取り引き
名無しの権兵衛と対峙していた四人の内の三人を誘き寄せたケンゴウは、父から譲り受けた二式拳銃を片手に諜報員である三人と睨み合っていた。
銃を持っているのは諜報員のキャメルという名の男とケンゴウのみで、他の二人である双子は銃を持たず、その代わりに刃渡り三十センチの大きなナイフと十センチの小さなナイフを両手に持っている。
誰もが殺しの武器を手に持っているが、不思議な事にその誰もが構えず睨み合うだけで、ダラリと下げられた両手のままピクリとも動かない。
この睨み合いは、言葉にすれば戦力の暴き合いをしている真っ最中であると言えば概ね正しいだろう。野生生物が無駄な怪我をしないで済む様にする行動と同じく、互いが互いの力量を正確に把握しようとしているのだ。
しかしこの行動は、近しい力量の者同士でなければ意味をなさない。力量の差が有り過ぎると、弱い者は強い者の力量を完全に把握する事が不可能だからである。
事実その証拠に、諜報員であるキャメルと双子のツインズは、ケンゴウを観察して勝てる相手だと思い油断した様で、ニヤリと笑みを浮かべて勝利を確信したらしい態度を見せた。
それを見て悟ったケンゴウは、この程度の偽装も見抜けない弱者かと内心で溜め息を吐く。そして、これなら態々一対一にさせなくとも名無しの権兵衛なら余裕であっただろうとも思った。
だが折角こうしてお膳立てしているのだし、この状況を維持するのが肝要だと思い直し、ならばどうするかと思案する。話し掛けて時間を稼ぐか、はたまた殺さぬ様に手加減して相手をするかと、そんな風に考えた。
そしてその結論を下すその直前、モーゼルC96の発砲音が三度も耳に入り、ケンゴウは前者の選択を取る。
「遠いアメリカからこの小さな島国まで出張とは、CIAは余程に忙しい組織の様だな」
ケンゴウが日本語で言葉を投げ掛けると、キャメルやツインズは怪訝そうな表情で小首を傾げた。
それを見て予想外の反応だったのか、思わずケンゴウも同様の仕草をしてしまう。
するとキャメルが苦笑しつつ、口を開いた。
「日本人だとは思わなかった」
「あぁ、それ故の反応だったか。私の容姿だと日本人からすれば外国人にしか見えんからな、頻繁に勘違いされてはいたので日本人からのその反応なら直ぐに気付けただろうが……。日本に来てそれなりに経つから、アメリカ人に似た反応を示されると直ぐには原因に思い至らなかったよ」
「ハーフか?」
「父は日本人、母はアメリカ人だ」
「なるほど」
ケンゴウの言葉を聞いて納得したのか、大きく頷くキャメル。そしてそのまま、何やら考え込む様に沈黙した。
だがそれも数秒の事で、横に立つツインズに視線をチラリと向けて何やらアイコンタクトを取ると、再び視線をケンゴウへと戻して更に言葉を続ける。
「お前が何故防人の一族に手を貸しているのかは皆目見当もつかない。しかし、一時的なものだろう事は推し量れる。
それ故に、我々に協力する気はないかと提案させて貰おう。満足する報酬を出すと約束するぞ?」
「何故一時的なものだと?」
「先程、自分で言っていただろう。日本に来てそれなりに経つ、とな。そしてハーフという事実を加味すれば、戦後にこの国へ足を踏み入れたのは容易に察せられる。
つまり、まだこの国に来てから十年程で、その十年の間の数年間しか先程の一族とは交流がないと考えられる訳だ。それなのに、命を掛けて寿命が尽きるまで防人の一族に尽くす筋合いは無い筈」
「ほう。ほんの少しの言葉からそこまで気付くとは、中々鋭いな」
「スパイとして活動しているからな。それぐらいの技量がなければ死んでいる」
キャメルの言葉は真実である。スパイとは、その都度の潜入先で上手く馴染まなければ死に直結してしまう。それ故に、少しの言葉から隠された意味を導き出す洞察力と推察力が必須であり、それ以外の技術は殆ど要らないと言っても過言ではない程なのだ。
だからこそ、戦闘技術が低くとも不思議な話ではない。勿論、それは一般人と比べれば烏滸がましい程に強いのだが、それはケンゴウの様な人種からすれば雑魚同然であってという意味である。
