猟犬
防人の一族を裏切った者達の拠点に、CIA諜報員が合流してから既に十日以上もの日数が経過していた。これは諜報員達からしたら予定通りの事で、ここまではまずまずの成果であったと言えるだろう。
しかし、そこから先が思い描いた絵図通りには事が進まず、何故ここまで計画通りにいかないのかと疑問ばかりが浮かんでいた。その疑問の一番の根拠となるのが、後で合流する手筈となっていたコンテナ船の人員達である。
本来なら沢山の武器と一緒に、新たな人員である諜報員四名と、一時的に手を組んでいるマフィア連中が合流する筈だったのだ。それがいったい全体どうしたのか、未だに合流出来ていない。それどころか、連絡の一つも寄越さない始末である。
裏切りの者達と先んじて合流していた六人の諜報員達は、この不足の事態に頭を悩ませていた。
「ここまで計画が上手く進まないのは、黒き猟犬設立以来初めての事だ。やはり、組織の人員が少ないのが原因なのだろうな。いや、それだけではなく、金銭面も原因になるだろう」
「クロウ、そんな愚痴を吐く暇は無いぞ」
「あぁ、分かっているさ。パイソンの言う通り、そんな暇は無いとは理解している。
だがこの現状では、そう言いたくもなる。武器も人員も満足に集まらないのだからな」
「それは何時もの事だ。ドイツ国内でスパイしていた時と変わらん」
「……君のその性格が羨ましいよ。フフフ、しかしその通りだ。
諸君、我々はこれからどう動くべきか、その話し合いをしたいと思う。どんな意見も無下にはしない。是非とも聞かせてくれ」
黒き猟犬という名の、CIAに無数に存在する一つの組織。そのトップに立つクロウが、パイソンとの会話で自嘲しつつ他の面子へと問い掛けた。
するとその声に反応して、双子と思わしき細身の男二人が声を上げる。
「マフィアなど最初から信用してなかったのだし、別に気にしなくとも良いのでは?」
「そうそう。多分、奴らは裏切ったんだと思いますよ。コンテナ船に乗っていた仲間の四人は、奴らに殺されたと考えるべきでしょうね」
黒き猟犬が設立されて以来、数多くの仲間が死んでいくのを見ていたせいか、双子の言葉からはコンテナ船に武器と共に乗船していた四人の仲間への思い遣りというものが一切感じられない。まるで心が枯れてしまったかの様に、ただ淡々と自分達の推測を口にしている様にしか思えなかった。
しかしそれは双子だけではないらしく、六人の内でこれまで口にしていなかった二人も同様の言葉を発する。
「そうね。武器と四人の人員は惜しかったけど、マフィアには最初から期待していなかったのだから、別に惜しくもなんともないしね」
「この任務が終わったら、マフィア連中を我ら黒き猟犬で支配すれば良い。その時には不老不死とやらの力を得ているし、それを餌にすれば食い付いてくるだろう」
「ウフフフ。それは良いわね、キャメル」
「キャットならそうするだろうと考えたから言ったまでだ」
「そうなの? ま、アタシとアンタは二人で行動する事が多かったから、互いにどう考えているのか分かるものなのかもね」
互いに微笑みながら言い合うキャメルとキャットの二人からも、やはり死んだと推測するコンテナ船に乗船していた仲間四人への思い遣りというのは感じられない。双子同様に心が擦り切れてしまったから故なのか、冷たい印象を受ける。
戦争という非現実的な日々が、彼ら黒き猟犬のメンバー全員の心を変えたのだろう。きっと最初はこうではなかったのだろうが、戦争が彼らの心を時間を掛けて変質させてしまったのかもしれない。
「確かにこの任務が終わったら、マフィア連中を牛耳るのも悪くない。スパイ活動の資金をマフィア連中から搾り取れるしな。
問題は、この現状をどう打開するかだ。不老不死の秘術が授けられる場所は以前として不明のまま。その場所を知っていたであろう二人の女には逃げられてしまったからな」
大袈裟に首を横に振りつつクロウが述べると、心底疑問げな様子でキャットが問う。
「何も聞き出せなかったの? クロウやパイソンの拷問でも?」
「残念ながら、一欠片の情報も聞き出せなかった。逃げられたのは痛恨の極みだ」
「女二人を助けに敵の拠点に乗り込むなんて、ホント大した奴らね。拷問に耐える女二人も中々だと思えるし、助けに来た男二人ってのも凄腕らしいし、防人の一族ってのはかなり優秀そうじゃない。
それに比べて同じ防人の一族なのに、一族を裏切った者達は役立たずばかりで困るわ」
「いや、裏切った者達は元々防人の一族ではないらしい。戦争で失った人員を緊急補充しただけで、防人の一族に加入する前は一般人ばかりだったそうだ」
