が見える。針を刺した後も消えている。どうして?と思考しようと頭をはっきりしようとするときこえてくる声がより鮮明に大きくなった。思わず頭を抱えてうずくまるが声がやむ気配はない。
(今日は休もう)
そう伝えようと母親に告げようとリビングに出る。リビングでは母親が朝食を準備していた。
「おお!おはよう、ずいぶん早いじゃん。」
いつもと違う時間に起きてきた僕に驚きながら声をかけてくる。
「母さん、今日俺体調悪くて休みたいんだけど。」
「どした?熱?」
そういいながら体温計を探し始める。
「多分、そうだと思う。頭が凄い、痛い。」
「う~ん?取り敢えず熱計ろっか」
僕は母さんから受け取った体温計で体温を計る。すぐになった音の後文字盤を見ると35,5の表記。普段の平熱と変わらない温度に驚きつつも疑問がわくがとりあえず体温計をみせる。
「何度だった?ん-、熱はないのか」{…噓…には見えなさそう}
母さんが覗き込む。それよりも今声がダブって聞こえたような。
{病院に連れていくか、でも今日外せない会議あるしな~}
「大事な会議なら僕は一人で病院に行くから母さんは会社行ってきなよ」
「へ?」「え?」
困惑した声が重なる。
「今、口に出してた?」
母さんが驚いた顔をしながらきいてくる。
自分の体に異変が起きている。
耳が変になったわけじゃない!なんだこれ、口は動いていなかったのに何で聞こえてるんだ??「い、いやなんか、そうなのかなって…態度っとかで…」
口にしてしまった以上愛想笑いでごまかすしかないが、それすらうまくできているかわからない。
「ゴメン、頭痛いから薬飲んだらちょっと横になってくるわ。」
いって、そそくさと頭痛薬を引っ張り出して飲み込むと部屋に戻る。頭に響く声はまだやみそうになかった。
昼になるにつれて声は少なくなっていった。頭痛も薬が効いたのかだいぶやわらんだ。
そういえば朝から何も食べていない。普段なら寝坊気味な僕を置いて母親は朝ご飯を作り置きしている。母親は小学校高学年の時には僕を起こすことをあきらめていた。リビングに行くとサンドイッチがラップにくるまれている。
「味がしない?」
空腹に抗わずに口いっぱいにサンドイッチを頬張る。トマトの酸味、ベーコンの塩味、マスタードの辛味も何も感じない。どれだけ咀嚼しても口の中でスポンジと水分が気持ち悪く混ざり合うだけだった。何で?何で?なんで!!冷蔵庫から牛乳を取り出す。牛乳の粘性をかんじるだけで未知の液体をのんでいるようだ。醬油も水と変わらず。塩を直接舐めても変わらず砂糖もじゃりじゃりした食感を残しただけだ。冷や汗が止まらない。僕の体はどうなってるんだ…
結局食事はサンドイッチ一口で食欲は失せてしまった。僕は病院に足を運ぶことにした。とにかく夢から早く冷めたかった。病気ならば多少厄介でもそれでもまだマシである。何かわからず誰に相談するべきかわからない状況よりもはるかに。
病院内では平日の昼間でも何人かが待合室で待機していた。診察は滞りなく終わり。僕の状態はよくわからなかった。医者が直接そういったわけじゃない。心がいったのだ。病名は確かに告げられたはずだがそちらは耳に入って来なかった。少しだけ分かった。この声は心が発する物の一部なのだと。僕はエスパーになっていた。
次の日、昨日ほどの声は聞こえなくなったこともあり今日は登校することにした。というよりも母親が口にしなくても僕がいじめられていることを心配している声が聞こえてしまったからだった。しかし、学校に来たことを僕はすぐに後悔した。学校に近づくと声の大きさは昨日の比じゃないほどに騒がしかった。教室に入ると昨日休んだ僕を気に掛けてくれたのか相沢さんと広臣が声をかけてくれたがなんて聞かれたかどう答えたかも覚えていない。その声はさらに大きく。隣の教室や上の教室からも響いた。病院では耐えられていたことで油断していた。中学生の心の声は感情の変化が大きい分きこえてくる声も誰かや身近な人の陰口から好きな人への気持ちまでぐちゃぐちゃでジェットコースターにもみくちゃにされているような気分だ。特に最悪だったのは下ネタだった。中学生だし、自分にも身に覚えのあるものだが他人の聞きたくもないものを聞かせられるのは精神的なダメージが大きかった。授業中も会話ができない分、心の声は大きくなり授業の内容は一文字すら入ってこない。病み上がりということで広臣と星が心配で声をかけてくれたがその会話すら苦痛にしか感じない。父さんにメールを送ったが返事どころか見た様子すらない。精神的な限界がかなり近かった。
昼休みになり僕は気持ち悪くなりながらも人気のないところを求めて校舎からでて体育館のトイレに逃げ込んだ。
「帰りたい」
ここにいたくない。これ以上居たら気が狂うのも時間の問題だと感じた。早く逃げなくちゃ。今日はもう帰ろう。
「早退しよう」
独り言をつぶやきトイレから出ようとしたとき
「君が鈴鹿陸君?」
「え?」
声のしたほうを反射的に振り向く。出入口で一人のスーツ姿の男の人が立ちふさがっている。歳は20代後半ぐらいだろうか。スーツは糊でしわ一つない。見たことがない人だ。この学校の先生だろうか。
「え、あ、はい、そうです」
と思わず反射的に答える。
「良かった!実は君のお父さんから君のことを頼まれてね。写真で顔はわかってるんだけど一応ね。」
男は僕に近づいてくる。すると学校の騒音でマヒしていた脳が僅かに機能し雑音の中から男の声が聞こえてくる。
「あの、今日はもう早退したくて。」
逃げなきゃ。
「ならちょうどいい、君に来てもらうところがあるんだ」
まずいまずい。この男は信用ならない。
「すみません、ちょっと体調悪いので明日に…」
そういいながら後ずさるがこちらは壁側で出口は相手の奥にある。
「なら、病院まで付き添ってあげるよ。」
この男、の心からの声が聞こえる。悪意ある声が僕にまとわりついてくる。敵だ。目的はわからない。そもそも味方なんているのか。しかし、この男は信用できない。それだけは確信した。
男は僕が警戒を強めていることに気づいたのか、あっさり優しそうな表情を崩した。男の表情から笑みが消えたと同時に強烈なタックルが襲う。平均的な中学生と大の大人という体格差もあり、あっさり吹っ飛ばされる。背中と後頭部が床にたたきつけられ痛みが走る。タックルをかましてきた男は僕が起き上がるよりも早く仰向けの僕の上に馬乗りになりそのまま首を絞めてくる。声が出せない。苦しいさのなかで頭がうっ血していくのがわかる。
「殺さないから、安心して眠れ」
ダメだ視界が…もう。頭に男とは別の声が響いたきがしたが誰の声か判断する前に僕は眠った。