第51話:帝都へ
出発当日、メリアドールに連れられ[ハイドラ戦隊]専用の[飛空艇発着港]にやってきたミラベルは、彼女から説明を受けていた。
「甲板ならまだしも、内部にドラゴンのような巨体が入る[飛空艇]ともなれば、我が[ハイドラ戦隊]と言えども五隻しか所有していない」
そう言ったメリアドールに、ミラは思わず、
「普通に持ってんじゃん……」
とつぶやいた。
初代賢王ビアレスが作り上げた空を飛ぶ船[飛空艇]は、その構造上停泊時には水の上に浮かべる必要がある。
[飛空艇]を所有するには広大な湖を確保する必要があるのだ。
郊外とは言え、ドラゴンを格納できるほどの巨大な[飛空艇]が五隻――彼女の口ぶりから察するに、中型から小型ならばもっと所有しているらしい[ハイドラ戦隊]の宝の持ち腐れっぷりにミラはわずかに苛立った。
[飛空艇]の動力には[魔法石]が使われる。そしてその[魔法石]の充填には大量の魔道士が必要であり、各種装備の点検も含めれば維持には莫大な費用がかかる。
こんなところで遊ばせていて良いような代物では無いのだ。
食料や人の運搬に使うだけでもどれだけの人々が豊かになるか――。
それがあれば、自分のいた孤児院でも暖かい毛布が買えたかもしれないと思うと、チリチリとした小さな苛立ちがミラの胸の内を微かに炙る。
そんなミラの気持ちなど知るわけも無く、メリアドールは肩をすくめて言った。
「そうでも無いから問題なんだよミラベル。
あの子達が、隊の所有する戦闘用の飛空艇に乗りたがらない理屈はわかるだろう?」
「……理解はしたくありません。でも何を言ってるかは大体」
どうせ、椅子が硬いとか揺れるとかそういうワガママを言ったのだろう。あのカルベローナですらそう文句を言う姿が想像できてしまうのだ。
メリアドールが、
「ン、そうだ」
とうなずいてから続ける。
「そういうわけでねミラベル。
その我が隊所属の[飛空艇]は、僕が団長になって以来一度、
それも試乗でしか使われていない」
「――それで、何です?」
メリアドールの回りくどい言い方は好きでは無い。だがミラベルはなるべく表情には出さないように務める。
「まともに整備してないってこと。維持費がもったいないだろう?」
「……いざって時どうすんですか」
「そんな想定しないのが現状さ」
「…………」
「あ、一応言っておくけどね。これを押し付けたのは本国の連中。
僕はさっさと博物館に送るなり解体するなりすべきって進言はしてる」
「……それで、どうなったんですか」
「見ての通りさ。前向きに検討しますと言われて四年が経った。参ってしまうね」
メリアドールがこれ見よがしにと大げさなため息をつく。
ふと、ミラは彼女が何気なく言った『博物館』という単語が引っかかり、
「……ん?」
と首を傾げた。
少しばかり錆びついた巨大なゲートをくぐると、そこは総勢二十五隻もの[飛空艇]が格納されている整備ドックだ。
だが、高い天井には汚れが目立ち、それに気づいたミラは思わず眉間に皺を寄せる。
すぐにメリアドールが言った。
「あ、なんか汚いね。
――ちなみに奥の十二隻は隊の子たちの自家用艇だから、
あまり勝手をしないようにね」
ふと、手前側の十三隻を見たミラは、
「ずいぶん古い型ですね」
と感想を漏らした。
奥に見える十二隻のように、現在の[飛空艇]は、基本の船の上部に魔力による浮力を持たせる魔導機関を装着する[分離型]だ。これは船体と機関部の整備を用意にさせる画期的な技法だとギルドで習った。
だが、戦隊所有の十三隻は、[一体型]と呼ばれる最初期の型、即ち千年前に最初に作り出された[飛空艇]の型に見える。
「古いもなにも、[暁の騎士団]が使った艦そのものだよ」
「え、これが――」
思わずミラは、整然と並ぶ飛空艇群を凝視した。
手前の五隻は、上部甲板が平べったい奇妙な形をした[超大型飛空艇]だ。魔力そのものを攻撃として撃ち出す[魔導砲]は装備していない。確か、決戦の際には飛竜隊を搭載していたとギルドで習った。
その奥には、空飛ぶ船そのものと言った外見の、[魔導砲]を多数搭載した艦が見える。
ミラは絶句し、声を荒げた。
「こ、こんなとこにあっちゃ駄目なやつでしょこれ!?
