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名無しの権兵衛  作者: 蘇我栄一郎
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高級酒の数々

 閉店時間を迎えて灯りが消えた桃太郎店内へと、名無しの権兵衛とケンゴウの二人が鍵を解錠して無事に侵入を果たした。そしてお互いに息を殺し、CIA諜報員が万が一残っていないかを確認しながら一階部分を調べ終われば、今度は二階部分の調査を始める。

 しかしCIA諜報員が残っているのではないかという懸念を抱いての侵入だったのにも関わらず、店内一階部分にも二階部分にも、CIA諜報員どころか酔い潰れた客の一人も居なかった。そう、店主の姿さえ見えないのだ。

 酒場桃太郎の店内は二階建てになっており、一階部分は座って飲める様に椅子とテーブルが仕切り無しに合計二十人分あるだけで、二階部分は八人の客が入れる個室が三つあるだけ。特に隠れられる様な場所は無いのに、何故か店主であるマスターの姿は見えない。

 名無しの権兵衛とケンゴウの二人が桃太郎の向かいにあるホテルの部屋から長時間監視していた際、その時にマスターが店外へと出た様子など一度も確認していなかった。ホテルの部屋で会話していた時間もあるにはあるが、それでも監視の目を怠っていないのは二人共に間違いない。

 それなのに何故かマスターが居ないというそんなあり得ない状況の中、二人は一階部分にあるカウンターへと戻ると互いに怪訝そうな表情を浮かべて再度一階部分を見渡した。


「これをどう思う?」


「どう思うって言われてもなぁ……。店外へと出るには出入口が一つだけだろ? つまり、この店の中の何処かに隠し部屋へと通じる扉がある筈なんだけっども、これが見当たらねぇんだもんなぁ〜」


「おい! 何なんだその気の抜けた言い方は!」


「そう言われてもよ、目に付く限りはおかしな部分が無いんだから仕方ないってもんだぜ?」


 一階部分を見渡しながら気の抜けた返答をする名無しの権兵衛に、ケンゴウは堪らず語気を荒げてしまったが、これは客観的に見ていて少し頷ける部分があると言えるだろう。ヤル気を出せと、そう思っても仕方ない。

 しかし、そうは言えども別にヤル気が無いという訳でもなかったりする。思考する事に重きを置いているからこそ、口調が軽くなっているだけなのだ。……つまり、簡単に言ってしまえば、考え事をしている時の癖であると思えばそれが正しい。

 ともあれ、名無しの権兵衛は苛立つケンゴウに苦笑しつつ、気分転換に懐から煙草を取り出し口に咥えると、直ぐ様に火を点ける。そして煙草の香りを堪能しながら、カウンターを乗り越えてスコッチのボトルを一本手に取った。

 名無しの権兵衛は根っからの泥棒であるからして、罪悪感など抱く事なく躊躇せずに未開封のボトルを開けてラッパ飲みをし始め、次いで酒の味に満足そうな表情を浮かべ再び煙草を口に加えると、その途端に満面の笑みを浮かべたままピタリと動きを止めた。ただし、ピタリと止めた身体とは違って、目線だけは煙草の煙を追う様にして()へと動いている。

 普通ならそんな名無しの権兵衛を見て疑問の声を投げ掛ける場面であるのだろうが、ケンゴウは苛立っている為に名無しの権兵衛のその少し変わった挙動に気付けていなかった。

 それ故に名無しの権兵衛は、満面の笑みを浮かべたままケンゴウへと自身から声を掛ける。


「ニシシシ。おい、ケンゴウ━━」


「私はもう一度上の階を調べてくる!」


「待て待て。俺の話を聞けっつうの」


「ヤル気の無い者の話など聞く必要を感じん!」


「お前の沸点低過ぎねぇか? もっとこう………じゃなくて、そんなのはどうでも良いんだよ。取り敢えずこれ見ろって、これを」


 至極鬱陶しそうに名無しの権兵衛へと視線を向けたケンゴウの目に映ったのは、片手にスコッチのボトルを持ち、もう片方の手は口に咥える煙草を指差しながら満面の笑みを浮かべる相棒の姿だった。

 その姿を見たケンゴウは心底意味が分からないらしく、眉間に深い皺を寄せてコメカミに盛大な青筋を浮かべる。


「貴様………! フ、フフフ、良いだろう。どうやら、その指差す場所に拳を叩き込んで欲しいようだな」


「ちょちょ、ちょっと待て! 何でそうなるんだっつうの!」


「なら、その仕草の意味は何だ? どこから見ても、此処を殴って下さいと言わんばかりの仕草にしか見えんがな」


「違うでしょ! どっからどう見ても、煙草の煙を注意して見ろって感じでしょうが!」


 まるでコントの一幕の様な遣り取りではあるが、武術の達人であるケンゴウを目の前にしての名無しの権兵衛は必死の弁明である。ケンゴウが繰り出す本気の一撃を考えれば当然であり、なまじ人中でも穿たれたら即死間違い無しなのだから必然とも言える反応だろう。

