第107話:支配の言葉
展望室で、女王は彼方を見る。
まだ、戦場は遠い。
「手を」
女王が短く言うと、ミラベルはおずおずと左手を差し出した。
不運な子だ。
生まれたのがこの時代でさえ無ければ、父レイジと母オリヴィアの元、穏やかに暮らせただろうに。
娘の誰かが、この子を支える未来もあっただろうに……。
あるいは、せめて無能であってくれれば――。
魔法の才能など無ければ、戦いから遠い人生を送ることができていれば……。
そうすれば、いつか、何もかもが終わった後に全てを明かし、王位を返すことだってできたのだ。
でも、そうはならなかった。
彼女は冒険者として、魔導師として才を伸ばし、実の父と知らずめぐりあってしまった。
レイジは、何を思ったのだろう。
ビアレスの死後、[暁の剣]の長として国家を守り続けた彼は、出会ってしまった娘に、何を――。
そこから先は思考にもならず、フランギースは、左手をミラベルの手に重ねた。
どす黒い閃光がバチンと瞬き、また消失した。
その行為に、誰も口を挟まない。
静寂が訪れると、ややあってドタドタと慌ただしい足音が近づいて来る。
背後の扉から三人の騎士が飛び入った。
その内の一人が、声を裏返し言った。
「じ、自分は、スプリガン嬢の護衛を受け持った者であります! 任をぉ!」
背の低い少年が、
「同じくであります!」
と言えば、最後の青年は「くっそぉ、ふざけんなお前ら……」と呻いてからやけっぱちになって叫んだ。
「護衛の任はァ! 続いておりまぁす!!」
一瞬、追い出すべきかと悩んだ。
しかし、ジョット・スプリガンの呆れた顔を見、やめにした。
彼女が怒らないのなら、それで良い。
時代は、代わっていくのだ。
女王は、一度彼らに微笑みかけると、彼方の戦場に視界を戻し、静かに言った。
「ここで、起こること、見たこと、聞いたこと全てを、他言無用とします」
呼吸し、集中する。
それは、太古の封印。
うちに秘めた、[古き翼の王]の力の開放。
[鮮血の巨人]と同じく、必要な鍵を使い、そして支配する。
また、バチン、バチンとどす黒い閃光が瞬いては消え、瞬いては消えを繰り返していく。
それは、圧倒的な力であり、負と死を生み出す者から、ビアレスが奪い、伝え続けてきた切り札。
そういう存在があるということを――概念を、ザカールに知られてしまうことだけが気がかりだった。
だが、今がその時なのだ。
もう既に、多くのものを奪われてしまっている。
失ってしまっている。
ジョット・スプリガンが言った。
「どれくらいで行く」
フランギースは考え、言った。
「簡易詠唱で行きます」
「あいよ」
とジョットは答え、彼女も呼吸し、静かに目を閉じた。
もう一度深く呼吸し、彼方を見、静かに、静かに、世界に向けて囁くようにして、女王は言った。
「偉大なる祖よ。我が血の源、我が祖、グランイットよ。盟約に従い、今ここに集った」
それは、[禁書庫]に封じられた秘密の一つ。
真実の、一つ。
守り抜いた、歴史の一つ。
「我が名、フランギース・ガジットの名において、[古き翼の王]の力を、今解き放たん」
バチン、とどす黒い稲妻が迸る。
同時に淡い輝きが、ジョットの体から溢れると、彼女は右手を女王の右手にそっと重ねる。
どす黒い稲妻が、淡い輝きに包まれると、ジョットは静かに言った
「取り残された者。未来に託した者。見守る者。救えなかった者。我が祖――ビアレス・ギネスよ。お前の願いの元、我らは再び集った。あるがままに――」
女王の体が漆黒の闇に飲まれ、同時に淡い輝きが包み込む。
女王は世界に向け、静かに発した。
「〝精神・従属・支配〟」
そして世界は震えた。




