第11話:教会でお祈りをしよう
[冒険者ギルド雲地区本店]を通り過ぎ、更に傾斜の激しい石畳の広い道を、巨大な黒いドラゴンが行く。
その首の後ろには、黒い髪を短く切りそろえたローブの少女が少しばかりさみしげな顔をして跨っている。
黒竜の様子をチラチラと伺っていた冒険者の影はやがてなりを潜め、周囲に貴族や神官、神殿騎士の姿が目立ち始めれば、[城塞都市グランリヴァル]どころかこの世界で最も大きな神々を祀る神殿――[暁の大神殿]はすぐそこだ。
なんでもこの世界の信仰の象徴である[女神アルマシア]を中心とした、十三柱の神々が[アルマシア教会]の掲げる神なのだとか。
正直黒竜は何の興味も無かったが、一般教養として知っているべきだと判断し、ミラの『あなたの旅の無事を祈りたい』というささやかな提案に従うことにした。
ミラも別に信仰は持っていないようだが、無神教というわけでも無いため、こういう人生の境目の時は訪れたくなるのだという。
黒竜は彼女の思いに対して、『わかる』と告げたせいで意外そうな顔をされてしまったが、まあドラゴンの姿なのだからそれも仕方あるまい。
何せイエス・キリストの生誕祭を祝った数日後には大晦日で除夜の鐘の音を聞くのだ。
確か、それも、神に祈る行事だと記憶している。
すがれるものになら何でもすがっておけば良い、受験のときにだけろくすっぽ行ったことの無い神社でお祈りだってするものだ。
やがて、天高くそびえ立った二つの柱が印象的な建物、[暁の大神殿]が見えてきた。
「た、高くない? 雲の上まであるの? どうやって建てたのこれ……」
と思わず問うと、首の後ろのミラは、
「さあ?」
と首を傾げた。
「ええ……キミたちの神殿でしょうが」
「違いますよ。これ元々はドラゴンの神殿なので」
「あ、あー……ここもなのか……」
街と同じく、この大神殿も流用しているのだ。
すると、ミラが上から黒竜の顔を覗き込み、少しばかりいたずらっ子のような笑みになって言った。
「どうやって建てたんです?」
「そりゃ……ふふ、私に聞かれても困るなぁ」
「ええー、ドラゴンなのにー」
「ほんと、どうやって建てたのだろうなぁ……」
談笑しながら巨大な門をくぐると、表情をひくひくとさせた女神官の一人がやってきて言った。
「あ、あのぉ……ま、魔獣……? 使い、の方は、魔獣の同伴はご遠慮して頂いてまして……」
黒竜はその女神官に少し同情しながら、
「あ、どうも」
とお辞儀をしてから右の角に巻きつけられた冒険者の記章を見せ、言った。
「冒険者なんです。新米の」
すると、女神官は見るからに青ざめた顔になり、
「ええ……」
と絶句する。
ミラが言った。
「あ、そうだ。この子初めてなんで教えてあげてください」
「この子て」
その言い草がおかしく、思わず口を挟んだ黒竜であったが、妙に上機嫌のミラが、
「うりうりー」
と黒竜の後頭部を撫で回せば、まあ妹に遊ばれてやってると思えば良いかとそのまま訂正は求めなかった。
女神官は周囲の同僚や、神官、神殿騎士に助けを求めるよう彼らの顔を見るが、皆はさっと視線を反らしてしまった為、女神官は一度表情を引きつらせると、わざとらしく大きなため息を付き、舌打ちまでしてから言った。
「まずは聖典をお買い求めください」
「えっ……。あ、あの、どこで買えば」
「さあ? 本屋に行けばあるのでは?」
そう言ってツカツカと足早に去っていく後ろ姿を見ながら、黒竜はあっけに取られた。
そんなに怒られるようなことを言ったのだろうか。
首の後ろのミラが身を乗り出し、言う。
「ねー? 態度悪いですよねここ」
「ミ、ミラ君、聞こえるよ……。私のほうが何か失礼なことを言ったのかもしれないし」
「ハッ、どーだか。今の女のこと言ってんです? あれ有名な貴族ですよ。
古い古ーい、ずーっと昔の[ミュール王朝]からの家系だからって威張ってるタイプのクソ野郎。
信仰心なんて無いのに男見つけるためだけにここに来てるんです。
それが他人に神のなんたるかを語るって、あー嫌だ」
「え、そ、そうなの?」
と問いながらも、黒竜は少し後悔する。
(すっごい人の悪口言うなこの子……)
というか仕事ってそういうものでは無いだろうか。
いやまあ今の態度は仕事としてどうかとは思うが、全ての人が理想の仕事につけるわけでは無いのだ。
なら今の人だって別の目的や理由があったって良いはずだ。
……態度は本当にどうかとは思うが。
彼氏探しに来てても良いではないか……。
態度は本当に、本当にどうかとは思うが。
というか彼氏できない原因があれではなかろうか。
ミラが続ける。
「そーです。[竜戦争]前の[ミュール王朝]から[竜戦争]以降の[ギネス王朝]のアレがアレしてずーっと貴族同士でいがみ合ってる。気持ち悪いし馬鹿だし嫌になりません?