 ともあれ、そんな名無しの権兵衛の言葉を耳にしたケンゴウは、おちょくっているのではなく、あれはあれで真面目に訴えているのだと認識し、しかしそれでも少しムスッとした表情で煙草の煙に注目した。


「その煙がどうしたと言うのだ?」


「風の無い室内では、煙ってのは上へと立ち昇るもんだと思わねぇ? だがしかし、俺が咥える煙草の煙は━━」


「っ……下!?」


 ケンゴウが話を聞いてくれる雰囲気になった途端、まるで勝負に勝ったかの如く得意気に語り始める名無しの権兵衛だが、驚愕した様子で煙が下へと流れて行く様を見て目を見開くケンゴウが驚きの声を露にして言葉を遮ると、少し面白くないと言いたげに、しかし少しだけ得意気な様子を崩さないままに頷き応える。


「そう、そうなんだけど……お前って、俺の発見の喜びを途中で遮るのはどうなの? いや、まぁ良いんだけどよ」


「下に隠し部屋があるんだな?!」


「俺の話、聞いてる?」


 名無しの権兵衛の話など耳に入っていない様子で、ケンゴウはカウンターを乗り越え床を探り始めた。

 コンッコンッと、軽い調子で拳を用いて床を叩き、その音の変化を真剣な表情で確かめるケンゴウは、やがてグラスが並ぶ棚の床を叩いた瞬間ニヤリと笑んだ。


「名無しの権兵衛、貴様の洞察力は中々のものだと認めてやろう。事ここに至っては、最早貴様を疑うような発言をしないと約束してやろうじゃないか」


「いや、有り難いっちゃ有り難いが………何なの、その圧倒的上から目線の言葉は?」


 ケンゴウの物言いは確かに上から目線であり、それ以外の何物でもない。それ故に名無しの権兵衛の頬がピクピクと小刻みにひきつくが、それを無視してケンゴウは更に床を調べ始める。

 そうして床板の一枚一枚を丹念に調べると、カウンターと棚の中央に位置する床板に指を引っ掛けられる窪みを見付けた。


「これだ。ククク、面白くなってきたじゃないか。

 名無しの権兵衛、先に私が下へと入るから貴様は援護を頼む。その懐の物は扱えるのだろう?」


 完全に人の話は聞いてないなと、そんな風に思いつつ懐の武器を悟られていた事に少しだけ驚く名無しの権兵衛。何せ厚着をしているので、武器を所有しているかどうかなど見て分からない筈だからだ。

 しかしケンゴウからしたら、歩き方や立ち姿を見るだけで分かる簡単な見分け方であり、特に得意気に語る程のものでもないらしい。


「良く気付けたな」


「武器を所持しているのを誤魔化しているのは流石だが、私からしたらまだ甘いとしか言えんな。もう少し立ち振舞いを磨いた方が良い」


「言ってくれるぜ。ま、それは兎も角、援護の方は任せとけや。中距離と遠距離は俺、近距離はお前って事で頼むぜ」


「うむ、任された。では行くぞ。準備は?」


 互いに視線を合わせつつ、名無しの権兵衛は懐からモーゼルC96という名称の銃を取り出し、弾の確認を済ませながら「何時でも」と気負い無く告げる。

 するとケンゴウがスリーカウントを指切りで数え、ゼロになった瞬間に勢い良く床板の隠されていた扉を開き、地下へと続く階段を素早く下り始めた。

 何かしらの仕掛けがあるかも知れないが、ケンゴウは躊躇せずに階段を足早に進み、その背中を追う様に名無しの権兵衛も遅れず進む。

 そうして短くない階段を下った後、二人の視線の先には無数の酒瓶が並ぶ棚が地下空間に所狭しと設置されているのが視界に入る。

 第二次世界大戦が終わってから未だ十年しか経過していない事を考えると、この酒瓶の種類の豊富さと純粋な量の多さには驚かされる二人。日本政府の中央に位置する者達が第二次世界大戦中に横領した物品が、戦後アメリカから派遣された者達によってその事実が暴かれ沢山の日本の民衆に知られる事になり有名になったが、その時でもこれ程に種類や量は発見されておらず、そう考えると空恐ろしく思える酒蔵だ。国の閣僚が横領した国民の財産を易々と越える酒量なのだから、それに驚くのは無理からぬ事である。

 しかしながら、この地下空間にあるのは酒のみであり、米を始めとした物品は見当たらないので日本の閣僚が横領した品々ではないのだろうとは思える。

 だがそうなると、この御時世にこれだけの珍しい酒や高価な酒を、店主であるマスターが個人的に揃えている事になる。それはつまり、マスターの資産が日本でもトップレベルのものであるという証拠で、そうするとマスターがいったい何者なのかという疑問へと繋がる訳だ。


