硯をメインとする書道道具の擬人化
書道を趣味とする年老いた男がひとり。
その机の上ではこんなことが。
硯「はあ、もう耐え切れない。毎日毎日…!」
墨「さあ、硯のお嬢さん。今日もご主人様がお求めだ。その乙女の柔肌のように手触りのよい体の腹を使わせて貰いましょうかね」
硯「もう、いやよ!あなたたちみたいな年寄りの相手ばっかり!」
墨「まぁ、仕方ありませんよ。何せ経年による墨の良質化は基本のこと。100歳を越えた儂たちの相手が出来るだけ、いいと思いなさい。さあ、濡らすよ」
水差し「…………お嬢。失礼します」
硯「ああっ!つ、冷たい!」
水差し「お嬢の肌の方が今日は温かいのですね」
墨「さあ、今日もご主人様のために身を削らせていただきますかね……ふふ。ああ、やはりお嬢さんは違う。素晴らしい」
硯「あ、あ、うう……や、やめて、やめて!」
墨「どうしてですか?こんなに濡れているのに。ほら、すべりも良い」
硯「いやよ!やめてよ!年寄りには分からないの?!あなたからは出ていないのに!」
墨「おかしいですね……いつもならもっと出ているのに。前後運動ではだめですね。やはり回転させないと。丸く円を描くように……」
硯「……い、いやぁ!やめて!変わらないわ!もう!いい加減にして!」
墨「おかしいですね。昨日の雄勝さんとはうまくいったのに。端渓さん、あなたでは出てこない」
硯「これだから年寄りは……!」
墨「あなたこそ若ぶってますが、いい歳でしょう?本当は儂たちより年寄り……」
硯「大名家所蔵の名品よ!拝領したものだから使われることもほとんど無かったわ!」
墨「それならやはり雄勝さんの方が若いから」
硯「だから違うって言ってるでしょ!あんたじゃ話にならないわ!水差し!砥石を呼んで!」
水差し「………一番こまけぇ奴でいいっすか」
硯「ええ、いいわ」
砥石「奥様。お待たせいたしました」
硯「奥様なんてやめてちょうだい」
砥石「いえ。わたくしめを呼ぶのなら、それはご主人様のために墨様たちと交わった証。そこまで使われていらっしゃるのならば、奥様かと」
硯「まあ、いいわ。さあ、来て。わたしの上に」
砥石「はい。失礼いたします」
水差し「………お嬢、墨の方は綺麗に洗い流しました。拭き取りも終わりましたので、濡らします」
硯「ええ。お願い。……んん!冷たいわ」
砥石「すぐに暖まりますよ」
硯「優しくしては駄目よ。激しくして。でも丁寧に」
砥石「はい。ふっふっふっ……これは」
硯「すっかりすり減らされてしまったわ……もう、このままではご主人様に見限られてしまうと恐れていたの…」
砥石「それだけ、ご愛用されてるのですね……ふっふっふっ……はぁ、これは大変だ」
硯「ああ……いいわ、ああ、いい……もっともっと」
砥石「お気に召していただき、光栄です……ああ、真っ直ぐにしか動けないのがもどかしい」
硯「ダメよ……ちゃんと溝を……細かい溝を作ってくれなきゃ……ああ、ちゃんと仕事をしているのね……真っ白だわ……」
砥石「今、我が身を削って奥様を研いでいますからね……ああ、柔肌がわたくしめので真っ白に……」
硯「ああ、もっと、もっと!」
砥石「ええ、奥様のために。あと1時間、頑張らせていただきますよ……ふっふっふっ……」
1時間後、真っ白になった硯。
硯「……はあ、素敵。端っこの方は、乾いてしまってるわね」
砥石「………はあ、はあ、ぜえ、ぜえ……はぁ、お、お喜びいただき、まことに恐縮…」
硯「砥石だけじゃないのね。まさか、フェルト卿と交代でするなんて……」
砥石「はい。わたくしめだけでは、奥様の隅々までをカバー出来ませんから。ただもうフェルト卿も限界になりましたので」
硯「ふふふ、満足したから大丈夫よ。もう結構。下がってその身を乾かしなさい」
砥石「はい。それでは失礼いたします」
硯「水差し、さあ、あなたのすべてをわたしに注いで」
水差し「……お嬢……あっしの全部を出していいんですかい?」
硯「ええ。わたしがいいと言うまで、何度でも出して」
水差し「(懸命に水を腹に満たす)…はい。わかりやした。い、いきますよ………!ふぅぬぉおお!!」
硯「ああ、いいわ!もっと、もっと!洗い流して!白いものをすべて、わたしの体から流して!!」
水差しは懸命にその身から水を出し続ける。最後の一滴まで。
キッチンペーパー「お嬢様。一度体をお拭きしますわね」
