第64話:帝都の戦い
アンジェリーナ・マリーエイジは困惑していた。
何故、[暁の剣]のレドランがメリアドールに、リディルに剣を向けているのだ?
[盾]の影となって、決して表に出ることなく、地位も名誉も歴史に名を残すことなく、それでも国を守るために全てを捧げる――。
それが、[暁の剣]のあるべき姿だ。
レドランは、優秀な男だ。その優秀さを完全に隠し通すことのできる男だ。
文字通り、彼は影として、[暁の剣]として完璧な仕事をこなしていた。
だのに、何故――。
「レドラン・マランビジー! 街が襲撃を受けているのが、わからんのかァ!!」
父の焦りに満ちた怒声が、アンジェリーナを思考の海から引き戻す。
思わず、アンジェリーナはレドランの名を呼ぼうとした。
レドランの口元が、おもむろに開き何かを言いかける。
だがリディルの声の方が早かった。
「ザカール! レドランの体を奪われた!」
一瞬、レドランの目元が苛立たしげに歪む。
父が息を呑み、目を見開き、あの時の憎悪を思い出したかのように顔を苦渋に歪め、それでも奥歯をぎりと噛み締め、それでもかつて[剣聖]を目指した騎士として叫んだ。
「その可能性はァ!! ありえる話だろうが――!!」
それは、レドランを[暁の教団]に送り込んでいた父だからこその絶叫である。
彼だけは、宮殿勤めのうだつの上がらないレドランの、その可能性にたどり着ける人間なのだ。
父は即座に上空に向け、敵を知らせる信号魔法を撃ち放つ。
レドランの姿をしたザカールが短く舌打ちをし、父に向け〝雷槍〟を撃ち放った。
父は魔力を込めた大剣を盾のように使い〝雷槍〟を弾くと、屋根から跳躍しレドランの姿をしたザカールに向けて大剣を振り下ろした。
父の一撃を彼は左手に持ったショートソードで軽く受け止め、右手で空間から自らの仮面を取り出し、レドランはザカールとなった。
ザカールは楽しげに口元を歪め、笑う。
『やるでは無いか、ミュールの血統!』
「アンジェリーナは何をしているか!」
『ハハハ、嬉しいぞミュール! 私がお前の血筋と戦うのは、ずいぶんと久しぶりだ!』
「ここは俺と剣聖が面倒を見る!」
『だが、果たして貴様にドリオ・ミュールの真似事ができるかな――!? ヤツは勇敢だった!』
「お前は姫を連れて逃げろ!」
『逃さんと言ったはずだ――!』
ザカールから放たれた力場が父の巨体を弾き飛ばすと、入れ替わりでリディルが風のように現れザカールの懐にまで潜り込む。
同時に、アンジェリーナは屋根から魔法を駆使して飛び降り、右腕に酷い火傷を負っているメリアドールを優しく抱きかかえた。
「メリー、大丈夫!?」
そう声をかけながら、アンジェリーナは目の端でリディルの動きを追っていた。
リディルがザカールに向けて瞬間的に強烈な殺意を波動のようにして放ったのを、アンジェリーナは肌で感じ取った。
自身に向けられていないものでさえ、肌が泡立ちアンジェリーナは怯んだ。
そうか、と直感的に理解する。
あれはかつて、父がリディルに受けた技だ。
リディルから繰り出されるいくつもの殺意がザカールを襲う。
それは全てがフェイントである。偽りである。
だが突進と同時に繰り出されるそれは、対達人用としては究極の形であることを、アンジェリーナは知っている。
初代剣聖の技として、彼以外未だに誰も会得したものがいないという奥義。
それを、リディルはこの土壇場で使ったのだ。
ザカールが短く息をのみ、咄嗟に右手で〝魔法障壁〟を繰り出そうとするも、もう遅い。
リディルの殺意、フェイントで対応が遅れたザカールの首が斬り飛ばされる。
そのままリディルは流れるように右肩、右腕、右脚、右足、左脚、左足、左腕、左肩を切り裂きザカールの体をバラバラにした。
しかし――。
切り裂かれたザカールの四肢が、空気を纏ったかのようにふわりと空中に浮かび上がり、首だけとなったザカールは笑った。
『ハハハハ! それもかつて見た技だ! 私の貴重な依代を、三度も殺してくれた忌むべき技! この私が、何も対策していないとでも思ったか――!』
ザカールの切り飛ばされた四肢に刻まれた紋様が輝くと、街の上空にいくつもの巨大な魔法陣が現れた。
ザカールの四肢から〝雷槍〟が無数に撃ち放たれるのと、上空の巨大魔法陣から書物でしか見たことの無い、千年前の伝説の悪魔たちが姿を覗かせたのはほぼ同時だった。
※
六体目の[紅蓮ゴーレム]を屠った黒竜の首の後ろで、ブランダークが叫んだ。
「あの魔法陣――ザカールが、[帝都]に……!? まさか、どうやって……!」
それは、最も恐れていた事態である。
