雨と涙
そうだ、あの日も雨だった。
私にとって大事な日。その日はいつも、雨だった。
大学受験に失敗して浪人初の夏は、ジリジリと暑く、勉強などとても手につかなかった。私は、医者になる夢を諦めかけていた。
じっとりとした空気に、音のない夏の昼間は、家にいてもどこにいてもなにも手につかない。唯一の趣味でさえ、やる気が起きない。私は、人生の堕落者なのだと思う。
晴天の霹靂、突然の雨に驚いて顔を上げると、嵐のような土砂降りの隙間から青空が顔をちらつかせていた。そうだ、あの日も雨だった。
高校卒業式。私はある人への告白を決めていた。大学に受かっていると信じていたから、告白をしようとしていた。そう、その日は3月には珍しい土砂降りの雨の日だった。朝からみんな、妙にそわそわしていた。今日で高校も終わりなのだと思うと、なんとなく寂しい気分になる。それほど高校が楽しかったわけでもない。好きだったわけでもない。だけど、やっぱりどことなく寂しさを感じるのだ。
香川勇介くんは、3年間同じクラスで、いつもみんなの輪の中にいて、中心的な人だった。私はその反対で、クラスに溶け込めず、いつも一人でいたから、彼をうらやましいと思い、憧れていた。その3年間、彼を想うことはそれなりに辛いことだったけど、私にはそういう風にしか高校生活をすごすことが出来なかった。
いつも勉強ばかりして暗い子だと周りから思われていた。私は勉強が好きなわけじゃなかった。それほど頭も良くはなかった。だけど、父が医者をやっていて母が看護婦をしているためか、昔から医者になることを目標に生きてきた。私個人の目標は、特になかった。父も母もそれを期待していたし、お兄ちゃんも医者になった。だから私も医者を目指していた。人間には興味がなく、獣医を目指していたけど、父も母もそれはそれでいいと思っていた。
卒業式のあと、直接告白するのは勇気がいった。私は誰にも見られないように彼のカバンに手紙を忍ばせた。彼は、帰る前にそれに気がついたのか、私の方をちらちらと見ていた。時折目が合うとフッとそらされた。いたたまれなくなって、彼を見るのをやめた。
最後のホームルームが終わり、みんなが帰っていく。私も帰ろうと席を立ったとき、声をかけられた。そして、手紙を返された。
「ごめん、俺松下のことそういう風に見たことないから・・・悪いけど返すよ」
私は彼の顔を見ることは出来なかった。
傘は持っていたけど、雨の中をずぶぬれになりながら帰った。そして、大声で泣いた。人のいないところで・・・。雨が、全てをかき消してくれた。
その3日後、大学に落ちたことを知った。
何もかもがいやになった。父と母は1年くらい浪人してもいいといって笑っていた。こういうところは他の親とは違うのかもしれない。優しい両親だと、私も思う。
今は夏。しめった空気が体にまとわりついてイライラする。物に当たる。それから、人にあたる。
午後は予備校だ。行く気が起きない。でも、行かないと獣医になれない。私はなんで、獣医になりたかったんだっけ・・・?思い出せない。昔何かあった。そう、何かあった。
そうだ、あの日も雨だった。 家の前に、1匹の子猫が蹲っていた。そのそばで母猫が鳴いていた。私は急いで父を呼んだ。でも父は人間専門の医者だったから、猫のことは助けられないと言って、友達を呼んだ。その人はすぐに子猫と母猫を病院に連れて行った。車の中で、何度も
「大丈夫だ、すぐに助けてやるからな」
と呟きながら。
病院についてすぐに手術が行われた。母猫は手術室のドアを引っかいたりしながらそれでも待っているように見えた。野良猫が、こんなにおとなしいはずないと母が言った。
手術室のドアがあいて、父の友人が笑顔で出てきた。
「喉に、鳥の骨がひっかかっていたんだ」
子猫は一鳴きすると母猫の元へ走った。元気になった。しにそうだった猫が生き返った。それを見た私は、もともと動物が好きだったからというせいもあって、獣医になることを幼心に決心したのだ。
あの日の情熱が、蘇ってきた。雨は、悪いことばかりをもたらすわけじゃない。そうだ、私の大切な日、雨が降っていることが多かったけど、楽しいことも辛いことも、嬉しいことも悲しいことも、全部雨は知ってる。そして、私がこうして怠けていることも。
きっと雨は励ましてくれるんだ。そう思うと気が楽になった。
「いってきます」
「いってらっしゃい、がんばってね!」
にっこりと笑い、見送ってくれる母に手を振って予備校へと急ぐ。
そう、まだまだこれからだ。一度くらいくじけたって、また立ち上がればいいんだ。そう、これからだって、たっくさんの思い出が作られていく。それが楽しいことでも辛いことでも受けいれていくしかないんだ。
急に晴れ晴れとした気持ちになった。
気がつくと、雨が上がって虹が出ていた。