防人の一族を裏切った者達の実情を耳にして、心底納得した様に溜め息を吐く面々。それを伝えたクロウでさえ、同じく溜め息を吐いており、どれだけ実働部隊が使えない面々なのかを物語っているかの様だった。
しかしながら例え優秀な人員が居たとしても、それは戦闘においてのみであるのは間違いない。何せ、彼ら裏切り者達はあくまでも実働部隊員であり、監視の目の様なスパイ活動は一切した事はなく、そういう訓練もした事がないのだから仕方がないのだ。
鷹藤はそれを加味した上で、その足りない部分をCIAで埋めようと考えた結果、こうして手を組んでいたりする。勿論、それはクロウも気付いており、だからこそ防人の一族を裏切った者達に諜報活動で期待したりはしていなかった。
だがそれでも限度があると、そう言いたくもなるクロウは顔を顰める。諜報活動が得意じゃないのは構わないが、実働部隊として易々と拠点に侵入を許すのはどうかと思っているのだ。
「我々で新たに捕まえて聞き出すしかないのでは?」
「兄貴に一票。その為に防人の一族の人員を探しましょう」
「ふむ。ツインズの言う事はもっともだ。しかし、此処の情報が少ないし、それに何より人員が少な過ぎて人海戦術するのがそもそも難しい」
黒き猟犬の人員は、現在六人だけである。つまり、此処に居る者達だけなのだ。
もっとも、本当はまだコンテナ船の一隻に二人の諜報員が生き残っているが、その人員も勝二郎達竜武会によって遠からず始末される事になるのだろうから、六人だけと考えるその認識は間違ってはいない。
それ故に、人海戦術というのは絶対に不可能なのだ。以前に小樽の町でやった様に軍人を導入出来るのなら話は変わってくるが、CIAの数ある組織の一つに過ぎない黒き猟犬が何度も軍部に要請するのも無理であるからして、やはり厳しいものがある。
「クロウ、その問題なら遠からず解決するぞ」
「珍しいな、パイソンが作戦を立てるのか?」
「いや、そうではない。拷問部屋へと助けに来た男が、オレを殺すと宣言していたのだ。オレが女を殴っていた感じからして、恐らく相当のダメージがあるだろうから、その復讐に来るのもそう遠い話ではないと考えている」
「復讐、か」
「そうだ。あの時の男が、オレの前に姿を現すのは確定だと考えて間違いない」
「殺さずに捕まえられるのか?」
「問題ない。オレと男の体格を比較すると、それ程には苦労しない筈だ」
「パイソン、君の事は信頼している。これまで君が負けた事など一度としてないからな。
だが、体格で判断するのは不味いぞ。日本との戦争のレポートを読んだが、日本人と接近戦をするのはアメリカ軍人なら絶対にしないらしい。その理由は単純で、体格差で遥かに勝っていても悉く殺されているからだ」
「……何故体格差で有利なのに負ける?」
「武術だそうだ。……柔道、だったかな?」
クロウがパイソンに伝えたのは事実だ。戦争でアメリカ軍人の数多くが接近戦で死んでおり、それ故に日本人と戦う場合は絶対に接近せず、銃撃で殺すか複数人で襲えと伝えられている。
これは日本人の殆どが柔道を習っていた事が起因とされており、東洋の魔法などと言われ恐れられていたそうだ。
その事実を端的にとは言え耳にしたパイソンは、正直に言えば半信半疑であった。体格差は戦闘の基本となるのだから、小さな日本人に負ける自分の姿が思い浮かばなかったのだろう。
しかし、そこは自分が所属する組織のトップからの助言になるのだから、半信半疑とは言え無下にはしない。そう、無下にはしないが、しかし半信半疑であるが故に、実際に戦って確かめてやろうとパイソンは考えた。そして戦った上で、その戦いに勝利して確かめてやろうと。
「柔道とやらがどれ程のものか確かめてやる」
「注意していれば、君なら大丈夫だろうさ」
「ふむ。お前も気を付けておけよ」
「あぁ。拷問したのは君だけじゃないから当然だな。
それでは、パイソンと私の二人が餌という事になるが、他の面々にはサポートに専念して貰おうか。出来るな?」
黒き猟犬のリーダーとして、各自に了解を得ようと問うクロウ。
すると全員が、無言で頷いた。それぞれに様々な表情を浮かべてであるが、それでもクロウの指示には一切反論するつもりは無い様だった。
信頼されている証左であると言えるが、彼らは化け物を目覚めさせたとは気付いていない。もし気付いていたのなら、きっとこの様な策を了承する事はせず、きっと無難で堅実な策を挙げていただろう。
黒き猟犬が狩られる側になるのは、もう直ぐだ。その時、彼らには絶望が待っている。