ともあれ、ケンゴウはキャメルの話を聞きながらも、何故この様な話を持ち掛けてきたのかを内心では考えていた。そして、その結論は直ぐに出た。
キャメルの横に立つツインズを見て、答えを導き出したのだ。見下すその表情は、雄弁に話の裏を語っていたのである。
私の実力を勘違いし、何時でも殺せるし無力化出来ると踏んで、ならば更に簡単な方法へと舵を切ったという事なのだろう。そう答えに辿り着き、愚かな者達だと諜報員を内心で嘲るケンゴウ。
だがそんな事を思っているとは露とも表に出さず、ケンゴウは口を開く。
「協力とは?」
「フフフ、乗り気になったようだな。なぁに、簡単な事だ。不老不死を得られる装置、それが何処にあるのかを教えてくれるだけで良い。
……報酬は、円が良いか? ドルが良いならドルで支払うが」
「戦争に負けて未だ十年だ。勿論、ドルが良いに決まっているだろう」
「ハハハ、そりゃそうだな。意味の無い問いであった。では、希望通りにドルで支払う。十万でどうだ?」
「十万ドルか……十五万にはならんか?」
「十五万というのは高い。せめて十二万ドルにしてくれ」
「……十三万五千ドル」
「双方の間か。分かった、十三万五千ドルで手を打とう」
これは茶番だ。一方は喋る気などさらさら無く、もう一方は報酬を支払う気などさらさら無く、互いにそれなりの話を擦り合わせる風体を装った茶番劇。
その茶番劇の間、一発の発砲音が響いた。それはモーゼルC96の発砲音であり、明らかに名無しの権兵衛のものだ。
それに気付き決着を悟ったケンゴウは、それらしく会話を長引かせる。
「報酬の額はそれで決定だな。しかし、それだけでは納得出来ん」
「おいおい、十三万五千ドルだぞ? これ以上に何が欲しいと?」
「金銭ではない。情報を一つ……いや、二つ欲しい」
「……良いだろう。何が聞きたい?」
「一つは、女の捕虜を拷問した人物が何名居たのかとその人物の名が聞きたい。もう一つは、何故CIAの人員がこんなに少ないのかだ」
ケンゴウの質問が意外だったのか、キャメルとツインズは揃って訝しげな表情を浮かべた。どうせ不老不死の装置の在処を聞き出せば始末する予定なのだし、喋るのは別段構わないのだが、それにしたって質問の意図が諜報員達には分からなかったのである。
しかしながら、情報を聞き出した後に始末するのは絶対に変わらないし、見たところ始末するのは簡単な事だと判断出来るので深く考えずとも良いだろうと、そう思い直してキャメルは説明を始める。
「何故そんな事を聞くのかは分からんが、まぁ別に良いだろう。きっちりと約束を果たすのが我々組織の方針だからな」
「それは有り難い。なら、詳しく教えてくれ」
「……拷問には二人の人物が関与していて、一人は拳で殴り付けるだけの単純な拷問方法を使用するパイソンと、我らが地獄の猟犬のトップであるクロウの二人だ。パイソンは死なないように気絶しないようにと長く殴り続ける事で肉体を痛め付ける事に重点を置くが、クロウは精神的に痛め付ける為に部位欠損などを目的とした拷問をする。因みに、クロウはこの場に居ないが、パイソンは向こうでお前の仲間を相手にして暴れている人物になる。
で、もう一つの問いは……。これついては少々長くなるが、問題無いか?」
「構わん。詳しい内容が知りたいからな」
「ならば希望通り詳しく説明しよう。
CIAというのは、一口にCIAとは言っても様々な組織が存在していて、その全容はCIAの者であっても分からない程無数に存在する。その中の一部の組織が我々地獄の猟犬になり、我々の組織は主に敵国内に潜入してあらゆる情報を入手する事に従事している。
そんな我々が少ない人数で何故この日本に潜入しているのかという理由は、下克上の為だと言っておこう」
「下克上? 国でも乗っ取るつもりか?」
「いや、そうではない。我々地獄の猟犬は、CIAの中でも圧倒的に少ない金銭面で遣り繰りしている組織になるのだが、それ故に沢山の人員を無駄に消耗せざるを得なかった。確実な情報と有益な情報を数多く本国へと渡していてさえも、それでも我々の組織に充てられる資金は圧倒的に少なかったのだ。