硯「ああ、そうね。べたべたして不快だから、拭いて。嫌ね。黒いわたしの肌に白いものって目立つのよ」
キッチンペーパー「はい。お嬢様の珠のような肌を拭わせていただけて、とても幸せですわ」
硯「あなたとは…添い遂げられないけど。その身をわたしに捧げてくれるあなたのことは、わたし忘れないわ」
キッチンペーパー「その言葉だけで、充分報われますわ……この後は、妹たちに任せます」
硯「ええ、ありがとう」
水差し「お嬢、まだです。さあ、いきますよ」
硯「ああ、冷たい!でも気持ちいいわ……ああ……」
水差し「お嬢!俺が注ぐのは、お嬢だけです!」
硯「……ふふふ、嘘でも嬉しいわ」
水差し「うそ、嘘なんかじゃありません!お嬢……俺は!」
硯「いいのよ。ご主人様の気まぐれで、相手が変わるのは、分かっているわ……今、わたしにだけ、わたしだけを見て、注いで。最後の一滴まで。そして、洗い流して……!」
水差し「お嬢!お嬢!すぐ出し終わってしまう俺に……不甲斐ないこんな俺に……!本当は蛇口の兄貴の方が……!」
硯「いいのよ。ご主人様がびしゃびしゃに濡れるのを面倒くさがっているだけだから。それに優しく洗い流してくれるから、いいの」
水差し「ああ、これで最後です。お嬢!」
硯「ありがとう、もういいわ……」
キッチンペーパー妹「さあ、砥石と水差しに汚された体をお拭きしますね」
硯「ええ、お願い。もうわたし、疲れたわ」
キッチンペーパー妹「お眠りください。妹たちでお体を清めておきますから」
硯「あなたたちが汚れてしまってるわ……」
キッチンペーパー妹「よいのです。お嬢様が綺麗になるのならば、それが本望です。さあ、お休みください」
硯「……ええ、おやすみ…」
目を覚ますと、乾いた肌をさらして硯は横たわっていた。
ご主人様が硯を覗き、その指先を滑らせる。
硯「ああ、暖かい……ご主人様の指先、ステキだわ……」
しばらく撫でた後に、水差しと墨が硯の横に置かれる。
硯「ああ、ご主人様、もっと触って……」
墨「ご主人様は、早く儂たちと交わって出して欲しいようだ。さあ、平らな所に水を」
水差し「……お嬢、いきます」
硯「……んっ!」
水差し「少しだけです。今日は小筆だそうなんで」
硯「わかったわ……さあ、早く済ませて」
墨「どれどれ。……ふぅん、だいぶ具合が良くなった」
硯「ふふふ、砥石のおかげね。ご主人様に使い込まれてすっかり墨を擦りおろす溝がなくなってしまっていたもの」
墨「ははぁ、これはすぐに出てしまいますよ。……おや、もういいようだ」
硯「あなたも拭いて貰いなさい。濡れたままでは使い物にならなくなってしまうわ」
墨「まあ、儂らは書き損じの半紙が相手ですけどね」
硯「あら、わたしだって普段は反故紙のお姉様たちで拭かれて終わるわ」
反故紙「さあさあ!グズグズしてないで!じいさんはさっさと硯お嬢様から離れて!」
硯「お姉様たち、後でよろしくね」
反故紙「ええ、ええ。分かっておりますとも。さあさ、今日は初めて使う小筆の坊ちゃんがお相手ですよ」
硯「あら?まあ、本当ね。真っ白だわ。糊を落としたばかりね」
小筆「……あ、あの、ぼく」
硯「怖がらないで大丈夫よ。さあ、いらっしゃい」
小筆「あ、あの、ど、どうすれば」
硯「ご主人様の右手にそのまま、身を委ねて。さあ、ここに入るのよ」
小筆「え?そっちの深い方じゃ…」
硯「小筆の坊ちゃんは、ここの浅い所で充分よ。ほら、ここ、黒く濡れている所があるでしょう?」
小筆「は、はい。あ、あの、ぼく、頑張ります!」
硯「誰だって最初は初めてよ。そう、いい子ね。ふふふ、くすぐったいわ」
小筆「あ、あ、すみません!うわ、すごい!膠さんが入ってる…!」
硯「ふふふ、もうこれで落ちないわ。真っ白だった体がもう真っ黒ね。さあ、余計なものは落として……そう、毛先を整えて。ええ。いいわ。さあ、まだ何からも汚されていない真っ白な半紙のお姫様たちをあなたの毛先で存分に美しく崩してきなさい」
小筆「はい!がんばります!」
硯「疲れたら、また、ここに帰ってきなさい……また濡らしてあげるわ」
全てが終わった後には、くずし字の並ぶ美しい半紙が机の上にあった。
「よし、これで練習は終わった。本番の料紙を準備するか」
なんだかんだで、硯と水差しが一番長い付き合いとなります。
他は消耗品なので、消えていきます。