それにほら、礼拝に来てる人全然いないじゃないですか。ここも嫌がられてるんですよ。
街に住んでる人はみーんな知ってることです。
たまーに来るのは観光に来た人とか、貴族同士の繋がりでとか、そればっかし」
「……じゃなんで連れてきたの?」
流石に少しばかりイラッとした黒竜はそう問うと、ミラは首の後からゆっくりと降り、黒竜の頬をぐしぐしと撫で、笑った。
「ここの主神っての? 女神アルマシアとかいうヤツ、わたし嫌いなんですけど――」
「ヤツて……」
「でも、二人結構好きな神様がいるんです。だから、祈っておこうって思って……そういう気分になったんです。――友達が、できたから」
黒竜は顔を上げ、
「……そうか」
と返す。
そういうものも、あるのだろう。
神様が十三もいるのだ。
ああ、いや十三の神と主神だから十四だろうか。
だがその程度、八百万の神々の世界から来た黒竜からしてみれば誤差だ。別に気にすることでは無い。
そして周囲をぐるりと伺い、遠くでこちらを迷惑そうに睨みつけている先程の女神官にペコリと頭を下げてから、ミラに言った。
「案内してくれ、私もその神に祈ろう」
ミラはにっと笑顔を浮かべ、
「こっちです!」
と黒竜の前を歩く。
目的は、ちょうど向かう先にある女神像のようだ。
ミラが少しばかり上機嫌に語りだす。
「なーんか、アルマシアがどーとかこーとかで日陰に追いやられちゃってるんですけど、
わたし好きなんですよね。
大地の神だから[魔術師ギルド]の中でも結構信仰してる人いるんですよ?
自然とか元素とか、そういうのに繋がりがあるみたいで。
まあわたしは……好きかなー程度ですけどっ」
「へ、え……。これも[暁の勇者]の?」
「んー、たぶん?
