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第108話:背負わされたもの

 輝きが空を覆い隠すと、遠いどこかで鈴の音が鳴り響いた。

 その音色は耳をつんざく何者かの産声なのかもしれないと思い立った瞬間、再生を始めていた黒竜の体がぼろりと崩れ落ちた。

 急速に体の力が抜けていく。

 誰かが言った。


 ――お前では無い。


 と。

 膝がガクガクと震え、黒竜は立ち上がることすらできない。

 自分の体が冷たくなっていくのがわかる。


 これは、なんだ――?

 俺の身に、何が起こったのだ……?


 知らない何者かに攻撃を受けたとこまでは別に良い。

 それは問題無かったはずだ。

 このドラゴンの体に備わった驚異的な再生能力により、傷はふさがりつつあったはずだ。

 ぶすぶすと鱗が泡立ち、消失していく。

 それは、以前ザカールから受けた[死の言葉]とも違う、内側から腐っていくようなおぞましい感覚だった。


「お、俺は、まだ――何もできちゃいないんだぞ……」


 呻いた瞬間、鼻先がぶすりと内側から腐り落ちる。

 しかし、と思う。

 死が間近に迫っているかもしれないのに、驚くほど冷静な自分がいる。


 ――何故だ?


 こんな世界に放り出されて、数ヶ月が経つ。

 自身が変わったという感覚は無い。


 ――俺は、人のままでいられたはずだ。


 それは全て、元の世界に戻るためだ。

 家族に会うためだ。

 それが、こんなところで……。

 少しずつ、それでも着実に黒竜の意識と、力が抜け落ちていく。


 閃光が走ると、[鮮血の巨人]と呼ばれた[機械人形]たちが、一斉に動きを止めた。

 同時に、黒竜の力は更に抜け落ちる。


 終わったのか……?


 だが、最初に目覚めた一体が起動し、黒竜たちの後方にある何かに狙いを定めた。

 対[古き翼の王]の、決戦兵器。

 黒竜と、ティルフィングを集中的に狙っていた機械が新たに見つけた、何か――。

 あるいは、既にこちらには興味を失っただけか。


 [鮮血の巨人]の攻撃を耐えきれず墜落したティルフィングが、ずるり、ずるりと剥がれ落ちそうな四肢を引きずりながらやってくる。

 その姿は黒竜と同じく内側からドロドロに溶けかかっており、朽ちつつある両翼で何かを大切そうに抱えている。


 それは、脇腹を抉り取られたリディルだった。


 黒竜は思わず彼女の名を呼ぼうとするも、口が溶けかけ、うまく言葉を発することができない。

 彼女ははだらんと腕を垂らし、しかし微かに呼吸していることに気づく。

 まだ、生きているのだ。

 辛うじて、だが――。


 彼女は虚ろな目で、ドロドロと溶けていく母の姿を見据えている。

 ティルフィングが、ドラゴンの姿を朽ちさせながら、言った。


「……助けてくれ」


 声の色に、絶望と悲壮が滲んでいた。

 ティルフィングの[古き翼の王]の姿が完全に溶け落ちると、黒い甲冑の騎士が姿を現した。

 だがその甲冑も、竜の姿と同じように内側からぶくりと膨れ、ぶすぶすと焼けただれるようにして消失していく。

 ティルフィングは、尚も言った。


「フランが、〝支配の言葉〟を使った。仮初の、我々ではもう持たない。……リディを、助けてくれ……」


 それは、懇願だった。

 恥も外聞もなく、体を朽ち果てさせながら、既に足を失いながら、それでもその腕に死に絶えようとしている愛娘を抱いて、ティルフィングは黒竜に縋った。


 ――俺に、何ができる。


 幾つもの言葉を考え、しかし正解にはたどり着けない。

 おそらく、リディルは内臓の幾つかを完全に失っている。

 それを、再生する、概念。

 ひょっとしたら、辿り着けそうな……しかし曖昧な想像では、発動しないのだ。

 概念に対して、確信が無ければ――。


 ――すまない、俺にはわからない。


 言葉にしようとするも、黒竜の顎は完全に消失している。

 しかし――


「……俺は、わからない」


 驚くほどなめらかに、声が出た。

 どうやって声を出しているのか、何故声が出たのかすらわからず、それでも全身を焼く痛みに思考を奪われながらも、彼は言った。


「俺は、どす黒いものから、妹を守ってここに来てしまった。巻き込まれただけなんだ。それを――大昔の英雄のように……万能な神のように、言われても……ごめん、わからない。どうしたら良いかも……」