[帝都]上空に浮かぶ三十あまりの魔法陣が赤黒く輝くと、陣の内側からかつて見た[魔界]の情景が微かに覗いていた。
[帝都]の四方を取り囲む白亜の塔が輝いた。
それは目視できるほど分厚い結界となって[帝都]の空を包み込み、輝きが赤黒い魔法陣を飲み込んでいく。
一つ、また一つと魔法陣が消失し――。
わずかに破壊の遅れた三つの魔法陣から、巨大な花の姿をした化物、四本の腕を持ち二階建ての民家ほどの身長を持つ巨人、漆黒の甲殻に身を包み、人と昆虫の入り混じったような異形な外見をした魔人が姿を現した。
黒竜も、知識としては知っている。
アリスと共に読んだ書物に記されていた。
花の姿をした化物は、[魔界]の植物をザカール自らが改良したもの、四本腕の巨人は、死んだ巨人族の英雄をザカールが改造し、意志を持つ死体と変貌させたもの、そして漆黒の魔人こそが――。
「[魔界]本来の、住民……」
知と力を持ち、ザカール、ドラゴンと共に人の世界を破滅に追いやろうとした敵――。
同時に、七体目の[紅蓮ゴーレム]が爆散し、上半身からバランスを崩し湾へと倒れ込むのを端目で捉えた黒竜は、
「トラン君たちがやったのか――!」
と歓声を上げた。
これで、残るはあと一体――。
その時だった。
最後の一体となった[紅蓮ゴーレム]の顔が、ぐりんと[帝都]を向いた。
その[紅蓮ゴーレム]の視線の先に、漆黒の魔人の姿があった。
首の後ろのブランダークが叫んだ。
「いかん、[魔人]は、[紅蓮ゴーレム]の――!」
天敵。そう言うが早いか、黒竜は力強く羽ばたき、〝加速〟の[息]で風を置き去りにしながら[紅蓮ゴーレム]を誘導すべく断続的に〝火球〟の息を撃ち放ちながら、最後に〝加速・貫通・火球〟の[息]を撃ち放つ。
しかし、[紅蓮ゴーレム]は[帝都]に現れた[魔人]を見据えたまま黒竜の放った[息]を魔法障壁で全て受けきり、そのまま右腕を[帝都]に向けると[魔導砲]の発射体制に入った。
火に焼かれる街には、大勢の人が――。
[紅蓮ゴーレム]の右腕が赤黒く輝く。莫大な魔力量に耐えきれず所々の装甲部に亀裂が走る。
空間すらも歪む力場が、右腕に収束されていく。
宮殿近くに備え付けられた長距離魔導砲、そして街の湾岸部にようやく設置された連装魔導砲が同時に放たれるも、[紅蓮ゴーレム]の周囲に張り巡らされたバリアとも呼ぶべき障壁が魔導砲の雨をぐにゃりと歪め、全てを後方へといなしきる。
水平線の彼方で巨大な爆発が起こると海が破裂し塩分を多分に含んだ雨が嵐のように降り注いだ。
首の後ろのブランダークが叫んだ。
「じ、[次元砲]ですと!? [ルミナス連合]は、本当に……!――トラン、よせ!」
ブランダークが声を荒げる。
トランが叫んだ。
「支給された[試作次元障壁]を使う! [帝都]を、やらせるわけには……!」
トランを含む二十数名の騎士たちは、脚部と両肩、両腕に装備された飛行ユニットを全快にし、有に百倍近い身長差のある[紅蓮ゴーレム]に攻撃を仕掛けた。
その中にはテモベンテの家紋を背負った騎士たちも数名いる。
一瞬、彼らの中にカルベローナの面影のある若き騎士の横顔が視界に写り込んだ。
[紅蓮ゴーレム]の右腕から、光すらも歪める巨大な黒い輝きが[帝都]に向けて撃ち放たれた。
黒竜は咄嗟に〝加速〟をかけ、刹那の瞬間に思考する。
[次元砲]とは、千年前に作られた破壊兵器である。
それは対ドラゴン用ではなく、[次元]の先にいる敵、すなわち対魔人用の兵器として作られたものだ。
〝次元融合〟を貫通するのだ。
しかし、と黒竜は瞬間的に考えつく。
それは、おかしなことだ。
なぜ一方的に〝次元融合〟が破られるのだ?
アリスと読んだ歴史書には、こうあった。
[次元砲]とは、[次元融合]の付呪を盛り込んだだけの、魔導砲。
すなわち、それは威力の違い。
俺にできることは何だ。今、この瞬間、何ができる。
次元、などという知らない概念。理解もできない事象に、どう対応すれば良い。
俺の、知っている、力――。
ぞわりぞわりと胸の内側から熱を奪う何かが生まれつつあるのを知覚した黒竜は、眼前を覆う赤黒く巨大なエネルギーに向けて、叫んだ。
「〝重力・圧縮・極限・砲〟!」
同時に、トランたち二十数名の騎士が一斉にまばゆい輝きを放つ不思議な宝石に魔力を込め、ブランダークも同じくきらびやかな宝石がいくつも装飾された長大な杖を槍のようにして[紅蓮ゴーレム]に向けて投擲した。
赤黒いエネルギーと黒竜の撃ち放った圧縮された重力の塊がぶつかると、光すらも飲み込む巨大な黒い塊が膨れ上がった。