なんかごちゃごちゃになってて、誰が誰の恩恵をとかはあやふやみたいです。
実際怪しいもんだと思ってますけどね。
本当に恩恵をもらってたんなら、そんな適当になるかって話しですし?」
「あー、うーん、うーん?」
「だってそうですよね? そこ大事なとこなのになんでごっちゃになってんのって話し。もっと正確に伝わってるもんでしょう?」
「うーん、そ、そうかなぁ、ちょっと私よくわかんないなその辺……」
「ええーっ。ドラゴンなのに?」
「ドラゴン関係ないでしょ……」
「どーせ教会の連中が都合のいいように話し作り変えてんですよ」
「そ、それをここで言うのか……」
その姿は悪質なクレーマーである。
流石に居心地が悪くなった黒竜はチラチラと周囲を伺うが、実際のところ参拝客は本当に少ないようで、ミラのこれ見よがしな教会への悪態を聞いたものはいなかったようでほっと胸をなでおろした。
しかし、確かにと思うところもあるのだ。
昨日今日のことならまだしも、千年も昔ならば歴史は曖昧なものである。聞けば、[暁の勇者]たちが現れる前、[ミュール王朝]の時代はドラゴンたちによって徹底的に破壊しつくされたと言う。であれば、そこからの再建には莫大な労力が必要だっただろう。
その後も、何度か大きな戦争があったと聞いているので、貴重な資料だって失ってしまっているのだ。
ならば、こうして伝承だけでもきちんと残していることを評価すべきではなかろうか。
しかしそれは大人の理屈だと内心で感じていた黒竜は、口には出さずにミラに従った。
やがて、巨大な女神像の前にやってきたミラは、黒竜に向き直る。
「なんか神ごとにちゃんとしたやり方あるみたいなんですけど、わたし知らないので適当に」
「アバウトだなぁ……」
「こういうのは気持ちが大事なんですっ」
気持ちがあるのならちゃんとしたやり方を調べるべきなのだがなぁ、という言葉をすんでのところで飲み込み、黒竜は短く、
「そ、そうだなっ」
と返した。
そして、彼女が祈りを捧げる前にふと問うてみる。
「この女神様の名前は?」
「あ、そっか、〝次元融合〟でしたもんね」
ミラは一度笑みを浮かべてから、続けた。
「暁を告げる者、月と海と山の長、万物を束ねる女神。大自然の地母神――[天照大御神]」
ぞわり、と悪寒が走った。
ミラは女神像に向き直り、手を合わせ祈りを捧げる。
黒竜はただ呆然とその女神像を眺めているだけだった。
やがて、ミラが祈り終え、振り返る。
黒竜はそのまま女神像から目を話さず、問う。
「アマテラス、オオミカミと言ったか……?」
ミラはきょとんとした顔になり、首を傾げた。
「言いましたけど……?」
ぞわり、ぞわりと這うように悪寒が全身を駆け巡る。
「[暁の勇者]の、恩恵、の、神?」
「ですよ。さっきあのおばさんが言ってた聖典とやらにも書いてあります。一応あれ、教会の教えそのままなので。天照の呼び名とかも」
「…………そう」
「んじゃ、次の神様のとこ行きましょ。結構良いこと言ってるんですよー。
『人は生まれながらに平等である!』みたいな感じのこと!
……ハッまあこの教会の連中がそんなこと微塵も守る気無いんですけど。
ここ自体が特権階級の貴族の道楽ですし。平等なら貴族やめてみろってんですよ」
黒竜の中で、ある疑念が浮かび上がる。
思考し、思考し、可能性を否定し、しかしと想像したくない答えが導き出されようとした時、ミラが最後に祈る神の像の前で、黒竜はある種、絶望の言葉を漏らした。
「――[イエス・キリスト]だな?」
そこにあったのは、十字架に貼り付けにされた男の像であったのだ。
すると、ミラがきょとんとした顔で振り返る。
「あ、知ってんです? まあわたしたち平民の中じゃかなり人気あるから、そりゃそう、かな?」
そう言って、ミラは両の手を胸の前で握り、静かに祈りを捧げ始めた。
黒竜は周囲を伺う。
十三の像の中に、空白の像を見つける。
ふくよかな男性の像を見つける。
片目を失った老人の像を見つける。
顔がいくつもある像を見つける。
先程の全てを知っているわけでは無いが、多くの像には見覚えのあるものばかりだった。
ふと、祈りを終えたミラが怪訝な顔で黒竜の顔を覗き込む。
「あの、どうしました?」
はっと我に返った黒竜は、思わず問いかけた。
「[暁の勇者]、たちは……戦いが終わって、どうなったのだ……?」
「どうって……んー、国作ったり? [魔術師ギルド]作ったのもそうだし、色々って感じ?」
黒竜は思わず身を乗り出し、尚も問う。
「その後だ。彼らは……最後は、どうなったのだ……?」
「さ、最後って――」
少しばかり引き気味のミラであったが、黒竜は構わずに続けた。
「どう、なったのだ――?」
ミラは目をぱちくりとさせ、そんな当たり前のこともわからんのかと言わんばかりの様子で平然と言った。
「千年も昔の話しですから……。――全員死んでますよ。お墓だってありますし」
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