 ごほ、とリディルが血の固まりを吐いた。

 それでも、リディルは一心に崩れていく母を見つめている。

 彼女の手が震えている。

 母に触れようとしているのだろうか……。

 ティルフィングが言った。


「賢王は、[古き翼の王]を倒せなかった」


 どろり、と兜が溶け、中から痩せこけた蒼白の男の顔が顕になる。

 黒竜はぞっとし、顔を反らした。

 まるで死人だ。

 同時に、こうも思う。


 ――俺は、この顔を知っている。


 それも、ひと目見た程度のものでは無い。

 もっと、何度も――。

 そしてその男の顔すらも溶けていく。


「賢王は、卵の形に封印することしか、できなかった」


 男の顔が溶け落ちると、ティルフィングの顔が現れる。

 彼女は、言った。


「賢王とレイジは、それを、[リヴル死海]に封印し、願いを、託した……。[古き翼の王]が……彼が帰還した時に、世界が豊かになっていることを……注がれる願いが、温かなものであることを、信じて――」


「……俺は――」


 託されたものの、重さ。

 注がれた願いの――。


 間違った願いが、注がれてしまったのかも知れない。

 本来ならば注がれるはずの、正しい願いを押しのけ、俺という個の願いが注がれてしまったのかもしれない。

 だから、本懐を忘れ、ただ家族に再開することを願うだけの、存在と化したのかもしれない。

 だが言葉にはできず、彼は押し黙る。

 もう、彼女は目が見えていないのだ。

 耳が聞こえていないのだ。

 ただただ、娘を守るための亡霊となって、ここにいるのだ。


 ――俺は……。


 そうか、と理解する。

 ティルフィングは、娘のために……ただそれだけのために、黒竜にはガラバであってほしかったのだ。

 そうすれば、本当の剣聖としてその座を明け渡し、娘には普通の人生を――。


 身勝手だ、と黒竜は思った。

 その座を、押し付ける相手をずっと探していただけなのだ。

 娘以外の、誰かに――。

 しかし、と黒竜は思う。


 ――そういうものなのかもしれない。


 彼女は、母親なのだ。

 たった一人の、リディルという救えなかった娘の、母親なのだ。

 そのためだけに大勢の人を殺し、[盾]を壊滅させ、[遺産]を蘇らせ――。

 そのためだけに、こうして黒竜に縋ったのだ。


「ビアレスは、晩年後悔の中で、過ごした。そして日記を綴った。お前のために……それが、[禁書庫]の、真実。同時に、[古き翼の王]がザカールによって作られた、[願いの器]であることも、示した。――だから、私にも、できる」


 彼女は、黒竜を真っ直ぐに見て、言った。


「〝精神・従属(ウィル・ディ)――」


 そのまま彼女はゆっくりと崩れ落ち、それ以上の[言葉]を発することはもうなかった。

 ただ、かすかに動く唇が、リディ、と動き、彼女自身もまたちりあくたとなって消えていった。


 やがて、輝きが溢れ――ドリオ・ミュールの時と同じように、黒竜の崩れていく体へと光が吸い込まれていく。

 少しずつ、黒竜の体に力が戻ってくる。

 体の崩壊が止まり――。

 黒竜は一瞬、ティルフィングの願いに[支配]され、リディルに体を触れさせた。

 そして――。

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翻訳の魔導書を完成させた魔導師見習い。役立たずと言われ魔法学校と魔術師ギルドから追放されるもルーン文字を翻訳できることが判明し最強の付呪師となる
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