私がエッセイを書かなくなった理由
エッセイが書けない。
気づいたら書けなくなっていた。
書くのがしんどくなっていた。
私はなろうでエッセイを100作品ほど書いた。
ネタに困ったことはなく、無限に書き続けられると思っていた。
しかし……気づいたら全く書けなくなっていた。
理由は分からない。
疲れたからだろうか?
空白ばかりの四角いスペース。
ここに文章を打ち込んで小説として投稿するのだが、まったく埋まらない。いつもはすぐに書き終えて推敲の作業にうつるのだが……。
もしかして……たらこちゃんが消えた?
たらこちゃんとは、もう一人の私だ。
エッセイを書く時は彼女にお願いしている。
と言っても、意識が乗っ取られるとか、そういうことはなく、単に書き始めるともう一人の自分になり切る程度の感覚である。
もう一人の自分と言うと不思議に思われるかもしれないが、ハンドルを握ると人が変わると言うように、何か作業に没頭するともう一つの人格が降りてくるのだ。
割とよくある現象かと思う。
たらこちゃんというキャラクターは自然とできあがっていた。
なろうでエッセイを投稿し続けているうちに、途中で一人称をたらこにしてみたのだが、それが思いのほかしっくりときてずっと続けていた。
続けるうちにたらこちゃんは成長してゆき、独立したキャラクターとなったのだ。
たらこちゃんは何処へいったのだろう?
私はいるはずもないのに部屋の中を探してみた。
たらこちゃんの影は何処にも見当たらない。
はて……どうしたものか。
彼女がいないとエッセイが書けない。
書けないということはないはずだ。
キーボードをタイプしているのは私自身だし、たらこちゃんもノリで生まれたようなものだ。
私の人格を支配するような存在ではない。
だから……書こうと思えば書けるはずなのだ。
それでもエッセイを書こうとすると筆が進まない。
ぴたりと止まったまま動かない。
これはまずいぞと思いながら、なんとか必死に文章をつづろうとするも、やはりうまくいかない。
手で何かを掬い取ろうとしても手ごたえがなく、ネタもオチも引っかからない。
まるで空になった米びつの底を指ですくっているかのようだ。
書く意欲が枯渇してしまったのかもしれない。
自分自身を見失ってしまったのかもしれない。
このままではまずいと思いながらも、どうすることもできず、ただ時間だけが過ぎていく。
ある日のこと。
私は小説を書くことに没頭していた。
一日中PCの前に座り、休憩を挟みながら文章を書き続けた。
ただただ思い浮かぶ文章をキーボードで打ち込みつつ、物語が出来上がっていく様子を楽しみながら書き続けた。
すると……ある存在に気づく。
黒くよどんだ沼のような場所で、何かが蠢いているのだ。
それを沼からすくい出してみると、うねうねと蠕動する気持ちの悪い虫のような生き物が姿を現した。
なんだこれは……。
驚愕して固まっていると、それは口を利いた。
「お前……俺が見えるのか?」
「ああ、お前は誰だ?」
「ケケケケケ、小説を書いている時のお前だよ」
「小説を書いている時の私?」
その存在に心当たりがなかったのだが、私の心の中にいたのだから、それは私自身なのだろう。
私はその気持ちの悪い生き物を連れて帰り、空になった米びつに入れて保管することにした。
その日からか。
私の書く小説のなかに、黒いものが現れ始めたのは。
小説の中の登場人物は、その全てが私の心の中にあるキャラクターだ。
彼らを動かすことで物語が形作られていく。
その中の何人かが、私の中の黒い感情を帯び始めたのだ。
恨み、憎しみ、恐怖、焦り、妬み、そして絶望。
私の中の黒い感情がキャラクターを支配し、物語の世界で蠢き始める。
「だいぶ面白くなったじゃないか。
お前が描きたかったのはこういう世界だろう?」
米びつの中でそれが囁く。
「ちがう……こんな陰鬱で暗いだけの物語。
読んでも楽しくないじゃないか」
「別にいいだろう。どうせ誰にも読んでもらえない。
だったら……初心に戻ればいいじゃないか。
以前のように物語を好きなだけ書けるようになるぞ」
米びつの中を覗くと、それはニヤニヤと不気味な笑みを浮かべている。
「でも……誰にも読んでもらえないなんて嫌だ」
「はっきり言っておくが、読まれる読まれない云々の前に、
そもそも小説が書けなかったら意味がないだろう。
お前、自分でも気づいていると思うが、
なろうで活動を始めて執筆速度が下がっているぞ」
たしかに、私はなろうでエッセイを書きはじめてから小説を書くペースが落ちた。
エッセイを書き、小説を読み、作者たちとの交流することで、小説の執筆に当てる時間が減ったからだ。
エッセイが書けなくなって交流のペースが落ちた今、また以前の執筆速度を取り戻しつつある。