博物館とかに、みんな見たがってるような……!」
「だからそれさっき言ったでしょ。同じこと言って、もう四年経ってる」
メリアドールがもう一度ため息を付き、停泊している古の飛空艇に視線を送る。
「……ん?」
ふと、メリアドールが飛空艇から降りてくる人影に気づく。
「カルベローナか、早いね」
言われたカルベローナは、桟橋からこちらにゆっくりと歩きながら小さく鼻を鳴らし、振り返って巨大な船体を見上げた。
「一番艦を使うのでしょう? 翼の彼を押し込んで置く必要がありましたわ」
「……動くかな?」
メリアドールがいたずらっ子のような笑みになって言うと、カルベローナは苦笑した。
「そういう御冗談は整備士の前では言わないように。動かすためにいるのですから」
※
[ハイドラ戦隊]の飛空艇団が空を征く。
総勢十三隻が立ち並ぶその姿はまさに壮観であろうが、艦内部に押し込められた黒竜には関係の無いことでもある。
しかし、と黒竜は天井を見上げ思うのだ。
「それにしても、揺れるな……」
戦闘用の艦であることから黒竜が押し込められた、いわゆるデッキと呼ばれる空間に客席などは無い。
それどころか物資も何も無い空っぽの空間だ。
ふと、ゆっくりと階段を降りてきたメリアドールが黒竜を見、言った。
「昔は多数の飛竜を搭載して、ドラゴン達と空中戦を繰り広げたそうだ」
「飛竜――? そうか、飛竜を載せていたのか……」
そうひとりごちると、メリアドールは「ン」とうなずいてから続ける。
「ミラベルはカルベローナの方に乗せたよ。
流石に本国の到着時に僕と君が乗るこの艦にいるのは少々まずいのでね。
ま、乗り心地もあっちのほうが良い」
旧式は、動かすだけで五十名ほどの魔道士と整備士が必要なのだそうだ。
それでも、二百メートルを超える全長の艦をたったそれだけで動かせている事実に黒竜は首を傾げる。
「どうしたの?」
メリアドールが黒竜のそばにまでやってきて、顔を覗き込んだ。
よく見れば愛らしい顔をしている、と黒竜はなんだか照れくさくなって顔をそらす。
「いや、ずいぶん少ないね」
「ああ……。その辺は、飛竜隊をもう使っていないのと、
作業用の[ゴーレム]をたくさん使っているからね」
「ほう、[ゴーレム]」
「そう、[ゴーレム]。ビアレス王の遺産は本当に多いよ。
人の問題、移動手段、多くのものが解決したし、
今の生活の基盤は既に彼の代で完成していたと聞いている」
ビアレス――あの赤毛の、なんだか気性が荒そうな彼が賢王と呼ばれている事実に更に首を傾げると、メリアドールはまた黒竜の顔を覗き込み、
「どうしたの?」
と首をかしげた。
流石に、君のご先祖様の人間性を疑っています、などとは言えず、
「あ、いや、す、すごいのだねビアレスって人は」
と嘘をついた。
だが、メリアドールは表情を曇らせ、言う。
「そうだね。……その遺産も、三百年前の大戦で多くが失われてしまった」
それはこの世界において、[塔の戦争]、あるいは[魔法大戦]と呼ばれる凄惨な戦いの歴史である。
地下に魔石を作り出す施設を持つ塔を奪い合い、各国が戦争をしたのだ。
即ち、人間同士が起こしたただの戦争である。
そしてそれにザカールが関わっていたことを、すでに黒竜もメリアドールも知っている。
「昔はね、[一体型]の[飛空艇]は百隻以上あったんだ。
でもそれが今や、うちにある十三隻だけ……」
「……その全てを所有しているのは、大丈夫なのか?」
ふと、黒竜は問う。パワーバランスの問題なのだ。
「今の主流は[分離型]だからね。戦いも変わった。
転移魔法の確立で、長距離航海よりも速度が求められるようになったのさ。
であれば、装甲が厚くて速度の遅い[一体型]は、お役御免ってこと。
解体するって案もずっと出てはいるんだけど、
根強い反対論があってこれもなかなか……」
「……政治だねぇ」
言うと、メリアドールは目をぱちくりとさせてから笑った。
「ハハハ、ドラゴンの君に言われるとは思わなかった」
そのまま彼女は黒竜の隣にちょこんと腰を下ろす。