「おいおいおい、どれもこれも高級酒ばかりだぜ。この厳しい御時世で、どうやって揃えたんだっつうの」


「ふむ。確かに驚く程の量だが……第二次世界大戦が始まる以前に、この店の店主が揃えただけではないか?」


「いやぁ、どうやらその可能性は無いらしいぞ。これを見てみろ」


 地下室を照らす裸電球の下で、名無しの権兵衛が見付けたのは酒の入荷表であった。

 どうやらその入荷表によると、月に一度は相当量の酒を仕入れているのが分かる。しかも、有名な銘柄や聞いた事が無いようなマイナーな酒すらも仕入れている様で、それこそ世界中から集めているらしい。

 今や大戦中とは違うのだから、大戦中では御禁制であった西洋の酒などが解禁されているとは言え、これ程に大量の酒を楽々と仕入れるのは通常不可能である。例え米軍と秘密裏に取引したとしても、どう考えても不自然な量だ。


「貴様はこれを見てどう思う?」


「米軍のお偉いさんと秘密裏に取引している商人も少なくない。そういう奴らはお偉いさんにそこそこのお金をやり、米軍の物資を横流しして貰って莫大な資金を稼いでいる。

 だがこの入荷表を見る限りで言えば、そういうのとは違うってのは間違いねぇな」


「何故そう言い切れるのだ?」


「なぁに、それは簡単さ。米軍の物資の中に、絶対に入る訳がない物すらこの店は入荷しているからだ。これを見てみ」


 ケンゴウが横から視線を向ける中、自信ありげな名無しの権兵衛が指先で入荷表の一部分をスウッとなぞった。そこには、アメリカが禁輸処置をしている国の酒の銘柄が記入されていた。

 それを見たケンゴウは、名無しの権兵衛が言いたい事を十全に理解し納得する。確かに、禁輸処置を施している国からの物品では、流石に米軍のお偉いさんでも手に入れるのは不可能だろうと。

 しかし、それならばこの世界中から集められた酒は、いったい全体どの様な手段で仕入れているのかと疑問が浮かぶ。

 当然の疑問だ。戦後十年しか経過していない日本では、高価な嗜好品を輸入する様な余裕は微塵も無いからだ。


「この店の店主はどうも怪しく思えるな」


「あぁ、かなり怪しいと言えるだろう。ま、それは直接マスターに聞けば良い。

 ……なぁ、マスター。その辺の事情は教えてくれるだろ?」


 唐突に名無しの権兵衛が地下空間の奥へと声を投げ掛けると、それと同時に物音が室内に響く。比較的軽い金属製の物を、床へと落とした時の様な音だった。

 当然その音を耳にしたケンゴウは素早く身構えるものの、名無しの権兵衛は気負った様子を微塵も見せず、その場でニヤリと笑んだ状態のまま佇む。まるで攻撃される事が無いと確信しているかの如く、ユルリと立ったままだ。

 そうして無言の時間が数秒経ち、奥の方から苦笑いを浮かべるこの店の主が観念した様子で姿を現した。


「君達が何者なのか、目的は何なのか、先ずはそれを聞かせて貰っても?」


 一際大きな酒樽の影から姿を現したマスターが、苦笑しつつ疑問を口にすると、名無しの権兵衛がその疑問に応える。


「あぁ、良いぜ。折角イケメン顔で生まれたのに全く色気のねぇ生活をしているのが、そこの金髪のケンゴウ・コンスタンティン。で、沢山の女の子からモテモテで困ってるのが俺。俺を知る者は名無しの権兵衛と呼ぶ。

 ほんで、俺達の目的っつうのは、今この小樽の町で色々と忙しなく聞き込みをしているCIAと同じだ」


 名無しの権兵衛の気の抜けた自己紹介に、店主のマスターは大きな溜め息を吐いた。

 だがしかし、その溜め息は名無しの権兵衛に呆れたからではないらしく、その証拠に名無しの権兵衛とケンゴウを見るマスターのその目には、どこか感心したかの様な色が見てとれた。


「CIAの連中には未だに一切気付かれていない。行動や発言には細心の注意を払っていたからね。……それなのに、君達は今日この小樽に足を踏み入れたばかりの筈なのにも関わらず、こうやって目的のものへと近付く事に成功した。

 フフフ、見事だ。素直に称賛しようじゃないか。しかし、これ以上は目的の物へと近付く事は不可能。目的の物から離れる事も不可能。

 何故なら━━━」


 マスターが少し大袈裟な仕草で両手を広げた瞬間、隠されていた地下室の中にあって尚、壁や床に隠し扉が五つあったらしく、その隠し扉が勢い良く開いた。そしてその扉から合計十五人の女性達が、銃や刀を各々が所持した勇ましい姿で現れた。

 絶対絶命とも思える場面であり、通常なら両手を上げて降参する場面だ。チェスで言えばチェックメイト、将棋で言えば王手、そんな状況であり、とてもここからの逆転は不可能である。

 しかし名無しの権兵衛とケンゴウの二人は、この危機的状況の中であっても余裕そうにニヤリと笑んだ。まるでどうにでも出来ると、そう言いたげな様子で。

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