毎日のように文章を書いている私は、それだけで幸せだ。
他に何もいらないとさえ思う。
「それでいい……それでいいんだ。
また一人ぼっちになって、小説を書けよ。
そして、黒い感情を好きなだけ吐き出せ。
物語の中で、お前は神になれるんだ」
それの言葉を聞き流しながら、私は小説を書き続ける。
私は悪役が好きだった。
なぜか幼いころから悪役に感情移入することが多かった。
しかし、それはあくまで子供向けのアニメや漫画のお話で、悪役と言っても決して悪人ではなく、正義の味方に倒されるための役割である。
子供たちが見て悲しい思いをするような悪役は存在しない。
時には道化のようにおどけ、時には勇敢な戦士としてふるまい、最後は敗北して生涯を終える。
そんな生きざまに私は感銘を受けたのかもしれない。
大きくなったら悪役になりたいと思うようになった。
私が書く小説の中で、悪役たちは生き生きと動いている。
私が分け与えた人格を元にすくすくと成長し、立派に役目をはたした。
物語の中で悪役が死ねば、その悪役に分け与えた感情も昇華されるのだ。
恨み、憎しみ、恐怖、焦り、妬み、そして絶望。
それらの黒い感情が主人公によって打ち倒された時、私の心は真っ白になる。
繰り返すことでたまった感情を吐き出し、私は現実世界で正気を保っていられる。
私はこの世界が嫌いだ。
ついでに言えば、人間が嫌いだ。
私を受け入れようとしないこの世界が、私を認めようとしない人間たちが、たまらなく大っ嫌いだ。
何者にもなれない私は世界の片隅で絶望を抱き、苦しみながら死んでいくしかない。
悪役としては相応しい末路だろう。
「お前が小説を書くのは、予行練習なんだよ。
書いて、書いて、書き続けて。
お前の終わりをシミュレートしているんだ」
確かにそうかもしれない。
私はいつか来る終わりに備え、小説の中で悪役としてふるまうのだ。
誰かに迷惑をかけずに、ひっそりフィナーレを迎えるために。
人生に絶望した時。
人は最悪の結末を迎えることがある。
しかし、同じ道を歩んだりはしまいと心に決めている。
最後くらい、悪役のように潔く散りたいものだ。
「なぁ……久しぶりにエッセイを書かないか?」
米びつの中から声が聞こえる。
「今更なんだよ。どういう風の吹き回しだ?」
私は米びつの中を覗いてみた。
すると……そこには一腹のたらこがあった。
「なんで?! どうしてここに⁉」
そこにいたのは間違いなく、たらこちゃんだった。
でも……この中に入っていたのは……。
「あの気持ち悪い存在は君だったのか?」
「絶望と希望は表裏一体。
たらこはずっと、アナタと共にあったのです。
さぁ、エッセイを書いて下さい。
今ならきっと書けるはずです」
「でも……私は……」
私は決して良い人ではない。
他人から尊敬されるような人間じゃない。
この世界と、人間が嫌いな、社会の歯車にすらなれない欠陥品だ。
だから……全てを諦めていた。
生きることに希望を見いだせず灰色の世界に身を置いて、いつか来る終わりにおびえながら、途方もなく広い空間に一人で座り込んでいた。
そんな私にたらこちゃんは希望を与えてくれた。
灰色にくすんだ私の人生の物語を、明るくて楽しいエッセイとしてネットの海に解き放ってくれたのだ。
おかげで沢山の仲間ができて、一人ではないと実感できた。
もう少しだけ、前向きに生きようと思えた。
「あなたがダメ人間なのは、みんなが知っています。
自分を大きく見せようとせず、素直な気持ちでエッセイを書いたから、
等身大のアナタの姿を、みなさんは心の中に思い描いているでしょう。
だから……もう悩まないで欲しいのです。
たらこはどんな時も一緒にいます。
何故ならたらこは、アナタの一部だからです」
たらこちゃんの言葉が私の肩にかかっていた重荷を取り払う。
彼女がいなくなってとても苦しかった。
エッセイを書きたいと思っても、書けない自分が情けなかった。
もうたらこくちびる毛としての自分に価値はないと思った。
「たらこちゃん!」
私は米びつからたらこを取り出す。
ぎっしりと身が詰まったおいしそうなたらこだった。
もう彼女を放すまい。
そう決めたら行動に移るのも早かった。
さっそくスーパーへお米を買いに行き、炊飯器で炊き上げる。
アツアツの白いお米にたらこを乗せ、箸でふんわりとつまみ上げて口の中へ。
「なんだ……けっこう美味しいじゃないか」
私はゆっくりと口の中で咀嚼して、たらこと白米のハーモニーを楽しむ。
もぐもぐごっくん!
たらこを平らげた私は、PCに向かう。
そしてなろうのホーム画面を開き、新規小説作成の項目をクリック。
まっしろな空白がそこにある。
「さぁ……久しぶりにエッセイでも書くか」
私はさっそくエッセイの執筆にとりかかる。
こうして書きあげた作品がこちらです。
おそまつさまでした。