「……思ってたより冷えるな」
なら何故来た、という言葉を飲み込んだ黒竜は、メリアドールと彼女の腰を下ろした鋼鉄の甲板に向け、ささやくように[言葉]を走らせた。
「〝気温・調節・人・柔らかな・暖房〟」
それは、極寒の地を、そして灼熱の地をものともしないドラゴンでは決して思い浮かばない、人としての概念の言葉である。
黒竜の言葉が穏やかな熱となりメリアドールと彼女の周囲を覆うと、やがてそれは格納庫全体に伝わり、床暖房とエアコンとしての機能を果たした。
メリアドールが苦笑する。
「なるほど、確かにドラゴンでは考えつかない言葉だ。……キミのオリジナル?」
黒竜はうなずく。
「そうだ。私が考えた。
……やはりと言うべきか、歴史に記されているドラゴンの[言葉]、
その多くを私は使えない。[言葉]の意味すらわからないのだ。
ならば、自分で作り出すしか無いと思ったんだ。……良いものだろう?」
正直言って、この[言葉]には少しばかり自信がある。これは人の概念によって生み出された[言葉]なのだ。
ドラゴンの[言葉]では無く、人間の概念を、[言葉]をこの身に宿していくのだ。
それは自分でできる小さな抵抗と、希望である。
メリアドールが黒竜を見、言った。
「へえ、良いね。今回はドラゴンの言葉なんだ?」
「うん。複雑なものになると、やっぱり難しくてね。
後はこれをどう翻訳してくか……」
「僕でも使えるかな……?」
「できるさ。人のための[言葉]だ」
黒竜はすぐに答えると、メリアドールは少しばかり頬を緩ませ、
「へえ……言葉の意味は?」
と問う。
「気温、調節を最初の言葉に込めた。
その後に人、柔らか、暖かさを次の言葉で補足して[言葉]にしてみた」
「ふふ、随分と至れり尽くせりだね?」
「うん。逆もある。弱冷房の[言葉]だが、こっちはもう少し暖かくなってからでないと正確な効果はわからない。真夏の気温に打ち勝てるかが問題なのだ」
「……練習してみようかな」
それは、何気ない会話である。
だが将来に向けての会話でもあるのだ。
黒竜は、こういう話をするのが好きだ。希望が持てるのだ。
ややあって、メリアドールは少しばかり決意を込め、「ん」と拳を握ってから立ち上がった。
彼女は黒竜に向き直り、真面目な顔をして言った。
「戻るよ。……ありがとう」
何がありがとうなのかは、何となく分かる。
嫌なことがあったり落ち込んだりした時に愛犬や愛猫をとりあえず撫でに来るあれだろうと想像し、黒竜はなるべく優しい声色を意識して言った。
「そうか。私はいつでもここにいる。
……どうせ他は狭くて入れんのだ。また来てくれ」
メリアドールはふ、と微笑み黒竜の頬に指先を触れてから、踵を返す。
去り際に、彼女は言った。
「……本国の貴族たちは、僕とリディを嫌ってるから」
黒竜はすぐに答えた。
「できることなら、しよう」
短い沈黙の後、メリアドールは振り向かずに言った。
「リディを、守ってやってくれ。……あの子はいい子だ。
いい子すぎて、ああなった」
「……わかった。だがキミのことは良いのか?」
「……僕のことは、僕がなんとかする」
そう言って来た道を戻っていったメリアドールの後ろ姿を見送りながら、黒竜は思う。
損な性格だ。助けて欲しいというサインを自分で出しておきながら、甘えておきながらいざとそうなると強がって見せる。
本当に強い人間がそれをするのなら結構。だが弱い人間の強がりでしか無いのなら、それは真っ先に潰れてしまう。
黒竜は思わずつぶやいた。
「環境が人を作る」
それは、真理だと思う。
今黒竜は、大学生活から得体のしれない世界に放り出されて、否応なく巻き込まれていくだろう。
そういう環境に、置かれてしまったのだ。
ならば自分も、適応しなくてはならない。
黒竜は翼となった自分の手のひらを見、言った。
「こんな体になったからこそ、できることもある」
それもまた、黒竜の決意である。
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