だからこそ、他のCIA組織に不老不死の存在を秘匿した状態で、その力を独占し、その力でもってCIAの全ての組織のトップに立とうと、そう考えた。そのせいで、この国に居るCIAの人員が少ないのだ」
「それで六名という少人数なのか」
「そういう事だ。本当はコンテナ船にも四人の諜報員が乗っていたのだが、その人員の半分は防人の一族が始末しているようだし、残っている地獄の猟犬の人数は拿捕されていないコンテナ船に乗っている二人を含めた八人だけという事になる」
聞き出した内容を脳内で反芻するケンゴウは、内心でほくそ笑んだ。名無しの権兵衛が危惧していたCIAが、たった六人で、しかも不老不死の情報を秘匿して活動しているなど最高だと、そう思い自身達にとっては有り難い事実に小躍りしたい程であった。
しかしその内心の喜びはひた隠しにしたまま、ケンゴウは淡々とした口調で口を開く。
「ふむ、詳しい情報に礼を言おう」
「構わんよ。それでは不老不死の装置が何処に存在するか、それを聞かせて貰おうか」
「いや、それは駄目だな」
「どういうつもりだ……?」
「どういうつもりも何も、貴様が喋った事に嘘偽りがあったからに他ならん」
どうせ始末するのだから構わんだろうと、そう考えていたキャメルは全てを話していた。そう、全て真実なのである。
それなのに不老不死の装置が何処にあるのかを話さないケンゴウに、キャメルだけでなくツインズも剣呑な雰囲気を隠しもせずに表へと出した。
当然の反応と言えば当然だろう。最初から取引などするつもりは無かったが、それでも一応は真実を話していたのだし、それで嘘偽りを言ったと言われて一方的に取引を無かった事にされれば腹が立って当然。
しかし、キャメルの話した内容には、キャメル自身は知らないが嘘偽りがあったのはこれまた事実であった。その証拠は、キャメルの八メートル背後に立つ男から告げられる事になる。
「この国に現在存在するCIAの人数ってのは、七人だ。八人じゃねぇぜ?」
背後から唐突に投げ掛けられた声に反応し、キャメルとツインズが焦った様子で揃って視線を向けた。するとそこには、モーゼルC96を構えた名無しの権兵衛が立っており、その銃のトリガーを今まさに引く瞬間であった。
それがキャメルの見た生涯最後の光景となる。モーゼルC96から放たれた弾丸がキャメルの眉間に命中し、頭部から真っ赤な死の花を咲かせたからだ。
まるで糸の切れたマリオネットの如く、重力に従って崩れ落ちるキャメルを眺めつつ、名無しの権兵衛は淡々と言葉を続ける。
「パイソンとかって大男は、テメェが取引を持ち掛けた時には既に俺が殺してたっつうの。だから情報を偽ったって事で、取引は無効だろ? そう思わねぇか、相棒?」
「あぁ、その通りだ。嘘を言われては困るよ」
「と、まぁそんな訳だ。そこの双子はどうする? どう死にたい?」
突如背後に現れた名無しの権兵衛に呆気に取られる内に、仲間のキャメルが瞬殺されて頭が真っ白になる双子は何も言葉を発する事が出来なかった。
ただただ現状を理解しようと必死に思考停止状態に陥っている脳を稼働させようとするばかりで、攻撃するだとか逃げるだとかの判断まで思考が進まず、目だけが異様にギョロギョロと忙しなく動くだけだ。
そうしている内に、何も返答が無い事に大きな溜め息を吐く名無しの権兵衛が、それはもう素早い早撃ちでパパンッと二度の発砲音を響かせた。
するとツインズの二人は、双子揃って額のど真ん中に風穴を開け、キャメルと同様に真っ赤な死の花を咲かせ絶命してしまうのだった。
名無しの権兵衛「約束は守らねぇと駄目だな」
ケンゴウ「あぁ、その通りだ」
名無しの権兵衛「しっかし、良くもまぁ上手い事情報を聞き出せたな」
ケンゴウ「自分が優位な立場に居ると勘違いした者は、口が軽くなる。それを利用したまでだ」
名無しの権兵衛「おっかねぇおっかねぇ。俺も気を付けるとしますかね」




